生存凶兆(23)
トビルを村から逃げさせたキニャが、見張り台から飛び降り、村に舞い戻ると、脱出の立役者である彼女の相棒はこの短時間で目に見えて疲労していた。
「プカプカあんたのほうは……うっわ。きったな。ちょっと近寄らないでよっ」
「プ、プカプカぁ、よだれまみれだねー……」
「ギギョォ……」
すばらしい時間稼ぎをしてくれた仲間に、引き気味の褒め言葉を送る。
魔生獣には生物的な筋肉や血液といったものはないため、毒を受けたリズのようにマナに直接影響する攻撃でもなければ、外傷や欠損は目立たない。
しかし、彼の全身は今、雨水とは違う粘度のある液体にまみれていることから、トキシック・ヴァイフログに何度かかじりつかれてしまっていたようだ。
「ヴァシャァァァ……」
静かな威嚇。敵は飛びかかってこず、こちらを眺めている。
「……キニャぁ、これからどうするの?」
ここまではユビも勢いでついてきたが、早くも困惑している。
表門を倒壊させてはならない以上、彼女らに逃げ場所はないのだが。
「洞窟の裏道」
「え?」
「あそこ、隘路につながってんでしょ?」
「あっ、そっか! そこから逃げるのねっ! キニャってば頭いいっ!」
表門の逆。裏門の先。洞窟の裏道。そこには山道につながっているはずの隘路への道がある……はずである。近々で村人が利用したという話こそ聞いていないが、トキシック・ヴァイフログが山道に出没している以上、確実に道がある。
「それに、ここで戦ったら村が毒まみれになるし――プカプカっ!」
「ギッギャ!」
キニャに声をかけられたプカプカが、わずかに元気を取り戻す。
それからジリジリと円の動きで相手をけん制し、立ち位置を入れ替える。
知ってか知らずか、トキシック・ヴァイフログはプカプカの円の動きに合わせるようにして、一定距離を保ったまま横移動を続けた。
それによりトキシック・ヴァイフログの背後には表門、プカプカとキニャの背後には裏門へとつながるカパジーラ山頂村、という構図に移り変わった。
「……プカプカ、進むよ。ゆっくりでいいから後ろ歩きでついてきな」
「ギギャ」
毒ガエルから視線を外さず、プカプカが返事する。
「ユビも、周辺のロックトードが動きそうだったら教えて」
「私ぃ、草生やして疲れてるんだけどー……」
「うっさい。カエルの餌にされたくなきゃ気張りな」
「んもーっ、キニャってやっぱサイテー!」
強引だが、なんとか一致団結。最後に残された活路へと歩みはじめる。
キニャが先行して、村のなかをゆっくりと進む。目と鼻の先にいたロックトードはキニャをジッと見つめたが、彼女の後ろからプカプカ、さらにトキシック・ヴァイフログが追ってくるのを目にして、木々のほうへと逃げていく。
急ぎのそぶりには見えないが、彼らなりの生存本能か。焦りに見える。
キニャはここで初めてロックトードという生物に対する感情が湧いてきた。
「なんだよ、こいつらもちゃんと生きたいんじゃん。キモいくせに」
ケッヒヒと、小悪党のような笑い声を漏らしつつ、歩みはゆっくりのまま。
プカプカと一定距離を保って追ってくるトキシック・ヴァイフログは、脆弱な獲物たちの姿を目視しながらも襲ってこない。巨大な毒ガエルの顔からは今、周囲のロックトードたちと同じくらい感情が見えてこない。
しかし中途半端に開かれた大口からは、雨に交じって次々と汚液が垂れ流されていた。口内の毒の分泌には余念がないということか。毒吐きほどではないが、トキシック・ヴァイフログの唾液には軽度な毒性が備わっている。
ただし、プカプカは体の性質で効いていない。キニャにせよ、深穴ヘビの鱗を用いた白いローブは身を包む者への毒性を緩和するため、大気が多少汚染されたところで大事には至らない。実のところ、敵との相性はそれほど悪くない。
「ヴァシャァァァ……」
けれど、そんな相性以前に、生物としての強弱が際立っている。
先ほどの戦いだけで、プカプカとの格付けも済んでいる。
まるでヘビをにらむカエル。弱肉強食は逆転した。
トキシック・ヴァイフログの無表情も、悪人のように野卑な笑みを浮かべないだけで、見ようによっては獲物をいたぶる嗜虐に見えてくる。
「……キニャ、ロックトードがみんな逃げてく。このままなら裏門にいけるよ」
「……だといいけどね」
村の広場まで差しかかり、ヤックの家を抜けて、家々を横切っていく。まもなく視界に映るのは、壁中央を破られ、半壊した裏門の丸太壁だけになった。
裏門の周辺にも、岩色の肌を雨で濡らすロックトードたちが数匹立っていたが、キニャたちが近づくにつれ、四方八方にぽてぽてと歩き去った。
道ばたに散らばる、裏門を上るための階段であった丸太を慎重な足取りでまたぐ。敵を見つめたまま後ろ歩きをしているプカプカは、二度三度とつんのめりそうになる。かといって、大木はキニャやユビの腕力で持てるものではないため、相棒が転ばないことだけを信じて、一歩一歩、着実に裏門に迫る。
長く短い、緊張の時間の末。キニャの手が半壊した裏門に届く。
先に相棒をチラッと心配したあと、顔を裏門の先へと向ける。
そこで、残されていた望みが絶たれた。
「……サイッッッアク。なんでこいつらが突っ立ってんのよ」
「な、なにぃ、これぇ。ロックトードでいっぱいだよぉ……!」
裏門の先でキニャとユビが見たのは、洞窟までの道のりを埋め尽くさんばかりに立ち並んでいる、数えきれないほどのロックトードの大群だった。
あまりの密度に崖から落ちそうな者もいるが、みな不動のため絶妙なバランスで停止している。そしてどう考えても、キニャたちが歩いていける幅がない。
彼らはおそらく、虐殺者の張本人が先に村に侵入してしまったことで、今朝方の大群での進行から今の今まで、洞窟に帰るわけにもいかず、カパジーラ山頂村にも入れず、この場で足を止めて待つしかなかったのだろう。
「キモカエルがっ……いっそ全員で村に侵入しときなさいよ」
「それじゃ本末転倒だよー! それどころじゃないけどー!」
「ギギャ……」
「ヴァシャァァァ……」
キニャがロックトードばりに突っ立って途方に暮れてしまった数秒後、裏門からプカプカも出てきた。半壊した丸太壁の隙間からトキシック・ヴァイフログの巨体も出てこられたのは、堅牢な壁を壊した当人だからだろう。
そして、それほど距離のない場所で、毒ガエルに悠々と陣取られた。
「ギゴゴ」「ガゲゲ」「ゲゴ」
「……ッ!」
洞窟への道を埋め尽くしているロックトードたちが、訓練された兵士のように顔向きを一斉に変え、こちらを見つめてくる。
その対象はトキシック・ヴァイフログに違いないが、何百もの眼に見つめられたように感じる場は、キニャとユビの恐怖心を煽り、ゾッとさせた。
「……キ、キキ、キニャぁ……」
「……しゃあない。絶体絶命もここまでね」
諦めるような一言。ユビはそれを、お別れだと受け取った。
「ヴァジャァッ!」
「ギギャッ」
少女らがロックトードの奇行に目を取られていたかたわら、トキシック・ヴァイフログが動き、プカプカへと飛び乗った。表門でやられたお返しとばかりのボディプレスは、プカプカの全身を覆い隠し、彼を勢いよく地面へと叩きつける。
「ギギャ……!」「ヴァジャッ!」
うつ伏せのまま、上に乗られた相手をはね除け、プカプカが立ち上がる。
顔の下半分からお腹までの白い部分は土に汚れ、体から青い煌めきが散る。
それは体を成すマナにダメージが及んだ証拠。プカプカの死につながる。
「プ、プカプカぁ!? キニャぁ、プカプカが死んじゃうよぉ!」
「うっさい。見りゃ分かる」
「ううう、キニャぁ……じゃ、私はそういうことで。あとでお墓作ってあげるね」
と今生の別れを返したユビが、ヨロヨロしつつも飛んで逃げようとするが。
ガシッ。「ぎゃっ!」キニャの右手で強引に引っつかまれ、彼女の顔の横。
白いローブで包まれた、灰色の髪がかかる右耳のあたりにつっこまれる。
「バーカ。死ぬときゃ一緒よ? ねえ羽虫ちゃん」
「ちょ、ちょっとー! なにすんのよ! 死なばもろともとかやめてよっ!」
「ケッヒヒ! あんただけ生かして逃がすかっての。それに――」
キニャが、胸の前に持ってきた左手の上に、右の手のひらを重ねる。
「逃げてたらユビ、あんた死んでたよ」
「ヴァジャァッ!」
トキシック・ヴァイフログが再度、プカプカに飛びかかった。
毒ガエルが品定めしていた獲物たちは、もはや退路をなくした。
あとは大量のロックトードを観客に、二匹と一人をかみ砕くだけ。
けれど、先に鳴った音は、風を切り裂く悲鳴のように歪んだ、不快な怪音。
――ビギイイィィイインインィンイィーーーーーーン。
左手の小指にはめられた壊れた風切りの指環が、右手の親指と人さし指でつままれ、抜き取られ、大きく振りきられると、弦楽器を歪ませたような怪音が轟く。耳をつんざく不快音。灰色髪にしがみつくユビが、思わず耳を押さえる。
突然の異音にトキシック・ヴァイフログすらも動きを止めるなか――ただ一匹。両のつぶらな瞳を、人相が変わったかのように、獰猛に輝かせる者がいた。
「【破裂しなっ】ッッ!!! プカプカァッッッ!!!!!!」
「 ギッ、ギャアアアァァァアアアアァアアァアァァアァッッ!!!!!!」




