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第三話 ツアーに行こう

『この本はすばらしいよ』


 始業式を終え、ホームルームも終えた放課後。いくらか生徒の残る教室内で夏紀が興奮冷めやらぬ中ペンを走らせた。


『ただ単純な恋愛小説かと思っていたけど、これほどまでに読者の意表をつくとは思わなかった』


『そうか、それはよかった』


『もしもだよ、もしも主人公がヒロインに冷たく接したらどう思う』


 もしも、だなんて仮定法を使っているが、それは十中八九その小説の内容であろう。それにその尋ねかたならば、王道パターンでないことは明白だ。

 かといって、僕は空気が読めないわけではない。ペンを受け取る。


『ヒロインのためにわざと悪役を演じたんだろ』


 僕の記述を読んで夏紀は、してやったり、というような笑みを浮かべた。


『それが違ったんだ。もしそうならオレは最後まで読まないよ。予想に反し、主人公はまさに悪役だったのさ。ひどい男だよ。かわいいヒロインがぎりぎり怪しむように浮気の証拠を仄めかすんだから』


 ほのめかす、なんて漢字を無理なく書き記すあたり、やはり夏紀はただの馬鹿ではない。そして世間において自分を軽んじさせようとしているのに、そいういった言葉を滲ませてしまうのは、迂闊というべきか鈍いというべきか。


『とすると、その小説はバッドエンドで終わるのか』


『いやいや、そんな単純なものではないんだ。驚いたことに恋敵がヒロインの恋人になってしまうんだよ。たいていの小説で主人公のライバルであり恋敵というものは、得てして恋愛の勝者になることはできない。なのにこの小説の中では勝者になってしまうんだ。それもごく自然に当然に』


 僕の中で確固たる事実が出来上がった。もうその小説を開くことはないだろう。


『しかもこの主人公がずる賢いというか小賢しいというか。ヒロインに対しては気持ちが残っていながらもしぶしぶ冷たい対応をしている、というような痕跡を残す。そしてライバルには完全な悪役としての顔を見せるんだ。ライバルとヒロインは食い違いすれ違い、読んでてハラハラドキドキだよ』


 僕は筆箱からペンを取り出す。放っておくと余白が続く限り書き続けそうだ。


『それはよかった。それで? ただ感想を伝えにきたわけじゃないだろ』


 僕の文章に夏紀は驚きと苦笑が入り乱れたような顔を見せた。ペンで手帳を叩くと、わずかばかり喜びを含んだ表情でペンを走らせる。


『久しぶりに文勢堂ツアーに行かないか』


 その記述も久しぶりだが想定通り。考えるまでもない。どうせ放課後は暇なんだ。







 夏紀との文勢堂ツアーは久しぶりだ。僕らは仲が良いほうだが、休日に互いの予定を合わせるほどではない。となると、たぶん二年の三学期以来ということになる。

 ツアーなどと大仰な言葉を使ってはいるが、近所の書店に立ち寄り、購入した本を喫茶店で読むだけのこと。その書店が文勢堂というためこのネーミングなのだ。もちろん言いだしっぺは夏紀。

 僕の家と学校のちょうど中間地点にある文勢堂は、この辺では最も大きな書店。教科書の販売やこの近辺の受験生はここで参考書を購入する。学校帰りに立ち寄ると必ずといっていいほどうちの制服を見かける。だからなのか、僕はあまり進んで入りたい店ではない。やましいことがあるわけでもないが、知り合い以上友達未満の人間がいるのはあまり気分がいいものではない。

 僕がこの書店に入る理由は三つ。文房具の購入、文勢堂ツアー、そして紅葉もみじという女に呼び出されたときだけだ。

 花坂はなさか紅葉は他校生であるが、夏紀とは小学校が一緒の幼馴染。そして文勢堂でアルバイトをしている。夏紀とのツアーを重ねるうちに顔見知りとなり、いつしか紅葉もツアーに加わるようになった。紅葉が僕を呼び出す理由は往々にして新作本を読んだときに滲み出る感情の発散。要は愚痴だ。無音の病に罹ってからは回数が減ったが、それでも月に何度か呼び出しをくらう。文字で己の気持ちを表現するよりも感情でものを言うタイプであるから、文章で気持ちを伝えるのに煩わしさを覚えているようだ。結局、最後にはジェスチャーで感情を伝えようとしてくる。

 文勢堂に行くと、今日も紅葉はアルバイトをしていた。レジで伝票整理をしていたが、こちらに気づくと笑顔をみせ、手招きしてくる。その手には紙とペンが握られていた。


『これからあそこ行くんでしょ? 私も行くよ。あと少し待ってて』


 夏紀がすでに話を通しているようだ。僕は頷いた。

 紅葉はロングの黒髪を無造作に後ろで結んでいる。身長は女子にしては背が高いほうで、エプロンがよく似合っていた。幼い頃から剣道を嗜んでいるらしく姿勢がいい。活発な町娘を連想させる笑顔をもっている。

 邪魔になっては悪い。とりあえずアルバイトが終わる時間まで本を物色することにした。夏紀は迷わず小説コーナーへ滑り込む。何冊か手にとり、裏表紙のあらすじを読んでは次の本へ、それが終わるとカニ歩きで次の棚に移る。こうなってしまえば声をかけるのは野暮というもの(まあ声はかけられないけど)。僕は適当に店内をぶらつくことにした。読みたい本は特にない。興味本位に何冊か手に取ったが、目を惹く本は見つからなかった。

 そのうちの一冊に、夏紀が読んでいた本を見つけた。タイトルは 「ふりしきる嵐の気配」 とてもじゃないが題名からは恋愛を想像できない。何かと問われればアクションか、冒険ものを連想させる。一応、あらすじを読んでみた。



《しずきの冷たい態度に感情を凍らせてゆく姫菜。勝久の思いに気づきながらも、姫菜はしずきを忘れることができない。しずきの愛を求めて、姫菜はしずきの跡を追う。そこで目にしたものは、勝久としずきの決闘だった》



 読まなくてもよかったかもしれない。あらすじを見ただけで読む気の失せる、もとい先が読めてしまいそうな展開。意表をつくドラマを用意しているようだが、これでは購入意欲が殺がれてしまうだろう。もっと頑張ってくれよ編集さん。 

 結局僕は手軽な料理本を開いて暇を潰すことにした。近年世間の料理に対する反応は、ついに男性と女性の垣根を越えてくれたようだ。料理を嗜む身としては嬉しい限りである。今度は日常的な家庭料理ではなく、中華に手を出してみよう。

 そんなことを思っていたら、肩を叩かれた。振り返ると、購入したばかりの本を脇に抱えた夏紀、制服に着替えた紅葉が肩を並べていた。紅葉は僕の読んでいる料理本を指差し買うのかどうか尋ねてくる。首を振って料理本を棚に戻す。出口を指差した。

 ようやく、午後になった。お腹すいたな。


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