生存凶兆(17)
夜が明けた。村の直上は晴れ模様だが、山頂には雲の陰りが見える。
表門、裏門ともども見回りを通じて魔生獣がいないことを確認したゼリファは、連続して襲来されなかった安堵よりも、不吉の前兆を心に感じつつ、ヤックを含む二十九名の村人、十五名の衛士隊、テルとトルミットとキニャを村の広場に呼び集め、総勢四七名に対して提案した。内容は昨夜のとおりだ。
「今、カパジーラ山頂村は危機にあります。これ以上の防戦はいたずらに損耗するだけで、いつ死傷者が出るかも分かりません。アードの衛士隊には助勢してもらえたものの、苦境を覆すには、王都の護鳥騎士団の魔生獣討伐隊の手が必要です。なればこそ、村の方々、協力してくれる方々にあらためてご提案いたします」
昨晩まで泥だらけであった白銀甲冑は、最低限の汚れが払われ、かすかな輝きを取り戻している。しかし、全身の青つなぎも鎧の傷みも消えてはいない。
ついでに美貌もくたびれているが、第四姫の顔からは不安をいっさい感じない。いっそ、ここにいる誰よりも精悍でハンサムな面持ちだ。
相棒のリズ、護衛のテルをそばに立たせたゼリファはなにかの壇上に立つでもなく、全員と同じ高さの目線で、スーッと深く息を飲んでから、続けた。
「護鳥騎士団が来るまで、村から避難したいと考えています。異存のある人は」
第四姫が口にした提案は、一介の村人からすれば通告に近かった。
「そ、そんな、カパジーラを捨てるんですか……!」
「ふざっ、ふざけるなっ。俺たちの故郷だぞっ……!」
「うちの息子はまだ歩けないし、おばあちゃんも足腰が……」
「それに避難って言ったって、いったいどこに……」
老若男女問わず、どよめきが広がる。今の生活を捨て去るというのは、その立場になってみなければ分からない、とても残酷な決断である。
それでも凶悪な外敵に見舞われているという、誰でも納得せざるを得ない環境とあって、混乱の声は次第に収まっていった。そしてポツリ、ポツリと。
「仕方ないのか……」
「そうするしかないか……」
「そうよね……」
避難案への賛同者が増える。それが選ぶというよりも、消去法的な諦めからくるものであったとしても、村人たちは思いを飲み込んで、ただ沈黙する。
村には戦いを経験し、血気盛んになった男衆もいる。頭数はそろってきた。けれど、彼らほど最初に消沈し、諦めた。戦えないことにではない。誰も彼も守りたい家族がいる現状、戦わずして逃げることが最も安全であると気付いてだ。
「第四姫、ゼリファ・ミトス・クリンティアさま!」
アード衛士隊の隊長が、声高に呼ぶ。
「ここではゼリファで構いません」
「ハッ! ゼリファさま! 村のみなに一言よろしいでしょうか!」
「お願いします」
「ハッ!」
衛士隊の隊長が歩み出て、ゼリファの斜め前で立ち止まり、みなに振り返る。
「過去、護国都市アード近郊にあったマイティロット村では魔生獣災害が発生し、指折り数えられる住民を残して、人も村も帰らぬものとなりました。あのときの悲劇を再現するのは、カパジーラ山頂村のみならず、護国大陸に生きるすべての者に絶望を与えます。そのようなことを護国は、第四姫は望んでいません」
少なくない数の村民たちが、胸を打たれたかのように沈痛な面持ちになる。
「カパジーラ山頂村の住人たちは一人残らず、我ら第六護国都市アードで受け入れます。今はまだ事前の準備が整っていないため、しばらくは不便をおかけしてしまうかもしれませんが、護鳥騎士団による魔生獣討伐が住むまで、【人地護鳥】エンドレイルの信念たる護国信仰に則り、みなの生活は保障いたします。ここからの山下りが厳しい方々は衛士隊の荷馬車で移送し、避難の手助けもいたします。微力な我々をお許しください。それでも、どうか逃げることを選んでください」
護国衛士は護国民に対して権力を持つが、一方的な関係ではない。能力や資産に決定的な差があろうとも、衛士の最大の義務は、親民への奉仕だ。
それを知っていようが、知らなかろうが、誠意に不義理な言葉を返す村民はいない。そして、無言の時間を同意と見なしたヤックが声を張り上げる。
「みんな、意は決したな。避難はすぐに決行する。最低限の荷物だけをまとめて、炎滅竜の天陽がカパジーラ山頂に届くまでに表門に集まってくれ。持っていけない財産は惜しみなく残していけ。代わりに、家族は誰ひとり残すな!」
同じ共同体で生まれた男の言葉が、村民の胸に染み入る。男衆が活気のいい声をあげると、村民たちは四方八方へと散らばり、村脱出の準備をはじめた。
ゼリファは一瞬だけ、己の力の至らなさに唇をかみしめた。だが、すぐに表情を切り替える。そばに立つテルに目配せし、足元のリズを連れ、分かれて表門と裏門に向かった。村人が避難の準備を進めている間、監視は彼らの役目だ。
だから、こんな渦中でも手が空いているのは、のんきなマヌケ顔のプカプカと、突然の避難にあわあわするユビと、仏頂面のキニャだけである。
「ちっ、どうしよ。このままアード帰ったら、ゼリファに500000コル奪われる」
「もー、キニャったらまたそんなこと言って。人間、命あっての物種よ」
「うっさい、こちとら物種あっての命よ。虫が人を語るなし」
「だーから虫じゃないわよっ! 失礼しちゃうわっ!」
「ギッギャッギャ!」
「プカプカも笑わないの!」
目下の悩みは、ゼリファの白いマナ結晶を闇ジジイにさばいてもらい、どこぞへと逃げること。そのためにも護国衛士隊や護鳥騎士団とはこれ以上は関わらず、顔を覚えさせない。でなければ今後のコソ泥生活の支障になりかねない。
悲壮な決意が漂う空間とは打って変わって、キニャにとってカパジーラ山頂村の一幕は他人事だ。安全に逃げる手立てが整っている。その後の生活も約束されている。しばらくすれば、護鳥騎士団が悪者をやっつけてくれる。
むしろ言うことなし。贅沢ものどもめ、と思っている節すらある。
天には明るい日差し。炎滅竜が人類を温かく包むため、その身を犠牲に燃やし続けているという天陽。キニャが創海神話で一番嫌いなのは、死んだくせに護国大陸のすべてを冷やして殺しかねなかった氷滅竜の迷惑な死に様である。
目に刺さる陽の光を、左手を上げてさえぎり、天陽を隠して空を見上げる。
小指の奥まではめた鈍色の指輪が、すこしだけきらめく。
カパジーラ山の山頂の先には、暗い雲海が広がっている。先行きを暗示しているかのような不穏さ。なんとなしに、白いローブのフードを深く被り直した。
「……ほんと、護鳥信仰ってのは都合がいいよね。バーカ、死んじゃえ護鳥」




