暗い夜に牛乳を
ほおずき団地の今日のお話。
「かーけーるー、そろそろ寝なさいよー。受験生なんだから体調崩しちゃ元も子もないでしょうが」
「うるさいな、わかってるよ」
母親のお節介をうっとうしく思いながら、翔はペンを置いた。
高校入試まで残り2か月を切った。志望校は翔が住むほおずき団地から歩いて20分ほどの、ごく普通の公立高校である。翔の成績だとこの調子で行けば落ちることはないだろうと担任から言われており、特に焦りもなく作業的に受験勉強に取り組んでいた。
時計の針が12時を過ぎた。冷えた布団に入り込み、目を閉じて体の熱が毛布に行き渡るのをじっと待つ。
・・・眠れない。
受験勉強で程よく疲れている脳を休ませたいのに、一向に眠たくならないのだ。しかも寝ようと意識すると余計に睡眠から遠ざかっていく。
俺っていつもどうやって寝てたっけ?
上向いてたっけ、横向いてたっけ?
腕の位置ってここか?
なんかのど乾いたような、お腹すいたような…
翔は寝ることを諦めて台所に向かった。冷蔵庫にまだ封の開いていない牛乳パックを見つけた。適当なマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジで20秒。
「あんた、こんな時間に何してるの」
突然の母親の声に、思わず肩がびくりと動く。
「なんでもいいだろ、のど乾いたんだよ」
温まったマグカップを取り出し、自室に戻ろうと母親の横をすり抜けた。この場で飲むと小言を言われそうだ。
「大丈夫、なるようになるわよ」
母親の言葉に何も返さず、翔は自室の扉を閉めた。
何言ってんだか。
勉強机の椅子に座り温かい牛乳を一口飲む。
担任にも大丈夫って言われてるんだし受かるだろ。たぶん。
自信満々というほどでもないが、正直なところ自分が落ちる姿は想像できない。一口牛乳を飲むと、優しい甘さが身体に沁みる。
大丈夫だよな、まだ2か月あるし。
また一口牛乳を飲みほっと一息つくと、自然と肩の力が抜けたのがわかった。そこで気が付いた。
俺、緊張してるのか。
学校でも余裕そうに振舞っているし、親の前で愚痴をこぼすことはなかった。自分でも気付かないうちにたまっていたストレスが、眠れないという形になって表れたのだった。
牛乳を飲み干しもう一度布団に潜り込む。瞼を閉じると先ほど母親に言われた言葉が頭によぎった。
『大丈夫、なるようになるわよ』
また明日から頑張るか。
今夜はよく眠れそうだ。
雲が月を覆う暗い夜だったが、雲の上にはいつだって星が輝いている。
大丈夫。
ほおずき団地という名前の架空の団地を舞台に、そこに住む人々のさまざまな日常を描いています。一話完結の物語ではありますが、この話に出てきた人物が別の話にちょこっと登場することもあります。ぜひ、ほかの小説も読んでいただけると嬉しいです。