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第二話 無常なる無音の日々 上

 高校三年生に見事進級することができた。きっと大学に進み、社会に飛び立つのだろうと思っている。無音の病が発症し世界に定着してはくれたが、それで世界が安定したわけではない。これから世界の常識がことごとく変容していくだろう。

 けれどその事象に頭を捻らせるのは僕ではなく世界の指導者たちだ。これから彼らの活躍に期待しよう。テレビではアナウンサーが手話をするようになったり、字幕が頻出するようになっているらしい。僕が何もしなくとも、世界は流れていく。

 というわけで僕は高校に登校する。今日は三年生初日、クラスが発表される日だ。長期休暇の気怠さと里帰りのような新鮮さがうちから漏れ出ているのがわかった。僕もまだまだこどもだ。

 家を出ると隣のおばちゃんに会った。どうやらごみを出した帰りのようだ。愛想のような笑いを浮かべたので、儀礼的に頭を下げる。おばちゃんは無音の病にかかったのはごく最近、この近辺では一番遅かったらしい。それまでは小さなことでヒステリックになっていたらしいが、今では随分と丸くなってしまった。彼女の頭の中で何らかの損得勘定が働いたのだと僕は推測する。逃げるように家の中に入っていくのを尻目に、僕は門を出た。

 通学路を歩いている間にも多くの人とすれ違う。犬の散歩をしていたり、早朝ランニングをする元気なおじいさんもいた。たまに自転車に乗って通学する学生も見られたが、乗り物に乗る人間は極端に減っている。道路で大の字になるのは危険だけど、信号はあまり意識する必要がなくなった。機械的に点灯を繰り返すだけであり、それに従って動きを止める鉄の塊は見ることができない。音楽関係だけでなく、自動車業界にも不況の波が訪れているようだ。

 校門を抜けると我が母校。昇降口の横に大きくクラスが張られている。その前にはまだ誰もいない。喧騒から避けるため、こういった日には誰よりも早く登校するのが常だ。喧騒とは無縁になってもその癖は消えない。自分のクラスを確認して校舎の中に入った。

 クラス掲示の横に今日のスケジュールが記されていた。そこには「校長先生のお話」 と組み込まれていたが、いったいどうやって伝えるのか僕にはわからない。少し前までは全校生徒の一部が無音の病にかかっていたが、もはや無音の病は病でなくなっている。それともまだ校長先生にとっては病なのだろうか。幸運なのか不幸なのかわかりにくい。その感覚はもはや誰も理解できない。

 教室にはやはり誰もおらず気配もしない。名前順に座るであろうことを想定して自分の席に座った。朝の透明感のある陽光は心地よく、触れると体内の膿を削ぎ落とされる快感を得ることができた。きっと聴覚に頼らなくなっただけ他の感覚が鋭敏になってきているんだろう。陽光に指先を絡めながら貴重な一時を満喫していた。


「………………」


 扉が横にスライドされる。音もなく、彼は教室に飛び込んできた。文字通りに、飛び込んできた。

 

「――――――――――――――――」


 突然の闖入者ではあるが、僕はたいして焦ることはない。理由は二つ、ひとつは彼がこのクラスであることをすでに確認している。もうひとつは、彼は元々こういう珍妙なことをする人間だからだ。

 教卓の前まで滑り込んでくると、彼はなにやら口を動かしている。決め台詞を口にしているのはわかるが、その内容は一切伝わらない。この無音の世界で僕の知る限り口の動かし方を忘れていない唯一の人間だ。決め台詞を言い終わると満足したのか、僕に向かってなにやら口を動かした。たぶん 「おはよう」 だろう。片手を挙げて朝の挨拶に代えた。

 僕の前のいすに逆向きに座ると、彼は懐から手帳とペンを取り出しなにやら文字を書く。それを僕に見せてきた。


『今日はどれぐらい登校してくるかな?』


 手帳とペンを受け取り、一行空けて返事を書く。


『いくらか増えるだろう。慣れてきた人も多い。女子はわからないけど』


 病が発症してから当然のように治安が乱れた。その中でも特に槍玉に挙げられたのが、強盗と性犯罪だ。

 犯罪者が最も警戒するのは人目であるが、音も犯罪を成功させる重要なファクターである。音は人目を引き付ける。人を誘拐するときには夜道で口を塞ぐのが常套手段。足音を忍ばせるのは犯罪に限らず、様々なことで応用するだろう。けれどこのスキルはもはや誰もが実践できてしまう。極端な話、真後ろで人が惨殺されようとも僕らは気づくことができない。いくら叫び声を上げようとも、気づいて駆けつける人間は皆無。

 おかげで夜はもちろん、昼間であっても女性の一人歩きは危険極まりないのだ。


『楓は変わらないな』


 鴻巣こうのすかえで。それが僕の名前。とはいっても、もはや名前は書類上で分類されるための記号に過ぎない。複数の人間と話すことは稀であり、仮にその機会があっても視線で水を向ければ事足りる。筆談は複数の人間との会話には向かないのだ。


『僕は夏紀のほうが変わらないと思う』


 秋口あきぐち夏紀なつき。闖入者であり珍妙であり珍奇な同級生の名前。顔つきは黙っていれば女子に人気がありそうではあるが、子供がそのまま大人になったという言葉を体現している存在。といっても、頭が鈍いわけではない。わざと道化を演じているのでは、と思ってしまう一面もある。そのたびに夏紀はおどけてそらしてしまうのだが。

 夏紀は苦笑するだけで何も返答せず、昨夜近所で発生したらしい交通事故の概要を書きつらった。僕はそれに対してあまり興味が湧かず、適当に相槌を打つだけでペンはとらなかった。

 予鈴が鳴る頃には(もちろん音はしない。教室備えつきのランプの点灯がその代わりになっている)教室内にそれなりの人間が集まってきていた。満場一致に全員出席とまではいかないが、不良を除きたいていの人間が集まっている。どうやら女子は一塊になって登校したらしい。やはり大変だな。

 想定通り名前順に座ることになった。教師が今日のスケジュールを黒板に書いている。退屈な始業式を体育館で行い、教室に戻ってきて解散。まあ、これも想定通りだ。教師の合図で僕らは体育館に向かった。


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