雷雨の夜の復讐、そして晴れた先の彼と彼女。 〜ヒロインは悪役令嬢の娘に転生した〜
初めての方は初めまして、二度目の方はちょっと三週間ぶりです。
日本語辞書を片手に、せっせと小説を書いている外国人投稿者の蝶々 ホタルです。
今回も、読者様の方々に楽しく読んでいただけたら、とっても幸せでございます。
では、よろしくお願いします。
雷雨の夜。
国王エドワードは身体中に幾つもの風穴が開けられて、糸の切れた人形のように地面に倒れた。
「いやあああああぁ!!お願い、エドワード様、返事して!《ヒール》!《アークヒール》!《アークヒール》!」
そんなエドワード王の体を支え、千切れそうな悲鳴を上げながら治癒魔法を連発してエドワード王の傷を癒そうとしたのは、王妃アンナメリア。
仮に大神官レベルの治癒術師でも、最上級の治癒魔法である《アークヒール》を施行するためには、一時間にも渡る長い詠唱と回復に一週間以上も掛かるほどの魔力を消費しなければ発動できない。
そんな《アークヒール》を何事もないように無詠唱で連発できる人間は、世界中探しても、恐らく『国宝の才女』と呼ばれる元侯爵令嬢のアンナメリア妃しかいない。
しかし失った手足ですら回復できると言われる《アークヒール》でも、魂が消え去った体を蘇らせることはできない。
創作物ならばここでエドワード王が死ぬ間際に、愛する王妃のアンナメリアに最後の愛の言葉を囁き、二人が口付けを交わしたところ、突然真実の愛によって奇跡が起こりエドワード王が全快するところだったんだろう。
だが現実は非情である。
現にエドワード王は既に両目の焦点が合わず、虚空を見つめながら全身が痙攣し、口角から唾がだらだらと垂れている。どう見ても助からない。
それでもアンナメリア妃はエドワード王の血に赤く染められた両手で、懇願するようにエドワード王の死に逝く体に《アークヒール》を掛け続けた。
「《アークヒール》!《アークヒール》!ねぇ、どうして傷が塞がらないの?!《アークヒール》!」
一方、この惨状を作った元凶である王女エリンは、半狂乱状態になっていた母親のその姿を、呆れた表情でじっと見ていた。
「治癒魔法は治療対象の生命力を活性化して治療を加速する魔法だから、生命力を失った死体にいくら治癒魔法をかけても、傷が塞がるわけないでしょう。そんなの初等部の魔法授業でも学んだ常識ですよ、お母さま」
「《アークヒール》!《アークヒール》!ねえお願い、エドワード様、目を覚まして……」
「しかも親切に答えたわたしを無視するのですか。酷いですね、あはっ」
今年で十二歳になる王女エリンは、秋の小麦畑を連想させる綺麗な金髪と天使のような可憐な外見を持っている。
しかし彼女の手には今、小柄な彼女に相応しくない大きな魔導拳銃を持っている。
彼女はそれを使って、自ら父親であるエドワード王を風通しの良さそうな体にしたのだ。
ちなみに魔導銃とは、学生時代の才女令嬢アンナメリアと第二王子だったエドワードが協力して、従来の魔導師たちが使っていた杖をさらに効率よく改良した魔導具である。
魔導銃の発明によって、王国は国力が飛躍的に伸び、現在では大陸一の覇権国家と言っても過言ではない。
国王と王妃となった二人の初めての合同作業の作品が、まさか二人の娘の手によってエドワード王を殺め、アンナメリア妃から最愛の伴侶を奪う道具になるとは、最早皮肉でしかない。
「もー、お父様はもう生き返らないのに、お母さま、本当に諦め悪いですね。お母さまが早く現実を受け入れるように、わたしも一肌脱ごうかな。えいっ」
バンッ!
可愛らしいエリン王女の掛け声とは対照的の凶悪な轟音と共に、王女の手の中の魔導拳銃が火を吹き、エドワード王の死体の頭にきれいな紅花を咲かせた。
ぽた、とエドワード王の頭の中身の一部がアンナメリア妃の顔にぶち撒けられた。
「あ、ああぁ、あなた……、エドワード様……」
「だから現実を見てよ、お母さま。お父さまはもう死んだよ。わたしが殺しましたから」
脳の半分をなくしたエドワード王は明らかに事切れていた。
それでも目の前の悲惨な光景を受け入れることのできないアンナメリア妃は声にならない悲鳴を漏らして、目尻から我慢の効かない涙が落ちてきた。
「なぜなの……?エリン、あなたのような優しい子が、一体なぜこんなことを……?」
立ち上がる気力すら失ったアンナメリア妃は、エドワード王の死体を抱えて地べたに座ったまま、親殺しの罪を犯した娘に問いかけた。
「エリン、ねぇ。古代語では『平和』を意味する名前ですよね。お母さま、本当にいいネーミングセンスをお持ちです。人殺しであるあなたたち夫妻が、まさか娘に『平和』の願いを込めて名付けるとは、全く笑えない冗談です」
「エリン……?貴女、一体何を言っているの……?」
「ねぇ、まだわかりませんの?お母さま。言ってみてよ、わたしの本当の名前を」
「貴女はエリン、わたくしとエドワード様の娘ですわ!それ以外になんの名前があると言うの?!」
「違うでしょう?それはあなたたち夫妻が娘に付けた名前であって、国王エドワードと王妃アンナメリアに復讐する人の名前ではないですよ、お母さま……いいえ、悪役令嬢のアンナメリア様?」
この世界で自分しか知らないはずのあの四文字が、無邪気な口調に乗って娘の声から出てきた瞬間、アンナメリア妃は背筋が凍る様な恐怖を覚えた。
「そんな、まさか、貴女は……?!」
「また会ったね、アンナメリア様、あはっ!なんだかわたしたちが初めて出会ったあの日を思い出しますね。確かにあの日、わたしはこう言ったはずでした。『こんにちは、わたしの名前はリリア!平民ですけど、アルベルト殿下、アンナメリア様、これから仲良くしましょう!』って。あはは、懐かしいね」
一瞬、アンナメリア妃は幻覚を見た。
目の前にいるのは見慣れていた愛する娘の姿のはずなのに、なぜかそれが王立学園の学生時代のとある同級生ーーふわふわなピンク髪を持った、小柄で男性の庇護欲を掻き立てる平民少女の面影に見えた。
十五年前その平民少女は、エドワード王の兄である元王太子アルベルトを誑かし、結局国家転覆罪で逮捕され、牢屋の中で自らの命を断つという最期を迎えたはずだった。
ここにいるはずのない亡者。アンナメリア妃は誰よりも知っているはずだ。
リリアと言う名前の少女を断罪したのは他の誰でもない、エドワードとアンナメリアだったから。
「そんなの、ありえないわ!だって、貴女はもう死ーー」
「ありえなくありませんよ、アンナメリア様。それはあなたが一番わかっているでしょう?同じ道を通った仲間なんですから」
同じ道。
もしここに第三者がいたら、その耳にはエリン王女の言葉が全くの意味不明に聞こえるであろう。
しかし聡明な頭脳を持ったアンナメリア妃は即座にその『同じ道』が何を示しているのかを理解した。
「ま、まさか、貴女も……転生者なの?!」
「あはは、せいかーい!実ることのない恋に落ちて、儚く若死したはずの美少女のリリア!可愛らしい王女のエリンに生まれ変わって、返り咲く!ってね。あはっ」
「そんな……そんなの嘘よ……!エリンから、わたくしとエドワード様の娘から出て行きなさい、この悪霊!!」
「悪霊だなんて、あはっ!酷いことを言いますね、アンナメリア様」
”悪霊”と貶されながら、エリン王女は気に留めることもなく、ただアンナメリア妃に聞き返した。
「でもそれを言うならあなただって同じ悪霊じゃないですか。侯爵令嬢アンナメリア様に寄生した、異世界の転生者さん?」
「なっ?!なぜ貴女がそれを……?!」
「はぁ、もうわたしをあの十五年前のバカピンク髪と思わないでくださいよ。惨めに死んだ後、あなたたちの娘に生まれるまでの間、わたしも色々勉強しましたからね」
小さくため息を吐いて、エリン王女はアンナメリア妃に告げた。
「”転生の女神様”に出会って、わたしは地球という別世界が存在して、そしてそこでわたしたちの世界は乙女ゲームになっていたことを知りました。お陰でわたしも気付きましたよ……前世の知識チートと神様から貰ったチート能力をお持ちのアンナメリア様と対立したわたしが、どれほどのバカだったってね。やれやれ」
昔の自分を小馬鹿にして自嘲する様に、エリン王女、もとい、リリアは可愛らしく頭を横に小さく振った。
「あっ、でもアンナメリア様と同類だと思われるのは癪に障るので一応説明しますね。”本当の”侯爵令嬢アンナメリア様の人生を根こそぎ奪ったあなたと違って、エリンなんて最初からどこにもいなかったんですよ。生まれてから、わたしはずっと臥薪嘗胆の思いで、仇敵であるあなたたち夫婦と親子ごっこをした。全ては、あなたたちを油断させながら力を蓄えるためです」
とリリアは、手の中の『力』の象徴、魔導拳銃をアンナメリア妃に見せびらかした。
魔導拳銃のグリップには、王国騎士団の紋章が刻印されていた。恐らくリリアは王国騎士団の王女に対する信頼を悪用し、王国騎士団の武器庫から魔導拳銃を借り出したんだろう。
「それにしても本当に素晴らしい威力でしたね、魔導銃。アンナメリア様がこれを発明したのは、わたしたちがまだ王立学園の学生だった時ですよね。まだ婚約者の弟だったエドワード様とパートナーを組んで、そしてあなたに心酔した方々の力を借りてて」
懐かしそうな顔をして、リリアはまるで同級生のアンナメリア妃と思い出話を咲かせる様な口調で語った。
「羨ましいと思いましたよ、みんなに愛された悪役令嬢のアンナメリア様のことを。だって、わたしはアンナメリア様みたいな前世の知識もなくて、アルベルト様以外は、誰もがわたしを見下していましたもの。まぁ、今となっては羨ましいというより、憎たらしいの気持ちの方が勝ちますですけどね、あはっ」
しかしその光景が、却ってエドワード王が惨殺され、アンナメリア妃が血塗れになっているという無茶苦茶な現状を更に不気味にさせた。
エリン王女の知るはずがない過去が次々と出てくるのを黙って聞いていたアンナメリア妃は、ようやく娘の体を操っているのは紛れもなく自殺したはずのリリアと確信した。
「もういいわ、エリン……、いいえ、リリア様。つまり貴女の目的は、わたくしとエドワード様に対する復讐でございますね?」
混乱から冷静さを取り戻したのか、アンナメリア妃はその聡明な頭脳を全力で回転させ、いつもの落ち着いた声に戻ってリリアの目的を確認した。
「当たり前じゃないですか、アンナメリア様。あなたたちはわたしから全てを奪いました。わたしの愛するアルベルト殿下、わたしの人生、わたしの未来、わたしの……一人の人間としての尊厳をね!」
「ーーお言葉ですが、リリア様、それは全て貴女様の自業自得ではなくて?」
アンナメリア妃はすかさずリリアにきっぱりと反論した。
「アルベルト様は元々、わたくしの婚約者でした。『婚約者を持つ男性に過度な接触をお控えください』と、わたくしはリリア様に何度も忠告したはずでしたわよね?それを聞き流した上に、アルベルト様にあることないことを告げたのは、リリア様ではございませんか?」
透き通った綺麗な声で、アンナメリア妃は前世のリリアの過ちを次々と指摘する。
「いくら学園内では身分関係なく全員平等とはいえ、王太子であったアルベルト様に妄言を告げ、あわよくば彼を操って侯爵家の一員であるわたくしを陥れようとしたのは、例え学生の身でも許されるはずのない罪ですわ!」
『罪』と断言したアンナメリア妃は、さらに言葉を畳み掛けた。
「確かにわたくしとアルベルト様は政略結婚の関係、最初から愛など存在していないと理解しておりました。だからもしアルベルト様がリリア様を愛妾として迎えると仰ったのなら、わたくしも反対しなかったでしょう」
アンナメリア妃の言う通り、この国の国王は王妃以外の女性を愛妾として迎え入れることが許される。
しかし、
「ーーしかし、王妃の地位を欲するあまりに、わたくしに冤罪をかけて、婚約破棄するようにとアルベルト様を唆したのは、他の誰でもない貴女自身です!結局その『断罪』に使われた証拠は、あれもこれも全部嘘でしたわ!アルベルト様が男爵位に臣籍降下され、そして貴女が国家転覆の罪状で処されたのも、全てその行動の結果ではなくて?!」
そう、これこそが十五年前、平民少女リリアが投獄されるまでの事件の経緯だった。
特待生として王立学園への入学が許された平民のリリアは、その愛らしい外貌とちょっと放っておけない雰囲気で、侯爵令嬢アンナメリアの本来の婚約者である元王太子のアルベルト第一王子の興味を引き、二人の距離はいつの間にか同級生以上の関係に縮まった。
しかし埋めることのできない大きな身分のせいで、二人の関係は段々と王家の威信に関わるスキャンダルになっていた。
婚約者として、アンナメリアはアルベルト王子とリリアに苦言を申せざるを得なくて、平民のリリアが気に入らない他の貴族令嬢もそれに便乗して、リリアに対するイジメを始めた。
しかし障害があるほど恋は燃え上がる。
最初は興味本位でリリアに接近したアルベルト王子も、いつの間にか本気でリリアに惹かれ、学園のパートナー選びの日には、婚約者のアンナメリアではなくリリアを選んだのだった。
学園のパートナーとはただの学友以上に親密な関係である。婚約者にパートナーとして選ばれず、しかも婚約者が他の女とパートナーを組むのは、貴族令嬢にとってはこれ以上はないと言えるほど屈辱な事だった。
幸い、アンナメリアのことを姉として慕っていた第二王子エドワードは、兄の代わりにアンナメリアとパートナーになって、アンナメリアは更なる不名誉な目に遭わずに済んだ。
そんなこんなでやってきた、学園から卒業するその日の夜の舞踏会。アルベルト王子は公衆の前でアンナメリアをリリアをいじめた元凶として断罪し、婚約破棄を突きつけたのであった。
まるで恋愛小説の中で出てくるような展開だった。
しかし蓋を開けば、リリアとアルベルト王子が用意した”証拠”は全くのでっち上げで、その後で現れた第二王子エドワードの証言により、アンナメリアの無実が証明された。
こうしてこの不祥事の結末を迎え、その後はアンナメリア妃の言った通りーーアルベルト王子は継承権が剥奪されて辺境の一男爵に落とされて、リリアは王族を誑かした罪で監獄に入れられ、処刑の前日に彼女の死体が牢屋の中で発見された。
一方、ずっとアンナメリアに恋慕を抱いていたエドワード王子は、アルベルト王子との婚約が中止されたアンナメリアに自分の気持ちを包み隠さず伝えた。
学園のパートナーで育てた情もあって、こうして気持ちが通じ合った二人は結ばれて、民に愛される次期国王と次期王妃になった。
処罰を受けたアルベルト王子とリリア以外にとって、めでたしめでたしな話であった。
「馬鹿は死んでも治らないとは言いますけど、リリア様、貴女はまだ気づいていませんの?アルベルト様を、そして貴女の人生と未来を奪ったのは、他の誰でもなく、まさに自害した貴女自身ですわ!」
そう結論付けて、アンナメリア妃はビシッとエリン王女に転生したリリアを指差した。
凶器を持った精神不安定な相手にこういった挑発的な言葉を掛けるのは、決して得策とは言えない。
相手を逆上させるかもしれないから。
リリアの精神が宿った、魔導拳銃を持つエリン王女はまさにそんな相手である。
では一体なぜ聡明なアンナメリア妃はこんな言動に出たのか。
その理由は、アンナメリア妃はリリアの言葉を全て鵜呑みにはしていないからだ。
忘れてはいけないが、アンナメリア妃は『王国建国以来の才女』と呼ばれて、最上級治癒魔法を無詠唱でポンポンと連発できる人物である。いくら歳の割には魔法の才能が優れているエリン王女とは言え、アンナメリア妃の前ではアリと鯨の差だ。
つまりアンナメリア妃がその気になれば、魔導拳銃の攻撃を防ぎながら最上級の攻撃魔法でリリアを倒すことは、造作もない。
では何故そうしなかったかと言うと、アンナメリア妃はリリアの『エリンなんて最初からどこにもいなかったんですよ』との言葉を信じていなかったからだ。
十二年もエリン王女の母親としてやっていたんだ。アンナメリア妃とてそう簡単に娘の姿をした目の前の少女を、ただの復讐者リリアと切り替えることができなかったのだ。
だからアンナメリア妃は狙った。挑発的な言葉でリリアを動揺させ、その隙でリリアを拘束する。どうやってリリアという悪霊をエリン王女から駆逐するかは、そのあとでゆっくり考えればいい。
しかし。
痛いところを突かれて、リリアが十五年前のように喚きながら反論するのかと思いきや、彼女は至って冷静に、寧ろ呆れたような表情をアンナメリア妃に向けた。
「はぁ……アンナメリア様、あなたは本当に十五年前から何にも成長していませんね。『片方だけの言葉を信じてはいけません』、『自分だけが正義だと思い込んではなりません』と、こうやってわたしとアルベルト様を説教したのに……」
「……何が言いたいのかしら?!」
「真実も知らないのに、いい気分で他人のことを説教できるところは本当にアンナメリア様らしい、ということですよ。まぁ、そろそろ復讐の前に真実を教え差し上げてもいいんですけど……その前に、アンナメリア様に一つだけ謝りたいことがあります」
「謝りたい?貴女が?」
十五年前、リリアは最後まで、反省も謝罪もせずに自殺した。
それなのに、復讐の真っ最中にまさか突然謝罪し出すなんて、アンナメリア妃が不審に思っても無理もない。
「そうです、わたしは謝りたかったです。アルベルト様がアンナメリア様の婚約者だと知りながら、アルベルト様を好きになったことを。本当に、悪いと思っていました」
しかしペコリと、有言実行と言わんばかりにリリアはエリン王女の体でアンナメリア妃に頭を下げた。
「い、今更そんなことを言っても、貴女のやってきたことが許される訳……」
まさか本当に謝ったリリアに、アンナメリア妃は思わず動揺した。
しかしその言葉はすぐさまリリアの嘲笑に溢れた声に遮られた。
「あはっ、馬鹿ですか、アンナメリア様。あなたの許しなんて乞うていませんよ。”謝りたいことが一つだけある”というのは、それ以外にわたしは何も悪いことをしていなかったという意味ですよ」
俯いた頭を上げ、リリアはその声と対照的な冷たい視線でアンナメリア妃を射した。
「婚約者がいながらわたしに目を移したアルベルト様には、さぞご立腹だったのでしょう。その好意を応えたわたしに悪印象を抱くのも、まぁ理解できます。しかしそれ以前に、アンナメリア様は既にアルベルト様に見切りをつけていたのでしょう?」
「ーーシナリオ上、どんなルートでも彼は必ずあなたを断罪するから」
「なっ、なぜそのことを……?!」
「あなたが捻じ曲げた『乙女ゲーム』の本来のシナリオも、転生の女神様から聞いたからですよ。前世のわたしは、何故アンナメリア様がいつもアルベルト様から距離を取っていたのか、ずっと疑問を抱いていました。でもシナリオを知ってようやく理解できました」
十五年前とはまるで違う、全てを見通したかのような目で、リリアは言う。
「つまるところ、アンナメリア様は最初からアルベルト様を信用していなかったでしょう?」
「それは……!」
「アンナメリア様の方から先にアルベルト様を見限ったのに、いざアルベルト様がわたしのことを好きになったら、『婚約者に無下にされた』と喚くのは、流石に虫の良すぎる話ではありませんか?」
アンナメリア妃に反論する暇も与えずに、リリアは言葉を続けた。
「所詮あなたは自己中心的な人ですよ、アンナメリア様。自分が他人を突き放すのは問題ないけど、他人があなたを捨てるのを許せなかっただけでしょう。だからあなたは一度もアルベルト様を理解しようとしませんでした。彼の本当の気持ちを、そして彼が何故あなたではなく、わたしを授業のパートナーに選んだ本当の理由を」
「本当の……理由?」
「やっぱり知りませんでしたね。本当はね、パートナー選びの三日前に、わたしは殺害予告を受けていましたよ」
「なっ、殺害予告ですって?!」
「そうです。しかし学園で孤立していたわたしは誰にも相談できるはずもなく、学園側も『たかが平民生徒』と真面目に取りあわなかった。唯一わたしの話を聞いて、わたしのパートナーになって守ってくれたのは、アルベルト様だけでした」
「そんなこと、アルベルト様から一言も……!?」
「聞いていなかった、ではなくて、最初から興味がなかったんでしょう?あなたは自分のこと以外に興味がない人間ですから。寧ろ『婚約者に無下にされた悲劇の貴族令嬢』である自分に酔って、嬉々としてエドワード様とパートナーになったじゃないですか」
ちなみに、とリリアは魔導拳銃の銃口で、エドワード王の死体を指した。
「全ての黒幕は、まさにそこでみっともない死に様を晒している男ですよ」
「いっ、言い掛かりはやめなさい!」
思いもしない所で愛する夫の名前が出てきたアンナメリア妃は、一瞬ぽかんとなって、そして次の瞬間、怒りで顔が赤くなってキッとリリアを睨みつけた。
「エドワード様はそんな人間ではありません!貴女は彼を殺して尚、彼を侮辱するつもりですか!そもそも、エドワード様がそんなことをやって、なんの得もありませんでしょう?!」
「あはは、言い掛かり、ね。アンナメリア様は本当に自分に都合の悪いことからすぐ目を逸らすんですから。でも言い掛かりも何も、これは全てエドワード様がわたしを殺しながら自慢げに教えたことですから」
「へっ?殺す、って……?」
「アンナメリア様、あなたはそれでも『王国建国以来の才女』ですか。ちょっと考えればわかることでしょう?」
呆れに近い口調でリリアは言う。
「乙女ゲームのパッケージで、”いつでもポジティブで、どんな逆境にも負けない女の子”と紹介されたわたしが、本当に自殺という手段を取ると思うのですか?そもそも下着以外全て剥ぎ取られたわたしは、どうやって自殺できたんです?」
「それは……」
最早憐むような視線をアンナメリア妃に向けて、リリアは真実を告げた。
「薄暗い牢屋の中、一人で訪れてきたエドワード様はゆっくりとわたしの首を絞めながら、ご丁寧に教えてくれましたよ。勝者の余裕だったのでしょうね?朦朧とした意識の中でも、彼が自慢気に語ったのはまだ覚えていますから。王座を手に入れるための計画の全てを、ね」
「王座を手に入れる……?!貴女は一体何を言っているの?!」
段々と自分の知っている夫の姿からかけ離れた話になって、アンナメリア妃は思わずリリアを問い詰めた。
しかしリリアはただ淡々とした口調で、その疑問に答えた。
「エドワード様の最初の一歩は、わたしに殺害予告を送ったことです。あなたのおかげでわたしは学園全体に疎遠されたから、わたしが必ずアルベルト様に相談し二人でパートナーを組むのを、エドワード様は予想していました。そしたら必然的にアルベルト様はアンナメリア様と更に仲違いし、結果的に侯爵家という後ろ盾を失うことになります」
ここまでが下準備の段階、とリリアは説明し続けた。
「そして次に、エドワード様は匿名でわたしたちに、イジメの元凶がアンナメリア様であることを示す証拠を送りました。”侯爵令嬢アンナメリアの取り巻き”と偽り、彼は『アンナメリア様にリリアをいじめるようにと命令された』と証言した。まんまと騙されたアルベルト様は、それで卒業夜会でアンナメリア様を断罪しました」
ーーこうなってしまったら、残るのは後始末だけでした。
「『断罪イベント』の夜、エドワード様はアルベルト様が挙げた偽証を易々と論破したでしょう?全部自分で作った偽証ですからね。結局アルベルト様はそのまま、もう二度と返り咲くことのない男爵位に落とされました。何も知らないアンナメリア様はエドワード様と幸せな結婚をして、侯爵家の支持を得たエドワード様は晴れて王位につきました」
そしてもう利用価値がなくなったわたしは、牢屋の中で人知れず仕留められました。
と、リリアは吐き捨てるように言った。
「こ、これも貴女のいつもの妄言かも知れませんわ!その言葉を証明できる証拠でもありますか?!」
リリアに明かされた真相に、アンナメリア妃は目に見て分かるほどに動揺した。しかしそれでも彼女はリリアの言葉を信じない、いいえ、信じたくなかった。
だからアンナメリア妃はできるだけの反論をした。
「証拠ならここにありますよ」
しかしその反論も虚しく返された。
ぱたっと、リリアは一冊の書物をアンナメリア妃の前に放り投げた。
「ーーこれは、」
「あなたにも見せたことのない、エドワード様が隠し持っていた日記帳です。殺す前に寝室から取ってきましたよ。日記に自分の陰謀を書き残すくらいですから、よほど自慢だったのでしょうね」
震えた手でアンナメリア妃はエドワード王の日記を手に取り、パラパラとページをめくり始めた。
「嘘よ……こんな……嘘よ……」
「結局ヒロインのわたし、攻略対象のアルベルト様、そして悪役令嬢のアンナメリア様も、ただのモブでしかないエドワード第二王子の都合のいいように、掌で踊らされたというわけですよ」
ページが進むのに伴って、アンナメリア妃から嗚咽のような声が漏れた。
夫を信じたい気持ちの方が強かった。しかし日記の中には、紛れもない夫の筆跡があり、リリアの言葉が真実であることを示した。
何よりも一番ショックを受けたのは、アンナメリア妃について書かれた部分だ。
『確かに才能はあるけど、恋愛に対しては頭の悪い少女みたいに、非現実的な憧れを持っている。そのおかげで、操りやすい。侯爵家であることを加味すれば、王位を手に入れる最高の道具だ』
そこには愛情も恋情もない、ただの勘定と計算に満ちた冷たい一言。それ以外に何も書いていなかった。
心の中で、何かが砕け落ちた音が聞こえたアンナメリア妃だった。
「どうですかアンナメリア様」
そんなアンナメリア妃の惨めな様子を思う存分楽しめたのか、リリアは声を掛けた。
「泣き言があるのなら、一緒に聞いてあげでも良いですよ?あはははっ」
「……どうして」
「うん?なんですか?」
「どうしてこんなものを見せるのよ!!」
アンナメリア妃は泣き叫びながら、リリアに問い詰めた。
エドワード王の日記を読んだショックのせいか、いつものお嬢様口調もなくなり、前世の口調が無意識に出てしまったのだ。
「どうして、ですか?ふふっ」
リリアは可愛らしく笑うと、ふっと豹変して無表情でアンナメリア妃の襟を掴んだ。
「ーーそっちこそふざけてんじゃないわよ、転生者。いい加減にこれがわたしの復讐物語で、あなたたちがこの物語の悪役であることを認めなさい」
「きゃっ!」
バサッと突き放されて、アンナメリア妃は悲鳴とともに尻餅をついた。
そんなアンナメリア妃を、リリアは冷たい目で見下ろした。
「綺麗事を並べたいなら、勝手にしろ!それでも、あなたたち夫婦のやったことは変わりません。エドワード様は私欲のために、恋に落ちた無実の少女の命を奪いました。そしてアンナメリア様、あなたは前世の記憶による偏見で、その少女の愛される権利を否定しました」
「ーーだからこれはわたしの復讐です。わたしの命を奪ったエドワード様の命を奪い、わたしの恋を否定したアンナメリア様の愛を否定したのです!」
「ーーーー《サンダーレイジ》っ!!」
予兆もなく、アンナメリア妃はリリアの言葉が終わったのとほぼ同時に、無詠唱で最高ランクの雷属性攻撃魔法を放った。
アンナメリア妃は気付いてしまった。
目の前の娘の形を借りた少女の中には、もはや娘のかけらも残っていないことを。
そこにはリリアという名の、復讐のためだけに生まれ変わった化け物しかいない。
彼女はアンナメリア妃から全てを奪いに来たんだ。彼女はすでにアンナメリア妃から、夫と娘を奪ったんだ。
娘の顔をした怪物に攻撃魔法を放つのは、心が刺されるくらい痛い。
しかしそれでもやらなければーー何もかも全部奪われる前に!!
それでも一応情けはあったのか、アンナメリア妃は《サンダーレイジ》の魔法を選んだ。
《サンダーレイジ》は王宮お抱えの国家魔術師でも数時間がかりでようやく使える大魔法で、それを奇襲に使えるのは、王国建国以来最大の魔力総量と魔法適性を持つアンナメリア妃くらいだ。
人間の許容上限の数百倍もある電流を叩き込んで、例え中身が全部リリアであろうとそれとも一粒のエリンの意識が残っていようと関係なく、痛みを感じる隙もなく一瞬で炭と化す。
……そのはずだった。
「ーーえっ?」
しかし、何も起こらなかった。
アンナメリア妃の声はただ空虚に消え去り、轟くはずの雷鳴も、目を眩ませるほどの閃光も、何も、起こらなかった。
「ぷふっ、『サンダーレイジィィィーー!!』ですって。あはは、アンナメリア様ったら、本当に面白い!」
リリアは困惑するアンナメリア妃を指差して、如何にも楽しげに笑い出した。
「ねえ、アンナメリア様。まだ気付いていないんですか?まさかわたしが本当に魔導拳銃一本で、『国宝の才女』と呼ばれるアンナメリア様に挑もうとでも思っていたんですか?」
「《サンダーレイジ》っ!《サンダーレイジ》っ!……ど、どうして?!なんで魔法が発動しないの?!」
「わたしもアンナメリア様と同じ女神様からチート能力を貰いました、だからですよ」
リリアは満更でもなさそうに、パニックに陥ったアンナメリア妃の疑問に答えた。
「もちろん、神様の手違いで死んだわけではないから、わたしはアンナメリア様みたいに《無詠唱》や《魔力無限》や《魔法適性最高》なんてデタラメなチート能力をもらえませんでした。でもその代わりに復讐にぴったりな能力を手に入れましたよ」
「このっ!!《ヘルズファイヤー》!!《アイスランス》!!」
どれほど試しても《サンダーレイジ》の魔法が出て来ない。
それでもアンナメリア妃はめげずにリリアに向かって別の攻撃魔法を試みたが、やはり何も起こらなかった。
「だから無駄ですって。女神様から貰ったわたしの能力は、《無詠唱魔法無効化》ですから」
「っ?!」
アンナメリア妃の動きがピタッと止まった。
「普通に考えればハズレ能力よね、だって大体の人間はそもそも呪文を唱えないと魔法を使えないんですもの。でもアンナメリア様がいつも偉そうに無詠唱で魔法を使っているから、つい貰っちゃった。あはっ☆」
「無詠唱……無効……?」
「アンナメリア様がわたしの能力に気付いていなくて本当に良かったです。うっかりエドワード様の急所を外したから、アンナメリア様が治癒魔法をかけ始めた時は本当にハラハラしちゃいましたよ。幸いアンナメリア様は馬鹿の一つ覚えで無詠唱の《アークヒール》しかできませんから……おや?」
そこで、リリアはアンナメリア妃の両手が震えていることに気づき、ニヤリと意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「あれ?あれれ?アンナメリア様ぁ、なんか緊張していません?まさか《無詠唱》のチートに頼りすぎて、大事な呪文を忘れちゃいましたか?そんなのありえませんよね?だってアンナメリア様は勤勉で、努力家で、みんなの憧れで令嬢の鑑ですよね?」
疑問というより確信している様子でリリアはアンナメリア妃に問うた。
「この……!」
「あはははっ!ごめんなさい。本当はアンナメリア様が全く呪文を覚えていないのを知っていました。だって《無詠唱》が使えるもの。わたしたち凡人みたいに一々呪文を覚えるのって、ダサいじゃないですか」
「絶対に……殺してやる……!!」
「おっとっと。ちょっと落ち着きましょうか、アンナメリア様」
アンナメリア妃は今にも飛び掛かりそうな目でリリアを睨みつけるが、リリアが見せびらかす魔導拳銃を見て、堪えるしかなかった。
リリアの言う通り、アンナメリア妃は転生してから一つの呪文も覚えていなかった。今の彼女はリリアの持つ魔導拳銃になんの抵抗もできない、無力な子羊とほぼ変わらないのだ。
「そんなに怒らないでくださいよ、もう謝ったじゃないですか。本当、アンナメリア様は昔からマウントを取れないとすぐに余裕を無くすんですから。そんなアンナメリア様に、一つチャンスをあげましょう!」
「……チャンス?何?まだわたくしをバカにする気?」
「もーっ、アンナメリア様はわたしのことをなんだと思っているんですか。そんなんじゃありませんって」
リリアは可愛らしく頬をぷくーと膨らませた。
「今からわたしは、アンナメリア様が一つの魔法を使うまで、ここから動きません。魔導拳銃はもちろん使いませんし、防御魔法も使いません。もしアンナメリア様が正しい呪文を唱えてわたしを殺せたのなら、アンナメリア様の勝ちでいいですよ」
「……なぜそんな貴女になんのメリットもないことを?」
「うーん、強いて言えば勝者の余裕、かな?わたしが断罪された時、アンナメリア様はなんの情けもかけてくれませんでした。でもわたしはアンナメリア様と違う人間になりたいから、あえてチャンスを与えることにしました」
それを聞いて、アンナメリア妃は逡巡した。
もしリリアが彼女の言う通り、アンナメリア妃が何かの魔法を使うまで動かないと言うのなら、ここでなんの魔法も使わずに時間を稼いで、朝になって衛兵たちがこの状況に気づくのを待つのが最善策であろう。
しかしリリアが彼女の宣言通りに動く確証はどこにもない。気紛れにアンナメリア妃にこのチャンスを与えることができれば、気紛れで約束を破ることだってできる。
結局アンナメリア妃はこのチャンスを掴んで、リリアを一撃で殺せる攻撃魔法の呪文を唱えるしかなかった。
しかし、どの魔法を使う?
アンナメリア妃には選択の贅沢がなかった。
《サンダーレイジ》はもちろん、それ以外の攻撃魔法でも呪文の第一節まで覚えているかすら怪しい。
もっと簡単で、それでいてちゃんとリリアを瞬殺できる攻撃魔法……!
そんなアンナメリア妃が辿り着いた結論は一つだった。
「ーー《火の神ウォルカーヌよ》」
「わあ、《ファイヤーボール》の呪文ですね。アンナメリア様、本当に卑怯な真似がお好きです」
《ファイヤーボール》は字面通り、火の玉を射出して敵を傷つける攻撃魔法である。
大した威力はないが、呪文が三節しかないため、子供が最初に学ぶ入門的な攻撃魔法の一つである。
しかし、《無詠唱》がなくとも、《魔力無限》と《魔法適性最高》を持つアンナメリア妃の手に掛かれば、そんな《ファイヤーボール》でも凶悪な威力を発揮できる。
リリアが卑怯と評したのもそれが原因であろう。
「ーー《その偉大なる力を塊となって顕現し》」
「あ、でも《ファイヤーボール》だからって油断しちゃダメですよ。呪文を間違えたら魔法暴走を起こしちゃいますから。わたしも以前、最後の一節の『打ち倒せ』を『討ち破れ』に間違えて大変な目に遭いました」
……『打ち倒せ』?『討ち破れ』?
嫌でも耳に入るリリアの言葉に、アンナメリア妃は思わず最後の一節の詠唱を躊躇った。
《ファイヤーボール》なんて、使ったのは六歳以来だった。その時も《無詠唱》で《ファイヤーボール》を発動し、周りからチヤホヤされた。
自分以外の子供たちは《ファイヤーボール》の呪文を唱えていたが自分は《無詠唱》で発動出来ていた為にはっきりとは覚えていなかった。そのためかいざリリアの言葉に心を掻き乱されると、アンナメリア妃は脳内の呪文の最後の一節に自信を持てなくなった。
『打ち倒せ』なの?それとも『討ち破れ』なの?
ーー最後の一節さえ唱えれば、リリアを殺せるのに!!
「ふふっ、アンナメリア様ったら、そんな深刻な顔して。ただの《ファイヤーボール》なんですよ?六歳児でも使える《ファイヤーボール》なんですよ?」
「ーー《我に仇なす敵を討ち破れ、ファイヤーボール》!!」
リリアの挑発に、アンナメリア妃は《ファイヤーボール》の呪文の最後の一節で答えた。
ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!
それは、果たして《ファイヤーボール》と呼べるかどうかも分からない、巨大な火の塊だった。
一瞬で膨れ上がった熱量に、空気が爆音を上げ、周囲を震撼させた。
アンナメリア妃は、《ファイヤーボール》の発動に成功してしまった。
「ぎゃああああああああああああーーっ!!」
「……だから、呪文は『打ち倒せ』って言ったんじゃないですか。なんで最後までわたしを信じてくれないんですか?」
そう。
発動はしたものの、《ファイヤーボール》はすぐ暴走し始め、魔法を発動した張本人を炎に飲み込んだ。
燃え上がる炎の中、アンナメリア妃は一瞬で誰なのかも分からないくらいに黒焦げになって、悲惨な絶叫をあげた。
断末魔と共にのたうちまわるアンナメリア妃に、リリアは冷たい目を向けた。
「結局チート能力にばかり頼って、《ファイヤーボール》の一つも発動できなかったんじゃないですか。あなたみたいのに前世のわたしが負けたのが、恥ずかしいと感じるくらいですよ、アンナメリア様」
「かぁ……ひ……かぁ……ひ……」
やがて《ファイヤーボール》は消えてしまい、かつてアンナメリア妃だった物は、今や黒炭のような人型の物体しか残っていない。
声帯も完全に燃え尽きて、ボロボロな気管から空気が出入りする掠れた声しか出て来ないアンナメリア妃は、どう見ても助からない。
「これで、わたしの復讐は終わりました。さよなら、アンナメリア様。あなたがもう二度とこの世界に転生してわたしに出会わないことを、これから毎日神様に祈りますね」
なんの感情も持たない目で、エリン王女の皮を被った復讐の化け物は、アンナメリア妃の成れの果てを見下ろし、こう告げた。
「まあ、もしもその時が来たら、何度でもあなたを地獄の底に叩き落とすだけですけどね、あはっ」
こうして、王国を震撼させた雷雨の夜が終わった。
朝。
大勢の民衆に敬愛されたエドワード王の、何者かによって魔導拳銃で射殺された死体が発見された。
その横には、『国宝の才女』ことアンナメリア妃と思われる焼死体もあった。
そして二人の唯一の子で、王位継承権第一位のエリン王女は行方不明になり、今でも見つからないままだった。
王国は暫しの間、王位継承を巡る混乱に陥ったが、やがてその騒動も収まり、民衆たちは何事もなかったかのように日常生活に戻ったのだった。
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「本当に晴れたな」
昼夜問わずの雷雨は三日も続いていた。
しかし遅めの目覚めと共に、今朝ドアを開けたら、アルベルトを待っていたのは爽やかな朝だった。
元王太子、アルベルト、今年で三十三になる。
近頃、領内の子供達に”領主おじさん”と呼ばれても、抵抗感を覚えない自分がいたことに気付き始めたのである。
今の彼は小さな田舎領地を治める、一介の男爵でしかない。
王太子から男爵位に臣籍降下されてばかりの頃、即座にこの新しい生活に慣れたと言えば、嘘になる。
困惑。不服。憤怒。悲しみ。自棄。これらを全部、アルベルトは体験した。
しかしあの断罪の日ーー生まれてから初めて、心より愛したあの少女を失った日から、既に十五年も経っていた。
どれほどの天地異変でも、十五年もあれば、人間は大体のことに慣れる。
つまりどういうことかというと、思いの外、アルベルトは田舎男爵としての生活を快活と感じていた。
「でももう少しだけ早く、この余裕を持っていたらなぁ……」
しかし、この安らぎもたったの一瞬だけで、ズキズキした心の痛みに変わった。
アルベルトの心にぽっかりと開いた穴は、やはり十五年が経っても、癒される傾向は一切なかった。
それほど、リリアを失った痛みが大きかった。
もし自分が断罪なんてバカなマネをやっていなかったら。
もし自分がもっと穏便な手段を取っていたら。
……リリアと支え合って、この田舎暮らしを一緒に過ごせたのではないのだろうか?
「はぁ……」
そう思うと、アルベルトは思わずため息を漏らした。
「領主様ーー!」
そんなアルベルトのメランコリックな雰囲気を吹き飛ばすように元気な声を上げたのは、大きく手を振りながら彼のマナー・ハウスに向かって走って来た、肌が健康的な小麦色に焼けた一人の少女だった。
彼女の名はエッダ、今年で十七歳の少女である。
いつも元気いっぱいな、アルベルトの領民の一人だ。
「エッダちゃんじゃないか。どうしたんだ、そんなに急いで」
「どうしたんだ、じゃないですよ!領主様、今日のお昼に領民会館で集会があるって、前にも伝えたじゃないですか!」
「……やっべ」
そういえば確かに一週間前、エッダからそんな知らせをもらった気がした。
もちろん、アルベルトは今この瞬間まで、それを綺麗さっぱりと忘れていた。
「もー!早く来てください!みんなはもう領主様の到着を待ちきれないですよ!」
「あっ、ちょっ……!」
言うや否や、エッダはアルベルトの手を掴んで、領民会館の方へまた走り出した。
そんなエッダに引っ張られたまま、アルベルトは苦笑した。
確かにこの十五年間、親しみやすい領主になれるように努力して来たが……
まさかエッダを含め、領民の子供達までにこんなに馴染まれるとは、想像すらしていなかった。
まあ、敬遠されるよりは良いけどさ。
そんなことを考えているうちに、二人は領民会館に到着した。
ちなみに走りっぱなしのせいでゼーゼーするアルベルトは、またしても自分がもう若くない事実を叩きつけられたのであった。
「みんなー!領主様を連れて来たよー!」
パタンと領民会館のドアを、エッダは力強く開けた。
そこでアルベルトが見たのはーー
「おおー!でかしたぞ、エッダ!」
「領主様!待っていました!」
「さぁさぁ、領主様!早く入って頂戴!」
質素だが、心を込めて飾り付けられた空間。
テーブルにいっぱい乗せられた、領の特産品で作られた料理や飲み物の数々。
『領主就任十五周年 おめでとうございます!』と、大きく書かれた横幕。
そして、満面の笑顔で彼を迎え入れた領民たち。
「お、お前たち……俺なんかのために、わざわざこんなパーティを用意したのか……?!」
アルベルトは、領民たちが密かに準備していたこの集会の本当の主旨にハッと気づくと、思わず目を潤わせた。
「何を言っているんですか!俺らこそ、アルベルト様にいくら感謝しても感謝しきれませんよ!」
そしたら 、領民の一人が声をあげた。
「領主様が導入してくださった基本所得制のおかげで、一度は死んでいた町の市場は再び活気を取り戻して、あっしたちも初めてただ生き残るではなく、もっと良い生活のために頑張ることができた!」
「わしのような年寄りもみんな、領主様が設置した領民病院と医療保険のおかげで、前よりもずっと元気で暮らせたのじゃからな!」
「僕も!領主おじさんが領民のために学校を建ててくれたから、平民で貧乏な僕たちでも勉強ができたんだ!」
それに釣られたかのように、他の領民たちは次々と感謝の言葉を口にする。
「そしてみんなの感謝の気持ちを汲み取って、このパーティーを計画したのが、他の誰でもない、このエッダです!」
エッダも、ふっふーん、とドヤ顔で胸を張ってアルベルトに自慢した。
アルベルトはそんなエッダの頭の上にぽんっと手を置いて、領民たちの気持ちに応えた。
「俺は……みんなの知っての通り、ダメな男だ。根も葉もない噂を信じて、今の王妃様を断罪しようとバカな真似をした。そんな俺を受け入れてくれたみんながいたからこそ、今の俺がいるんだ。俺はただできるだけのことを、恩返ししただけだった……」
そしてパンッと、アルベルトは手を合わせた。
「まあ、辛気臭い話はここまでにしよう。ありがとう。みんな、ずいぶん待たせたが、パーティを始めよう!!」
「「「イエーーーーイ!!」」」
こうして、アルベルトの領主就任十五周年パーティは始まった。
領民たちは美味しい料理を堪能し、歌いながら踊り出し、そして何よりも、特産品の一つであるワインをがぶがぶと飲んでいた。
太陽が西に沈み始めた頃、全員が全員、良い具合に酔っていた。
そのため、アルベルトがこっそり領民会館から出て、少し距離の開けたところで、沈み行く夕日を見ながらチビチビとワインを飲んでいたのを、エッダ以外誰も気づいていなかった。
「あっ、領主様!いっけないんだー、こんなところで一人でワインを飲むなんて。美味しいワインも不味くなりますよ?」
「あっちゃー、見つかちゃったか。それじゃあ、ワインが不味くならないために、エッダちゃんも一緒にどうだ」
ポンポンと、アルベルトは座っているベンチの隣を叩く。
エッダは何も言わずにそこに座り込んで、そして二人はそのまま何も言わなくなった。
「……領主様、やっぱり王都に戻りたいんですか?」
そんな沈黙を最初に破ったのは、エッダだった。
「えっ?あ、いや、そういうわけで一人酒を飲んでいたわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「みんなに感謝されて、俺はちょっと王都にいた頃のことを色々思い出したんだ」
とアルベルトが遠くの方を見つめながらそう答えた。
「本当は、こんな風に感謝されるべきなのは、俺じゃないんだ」
「え?どういう意味なんですか?」
意味がわからず、エッダは聞き返した。
「エッダちゃんは、俺が王太子でなくなった理由を知っているだろう?」
「うん、まあ……お母さんからはそれとなく聞いたことがあります」
「そう。俺は婚約者だった、今の王妃様を断罪して、彼女との婚約を破棄しようとした。そして俺がそうしたのは全て、リリアという一人の女の子のためだった」
ぽつりぽつりと語り出しながら、アルベルトはそんな自分に驚きを覚えた。
何故なら、彼はこの十五年間、一度も誰かにリリアのことを話していなかった。
大事にしていたリリアの思い出が、誰かに伝えたら何処かへ消えていなくなるのではないかと、心の底から怖かった。
それなのに、今のアルベルトは何の抵抗もなく、エッダにリリアの話を打ち明けた。
……きっと、ワインを飲み過ぎたせいだ。
とアルベルトは思うが、リリアのことを話す口は止まらなかった。
「今の王妃様と婚約を結んだのは、俺が五歳の時だった……が、彼女が俺に愛情を抱いていないことはすぐにわかった。まあ、政略結婚ならよくある話だ。それでも俺は色々努力してみたが、やっぱり彼女からどことなく距離感を感じて、いつの間にか俺も他人を愛せなくなった……王立学園に入って、リリアと出会うまでは」
「あのリリア、様?というのは一体……?」
「あはは、リリアのことを別に様付けをしなくても良いぞ?彼女はエッダちゃんと同じ、平民だったから。それに、彼女は様付けされるのが大嫌いだったしな」
「平民なのに、王立学園に入学したんですか?!」
「そうだ、信じられないくらい賢いだろう?彼女のおかげで、俺も初めて王宮と貴族社会以外の本当の世界を知った。ただ生き残るのが精一杯で、病気になってもお金が無いから医者へ行けなくて、教育なんて考えるのも贅沢でーーそんな人間がこの王国にいっぱいいっぱいいることを、彼女は俺に教えてくれた」
懐かしそうな表情を浮かべながらアルベルトは語り続けた。
「俺がここで執り行った改革も、ほとんどリリアが学園で考案した解決策だったんだ。あの時は”机上の空論”と、今の王妃様や多くの貴族子女に一蹴されたが、今は実際こうしてこの土地で、領民たちの役に立った。だからみんなに感謝されるべきなのは、俺じゃなく、リリアの方だと思うんだ」
「その……リリアさんは、今どこに……?」
エッダは、アルベルトの口振りから何かを察した。
「……俺のせいで、彼女は死んだ。もう居なくなったんだよ」
「死っ……?!」
「ああ。俺はいつの間にか自分がリリアに恋していると気づいた。リリアも多分俺と同じ気持ちだったが、彼女は一度もその感情を打ち明けていなかった。恐らく俺に婚約者がいることを慮って、自分の気持ちを抑えていたんだろう……でもそれが却って、俺をとんでもなく不安にさせた」
気づいた時、アルベルトは語りながら、涙を流していた。
「もし俺が王太子じゃなくなったら、もし彼女を未来の王妃にさせられなかったら……彼女はアンナメリアみたいに、俺のことを好きになってくれない。俺は、偏執的にそう思うようになった」
穏便に婚約解消していれば、リリアと結ばれる可能性はあったが、王太子でなくなるのも確実だ。
リリアを手に入れる、かつ王太子の座を失わないためには、アンナメリアを断罪して彼女の正当性を叩いて、婚約を破棄するしかなかった。
丁度、あの時のアルベルトの手には、匿名で送られた”アンナメリアがリリアを虐めた元凶”の証拠があった。
だから、アルベルトは婚約破棄という、強硬な手段に出た。
「ーーまあその後は知っての通り、俺はリリアと王太子の身分の両方を失った。責任はほとんど俺のほうにあったのに、平民という理由だけでリリアは処刑され、そして王族という理由だけで俺は生かされた。今もこの通り、惨めに一人で生きているというわけだ」
「そんなことが……」
アルベルトの告白を聞いて、エッダは俯いて言葉を失った。
「はは、どうした、エッダちゃん?そんなバカな俺に、失望したんだろう?」
「はい、失望しました」
「えっ」
自虐を込めた質問をエッダにしておきながら、帰ってきたあまりにもストレートな返事に、アルベルトは間の抜けた声をあげた。
「これくらいのことで、あたしや領のみんなが領主様に失望するなんて考えた領主様に、あたしはとっても失望しました」
「あ、あの、エッダちゃん?俺の話を聞いた?だから俺がここで行った改革は全部、リリアが……」
「バッチリ聞いていましたよ!もし領主様が話したこと全部本当なら、あたしはそのリリアさんって人にとっても感謝しています!」
「だったら……」
「それでも!あたしも、そして領のみんなも、きっと領主様に対する感謝の気持ちに変わりはありません!」
「何故だ?!俺は……」
「だって、例えその政策を考えたのがリリアさんでも、それを実現したのは領主様ではないですか!」
いつの間にか、エッダはアルベルトの手を強く握って、彼の瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「リリアさんがいなかったら、改革は起こらなかったかも知れません。でも領主様がいなかったら、それもきっと同じです!この町の、この男爵領のみんなが幸せに暮らせたのは、リリアさんと領主様が一緒にこの世界で生きていた、何よりの証じゃないですか!」
「そんな……俺がしたのは、あくまでリリアに対する罪滅ぼし……」
「それでもです!」
断言するエッダ。
「リリアさんはもういなくなったかもしれません。でもリリアさんは領主様の中で生きているからこそ、領主様は大変な改革を貫けたのでしょう?そして領主様のおかげで、領民たちは幸せを手に入れた。だからリリアさんは今、あたしたちみんなの中にも生きています!」
「みんなの、中に……」
「領主様、もう誰にも認められないことを、誰にも愛されないことを、怖がらないでください!領主様の努力は、ちゃんと報われているのです!リリアさんはあたしたちみんなの目を通して、領主様のことを見ていますから!そしてリリアさんはきっとあたしたちみたいに、領主様のことを心から愛しています!あたしだって、あたしだって、領主様のことがーー」
『ーーエッダ!どこに行ったの!そろそろパーティの片付けをするから、手伝って頂戴!!』
エッダの熱弁を遮ったのは、もう一人の領民、エッダの母親だ。
夕焼けの淀んだ空気の中でもよく通るその声によって、はっとエッダは我に帰って、アルベルトの手を離してあたふたし始めた。
「え、えっと、つまり、あたしが何を言いたいかというと、その、領主様、これからも頑張ってください!それじゃ!」
そして何故か頬を染めながら、エッダはジタバタと領民会館の方へ走り去った。
その慌ただしい後ろ姿を見て、アルベルトは憑き物が落ちたかのように小さく笑った。
「……ははっ。ありがとうな、エッダ」
王都からここに追放されたばかりの時、彼女はまだ二歳の赤ん坊だった。
ずっと親戚の娘ぐらいとしか思っていなかった。
それがいつの間にかこんなに大人になって、まさかこんな風に心を救われるとはな。
しかしーー
「リリアは、みんなの中に生きて、俺のことを愛している、か」
それは、如何にも年頃の少女が口にしそうな、非現実的な言葉だった。
しかしこの十五年間、リリアに対する罪滅ぼししか考えていなかったアルベルトは、その言葉のおかげで、初めてリリアの思い出を抱えながら前へ進める気がした。
リリアは十五年前、王都の牢屋で死んだ。もうどこにもいない。
これは、間違いのない事実。
しかし、もしもエッダの言ったように、リリアはただ別の形に変えてこの世に生き続けているのならーー
「……今度こそ、リリア、絶対に君を手放さない」
「それは、本当ですか?」
独り言のつもりだったのに、何故か後ろの方から返事が返ってきた。しかもエッダの声ではない。
えっ、とアルベルトは振り返る。
そこには、一人の幼い少女がいた。
秋の小麦畑を連想させる綺麗な金髪と、天使のような可憐な外見を持っている。
その顔立ちはどちらかというとアルベルトの元婚約者に似ているが、アルベルトは何故かーーふわふわなピンク髪を持った、小柄で男性の庇護欲を掻き立てる平民少女の面影が見えた。
「……リリア、なのか?」
自分でもあり得ないと思いながらも、アルベルトは気づいたら、思い出の中で大事にしていたあの少女の名を口にした。
しかし少女は、肯定も否定もしなかった。
「あはっ。それじゃあ今度こそ、ちゃんとわたしを掴まえててくださいね、アルベルト様」
ただアルベルトに向けて、手を伸ばした。
太陽は、ほとんど地平線の下に沈んでいた。
しかし最後の日射しが消える前に、アルベルトは、確かに少女の手のひらの暖かさを感じることができた。
軽〜く前作の二倍の長さになりました。
どちらかというと、二つの話を一つの物語の詰め込んだ感が強いでしたが、ここまで読んでいただいた読者の方々、ありがとうございました。
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わたしにとって、それは三度の飯よりも心の糧になりますから。