・天の原
この世界の技術力で、海に橋をかけるなんて無理だ。建築や道路関係の仕事をしていた頃の前世の記憶があったところで無理だ。レオナルド・ダヴィンチみたいな万能の天才でもない限り、転生者ができることなんてたかだが知れている。
私は鋼鉄の作り方なんて知らないし、ましてやクレーンを作り出す技術もない。海の中に橋のための柱を建てる方法もだ。だけど保養地テーバイの北に広がる、この立地ならば話は別だった。
この湾には5つの浮き島がある。小さい物を含めれば7つだ。この島と島は当然ながら直線ではないけれど、そこに土台と柱を建てることができる。この浮島があったからこそ、幼少期から私は対岸へと橋を建てたいと夢を見てきた。
「へぇ、モルタルの中に鉄の棒を入れるのか。お嬢、なんでこんな面白いアイデアずっと隠してたんだよ?」
「普通の家でこんな工法使ってもコストがかかるだけでしょ。それとこれはモルタルじゃなくて、セメントを用意するの」
「なんだそりゃ?」
「成分が少し違うの。原材料は石灰岩と、珪石と、粘土に錆鉄」
「錆鉄って、毒じゃねぇか」
「いいから材料集めを手伝って。明後日には他の材料が届く段取りなんだから」
まずデルフェニウス商会の潤沢な収入で、各種材料集めを急いだ。王子には王の説得をお願いして、今のところは見切り発車だ。でもアイツなら必ず話を付けてくれると信じて、私は領地の人間や、王都からきた労働者を動員して素材をかき集めてもらった。
珪石は主に河原で取れる。あの白くて綺麗な石や岩が珪石だ。酸化鉄は廃材をかき集めて、粘土は山から採掘した。石灰岩だけは領内で手には入らないので、粉末に加工済みの物を輸入することになった。
それから2日後、鉄の棒が届き、セメントが完成したのでそれらを鉄筋コンクリートに加工した。翌日からはパーツごとに分けたそれを中古の漁船に乗せて浮き島に渡り、整地した後にセメントを接着剤にして積み上げた。
この浮き島に柱を建てる作業だけでも、1週間もの時間がかかってしまった。牢獄で孤独に震え、刑死の未来に苦悩するハスタを思うと、夜はまともに眠れなかった。
全ての浮き島に柱が築かれると、次は柱と柱を繋ぐ木製の足場を作る。そしてその上に、アーチ構造の石橋を築く。安全性を考えて馬車の通行は諦めた。馬車は従来通りにデルフェニウス商会の渡し船を使えばいい。
当然だけどこれがまた牛歩の歩みだった。1つ目のアーチ橋が完成するまでに計画始動より1ヶ月を労してしまっていた。
そんな折り、この領地に来訪者が訪れた。橋造りに夢中で何も見えていなかった私の背中に、懐かしい声が響いていた。
・
「凄い……本当に、橋が架かってる……!」
恋しくて恋しくて何度も夢にみた声だ。あまりに焦がれすぎて、最近は幻聴をよく聞くようになっていた……。きっとこれも私の願望が生み出しただけの幻だ。……そう思いながらも、声に振り返らずにはいられなかった。
「あ……あれ……ハス、タ……?」
「やっと会えた……! やっと……ああ、ダナエー……!」
私は作りかけの橋の上で、ハスタに抱き締められていた。それは温かくて、とても安心するいい匂いで、私は本当のハスタを汚れた手でぎこちなく抱き締めた。……何度確かめても本物のハスタだった。
「父――王は貴女に賭ける気になったようです。僕という監視付きですが、お約束通り連れてきましたよ」
「よかった……本当によかった! ありがとう王子!」
「むしろ遅くなってすみません……。なかなか妨害が激しく……って聞いてませんね」
一応聞こえているけど、私たちにとって今はそれどころじゃない。再びこうして無事に会えた喜びに我を忘れて、ただただ抱き締め合いながら互いの温もりを確かめた。
「ぁ……」
「ダナエー、大丈夫っ!? アドニス、手伝って!」
私っていつもこうだ。何かに熱中すると他が見えなくなって、我に返ると体力が残っていなくて崩れ落ちる。私はハスタと王子に肩を抱えられて、アーチ橋の谷の部分に落ち着いた。
「それにしても凄いですね……。これ、王都側からも見えるのですが、近くで見るとますます凄い……」
「ごめんね、わたしのためにこんなに……」
「全然! 大好きなハスタのためだもん! それにこれが私の夢だったし……」
ここにいたら工事の邪魔なので、私たちは橋を離れて岸壁の向こうに引き返した。大げさな2人に肩を抱かれながら……。
「あのね、監獄にミレイが面会にきたの……」
「うわ、それ性格悪い……」
「そうだね……。でもあの子、わたしが処刑されると思い込んで、面白い話をしてくれたよ……」
「彼女には失望しかありませんね……。どんな環境で育ったら、そこまで性格がねじくれるのやら……」
「ミレイはね、アドニス王子狙いだったみたい」
「ぼ、僕ですかっ?!」
「うわー……趣味悪い」
「酷いですよ、その言い方っ?!」
私がそう言うと、王子は悲しそうに目を潤ませていた。ごめん、悪いことしたかなって思って、私はハスタに見えないように彼の袖を握った。
「でも攻略を諦めたみたい。そこでミレイは、アドニスの身代わりに皇太子様を攻略対象に選んだの。あの方、原作では攻略なんてできないのだけどね……」
「それは彼女が、うちの兄上に、恋愛のターゲットを絞ったということですか……?」
「うん……あの暗殺騒動を利用して近づいたみたい……。わたしとダナエーに復讐しつつ、わたしを皇太子様への踏み台に使ったの。信じられないでしょ、そんな最悪の人間がこの世に存在しているなんて……」
あまりこのことは王子の前で話さない方がいい。私は怒り散らしながらもそれ以上のことは伏せた。お屋敷に戻って、同じテーブルでお茶とお菓子を楽しんだ。それからまた少し経って、王子がトイレに席を立つと私はハスタにさっきの話の続きをする。
「ねぇ、ハスタ、さっきの話だけどさ……」
「ミレイと王太子のこと?」
「うん。それ、大丈夫かな……。あの子、男たらしって面ではとんでもないよね」
「王太子様は賢い方よ、大丈夫」
「そうかな……?」
「それに、王太子様はあの攻略本に立ち絵すら載ってなかった。いくらこの物語のヒロインでも、攻略対象外は無理なんじゃないかしら。いえ、むしろ、攻略対象外だからこそ絶対に無理なんじゃないかな」
理屈は通っている。このことを弟のアドニスが兄に告げ口すれば、彼に惹かれていても関係はもう終わりだろう。そこにアドニス王子が戻ってきた。
「あの、廊下から聞こえてしまったんですが『攻略対象外』って、なんですか?」
「ごめんなさい、それは秘密」
「うんっ、アンタには教えてあーげないっ!」
「ええーっ、僕だけ仲間外れにするなんて酷いですよぉーっ!」
あれ。なんか今のイントネーション、聞き覚えがあるような……。
私はアドニスのかわいらしい怒り顔をずっと見つめて、この不思議な既視感に首を傾げた。
「ダナエー、何か思い出した……?」
「ううん、何も。コイツの顔が誰かに似てるような気がしたんだけど、たぶん、放牧地の羊と間違えただけ」
「ひ、羊っ?! 違いますよっ、もっとちゃんと思い出して下さいっ!」
「そう言われてもなぁ……」
甘いお菓子をお茶で流し込んだら、全てがどうでもよくなったので忘れることにした。王子様と私が昔からの知り合いのはずがない。




