第四話 ココアをさがせ! 〜問題編〜
僕らが訪れるいつもの喫茶店、喫茶 「ホトトギス」 その店名の通りに、店内にはホトトギスの剥製が飾られている。その他にも切り株や、白地に紫の斑点が入った小さな花の絵が飾られている。自然の安らぎをテーマにした店内だ。古ぼけたラジオがカウンターの横に設置されているが、これだけは店にアンマッチだと思う。ここのマスターはまだ若く、おそらく二十代後半。それか若作りの三十代といったところだ。
店内の一番奥の席。ここは僕らの特等席だ。ここならば店長以外誰の目も届かず密談をすることができる。といっても密談などもはや不要なのだが。
僕はコーヒー、紅葉はカフェオレ。夏紀はココアを頼み、一息ついた。僕らはそれぞれ紙とペンを用意して会話を交わす。もはや不自然ない光景だ。
『今日が始業式だったんでしょ? なにか特別なことしてた?』
『特になに。予想通りプロジェクタを使ってたぐらいだ。きっと紅葉のとこもたいした変化ない寸劇を繰り広げてくれるさ』
紅葉はこの近辺に存在するもうひとつの高校、杜若女学院に通っている。僕らの高校は共学だが、彼女の高校は名前の通り女子高だ。始業式の日程も一日ずれている。春休みが一日長いわけではなく、僕らよりも一日春休みが始まるのが遅かったのだ。
ちなみに夏紀はすでに本を読み始めている。さすがは読書家。
『紅葉の高校はもっと大変だろうな。女子高なんだから』
紅葉は拗ねたように唇を尖らせ、ペンを握りなおす。
『危ないのはもとからだし、別に私はそんなこと思ってないよ』
紅葉は男女差別反対派の筆頭。彼女はことさら女扱いされることを嫌うのだ。剣道を嗜んでいたのは、彼女が道場の娘であったため。ゆえに物心つく頃にはすでに竹刀を握り締めていた。夏紀はその道場の門下生。なんでも幼い頃の夏紀は鼻っ柱の強いガキ大将であったようだ。道場に入る理由も、それは子供らしいくだらない理由だったという。そしてその鼻っ柱を叩き折り、ついでに半ベソかかせたのが紅葉。その日以来、夏紀は丸くなり、紅葉は勝気な女の子へと成長した。
そういえば夏紀が紅葉に勝ったという話は聞かない。
『それによく知らないけど、うちの高校のスポンサーがセキュリティ上げてくれたらしいからね、ずいぶんと居心地悪くなったよ』
『警備員がうろつくとか?』
『そんなもんじゃないよ。学校はカードキーがないと入れなくなったし、タクシー会社と契約して、送り迎えのサービスまでしてるぐらいさ』
それは羨ましい。是非とも我が母校にその制度を導入してはくれないだろうか。
『隠そうとするから見たがるんだよ。堂々としてればいいのにさ』
『さすがは道場の娘。書くことが違う』
僕の文面を見て、紅葉は照れくさそうに笑った。褒めたつもりじゃなかったんだけどな。
マスターがコーヒーを持ってきてくれた。爽やかな笑顔はいつもどおり、僕らの前に飲み物を置いた。続けて砂糖の小瓶を二つ、ミルクの小瓶も二つ置いていく。音が無くなっても、マスターは変わらず音を立てないようにカップを置く。慎重な手つきであり、けれど鈍重な動きではない。洗練された妙技のように思えてしまう。爽やかな笑顔と完璧な会釈で戻っていった。
僕は料理をするが、その味にこだわりを持っているわけではない。おいしければ良し、まずくても栄養があれば良し、だ。だから高い金を払ってまで高級なものを食べようとは思わない。これを紅葉は貧乏性と記す。まあ否定はしない。
けれど、この店のこのコーヒーだけは別だ。別格だ。通を気取るわけではないが、僕の味覚はインスタントコーヒーではもう満足することができない。このコーヒーを啜る瞬間こそ、至福の一時だと断言することができる。砂糖やミルクなど無粋なものは加えずに、ただそこにある黒い液体を体内に浸透させることが嗜みであり、また礼儀であろう。残念ながら紅葉はともかく、甘い物好きの夏紀はこの味を理解してはくれないが。
『それでも夜歩きは避けるに越したことはない』
そう書いて見せると、やっぱり紅葉は納得のいかない顔でカフェオレに砂糖を二つ放り込んだ。続けて僕は記す。
『犯罪に防犯意識を巡らすのは悪いことじゃないだろ。過剰すぎるのはよくないが、銃弾の雨の中に身をさらすような行為は、被害者にも非があると言わざるを得ないね』
『わかったわよ』
『ということで、これからは僕の家まで送ってください』
額をペンで突かれた。これが結構痛い。長年の剣道の腕は衰えをみせず、むしろ磨きがかかっている。きっと僕の額にはペンの痕がくっきりと残っていることだろう。紅葉は怒り笑いの表情をし何やら口走っているが、夏紀と違いいまいちよくわからない。たぶん 「逆でしょうが!」 とか、 「あんたは男でしょ!」 とかだと思う。なんだかんだいって強がっても、やっぱり紅葉は女の子なのだ。
そんな僕らのやり取りを見ていたのかいないのか、す、と横から紙が差し出された。その紙の主は夏紀であり、不審気にというより訝しげに僕と紅葉を見比べている。いや、正確に言えば、僕と紅葉のカップをだ。
『ふたりの飲ませてくれない?』
割と真剣みを帯びた夏紀の表情に、僕と紅葉はお互い目配せをしてカップを差し出した。夏紀はまず僕のカップに手を伸ばし、一口啜る。その表情は歪めたままだ。
次に紅葉のカップにも手を伸ばし、啜る。表情は一瞬緩んだ気がしたが、またすぐに眉に皺を寄せた。
意図がつかめず、僕は紅葉に視線を向けた。けれど紅葉は首を傾けるだけ。やはり意図がつかめない。
最後に夏紀は自分のカップを啜り、やや乱暴にペンを走らせた。
『これはココアじゃない。コーヒーだ』