生存凶兆(22)
トビルを連れたキニャが、ヤックの家からそっと出ていく。家の周辺には誰もいないが、近くの広場にはロックトードが三匹、四匹と集まっている。
反対方面。山頂側の岩場。山水を貯蔵しているため池では、カエルたちが水面に体を落とし、水風呂を楽しんでいるかのような朗らかな光景が広がっていた。
「うわぁ、あれじゃあ、もう水が飲めないよ……」
「今さら心配することじゃないでしょ。ほら、さっさとこい」
「う、うん……」
不安そうに手を取ってこようとするトビルの右手を、叩き返すように振り払い、キニャは身軽なままで木陰に忍んだ。曇天の雨模様ではあるが、まだ夕方にもほど遠い日中。暗くはあるが、闇にまぎれられるほどの帳は落ちていない。
不気味なカエルたちが立ち往生している村のなかを、家々の壁を利用してソロリソロリと進んでいく。おそらく気付かれてはいるが、反応はされていない。
かといって堂々と歩いていく理由にはならないと、慎重に歩む。
「ぼく、村を出たくないよ。ここにいたい。イヤだよ、なくなっちゃうの」
「だったらここにいな。ヤックに伝えとくから。あんたの息子は立派だったって」
「……キニャさんって、ほんとキニャさんだよね」
子供の言い分を子供の口喧嘩で返され、トビルがまた大人になれる。
「分かってるよ。村にいたら危ないんだって。だけど、でもさ……」
「シッ! 黙ってクソガキ」
「ふがっ」
突然、キニャがトビルの口をふさいだ。その理由は目的の場所にあった。
先ほど降りてきた表門。丸太壁があるはずのその場所があまり見えない。
当たり前だ。その表前には、紫毛並みのまだら模様をした巨体の姿。
トキシック・ヴァイフログが、地面に四肢を沈めて座っていた。
「デカキモガエル……ちっ、なんでそんなとこいんのよ」
「ふがが、ひゃっ、ど、どうするのキニャさん!?」
「だからしゃべ――」
ピクッ。たったの一挙動。それだけでトキシック・ヴァイフログの顔がすばやくこちらに振り向き、キニャと目と目を合わせた。なれば当然。
「ヴァジャアァァァ!」
「ふざけんなクソガキ! 死ねっ!」二人とも気付かれた。
逃げ場はない。後ろに逃げれば、ロックトードたちがいる。
攻撃はしてこなかったが、カエルたちを必死にさせた元凶を連れていけば、彼らにどう影響するのかは分からない。東側の山頂に向かったところで急斜面。逃げ切れるものでもない。西側の崖に向かったところで、喰われるか落ちるか。
どちらにせよ、二人に待っている結末は同じだろう。
「ヴァジャアァァァ!」
巨大な毒ガエルが大きくいななき、威嚇してくる。
襲いかかられたら太刀打ちできない――というとき。
「ギギャッ!」
表門の上。見張り台のふちにマヌケな顔と、短い両手が生えた。
ここにきて、ようやく、プカプカが浮き上がってきた。
村の様子を見たプカプカは、眼下のトキシック・ヴァイフログ、敵に目視されている飼い主のキニャを発見して、命令すら受けずに即行動する。
見張り台にかけた、短いながらも膂力はある両手を勢いよく押し出し、その反動で一気に表門を飛び越えると、全身でトキシック・ヴァイフログの頭上に飛び上がる。そのまま自然落下して、巨漢が巨体にのしかかった。
ドテン! 「ヴァジャッ!」プカプカよりわずかに大きな体格とはいえ、急な重量に降りかかられたトキシック・ヴァイフログの頭が、地面にこうべを垂れるように押し潰される。一方で、プカプカは「ギギャッ!」と勝ち誇りつつ、毒ガエルの大きな頭を踏み台にして、キニャの近くにまで跳ね飛んできた。
その姿、まるで窮地を助けに来た、モノクロのナイトのようであった。
それを見たキニャも思わず。
「バカ! あんたが降りてきたらどうやって逃げんのよデブッ!」怒鳴った。
「ギギャ?」
「またのんびり浮いて表門を越えるつもり!? 勝手に動かないでよブタッ!」
「ギギョォ……」
大好きなご主人さまに怒鳴られて、プカプカは若干ヘコんだ。
彼の機転によりキニャとユビ、トビルが一時的に助かったのは事実だが、見張り台から降りてきてしまった以上、プカプカがまた表門を越えるのは難しい。
彼の短い手足とハミ出たお腹では、人間用の木ハシゴは使えない。
敵も、プカプカが浮き上がるまでの時間を待ってくれるはずもない。
唯一、留め具を外せば丸太壁を倒して脱出できるが、それはトキシック・ヴァイフログとて同じ。先行している避難組を背後から絶体絶命に陥れかねない。
ある意味、全員で脱出することが不可能な状況となってしまった。
「キ、キニャぁ! どうするの!? これじゃあ逃げられないよっ!」
感知に気を使っていて言葉数も少なかったユビが、絶体絶命をわめく。
彼女なら一人でどこぞへと飛んでいけるはずだが、逃げ去りはしない。
「分かってるっての! ちっ、せめてクソガキを――」
「ヴァジャアァァァ!!!」
奇襲されたトキシック・ヴァイフログが怒りをあらわにし、突進してくる。
キニャの前面にはプカプカがいる。白いボディと黒い外殻の巨漢は頼もしくあるが、曲がった背中を正し、全身で飛びかかってくるトキシック・ヴァイフログはさらに巨大だ。おまけに、口いっぱいに開かれた口内の不揃いの牙からしたたり落ちる唾液が周囲に飛び散り、地面をネチョネチョにしている。
「最悪っ、プカプカも【ぶつかれ】!」
「ギギャ!」ボテンボテンと走り出す。
仕方なしの正面衝突は苦肉の策だ。相手の大口はプカプカを飲み込まんばかりに広がっているが、毒ガエルの攻撃への対抗手段はそれほどない。
巨体の魔生獣同士がぶつかり合い、あまり聞きなじみのない肉感的で大きな衝突音を鳴らす。トキシック・ヴァイフログはプカプカにかじりつこうとしたものの、下顎に体当たりをくらい、プカプカの頭上、黒い外殻をわずかにガチッと噛むに終わった。プカプカのほうも噛まれはしなかったものの、同じく体当たりが直撃したようなもので。「ギギャッ」と、つぶらな瞳をしかめながらのけぞった。
「プカプカ! もっと【ぶつかれ】! そのまま続けてて!」
「ギギャア!」
主の一方的な命令にも逆らわず、プカプカが懸命にトキシック・ヴァイフログへの体当たりを敢行する。毒ガエルも最初こそ同じ体当たりを返していたが、次第に軽く飛んで【ぶつかれ】をかわし、プカプカの隙に一方的な体当たりを返しはじめた。そのたびに「ギギャ」「ギギョ」とマヌケなうめき声が周囲に響く。
魔生獣同士の戦いは、より強力な肉体と攻撃力を持つトキシック・ヴァイフログに対し、外殻は硬いが大きいだけの破裂トカゲでは相手にならなかった。
けれども、プカプカの全力の時間稼ぎは、キニャたちの脱出につながった。
「ほら! さっさとハシゴあがれクソガキ!」
「い、いたっ。もう足叩かないでよキニャさん!」
トビルを先頭に追い立てて、二人が表門のハシゴを登っていく。
トキシック・ヴァイフログの意識は今、一方的な優位を取れる獲物のプカプカに向いていて、村から逃げようとしている人間には目もくれない。
「や、やった。キニャさんも早く早くっ!」
「うっさいクソガキ!」
そうして二人は表門の上、見張り台までたどり着くことができた。
あとは、ここから逃げるだけだ。
「クソガキ、時間ないから飛び降りな」
「え、ええーーー!? 無理だよこんな高いところ!」
「キ、キニャぁ! こんなところから飛んだらトビル死んじゃうよー!」
ユビが絶叫し、非道なキニャの頭をローブ越しにポカポカと叩く。
「ウッザい! もうそれしか――あっユビ、あんたそういえば」
「? なに?」
「ケッヒヒ! 羽虫でもこんなときくらいは役に立ってみなさいよ」
一瞬で悪い顔になったキニャが、ユビを両手で引っつかむ。「やめろ~!」と小さき抵抗をされるなか、茂みインプを口元に持ってきて、ささやくように耳打ち。するとユビの顔が明るくなった。それを見たキニャはユビを解放し……。
「じゃあね、クソガキ」ゲシッ。一蹴り。
「へっ?」トビルが、見張り台から蹴落とされた。
少年が全身を大の字に広げて、表門から落下する。
「うわああぁぁぁぁあああ!!! キニャさんの人殺しいいぃぃぃいいい!!!」
「そんなこと金もらってもしないっての。ほらユビっ!」
「任せてー! 【草よ、生えてね】!」
トビルが地面に落下するよりも早く、ユビが山道に急加速し、まじないを一言。
それだけで地面に、トビルの落下地点に、大量の緑がボワッと生え茂った。
バサッ。岩肌に落ちていれば骨の一つや二つ、それどころか命の危険もあったところを、彼は至って柔らかな衝撃を体に受けるだけで済んでいた。
「な、なななに!? なんで急に草がっ!?」
トビルが慌てて飛び起きる。ケガはないようだ。
「へっへーん! どー? これが私のとっておきだよ!」
「死ぬほど役に立たないけど、死にそうなときくらいは役に立つわね」
「まあ、ちょっと、これだけ大量に生やすと私……疲れちゃうんだけどさ……」
ヨロヨロと。ユビが力なく表門まで飛び戻り、キニャの頭上でへたり込む。
「クソガキっ、あんたはそのまま山道を進んで、みんなと合流しなっ」
「ええ!? キニャさんはこないの!?」
トビルがまさかの事態に驚き、不安がるなか。
「デブブタのせいでまだ仕事があんのよ。そーだ、あんたもちゃんと金用意しときなさい。命の価格は安く見積んないでよね? 一生かけて返しな!」
キニャが村に向き直る。見張り台から飛び降りるような姿勢。
「そ、そんな! 危ないよ! もうカパジーラのことはいいから逃げようよ!」
「バーカ。村なんてどうでもいいし、村なんか生きてりゃどうとでもなんのよ」
そして彼女は飛び降りる瞬間、自信満々で言った。
「ついでに、金さえあればねっ!!」
キニャが飛び降りた先は、トビルがいる山道ではなく、その後ろ。
トキシック・ヴァイフログと相対している、プカプカの背後だった。




