生存凶兆(3)
「ヴァジャァァ……」
気配を鎮めた獣の声。得物を見定めるかのような声色。
「ゼリファ! リズ! やろう大物が出てきた、いったん撤退だっ!」
即座に、テルが判断を下す。
ゼリファはためらうことなくテルとリズを矢面に残し、真横にいたトルミットの肩を迅速かつ丁寧に押すと、マナマギストを洞窟入口へと逃げさせた。
さらに後方にいるプカプカは、合図を受けることなく逃げ出している。怖かったのではない。自身のご主人さまが、なにも言葉を発さずに誰よりも真っ先に洞窟の外へと走って逃げはじめていたので、献身的にその背中を追い、洞窟内の硬い岩肌をものともせず、短い足と垂れ落ちる腹でボヨンボヨンと跳ねていた。
「やばいやばいやばい! プカプカさっさときな!」
当のコソ泥娘の第一声は、逃げてない相棒を非難するかのようなもの。
「キニャぁ! 早い怖い暗い! もっとゆっくり走ってー!」
「ヴァジャアァァァッ!!!」
人の叫び声に呼応するかのように、何者かも洞窟の先で叫び、駆けた。
最前にいるテルは左手でマナランタンを掲げたまま、右手の大槍だけで応戦を試みる。しかし、瞬きの間に近づいてきた相手の図体が想定よりも圧倒的に大きいことを察して、反撃ではなく守備に切り替えた。その判断が彼の命を救った。
ズォン。重苦しい突進。「ぐっ……!」暗闇での出会いとあり、敵の全貌を把握できてはいないが、大口を開いて襲ってきた獣に対し、大槍を縦に立てて、噛みつかれることを防いだ。だが、正面衝突の衝撃で体は後方へと流れる。
それでも姿勢を崩さずに防ぎ、立ち直れたのは、護鳥騎士としての意地だ。
「テルっ! あなたも距離を取って!」
「分かってるよ! リズも姫さんをちゃんと守ってるな!?」
「ヒシュゥ!」
「う、うわあああぁぁあ!!!」トルミットは絶叫中。
暗闇の地面は不安定。足元もおぼつかないが、生物の根性か誰も転びはしない。
洞窟の入口、陽が差す場所には、違う意味で根性が座っていたキニャとユビ、プカプカのデカい体躯もまもなく外といった地点で、トルミットが続いている。
ゼリファは半身気味に駆け足をしているが、テルの安全も探っている。リズは己のリーダーも、交戦中のテルも守れるような中間位置。当のテルも、追撃をしてこない魔生獣からは目を外さず、ジリジリと後ろ歩きで、入口へと近づく。
時計で計れば短く、体感で計れば長い時間。
ジリジリと、ジリジリと。テルの全身が脱出を試みる。
そうして幸運が続いたか、追撃を受けないまま、彼も入口までたどり着けた。
「ヴァジャァァ……」
「……おい、デッケえな。こいつが親玉かなんかか? おい」
テルが洞窟の外、陽に照らされる位置まできてから目をこらす。敵は洞窟から先に踏み出してこない。それでもその輪郭が、洞窟の入口あたりで照らされ。
「ト、ト……トキシック・ヴァイフログだ」
必死で洞窟内を観察していたトルミットが驚愕した。
体格はここにいる誰よりも巨体。プカプカもギリギリ立って歩ける洞窟内にあって、背を曲げるような前傾気味の二足歩行で、人間たちを値踏みしている。
全身を覆うのは、ところどころ黒ずんだ、まだら模様の紫色の毛並み。手足はプカプカのように短く、胴体の大きさと同じくらいにまで開かれた巨大な口には、不揃いながら尖った牙の歯列。それらに粘度をまとった不潔な唾液がネチャネチャとまとわりついており、不快感を覚えさせる。先ほどはロックトードを頭から喰い殺したのか、かすかに青く光るマナが口内でぼんやりと尾を引いていた。
トルミットが言うに、その名は「トキシック・ヴァイフログ」。
暗がりの敵は、巨大な口を持つ、巨体の毒ガエルであった。
「ヴァジャァァ……」
相手は洞窟外に出る気はないのか、人間たちを威嚇し、じっくりとねめつけただけで、のっそりのっそりと洞窟の奥に戻っていった。
暗闇に映し出されていた輪郭はすぐに消え、あたりが静まりかえる。
「ヒシュ……」
リズが体から力を抜き、硬化していた青白い竜鱗を柔らかに戻す。
「とんでもねえもんがいたじゃねえか、おい」
彼の知覚を信頼するテルも態勢を解き、場の空気はようやく弛緩した。
「でっか! こっわ! なにあれ、あれも魔生獣?」
「ギギャ!」
無意味に腹をポンポン叩いてくるキニャを、プカプカが優しく受け止める。
さっきは無言で置いてきぼりにされたというのに、かいがいしい。
「あれ、トキシック・ヴァイフログだね。危ない猛毒を持ってるよ」
「なんでユビが知ってんのよ」
「? 当然でしょ? 茂みインプは人と違って知的生命なんだもの」
自分の頭上と会話するキニャは、事情を知らなければ滑稽な絵面だろう。
「そちらの茂みインプさんのおっしゃるとおり、あれはトキシック・ヴァイフログです。協会が記録している図録とも特徴が一致しています」
専門家であるマナマギストの言葉に、ゼリファが質問する。
「それでは、あれも魔生獣ですか」
「ええ、それも……変異種です。護国では優先駆除対象である、危険な獣です」
変異種は、攻撃するために他者を攻撃する本能を持った危険生物。
先ほどロックトードを食い殺したのも、食うのではなく、殺すため。
「なんでそんなのが、こんな山奥の洞窟にいんだよ」
「場所は関係ありません。人知外の現象そのものが、マナの影響というものです」
「ヒシュヒシュ!」
まさに、存在そのものがトルミットの言い分を肯定するリズが相づちを打つ。
肩の力が抜けた一方、村では急に飛び出てきたキニャたちを目撃していたのか、村民の姿が見える裏門の丸太壁からも、ほのかに困惑の様子が伝わってきた。
「で、ゼリファ。どうするわけ」
「どう、とは」
「だーから、魔生炉どころじゃないってか、あのデカキモガエルどうすんのよ」
「……どうにかするほかないでしょう」
「あっそ。んじゃ、がんばって。応援してるよ」
「なんと投げやりな……でも、キニャとプカプカに任せられる敵ではないですね」
第四姫が重い息を吐く。現状の整理は村に帰ってからと無言で決めたが。
どうも、カパジーラ山頂村の問題はそう簡単に解決しそうになかった。




