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第1話 沈黙の令嬢 リターシャ・サルナンデ公爵令嬢

「沈黙の令嬢」それが私の通り名です。


 私、リターシャ・サルナンデ公爵令嬢は、声が出ません。


 産まれ落ちたその時より産声すらあげることなく、不思議と震える声帯からは声が発せられることもなく、それでも特に悲しみに暮れることなく生きて参りました。


 お喋りなら沢山できましたから――。



 私は、これでもお喋りなのです。


『おはよう、リタ、愛しい子』


『おはよう、リタ、朝だよ』


『おはよう、リタ、今日もお喋りしよ』


『おはよう、リタ、今日はお花を摘も』


『おはよう、リタ、今はお歌を歌って』


『おはよう、リタ、愛しい子、笑って』



『おはよう!精霊さん達。お歌はお花を摘みながらにしましょ?お喋りは顔を洗ってからよ』



 そう、人間相手ではないのだけれど――精霊さん達に対してなら、私はお喋りなのです。



「お嬢さま!またそのような冷たい湖の水でお顔を洗われるなんて…風邪を引いてしまいますよ!ぬるま湯をこちらでご用意致します!」


 森林深くにある湖の近くのこの別荘で、私は数少ない使用人と乳母であった侍女と暮らしている。


 療養すれば失われた声が取り戻せると信じている両親の願いで、社交界デビューをするまでの間、この自然の中で私は幼少期をほぼここで過ごしている。


 人と出逢うことも少ない、この場所で。妖精と共に。



『あら、おはよう!ジェネス。冷たくてとっても気持ちいいのよ?』


「はい。おはようございます。お嬢さま。私の名を呼んで頂け幸せでございます」


 ジェネスは私の侍女。私の声が聞こえるわけではないのだけれど、それでも読み取って笑顔を向けてくれる。とっても優しい笑顔で今も私を娘を見るような目で見つめ返してくれている。


「ですが!公爵令嬢ともあろうお方が侍女を待たずに湖の水で顔を洗うなど、以ての外ですよ!」


 優しい顔から怒った顔を作って、拭き足りていなくて濡れてしまっている前髪に、繊細な壊れ物に触れるようにそっとタオルを押し当ててくれている。


 言葉で怒ってみせても、行動が慈しみで溢れていて、ちっとも怖くないんだから。


『ごめんなさい。この子達が急かすものだから…それに湖の水は一度沸かさなくとも、とっても綺麗なのよ』


「あら、そんな笑顔でこちらを見ても許しませんよ。湖の水は綺麗だとおっしゃりたいのでしょう?冷たいと私はお伝えしているのですよ!言い訳にはなりませんよ」


 この子達…妖精のことはジェネスには見えないみたい。絵に描いて見せてみたり、文字で伝えたりしたこともあるのだけれど、なぜか都合よくそういったことを記した紙は風で飛んでしまったり、水で汚れて読めなくなってしまったり、敗れてしまったりするの。


 だから、未だに伝えられないまま、伝えようとすることもいつしかしなくなっていた。見てはいないからおそらくになるのだけれど、妖精さん達が邪魔をしていると思ったから。


 この子達、よくイタズラはするけれど、なんとなくそれは伝わることを阻止したくて繰り返ししているんじゃないかと思って。そう察してからは、伝えて欲しくないのかもと黙っていることにした。

 イタズラは、相変わらずあるのだけれど、ね。


 ああ、今のは別よ?声に出しても、私の声は届かない。こうやって、話しても私の声は精霊にしか聞こえないのだから。好き勝手話しても大丈夫だったりする。


『ジェネスには適わないわね。今度から、ちゃんとあなたが朝起こしに来てくれるのを待つわ』


 優しく髪を拭ってくれている侍女に心配させてはいけないわよね。拭き終わると同時に、次は待つと彼女に伝える。


「まぁ、お嬢さま。それが続かないことはこのジェネスにはお見通しですのよ?すぐまた自然に惹かれるように、気付けば湖に入ってしまうのだから」


 そう。なぜかとても惹かれるのだ。

 月夜の中で、湖に浮かぶ月に触れたくて、思わず寝間着姿のままで深夜の冷たい湖へと足を運んでしまった時は、まるで入水自殺でもするかのようで、ジェネスを慌てふためかせてしまったものだ。


 あんなに取り乱したジェネスは初めて見た。


 私は自然に愛され過ぎていると、彼女は思っている。いつか、私を奪われるのではないかと、そこまで儚いつもりはないのだけれど、彼女はとても心配してくれるのだ。


『ごめんなさい。ちゃんと夏だけにするわ』


「まぁ!夏でも夜の入水は禁止なんですからね!溺れてしまったら大変なんですから」


 ちゃんと私もタオルを持って出たのに、私の手の拭き足りないところを気にして、片手ずつ手に取ってはタオルを優しく押し当てながらも、尚も説教を続けている。そんなテキパキと動く彼女に思わず笑ってしまう。


『もうしないったら。本当よ?』


 私が笑うと、彼女は困った子を見る目で諦めたように笑い返してくれる。


「ええ、信じますよ。お嬢さま。すぐに温かいスープをお持ちしますから、大人しくしていてくださいね」


 まるで反省のない私の返事に、手を拭き終えた彼女が腰に手を当て、ぷりぷり怒る仕草をしながら釘を刺す。そして私にブランケットをかけ、外で食事をしたがる私のために、温かいスープをとジェネスは中に戻っていった。


『朝からそんなに甘やかさなくていいのに…』


 朝一番でこれである。勝手に外に侍女を待たずに湖の水で顔を洗っていた私に、小言を言いながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女は、朝食すら私の願いを叶えるために外へと運んでくれるのだ。


『ほんと、過保護なんだから…』


 湖に映る自分自身の姿を見る。私を取り囲むように光る不自然な光が湖に映るのを眺め、忙しなく動く光に思わずクスリと微笑んでしまう。



『リタ、お喋りはまだ?』


『リタ、お花は摘める?』


『リタ、お歌もまだよ?』


『リタ、リターシャ、愛しい子』



 声が出なくとも悲しみに暮れることなんてない。だって今日も、私の周りはこんなにも賑やかなのだから――。

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