生存凶兆(9)
今朝を契機に、表門も村民たちが順繰りで見張りにあたることとなった。
裏門側のロックトードは一人残されたテルによって一掃されたが、どちらの側からトキシック・ヴァイフログがやってくるのか、あるいは二匹以上の個体が存在しているのか、確証が得られないうちは見張りを立てるほかなかった。
また表門でトキシック・ヴァイフログに遭遇してしまった配達人にせよ、攻撃こそされなかったが、逃げるときに慌てふためき、転倒で足首をくじいていた。
「あいつの足が数日で治りそうにないとなると……」
村には彼以外にも山を下ったことのある者は多数いるが、アードまでの道のりとなると怪しかった。というもの村民のお出かけは基本、季節ごとにやってくる商人団の馬車に付いていき、手伝いを兼ねての周辺の行脚で、さまざまな寄り道を経由してから護国都市に向かうのが通例であった。
地図の不足はないのだが、この状況ではいまいち頼りづらい。村民らのほうにせよ事の重大さを任される荷が勝ちすぎてしまい、立候補者は現れない。
なにより彼らは、人として優しかった。
「この村は危険です。なので、ここはゼリファさまに任せたく思います」
「……私に、村を出ろと?」
「ええ、我々の総意です。ここはもはや第四姫がいるべき場所ではありません」
口の重い昼食を取ったあとのこと。食卓でヤックが告げた。
カパジーラ山頂村の事情は、ここ数日で事態が急変してしまった。
ロックトードだけならまだしも、洞窟には変異種トキシック・ヴァイフログが巣くっている。マナマギストのトルミットも現状は魔生炉の調整に向かえない。
それどころか、大量のロックトードが裏門に襲来し、巨大な毒ガエルが表か裏か。どちらかの道に身を潜めている。迎撃するも撤退するも危険が伴う。
「ワシからも頼みます。こんな村で第四姫になにかあれば、存続に関わりかねん」
悔しそうな諦め、とでも形容すべきか。メコ叔父のシワに複雑な感情が乗る。
誰も彼もが言葉を選ばず、カパジーラ山頂村の危険を口にした。
現状を打開するには、護国衛士隊と護鳥騎士団の力を借りねばならない。
当然、王家の第四姫ゼリファ・ミトス・クリンティアがいるべき場所ではない。
なればこそ、村からの脱出を兼ねて、彼女に増援の手配を頼むべきだった。
「そうならば、村の防衛はどうするのです。リズは必ず私についてきます」
「当然だが、俺も同じだ。姫さんの護衛は護鳥騎士団の最優先任務だ」
平時ならまだしも、第四姫がいる今、村に残る選択肢はテルにはない。
「テル、なりません。もし村にトキシック・ヴァイフログが襲ってきたら」
当のゼリファは残れと言う。それが無理なのも理解したうえで。
「たった数日だ。門さえ持てばどうにかなるし、衛士隊なら俺が動かせる」
「たったの数日でもです。あの巨体相手に丸太壁が持つと、本当にお思いですか」
ギロリと高圧的な視線。姫が逃げる人なら話は早いが、彼女は義の人だ。
「……村は村で、なんとかしますよ。えっと、そうだ、キニャさんもいるし」
「は?」
他人事を決め込み、プカプカの腹で寝っ転がっていたキニャが邪剣に返す。
「ほら、だって、キニャさんはもともと村の依頼の請負人ですし」
「ねえヤック、話違いすぎでしょ? 追加で金払うの? つーかテル金払え、金」
「……ったく、こんなクズに護鳥騎士団の資金が」
テルが丸々とした財布代わりの革袋を手渡す。先の契約は、姫も了承済み。
「まいどあり~。うっひー、すっげ。おっもー、ケッヒヒ!」
村が置かれている状況にあって、一人だけ無遠慮に幸せそうな少女。
「ヤックさん、コソ泥娘はやめとけ。俺らがいなけりゃ、どうせすぐ逃げる」
テルの辛辣な意見は、すでに誰もが同意するところであった。
「は? 私の信用、勝手に落とさないでくれる? ねえトビル~?」
「いやあ、逃げるでしょ。残ってくれる光景がまるで思い浮かばないよ」
「クソガキ。あんたしばくよ」
頭上でユビが笑っている。少年に同意、の意味で。
話がそれたタイミングで、ゼリファが椅子から重々しく立ち上がった。
そして真剣な眼差しで周囲を見回してから。
「私の出立は論外です。リズとテルがいなければ、トキシック・ヴァイフログはおろかロックトードを払うのも危険です。仮にできたとしても、彼らが反撃の姿勢を見せはじめたことで、少なからず村の人たちがケガする恐れもあります」
諦めの悪い主にテルが口をはさもうとするも、ゼリファが片手で制する。
「護国を、王都を、都市を、村を守れないで、なにが第四姫か」
「姫さん、理想もいいが現実を見ろ。事はもう、おまえだけの話じゃねえんだ」
「私は残り、カパジーラ山頂村を守ります。当然、テルもです」
「ゼリファ! 聞き分けろ! おまえの身の安全は副長からも最優先で――」
「笑止。エンドレイルの名を冠す騎士が呆れ果てます。護りなさい、村を、人を」
「バカが……クソっ、昔から変わんねえな頑固女がよ」
「あなたもね、苦労男さん」
覆りそうにない姫の強情に、騎士は疲れ顔をさらす。ヤックやメコ叔父、トビルも二人の間柄を察しつつ、隠しきれない安堵を口から漏らす。
村民にせよ目先の危機に対処するには、彼女らしか頼れるものがない。
「それで、アードまでのおつかいはどうすんだよ。村長にでも行かせんのか?」
「山道にもトキシック・ヴァイフログが現れた以上、危険な賭けはできません」
「だぁから、戦うも逃げるも俺らしかいねえって最初から――」
「キニャ」
「は?」
最初から決めていたような呼び声。ゼリファは食卓から離れると。
傍観者面を決め込んでいた、性悪なコソ泥娘に向かって言った。
「この便りを、アード衛士隊の詰め所まで持っていってください」
「は? なんで私が。めんどく……あっ! そっか。いーよいーよやるやるぅ」
「おい姫さん、やめとけ。そいつは絶対逃げる。絶対だ」
男たちの顔に100%の純な意志が浮かぶ。そいつは絶対にトンズラこくぞ、と。
「あなたとプカプカであれば、もしものときも逃げきれると信じています」
「とーぜんでしょ? 私を誰だと思ってんのよ、フンッ」
ない胸を張り、威張って言うものの。
「金にがめついだけのコソ泥だろーが」
「キニャさんはまあ、キニャさんだし、まあ」
「こんなしょうもない娘っ子、初めて見たわい」
「キニャさんって、俺より子供だしなあ」
審査員たちの評価はカラい。
「その点は私も同意するところですが、けれど、この便りだけは」
キニャが気楽に振っていた左手を、ガシッ! ゼリファが力強くつかむ。
「この便りが、この村の最後の生命線です。ですから、この便りだけは絶対に」
「イダダっ、ちょっと分かってるってばっ! 絶対やるからやるから!」
白銀の鉄甲が、乙女の柔い手肌を執拗なまでにゴリゴリと握り、まさぐる。
「逃げるにしても、この便りだけは絶対にアードに届けてください。絶対にです」
「イッタタ、イッテえっての! クソ女が離せ! イダダ、イッタイ!」
ある種の拷問めいた光景に、プカプカも心配そうなマヌケ面を向ける。
ようやくゼリファの手甲から離されたキニャは、ヒーヒーと左手を振り、目の前に立つ姫を恨めしそうに見上げた。信頼がないのは分かっているが、ここまで直接的な暴力に出られると、どうしたって「ザマミロ、ぜってえ逃げる!」という強固な反骨心が生まれてくる。これは明らかに、ゼリファの頼み方が悪かった。
先のやり返しのつもりだったのか。信用に値しないにせよ、握手のような厚意を見せつけておいて、鉄甲で素手の左手を握りつぶすかのようにゴリゴリと握り潰すのは、脅しにしても、二人の関係性にしてもやりすぎだった。
「申し訳ありませんが、一刻の猶予もありません。キニャ、村を発ちなさい」
「ヒーヒー……こんのクソ女! いーよ行くよ! せいぜい楽しみにしてなっ!」
なにをだ、とは誰も言わない。むしろキニャの手の痛みに同情している。
戒めにしてもやりすぎじゃないかと、一同がゼリファに視線を向けるが。
「ユビ、よろしければあなたもキニャについていってくれませんか」
「え? 私もー?」
キニャから視線を外した護国の姫は、すこしだけ腰をかがみ、キニャのローブの頭上。二本角を器用に背もたれにしていた茂みインプと目線を合わせる。
「あなたがネチネチと小言を言ってくれれば、この子も忘れないでしょうし」
「ふっふーん、そーね! いいわよゼリファ、任されたわ!」
「うっざ。田舎インプは草むらに帰れよ、シッシッ」
嫌そうな顔でユビをけん制しつつ、プカプカの腹から離れ、立ち上がる。
「うっし、ではでは諸君、私の英雄的行為の吉報を草でも食って待ってな!」
「キニャさんじゃなあ、不安だなあ……」
トビルのつぶやきに続いて、いくつかの首が連鎖し、縦に振られた。
カパジーラ山頂村の高山野菜:中流階級に人気の健康食材




