・断罪とカウンターパンチ - この物語の主人公 -
私たちは無闇に敵を作らないように人当たりよく、誰から見ても模範的で誠実な一生徒として、静かな学園生活を過ごしていった。
その中で特に意外だったのは授業の仕組みだった。ここでは男女が全く同じ授業を受けて対等に成績を競い合う。剣術も馬術もその例外ではない。男子と女子が激しく剣と剣を打ち合って、それぞれが馬にまたがって1着を競い合う。そんなエルトリア学園は、いかにもゲームらしいといえばゲームらしかった。
ハスタは剣や馬、弓、基礎体力の授業はからっきしだったけれど、元大学生だけあって勉強は誰よりもできた。あの攻略本によると本来のハスタトゥースはどの学問でも学年2位をキープするような、成績の上でも典型的なライバルキャラになっていた。
ちなみに学年1位にはあの攻略本で紹介されていたキャラたちがそれぞれの科目に君臨していて、彼らの成績を追い抜くと特別なイベントが起きる。ただしこのイベント発生にはバグがあり、主人公が1位で、対象キャラクターが2位であるときに限られる。私には全くよくわからないのだけど、ハスタが言うにはここが極めて重要らしい。
「つまり、わたしたちが学年1位を守り続ける限り、この物語の主人公はどの攻略ルートにも入れなくなるの。わたしは勉強をがんばるから、ダナエーは運動の科目で学年1位を独占して」
「うんっ、全然よくわかんないけどわかったよ! 要するに、男子たちに手加減しなければいいんだね!」
「まあ、そうなんだけど……でもダナエー、本当にわかってる……? 悪役令嬢ハスタトゥースの断罪イベントは『主人公が誰かしらの攻略ルートに入らないと起きない』ということだからね……?」
「攻略ルートって、何?」
「それはさっき説明したでしょ……。フラグを立てて、相手の好感度を一定以上まで高めると、個別のストーリーに分岐するの……っ!」
「むぅ……何度聞いてもよくわかんない……。けどやることはわかったよ! 大丈夫、ダナエーは私が守るね!」
わかんないけどそういうことらしいので、私たちはまだ顔も姿もわからない主人公を仮想敵にして、最初の春の前期試験から1位を2人で総舐めした。さらに次の後期試験でも、そのまた次の夏期試験でも私たちはずーっと1位をキープして、イベントの発生とやらをロックしていった。
結果、ハスタはその人柄と成績でクラスの人気者の地位を不動の物にして、私の方はゴリラ令嬢だのと男子にやっかまれながらも、順調に女子生徒からのラブレターを増やしていった。……愛の手紙を貰うのは嬉しいけど、傷つけないように断るのは学園生活が鬱になりかけるほどの苦労だった。
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かくして1年目の春が過ぎ去り夏に入りかけた頃に、私たちはようやくこの物語の主人公を見つけ出した。彼女の名前はミレイ・アーヴィン。攻略キャラたちとの接点がやたらに多いので前から目星は付けていたのだけれど、底辺からの異常な成績の急上昇と、ご都合主義レベルと言ってもいい強運に、きっとこの子がそうだろうと私たちは断定を下した。
私たちのクラスメイト、ミレイ・アーヴィンにだけは嫌われてはならない。私たちは彼女の前で気の利く最高のクラスメイトを演じながら、彼女には悪いけれどライバルとして成績を競い合った。私とハスタの未来のためにも、どんなことがあろうとも学年1位だけは譲れなかった。
だけれどもこの世界は物語だ。悪役令嬢であるハスタの前に、意地の悪い運命がいくどとなく訪れることになった。ハスタの言葉によると、それは発生の避けられない、この世界が始まる前から起きることが決まっている『メインストーリー』だそうだ。
「危なっ! ふぅっ、大丈夫だった、ミレイ?」
「え、ええ……。ありがと、ダナエーさん」
例えばちょうど今、ちょっとした拍子で教室のクラスメイトの背中がハスタの肘にぶつかった。その衝撃がハスタの意思に反して平手打ちに変わり、あと一歩のところでハスタはミレイの頬を叩いて侮辱をするところだった。
「ご、ごめんなさい、ミレイさん……っ! ダナエー、本当にありがとう、今のは危なかった……」
「へへへっ、今のは我ながらファインプレーだったと思う!」
私たちは気さくなクラスメイトを演じながら、ミレイの様子を慎重にうかがった。
こういうのを、どこか釈然としない顔と呼んだらいいのだろうか。彼女は自らの頬に手を当てて、目をパチパチさせて私たちを見ていた。まさかとは思うけれど、彼女はここで平手打ちをされることを覚悟していたのではないか。ついそんな疑いが浮かんでしまうほどに展開と食い違った反応だった。
ハスタにアイコンタクトをしてみると、彼女が小さくうなづく。まだ断定はできないけれど、この主人公は初回プレイではなく、既にこのゲームの展開や結末を知っている可能性があった。
「ねぇ、どうかしたの? ハスタが驚かせちゃってごめんね、この子昔から鈍くさいの」
「ごめんなさい、ミレイさん……」
「あ、うん……それは別に……別になんでもない……。あれ、でも、これっておかしいな……」
「おかしいって何が?」
「別になんでもない。あたしもう行く」
まるで気まぐれな子供みたいに彼女は会話を打ち切った。それから独り言が癖なのか、彼女は去り際に決定的な証拠を残していった。
『あれ、これって何ルートなんだろ……』
ミレイは確かにそうつぶやいた。どうやら彼女は私たちをただの登場人物だと思っていて、今のところはかなりの油断をしているようだ。彼女こそがこの物語の主人公だと、私たちはついに完全な確証を得た。
「なんだろ……なんだかミレイって、変な感じ。見た目はあんなに可愛いのに、その見た目と中身が全然一致してないっていうか……」
ミレイは同性から見てもかなりの美少女だ。褐色の髪を乙女めいた桃色のリボンで縛っていて、その童顔な顔立ちには何一つ欠点らしい欠点がない。それでいて手足が細く、脚の長い彼女がエルトリアの学生服を着ると、スカートもあいまってまるであつらえたように似合う。それは甘い匂いのするふわふわの美少女だ。なのにその美少女が、最近は粗雑な言葉を混じらせるのだから妙だった。
「ふふっ、それを言ったらわたしたちだってそうじゃない? 特にダナエーは、ミレイから見たらほぼ別キャラじゃないかしら?」
「あ、そっか。でも私にはお婿さん探しで必死なダナエー・エーバイなんてキャラ演じられないし、そういうのはいいや」
「うん、わかる……。わたしも悪役令嬢ハスタトゥース・アエネアなんてとても演じられない……。誰かに平手打ちをするなんて、そんなの考えただけでも恐ろしい……」
「あははっ、だったら私とハスタで役割が逆だったらよかったのにね!」
冗談のつもりだったのに、ハスタは笑ってくれなかった。『こんな辛い役割をダナエーに押し付けられない』と言って、泣き出しそうなのに気丈に振る舞っていた。そんな姿にはますます庇護欲を覚えて、大切な友達を励ますために手を握った。