・8歳の夏、将来の誓い
それから半月ほどが経った頃になると、私とハスタはすっかり打ち解けていた。彼女の趣味は読書で、この前は彼女の書いた小説を読ませてもらった。
私がハスタは天才だと褒めると、彼女は気恥ずかしそうにうつむく。
守りたくなるタイプってこういう子なんだろうな……。
私はこんな性格だから、ハスタの女の子らしさがまぶしかった。私、ちゃんといいお婿さんを見つけられるのだろうか……。
両親を喜ばせたいし、できるだけ早く結婚したい気持ちは一応あった……。
「ねぇ、ダナエー……わたし、ダナエーにお願いがあるの……」
「え、何々!? なんだって言ってよ!」
「あのね……ダナエーに、見せたい物があるの……。どこか明るくて、人目のない場所はない……?」
「あるよっ、じゃあ裏に行こうよ!」
そんなある日、私はハスタと一緒に屋敷の裏の岸壁に向かった。
斜面を登りやすいように、親に相談せずに勝手に敷いた砂利道を歩いて、私は自慢の場所にハスタを連れて行った。
「わぁ……何度見ても綺麗……。ここから王都が見えるなんて、なんだか不思議ね……」
「へへへ……私もそう思う!」
私たちは2人で丸い岩に腰掛けて、しばらく海と対岸の世界を眺めて過ごした。あーあ、私が男だったら少年少女のラブロマンスが始まってたかもな、これ……。
「こんなに綺麗なのに……」
「なのに?」
少女は両肩を抱いて小さく震えた。だから私はその小さな肩を後ろから抱いて慰めた。そうするとハスタが元気になってくれたのが嬉しかった。
「私ね、昔は、大学生だったの……」
「え……っ?」
「バイトだけど、図書館では司書もしてた……。あの燃える土の正体がアスファルトで、貴女の言った石油の意味も知ってるよ」
「な、なんで……。えっ、それってまさか、ハスタって……!?」
「うん……私もダナエーと同じ。あっちの世界での記憶があるの」
「嘘……うわ、ビックリ……。えー、そうだったんだ……」
なんか、そう考えるとちょっとだけよそよそしい気分になるというか、無邪気な子供の振りをしてくっついているのが少し恥ずかしい……。
けどここでそういう態度を取ったら、そういう関係で固定されてしまう! 私は今の私のままを貫く!
「ダナエーは、建築の仕事をしていた人でしょ……?」
「うん、そうだよ。なんだ、バレバレだったのかぁ……」
「だって町の人たち、みんながダナエーはガテン系令嬢だって、言ってるじゃない……」
「ガテン系って言葉が、こっちの世界にあったのがまず驚きだよね……」
よくわかると、ハスタが微笑んだ。
これはこれで悪くないかもしれない。私たちは友達で、同じ過去を持っている。それは特別な関係の始まりだ。
「あ、それで見せたい物って何?」
「そうだったね……。実は、これを見て欲しいの……」
ハスタは地に置いた革のバッグを拾い上げると、中から古びた1冊の本を取り出した。私はそれを見るなり、懐かしいものを感じた。
それもそのはずだ。それはこちらの世界の物ではなく、日本の製本技術で作られた本だった。
「開いてみて」
「うん。でもこれって……うわっ!?」
カバーがなく、裏表紙も擦れてかすんでいたのでなんの本なのか最初はわからなかった。けれどそれを開いて見れば、そこにはファンタジー風の格好をした男たちの絵が描かれていた。
「その気持ち、わかる……。わたしもビックリしたから……」
「うわぁ……これってアレだよね、オタクの女の子たちが好きなやつでしょ……。あ、PR2とか懐かしい……私このゲーム機、学生時代に持ってたよっ!」
だけどハスタはこんな本を私に見せて何を伝えたいのだろう。
まさか私を、オタク趣味の世界に引きずり込むのが狙いなの? だけど正直、こういう軟弱なタイプは私の好みじゃない……。
「え……? これって、あれ……っ!?」
興味本位でページをめくってゆくと、私は妙なことに気づいた。
本の序盤は設定資料集になっているようだ。そこに描かれた地名に見覚えのあるものが複数混じっていた。そして極めつけは『保養地テーバイ』の名と設定画だ。
切り立った岸壁の向こうに佇む高台の土地は、私の暮らすこの町にそっくりそのままだった。
「そうなの……。その保養地が、ここなの……」
「これって、どういうこと……? それって、まさか……ここが、ゲームの中だってことっ!?」
「うん……」
さらにページをめくると私はまた驚愕した。キャラクター紹介のページに、成長したハスタトゥースの絵と名前が載っていた!
まさかと思ってさらにページをめくってみれば、私の絵と名前まである! 私もまた主人公のライバル役だった!
『ダナエー・テーバイ。保養地で有名なテーバイ男爵の一人娘。一人っ子であるため、婿探しに一生懸命』
私は震える手で、大きく成長した自分の隣に書き加えられた『誰かダナエーのお婿さんになって下さいーっ』とのキャプションを何度も読み返した。
恐ろしい……。もしあの日に川遊びに行かなかったら、私はこんな痛い子になっていたのかと、苦悩した……。
「これ、マジ……?」
「うん……マジ」
「う、うわぁぁ……。じゃあ、驚いたでしょ、私と会ったとき?」
「うん……だって、本と全然違ったもの……」
さらにページを進めてゆくと、そこから先は攻略情報だった。だけど私はこの中から婿は選ばない。攻略情報にはあまり興味が湧かない。……けれど、後半まで流し読むと驚いてページを戻した。
床に組み伏せられたハスタトゥースの絵がそこに描かれていたからだ。
「これ、何……?」
「それが問題なの……。ねぇ、どうしよう……。私、どうやら9年後に……バッドエンドを迎えるみたいなの……」
ハスタはライバルの中でも1番の悪党で、嫉妬のあまりに主人公に毒を盛ろうとしてそれが発覚し、最後は人知れず獄中で病死する運命だった。
私の出番は――どの攻略ルートにもほとんどなかった。なぜ絵が用意されているかわからないほどに、私はガテン系令嬢ではなく、ただのモブ令嬢だった。
「だけどそんなの、ただのゲームのシナリオでしょ。そんなのぶち壊しちゃえばいいじゃない!」
「そう上手くいくかしら……」
「なんでそんなに最初から悲観的なのっ、大丈夫に決まってるよ!」
「でも、怖い……。罪の呵責に苦しみながら、最期は牢獄で孤独に死ぬかもしれないのよ……」
ハスタの気持ちはわかる。遠い未来で自分が獄死するなんて、こんなの知ったら気がおかしくなるに決まってる。だって今すぐ解決できない焦れったい問題なんだもん。それが毎日続くなんて、たまらないに決まってる。
「わかった、ハスタは私が助ける! その代わりにハスタは、私がヤバいときに私を助けてね!」
「ダナエー……でも、いいの……?」
「友達を守るのは当然でしょ。私に任せなよっ!」
「でも、でも……。そんなの、不公平じゃない……? ダナエーは普通に暮らすだけで、エンディングでお婿さんが見つかるんだよ……?」
「そんなのいらない。私はお婿さんになんか頼らない。私は私の力でテーバイ男爵家を守る!」
お婿さん、本音を言えばやっぱり欲しいけど……。
でもそれとこれは別。私はこんなゲームのシナリオ通りには動いてやらない。
「わかった……。わたしもダナエーがピンチになったら助ける……! どうかこれから、よろしくお願いします……っ!」
ハスタは深々と私にお辞儀をして、私は友達同士にお辞儀はいらないと彼女の頭を上げさせた。
それからちょっと思うところがあって、ハスタを崖っぷちに連れて行った。いつもは怖がって崖に寄ってくれないんだけど、今日は素直だった。
「私、夢があるんだ。少し前までの私の夢は、素敵なお婿さんを迎えて、大好きな故郷で暮らすことだった。けど今は違う。今の私の夢は、この岸壁から向かいの岸まで!! 向こうまで繋がる橋を架けることだよっ!!」
「あの、ダナエー……? それはさすがに、こっちの世界ではそういうのは、とても難しくないかしら……」
「そうだけど、ここに橋が架かれば凄いよっ!? 隣の意地悪領主に通行料を取られることもなくなるし、それどころかもっと沢山の人がここに観光に集まってくる! 商人たちも便利な橋を使って、色んな美味しい物を運んできてくれるんだよっ!」
「それは確かに凄い……。でも、なんで食べ物が基準なの……?」
「美味しい物を食べたいから」
私はこの土地を守るために生まれた。だけど世界には美味しい物がいっぱいある。ここに橋が架かったら、私はここに居ながらにして、王都に集まる美味しい物を食べることができる。完璧だ。
「ふふふっ……わかった。ならわたしは、ダナエーのその夢のお手伝いがしたい。これからは一緒にがんばろ」
「うんっ、今日から私たちは義兄弟だ!」
「あの……乙女ゲームの世界で、義兄弟設定はちょっと……。プレイヤーが混乱するんじゃないかしら……」
「そう?」
私はハスタの両手を取って明るく笑った。そうするとハスタは控えめだから恥ずかしそうにうつむく。ああ、私可愛い。ハスタはもっと可愛い……。
「ああっいた―っ! もう2人だけで出かけるなんて酷いよぉーっ。僕も一緒に連れてっ下さいよぉーっ!」
……せっかくいい雰囲気だったのに、そこにいつものチビがやってきた。まあこれ以上こういうのを続けるのは湿っぽいし、コイツも連れてもっと楽しいことをしよう。
「じゃあ、気を取り直して3人で遊びに行こっか! どこがいい? あ、今日こそ炭鉱にする?」
「だから、炭鉱は嫌だって言ってるじゃないですかーっ!?」
「ダナエーがどうしてもって言うなら、わたしはそれでいいけど……。お洋服が真っ黒になっちゃう……」
「ダメかー、暗くて狭くて迷路みたいで面白いのになー、炭鉱」
「そんなところに僕たちを連れて行こうとしないで下さい……」
「ふふふっ……」
「え、なんでそこで笑うんですかっ!?」
私たちはチビを連れて川遊びをした後、ご飯を食べてから森遊びをして、家に帰ると両親に叱られた。