生存凶兆(8)
「キニャ!? あなたいつの間に!?」
「いーって。お仕事お仕事。つーか……ううぇ。白ヘビの足腐ってんじゃん」
勇敢な幼竜を目にして、ばっちいものを見たかのように毛嫌いする。
キニャの立つ見張り台の直下には、背を正して立ち上がれば丸太壁にも匹敵しそうな背丈を持つトキシック・ヴァイフログ。その先、山道側にリズがいる。
「リズの足……あれって毒だよ! 早く治さないと、腐って取れちゃうよ!」
キニャの頭上。白いローブの二本角につかまり、ユビもわめく。
「あっちゃあ。ご愁傷様。魔生獣の世界ってのは残酷だねえ」
「そんなこと言ってないで! なにか、なにかできないのですかキニャ!」
「いや無理っしょ。せめてあのデカキモガエルを追い払ってくれないと」
つっけんどんに言ってから、眼下のトキシック・ヴァイフログを眺める。
事実、今こうしているキニャに魔生獣を追い払う方法はほぼない。
「そんなっ……ああリズ、どうして、どうすれば……」
「んな悲壮な顔しないでよ。こっちが悪者みたいじゃん」
「キニャなんて悪者みたいなもんじゃない?」
茂みインプが小さな肩をすくめる。
「は? じゃあ羽虫ならなんかできるわけ?」
「私? んーと、んー、あっ! 私、草なら生やせるよ」
「は?」
「ほら、見て見て。【草よ、生えてね】」
キニャの頭から飛んで離れたユビが、見張り台の足場に両手を向けると。
フサァ。気持ちよく青々とした足長の緑草が、半径数十センチほど生えた。
「ねね、どうどうすごいでしょ」
「ケッヒヒ! ほんと草じゃん! くっだらねー! でも金稼ぎできるかも」
「あ、あなたたち、いい加減にしてください! そんなことよりもリズが――」
「ヒーッッ、シュウゥウウウ!!!」
そのとき、ゼリファの指示もなく、リズがひときわ大きく吠えた。
穢れた左前足をワナワナと震えさせながら、リズが天に向かって吠える。
すると……キン、カキン、キィン。周辺になにか、固体が落ちる音。
それは、小さな氷。リズの周囲一帯が急激に冷やされたことで。
キン、カキン、キィン。次々と、次々と。
マナを含んだ大気中のかすかな水分が氷結し、氷塊が地面に落下する。
「リズそれはっ……ッッ! そうね……やりなさい! あなたに賭けるわ!」
「ヒッ、シュウウウウゥゥゥゥウッッ!」
「いきなさい、【ブリザードレイン】ッッ!!!」
リーダーからの叫びを合図に、リズの周囲がさらに極冷化すると。
宙に浮く小さな氷であったものが、徐々に氷柱のように尖り、磨かれ。
先端を向ける。その先、トキシック・ヴァイフログに向かって、一斉に。
「ヒッ、シュウウウッッッ!!!」
竜の一声で、鋭利な氷柱が雨あられのように飛び交いはじめた。
「ヴァジャッ! ヴァジャアァ!」
紫まだらの巨大ガエルに、人の手ほどの氷柱がグサリ、グサリと突き刺さる。
トキシック・ヴァイフログは目を見開かせ、表門の前で右に左と避け回る。
が、終わりなく飛んでくる【ブリザードレイン】は巨体に刺さり続ける。
刺さった部位からは血液に変わり、魔生獣の青いマナがかすかに漏れ出す。
氷柱の雨の止まない気配に、毒ガエルは怒るようにしてのどを震わせると、その場からリズに向かって四足で跳びはねて迫った。けれど、嵐の中心地であるリズに近づくほどに、氷柱の雨は的確に巨体を刺し貫く。
己の不利を悟ったか、トキシック・ヴァイフログはリズを捉えることを諦めて、氷柱をかわす代償に全身を左右の崖にぶつけながら、敵と入れ違い、山道を下る。しばらくすると、見張り台から視認できない位置まで走り去っていた。
背後を警戒して山道側を振り返っていたリズは、トキシック・ヴァイフログの姿が見えなくなるまで氷柱の結界を維持していたが。
敵の存在が人の目や耳で確認できなくなったころ、さらに数秒ほど安全を確認したのち……パタン。「ヒシュゥ……」その場に柔らかく倒れた。
「リズっ!!!」
すぐさま、ゼリファが表門から果敢に飛び降りる。
2メートル半近くの高所からの着地は、両足に痺れと痛みをもたらしたが、彼女は気にせず駆けた。「プカプカもいくよ」「ギギャ」キニャも相棒に合図し、両脇の岩塊を足場にして、ゼリファよりもよほど華麗な身のこなしで器用に降りる。
「リズ!? リズ!? 大丈夫なの!? リズっ!」
「ヒッ、シュゥ……」
両の眼は半目。フリーズハイドラが細く息を吸い、力なく吐く。
ゼリファの指先が触れると、体温は熱くも冷たくもなかった。常時、冷やしたマナで低体温を維持している幼竜には、それ自体が致命的な状態であった。
「ヒ、シュ……」力なくとも、まるで笑顔のようにゼリファを見る。
「ああ、リズ……」そんなフリーズハイドラの頭を、両腕で抱きかかえる。
リズが見せた【ブリザードレイン】は、本来はフリーズハイドラが使える代物ではなく、より強靱な肉体を獲得した進化体である「フロスト・ハイドラグーン」の特技とされている。それを幼体でありながら使いこなすリズからは素質の高さがうかがえるが、そのぶん体の負担は大きく、また左足に毒が回っている今は。
命を引き換えにした、自殺行為に等しかった。
「リズっ、ああリズっ……!」
ゼリファの弱音が漏れ出す。ユビも両目をうるわせ、鼻をすすっている。
大切なリードとの別れを余儀なくされた瞬間。さしものキニャも――。
「ほらプカプカ。【ガラガラペ】」
「ガギャギャギャギャ……ヴォエッペェ!」――ベチャァ。
寄り添うゼリファごと、リズに破裂トカゲの汚らしいツバをぶちまけた。
「……キニャ? あなた……あなた……いったいなにを、しているのです」
信じられない存在を見るように、金髪を粘つかせながら振り返る。
「そりゃあ、お仕事だけど?」
「……あなた、あなたは……あなたという、人はっ!!!!」
第四姫は激怒した。死に体に鞭打つように吐きかけられた汚らわしい体液に。
どこまで人間を、生命を、尊厳を、おまえは汚辱するつもりなのだと。
「ヒシュウゥゥ……! ヒシュゥッ!」
さすがのリズもこのような仕打ちに、喜んでいる。
「えっ……リズ?」
「ヒーィ、シュウゥゥゥーーー……」
まるで温泉につかる中年オヤジのように、気持ちよさそうに喜んでいた。
「こいつの唾液、毒に効くのよ」
ぶっきらぼうに一言。彼女はそれで説明責任を果たしたつもりだった。
プカプカが吐き散らした、のどに絡まる汚い痰を下品にひねり出したかのような【ガラガラペ】は、ネチャネチャと粘度のある透明な液体。
それがあろうことか、リズの左前足でうごめいていた緑と茶の気泡をきれいに洗い流し、青白い幼竜の鱗を元通りの姿まで治しきっていた。
信じられぬものを見るような目で、ゼリファがこわばった顔のまま、リズを見つめる。そこには、心配するほうがバカを見るようなリフレッシュした表情。
気付けば、体温も徐々に冷えてきて、いつもの冷たさが戻ってきた。
「このローブも深穴ヘビの鱗製だし、毒対策はバッチリだし」
「そんな、だって、あなた、そんなこと一言も……」
「言ってたらなに? 金くれたの? てゆうか白ヘビ、治してあげたんだけど」
「あっ……ええ、ありがとう。ありがとうキニャ。リズを治してくれて」
「そういうのいいからお金出してね。ね? ね? ちゃんと払ってね、お金」
「あなたは本当に……ハァ」
ため息ではあるが、そこには彼女の人生史上、最大の安堵がこもっていた。
「ゼリファッッ! 無事かっ!? ケガとかしてねえだろな!!!」
気付けば、表門のほうからテルの大声が聞こえてくる。
彼のなかでは、彼女らはまだ緊急事態の渦中にあるので当然だ。
「キニャ、手を貸してください。恥ずかしながら、安心して腰が抜けてしまって」
ゼリファが長く息を吐いてから、そっとキニャに右手を差し出す。
関係はどうあれ、大事な相棒の命の恩人であることには違いない。
そういった敬意と、素直には言えない照れも込めた、親愛の握手は。
「は? イヤだけど。あんたネチョネチョで汚いし。ちょっと触んないでくれる」
汚物に対する目で、ばっちいものにするように手でシッシッとはね除けられ。
プカプカの唾液にまみれた第四姫は、また激怒した。




