生存凶兆(11)
森林と川縁で小鳥がさえずる翌朝。朝の光にのそのそとやる気なくうごめく少女の背を、緑の茂みインプが小さな足で懸命に蹴飛ばすことで旅は再開された。
「くっそー、あのバカ女。左手がまだしびれてるし」
まだ感覚がピリピリする左手を動かしたくなく、防護服のポケットに突っ込む。
ゼリファやヤックたちの現状をおもんばかってか、ユビのうっとうしさに参っただけか、はたまた逃避行で長旅する必要がなくなっただけか。
キニャがアードについたのはその日の夕方前のことで、行きのときと比べると約一日半の旅程。所要時間は大幅に短縮されていた。
「おー、ここが護国都市アードなのね。村と違って広いねー、大きいねー」
「うっさいユビ。プカプカも突っ立ってないで早くきな」
「ギギャ」ボテンボテンと白い腹が揺れる。
キニャは住み家である外郭市には寄らず、普段は悪いことの獲物探しにしか訪れない都市側の通行所を通り、石壁で囲われるアードに踏み入った。
護国の人々は民族も多種多様だが、多少なりとも素性が怪しそうでも、国家的な危険分子として手配されているのでもなければ止められることはない。
とくにアードは、立身出世を夢見て近郊の農家から体一つで逃げ出してくるお荷物次男らを受け入れがちな土地とあり、基準は他都市よりもガバガバだ。
表面が丁寧に削られた白石の大通りを歩き、整理された町並みが広がる区画を、平和そうな顔色で歩くアード民にまぎれながら進む。
住人たちの憩いの場であり、ゼリファを獲物に定めた中央広場を抜けた先には、普段ならネズミ取りにかかるようなものなので絶対に近づかない、ひときわ大きな建物「護国衛士隊詰め所」。外観、内観ともに飾り気のない石と木で建築されたそれは、キニャのような小悪党たちに心理的な圧力を与えるためだとされる。
「ちょっと、衛士隊におつかいなんだけど」
詰め所に入り、深緑の制服を着込んだ受付の衛士隊員に声をかける。
プカプカはデカいので、建物入口に置いてきた。
「はい、なんでしょうか」
怪しい身なりで茂みインプを従える少女にも丁寧な対応。それが護国の衛士だ。
衛士隊員は大陸ひいては護国民の生活圏における警備者であり、キニャのような不穏な者たちをしょっぴく権力が与えられている。
外郭市の住民たちは恐れを成しているが、貧しきも最低限は生きられるだけの豊かな社会のため、逸話にされるような手ひどい扱いを受ける実態はない。
まあ、キニャの第四姫への強盗を知れば、逸話も生まれかねないのだが。
「これよこれ、第四姫からあんたらに手紙」
「第四姫……? ゼリファ・ミトス・クリンティアさまのことですか?」
「誰がビスケッタ姫の話したのよ。ゼリファよ、ゼリファ」
あまりに気安く呼ぶので、キニャが地位のある者かと衛士も背筋を伸ばす。
「それでその、第四姫からの手紙とは、いったいどのような内容でしょうか」
「それを知るのに手紙を読むのが、あんたの仕事じゃないわけ?」
「は、はあ、そのとおりではありますが……では失敬して」
若き衛士隊員が丁寧に封を切る。これが重要書類ではなく、少女のイタズラであることも警戒して、上の者に渡す前に確認しておこうとの判断で。
しかし、彼の顔色はみるみるうちに変わった。
「……た、隊長! 隊長っ! 大変です隊長っ!」
深緑の衛士隊員が騒ぐ。彼は一足早く、カパジーラ山頂村の事情を理解した。
突然の波紋はすぐさま詰め所内に広がり、キニャの前に衛士が集まる。
「な、なんてことだっ!? 第四姫が魔生獣の巣窟に取り残されているだと……!」
「図録は! トキシック・ヴァイフログなる変異種の危険指標はいくつだ!?」
「ま、待ってください……ありました、危険指標六類。護鳥騎士対応です!」
「~~ッ、すぐに王都の護鳥騎士団に連絡を! それと衛士隊は緊急出征っ!」
騒ぎが騒ぎを呼ぶ。衛士隊のみならず、詰め所にやってきていた一般住民たちにも焦りが伝わり、護国で愛される第四姫の身の危険に不安が広がる。
最初に応対した若き衛士隊員もいつの間にか場を離れていて、今はキニャに応対する者もいない。もとより、彼女は最初から他人事のように眺めていたが。
「ねえ、そこの人。私もう帰っていい?」
「え……? ああ、えっと、はい、用が済んだのならどうぞ」
キニャは接点のなかった衛士隊員に尋ねた。わざとだ。
言質さえもらえば、ゴタゴタから逃げても責はないからと。
彼女が悠々と詰め所から出て、プカプカを引き連れ、来た道を戻っていく。
背後の騒ぎの波紋は徐々に町中へも広がり、通行人たちも耳に入ってきた情報に次々と話題を切り替える。ゼリファの存在は、護国ではそれほど大きかった。
「なんだかすごいことになってるね。いいのキニャ? あそこ離れちゃって」
「いいでしょ。べつに」
「ふーん。まあこれから帰るだけだし、そっか。じゃあカパジーラに戻ろ」
「う~んうん、ちょ~っと待ってねえ。お姉さん、まだ用事あるから~」
「……なんだか声が怪しいよ?」
キニャの幸運は、ユビが頭上の二本角にちょこんと座っていたことだ。
おかげで、ニチャァと歪んだ口元を、賢しいインプに見られずに済んだ。
三人はそのままアードの通行所まで逆戻りし、外に出た。
それから都市を囲う石壁の軒下、統一性のない古びた木材の屋根が色とりどりに点在する、パッと見では市場のような外郭市へとやってくる。ユビの目には「なんだか世界が違うね」と映ったようだが、認識はおおむね間違ってはいない。
外郭市は、護国都市アードとも、カパジーラ山頂村ともまた違う。
キニャのような人間だけが住み心地のいい場所。
ユビが頭をフリフリして物見しているのを、頭上でのささやかな体重移動で感じながら、キニャは堂々とした大股で、外郭市の中央通りを歩いていく。
「キニャ、キニャ。久々だな、どこ行ってただ? 今日いい石があるでな」
「はーいはい。買わないって言ってんでしょ、石ジジイ」
奇抜な形の石を売る中年男性。若干、ホホが痩せ細った。
「……キニャ。贖罪の旅に出ていたって本当かい? なら僕と護鳥に懺悔を――」
「黙れ影男。ほらその顔、どうせ誰かにぶん殴られたんでしょ」
両肩を落として近寄ってきた影のある髭男。目元に青タン。それも日常。
「あぁるわぁぁ! キィンニャァじゃなーい! 店よってかぬわぁぁい!」
「うっさいマダム! なんべん同じこと言わせんのよ!」
しわの目立つ看板娘。今日も自分だけはプリンセス気分だ。
「なんだか面白い人が多いのねー。みんなキニャみたいだわ」
「それケンカ売ってる? 握りつぶすよ」
「ギッギャッギャ!」
誰の手にもまったく整備されていない土肌の道は、ところどころ草木が生えてきている。それも気にせず生きるのが外郭市民の粋だ。
粗雑な雰囲気でにぎわう中央通りを抜けると、キニャは目に入ってきたのはオンボロな小屋。もとい「闇ジジイの質屋」に踏み入れる。
「闇ジジイ! 帰ったよ! 例のマナ結晶ちゃちゃっと売ったでしょうね!」
「帰ってそうそうにうるせえなキニャっ子。例のカモはまいたのか」
「その話はあとで。いいから、預けたマナ結晶は売れた? どうなの?」
目上の人、などという敬意はひとかけらも見せずに詰め寄る。
「まだだよ」
「はぁー!? 闇ジジイあんたどんだけ手際悪いのよ!」
「抜かせ小娘。買い手は見つかったが、取引はまだ先ってだけだ。大枚だからな」
「おっ、マジでマジで。いくらいくら」
「聞いて驚けよ――500000コルは引き出せそうだぜ」
「ごじゅう……え? は? え、ご、ごご500000コル!? 五万じゃなくて!?」
「王都住みのボンボン小僧が手を挙げたそうだ。確度高いぜ、こいつぁ」
闇ジジイがウッシッシッと、愛嬌のある笑顔を見せてくる。
「仲介料は三割、いや四割だ。死ぬほどアブねえ橋を渡ってるかんな」
「ふざけんな死に損ない。一割よ」
「アホか、三割だ」
「バーカ。二割」
「三割だ」
「一割」
「そこで減らしてんじゃねえぞキニャっ子。三割だ。今回はマジで危ねえんだ」
「じゃあ、またしばらく姿隠すわけ?」
「ああ。トロッタかサウェ、いいやオブリカイドくらい遠方でもいいな」
「ううぇ、そんなに遠くなの」
「そんなにさ。おまえさんも身の振り方を考えとけ、ミスればぶち込まれるぞ」
すると、キニャがユビにするように、闇ジジイがシッシッと手で追い払った。
これで話は終わりだという合図。キニャもフンっと鼻を鳴らし、踵を返す。
店先からご主人さまが出てくると、ボケーッとしていたプカプカが「ギギャ」と鳴く。だが、いつもの「うっさいプカプカ」が返ってこない。
キニャは若干、フラフラした足取りで、どこを目指しているのか外郭市を歩いていった。ユビも心配そうな声で話しかけるが、聞いていない。聞く耳を持たないのか、白いローブの細っこい尻尾をヘビのように揺らし、進んでいく。
しばらく歩いていると、彼女が愛用しているキノミクイの串焼き屋台にたどり着いた。そこでおもむろに「串一本」「100コルだ」「ん」と売買を済ませる。
「なーんだ、キニャったらお腹減ってただけなのね」
ユビがホッとし、一口目の肉塊を口に近づけるキニャを見下ろしていると。
「うぷぷ」笑う。
「???」
「うぷぷぷぷ」笑う。
「……キニャ? どうしたの?」
「うっぷぷぷーぅぅぅううう!!! 500000だって500000っっ!!!」
少女が発狂したかのように笑い叫び、ついでに肉もガブリ。
「500000コルなんて普通じゃ手に入んないよ! よくやった私! えらいっ!」
「あれ、さっきの話ってもしかして、ゼリファから盗んだっていう……」
これだけそばにいると、ユビもゼリファとの間の事情を知っている。
「はいストップぅ! 違いますぅ。預かってるだけですぅ。借りてんですぅー」
「ええー、だってゼリファ怒ってたよ? ちゃんと返してあげよーよ」
「うっさいユビ。500000コルありゃ、魔生炉にだって手が届くわよ」
「ああ、それをヤックたちに買ってあげるのね」
「んなわけあるか羽虫。うーん、今日のキノミクイは一段とうまいっ!」
ユビの困惑をよそに、キニャは「おっさんもう一本」「100コルだ」と護国硬貨を投げ渡し、彼女のお腹にはちょっと多い、二本目の串焼きにかぶりつく。
「うーん、うまい! おっさんを屋台ごと買っちゃうのもありかもね」
「ねえね、おいしいのは分かったけど、早く村に戻らないとー」
彼女の美食っぷりはユビも知るところだが、第四姫の頼みで言うことは言う。
「戻るって、どこに」
「どこにって、カパジーラだよ」
「なんで」
「なんでって、だってゼリファたちが……え、ま、まさかキニャ、まさか」
「誰が戻るか。あとは騎士団に任せてハイ終了。あいつらとはおさらばよ」
魔生炉の製造:国家登録制かつ国家価格




