俺だけが蘇生魔法を使える!
プロローグ
あれはいつの事だっただろうか。
朝、息苦しさで目覚めた俺の瞳に、号泣する母さんが映ったのは。
俺の首に何重にも巻かれた延長コード越しに――。
何度聞かされただろうか。
『お前は要らない子だよ』という嫌味を。
なら、何故俺を産んだ?
俺は幸せを求めてはいけなかったのか?
母の日は、生憎の嵐だった。
遠く離れた山間の墓地で、独り手を合わせる。
周囲からマザコンガチ勢と言われようが、俺は母孝行に全てを費やした。
母さんの為に文句一つ言わず家事をこなした。あちこち旅行にも連れて行ったし、欲しい物はバイト代を惜しまず買ってあげた。母さんの具合悪くなった時には学校を休んで看病し、入院が決まった時には就職する為に高校を中退する決意さえした。
俺にとっては、価値観を否定したがる友人なんかより、当然、他の女なんかより、もっと言えば、見たことも聞いたこともない父親や祖父母なんかより、ずっと母さんが大事だった。唯一の肉親だからという理由ではなく、俺に生きる“目的”を与えてくれたから――。
結果の伴わない努力ほど惨めなものはない。
結局、母さんから『お前を産んで良かった』という言葉は貰えなかったのだから。貰えたのは『ごめんなさい』という最期の言葉だけ。欲しくもない謝罪に、俺は返す言葉が出なかったのを鮮明に覚えている。
そして、気付いたときには三十路の階段を上っていた。いや、正確には高層ビルのエレベーターのように、止まることなく一気に上昇していた。
振り返ると、何と虚しい人生か。
母さんを振り向かせる為に精一杯生きてきたと思っていたのに、結果を得られなかった途端、全てが脆くも崩壊していった。
俺に残されたのは、半年ほど生き残れるかという僅かなお金と、心身ともにボロボロになった己だけだった。
それでも、俺は母さんを恨んではいない。生まれ変わったとしても、また母さんの子になりたいと願う。そして、今度こそ――。
その時、ゴゥゴゥという爆音と共に、天を切り裂くような雷光が見えた。
一瞬、俺の視界が光で満ちた後、魂に突き刺さるような電気が走った!
それと同時に、脳裏に刻まれるメッセージがあった。
『汝に蘇生魔法を与える――』
身体の奥底から力が湧いてくるのを感じた。
この心の猛りは何だ!
歓喜?
いや、違う。
興奮?
間違ってはいないが正確ではないな。
使命感?
それも少し違う。
生きる目的?
そう、それだ! 生きる目的だ!!
墓標の脇に転がる蝉の亡骸にそっと触れる。
俺の全身を駆け巡るこのエネルギーは、俺の生きる目的なんだ!!
豪雨の中を喚き散らして飛び去る蝉を見上げながら思う。今、此処から俺の第二の人生が始まったんだと――。
★☆★
ネカフェ店員の冷たい視線を無視し、びしょ濡れの身体をソファに沈める。
PCを起動すると、まずはフリーメールのアカウントを取得した。次に、あちこちの掲示板を飛び回り、メッセージを書き込み続けた。
『死者蘇生承ります。
報酬は応相談、連絡はメールのみ。angel_wing@freexxxx.co.jp』
僅か数分でメールが届いた。
『通報しますた』
『精神科にどうぞ』
『誰が低脳詐欺にひっかかるか、バーカ!』
……
十通単位で同類のメールが届いた。でも、俺は笑ってスルー出来た。当然の反応だし、俺でも同じように送るだろうから共感さえ抱いたくらいだ。
その中に埋もれるようにして、こんなメールがあった。
『奇跡が本当に起こせるのでしたら何でもします、助けてください』
それは、詐欺師に対して詐欺を働くような悪質なものではなく、真に切羽詰った者の、魂の叫びに似ていた。俺は躊躇うことなく返信した。
『何処に行けば良いですか?』
駄メールを挟むことなく、返事はすぐに来た。
『東京都江戸川区の○△病院の救急連絡口でお待ちします』
近いな……まさか、警察の罠じゃないだろうな?
いや、そもそも俺自身に詐欺の意図はないし、病院でなら俺の力を証明しやすいはずだ。ちょっと怖いが、金に余裕がない今となっては、背に腹は代えられない。思い切って行ってみるか……。
『では、1時間後に』
『お待ちしています』
★☆★
雨の中、電車とバスを乗り継いでその病院に着いた時には、既に日が沈みかけていた。
意外と大きい――。
住宅街の中に高く聳える白亜のそれは、母さんが居た所とは雲泥の差だった。
パーカーのフードを目深に下ろし、人通りの多い入口を避けて遠回りをする。俺くらいの体型の男は腐るほどいるし、顔だって普通だと思うが、なるべく目立たない方が良いだろう。まぁ、気にし過ぎると逆に怪しいんだが。
救急車が停車する脇を抜け、“救急用”と書かれたドアを開ける。
すると、本当に居た――。
「どうも」
「貴方が例の方ですか?」
「はい。ここではアレなので――」
「あ、そうですね。案内します」
四十代、いや五十代だろう。品の良さそうな服を着た中年のおばさんだった。窶れ果てたその姿に、俺は無意識に母さんを重ねていた。
階段を下りるにつれ、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
時々聴こえるのは、鼻を啜るような音だけ――。
そんな薄暗い廊下を、俺たちは無言で歩き続けた。
長い廊下の突き当たりのドアがゆっくりと開く。
暫くして、怪訝そうな顔をした初老の男性が出てきた。
「あなた、この人が連絡を下さった方です」
「そうか、では中へ」
「はい、失礼します」
俺はこの部屋を知っている。つい最近来たばかりだし。
暗く沈むその部屋の奥に、布を被せられた遺体が横たわっている。
「私は信じちゃいないが、信じたいとは思っている。騙されても構わない、一瞬でも夢を見たいと思っているんだ。だが、もし娘を冒涜するような真似をしたら……」
一度も目線を合わさず、終始俯き気味で静かに語る男性――。
その、震えるほどに固く握りしめられた拳に視線が釘付けになる。ケンカで負ける気はしないが、何故か俺の全身を悪寒が走っていた。
俺自身、自分が目覚めたこの魔法の力に確証を得ていたわけではない。あの時脳裏に刻まれたメッセージと、飛び去る蝉の声を聞き、十分な検証もしないまま、ただただこれが自分の生きる目的だと信じてここまで来てしまったのだから――。
「報酬の件ですが……」
俺は思考を放棄し、極力無感情を装って切り出した。
「生き返ってから答えると言いたいが……神は不誠実を認めんだろうな。分かった。着手で100万円、万が一娘が生き返った場合には、さらに君の望む物を与えよう」
失敗しても100万円か……。
いや、駄目だ。失敗したら走って逃げるしかないだろ。くそっ、本当は交通費くらいは請求したいけど、無理だな。
逃走経路を素早く確認し、腹を決める。
「分かりました」
正直、蘇生魔法の使い方なんて分からない。
でも、何だろう……この胸の奥で蠢くエネルギーは。これが魔力というやつなのか?
とりあえず、目を閉じ、その不思議な力を左手に集めるイメージをする。
熱い力が体内を駆け巡り、縦横無尽に暴れまわる。
精神を一層左手に集中させ、マグマを導く道を拓く。
すると、俺の左手の掌から銀色の光が溢れ出してきた!
その瞬間、再び脳裏をあの声が過ぎった――。
『死者の心の臓に触れ、魂を呼び戻すのだ――』
心臓?
でも、この人って女性だろ?
くそっ、どうにでもなれ!
俺は右手で布を払い、服の上から左手を女性の胸部に当てる。
粘土を触るような微妙な感触――。
一種の罪悪感からか、女性の顔を見てしまった。
息を呑むような綺麗な顔だった――。
若そうだな、二十歳くらいか?
病死なのか、それとも事故死なのかは分からないが、惜しまれて亡くなったであろうことは感じ取れた。
「この者の魂よ。再び肉体に還れ!」
祈りを込めた言葉が、自然と口から漏れてしまう。
それが鍵になったのか、俺の左手から迸る光の奔流は彼女の身体を優しく包み込んでいく――。
そして――俺の左手に、彼女の鼓動と体温がしっかりと伝わった。
「まさか! まさか本当に……」
「あぁ、こんな奇跡が起きるなんて……」
俺の膝元でひれ伏す両親と、目を見開き、自分が置かれている状況を整理しようとする娘を目にした途端、俺の頭を激痛が走った!
割れんばかりの頭痛が瞬時に俺の意識を刈り取ろうとする中、脳裏を掠める文字列があった――。
一瞬だけ見えたそれは、確かにこう刻まれていた。
『汝の一年間の命と引き換えに――』
★☆★
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう」
初めて見る天井だった。
俺はどのくらい気を失っていたのだろう。
上半身を起こして気付く。いつの間にか綺麗なベッドで寝かされていたようだ。ここは病室、じゃないよな……この子の自宅?
「ぐはっ!」
俺は、あの激痛を思い出すと同時に、頭を猛烈に掻き毟った。そして脳裏に刻まれた残像をなぞろうと、意識を深層へと導く。
ゆっくりと目を開けると、心配そうに見つめる彼女がいた。
「大丈夫だから。もう少し休ませてくれ」
「はい――」
何か話したそうな雰囲気の彼女を手で制し、再びベッドに横たわると、布団を被って目を閉じる。
昔から考え事をするときはこうしていた。殻に籠る貝のように、現実と夢想の境界線を漂いながら思考に耽る。こうしていると、万が一寝てしまっても首にコードを巻かれる心配はないから。
ふぅ。
蘇生魔法の代償――それは俺自身の寿命ということか。命は命でしか償えない、そういうことなんだな。俺の残りの寿命なんて知らない。これから死人を生き返す度に己の死に怯えるのか。
いや。
本当は、死ぬことなんて恐れてはいないだろ。少し前まで生を閉じようとさえ考えていたじゃないか。なら、死が迫ったとしても気にすることはない。他人を生き返すことが俺の生きる目的なら、生ある限りそれを全うするのみだ。
だがな、俺よ。決して勘違いするなよ?
お前は聖人君主でも何でもないからな。宗教を始めるのも、力に驕るのも無しだ!
お前はただ惰性で生きるだけの弱い人間。大を望んでもお前の小さき器では何も受け取れないんだ。思い出せ、何も得られなかった過去を、虚しさに翻弄された人生を。
だから――――。
照明の消された部屋で、再び目が覚める。あれからすぐに寝入ってしまったらしい。しかも長時間――。
暗がりに慣れた頃、ふと隣を見やると、俺が蘇生した子がベッドの横に座って目を閉じている。改めて見ると若くて可愛い子だ。その隣には俺に依頼をした例の女性――彼女の母親もいた。
「何と言えば良いのか……兎に角、ありがとうございました」
母親の声を聞き、娘も目を覚ました。
「あ、私は――」
「名前は言わないで。君自身のことも含め、全て」
立ち上がり、律儀に自己紹介を始めようとする彼女を、俺は慌てて止めた。
「どうしてですか……」
自然に整った眉をへの字に曲げて反論する彼女に、静かに諭すように伝える。
「俺の能力にかかわるんだ」
「えっ!? そうなんですか、分かりました……」
いや、嘘なんだけどね。本当は興味がないだけ。
でも、効果覿面だったようで、彼女は口を閉ざして考え込んでしまった。
すると、代わりに母親が口を開く。
「お名前もお訊きしない方が?」
「はい、申し上げられません」
「そうですか。では、お約束の報酬の件ですが、ご希望はありますか?」
「報酬……」
すっかり思考から抜け落ちていた……。
お金は100万円も貰えれば、今の俺には十分だし、車を貰っても免許がない。家はあるし、今は特に欲しい物なんて何にもないんだけど――。
「思い浮かばないようでしたら、こちらから提案させて頂くことは可能でしょうか」
「提案、ですか?」
★☆★
「社長、ここにサインをお願いします」
「うん、これで良い?」
「大丈夫です。次はこちらに――」
母の日から今日で四日目。まさか、俺が社長と呼ばれる日が来るなんて想像すらしていなかった。忙しく走り回るバイトを見ながら、柔らかいソファの上にふんぞり返って天井を見上げる。
あの夫婦の提案はこうだった。
夫婦が経営する会社の子会社に俺を迎え入れる、それも社長として。そこは社員十名の小さな会社で、本業は企業向けの人材派遣らしい。都内に事務所が設けられてはいるが、社員は全て現場に直行直帰し、月例会議で出社する程度。そして、高校に通う娘を俺専属の秘書として働かせる、というものだった。
最初、俺を金儲けに利用するのかと憤った。
しかし、聴けば聴くほど俺自身の底が見えた気がして、羞恥心が胸を抉る。三十にもなって何も考えていなかった自分に――。
話を纏めるに、税金対策と安全対策だ。蘇生によって金品を貰う場合、今のままだと脱税の謗りは免れ得ない。それに、魔法のことがバレてしまうと、俺を拉致する輩も現れよう。そのW対策として、既存の会社を隠れ蓑にし裏でこっそり動くべきだ、と。
それでも、独りこっそり生きようと考えていた矢先の、まさに青天の霹靂のように出た話に、俺は何度も辞退の意を伝えた。
その度、涙ながらに懇願し続ける彼女に辟易し、とうとうお世話になることを決意した。そうせざるを得なかった――。
「社長、依頼が三件入りましたが、どうします?」
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、兎のようにスキップしながら走り寄る彼女の顔は、常に無邪気な笑顔で満たされていた。
プリントアウトされたリストを俺の机の上に並べた後、急に真顔になって吟味し始める彼女は、都内の進学校に通う高校二年生だそうだ。
彼女は生き返った翌日から普通に学校に通い始めていた。まぁ、通夜もしていなかったし、友人の誰もが知らない急死だったらしいからそこは問題がないとは思う。でも、部活も生徒会も予備校も辞め、俺ごときの為に週七日もアルバイトをするという点は大問題だろう。
「離れていますね。飛行機にしましょうか」
ふとリストを見る。
・82歳男性、山口県在住の政治家
・12歳女性、京都府在住の中学生
・54歳男性、北海道在住の企業家
もうフリーメールでの募集はしていない。
彼女の提案で、セキュリティのしっかりした会員制のサイトに限定したんだ。
でも――。
「あのさ、全員を生き返らせるの?」
「え? 生き返してほしいって希望ですけど?」
「誰の希望?」
「誰って――」
「依頼人でしょ? 本人ではなく」
「だって、本人は依頼出来ないもん! 出来るならするよ!」
「皆が皆、生きることが幸せだと思うか?」
「そんなの、私には分からないよ!」
口を尖らせる彼女から視線を外し、俺はリストを見ながら訊く。答えなんて最初から期待はしていない。だって、俺自身が既に生きることに幸せを見出だしていないのだから――。
「でも、私は生き返って幸せになれたよ? だからこそ思うんだ。力があるのに使わないのは勿体ないって!」
これが、頭の良い彼女が捻り出した答えなんだな。
力を使わないのは勿体ないんだ、たとえ俺の命を削っても――。
なるほどな。そもそも俺なんかには、命を選ぶ資格なんて無いんだろうな。当然、幸せになる資格も。凄い力だと思ったけど、ある種の罰ゲームじゃん。良いよ、受けてやる。どうせ惰性で生きる余生だ。他人に全てくれてやる。
「社長命令な。蘇生対象はお前が決めろ。報酬だけ俺が決める」
★☆★
「社長、今の報酬は何ですか! 前の、声優のサインならまだ許せるけど、いや、十分おかしいよ? でも、最後のは何なのよ!」
「いやぁ、可愛かったからさ……」
「中学生とデートとか、ただの変質者でしょ! ううん、それ以前にそんなの命と釣り合わないじゃない!」
「お前さ、命の価値なんて分かるの?」
「お金で計れない事くらい理解してるよ!」
「即答か、凄いな。俺的にはね、価値の高そうな人は無償でも良いけど、価値の低い奴にはふっかけるつもり。そもそも釣り合わせようなんて、ハナっから思ってないんだよ。反比例万歳だ」
「え……」
「次行くぞ。初北海道だ」
「私は……」
「ん? 行ったことあるの?」
「ううん、何でもない……」
「5億って……」
「ふっかけるって言っただろ? 案外儲かってそうだったし、俺らも軍資金必要だし。相手には運が悪かったと諦めてもらうしかないな」
「意味が分からない」
「安くても高くても文句言うのな」
「そういう次元じゃないの!」
怒らせて悪い。
でも、俺の命くらい俺が決めたいんだわ。
★☆★
週末になる度に全国を飛び回る、そういう生活が二週間続いた。
楽しみにしていた京都観光(JCデート)は、音信不通の為、独りでの傷心旅行に変更となった。
秋の嵐山を独り歩く俺の頬を熱い涙が伝う。
裏切られた悲しみからではなく、母さんと何度も歩いた記憶がフラッシュバックしたからだ。
我慢仕切れず、新幹線でとんぼ返りした俺を、彼女は笑って迎えてくれた。女子中学生に振られて泣いて帰ってきた俺を。
「しょうがないなぁ、私がデートしてあげるから元気だしなよ」
彼女の無邪気な笑顔に、俺は救われた気がした。
緊張で前の日は眠れなかった。
朝十時に駅前の時計台で待ち合わせ――。
二十分前に着いた俺に、彼女は笑顔で手を振る。
普段通りの地味な服装の俺に対し、彼女は不釣り合い過ぎた。清楚で可憐な美少女という形容が相応しい。肩より少し長いサラサラの黒髪がそよ風に靡く。慌てて髪とスカートを押さえる手は白魚のように透明感がある。服の種類なんて分からないけど、膝上丈のスカートから覗く白くて細い脚に、俺の目が釘付けになる。
恥ずかしさから、震える足を鼓舞して通り過ぎようとした俺――その腕を捕まえて力一杯に抱き寄せる彼女。腕に伝わる柔らかな感触が、すぐ近くにある飾らない綺麗な笑顔が、俺の赤面度をMAXにする。
「み、見たい映画は……?」
「恋愛モノ!」
羞恥心を誤魔化す為に出たセリフも、即答で返されたんじゃ呼吸すら整わない。話し掛けようにも、喉を何かが塞いでいるような異様な感覚が邪魔をする。俺ってこんなに女性に免疫がなかったっけ。
本来は歳上の男性がリードすべきなんだろうけど、俺には到底不可能なミッションだった。情けなくも彼女に引っ張られておろおろするばかり。
デート自体は普通だった。
映画を見て、ファストフード店で感想を語り合う。サービスで貰ったコインが無くなるまでゲーセンで遊び、駅前の商店街で服や本を物色した後、安いファミレスを選んでの夕食――。
大金や魔法の力を手に入れた人間とは思えないくらい、平凡なデートだった。人の内面はすぐには変わらないということの左証と言えるのかもしれない。
でも、人生初のデートはとても新鮮で楽しかった。俺の人生は今まで何だったのかと疑いたくなるほどに――。
いつの間にか手を繋いで歩いていた。可愛い子なんてどうせ俺とは無縁なんだからと、興味を持たないようにしてきた。映画の影響か、積極的過ぎる彼女のせいか、恋愛感情というものが少し分かったような気がした。
でも、俺にはここまでだ。
これが、ここが限界。
「今日はありがとな。楽しかったよ」
「ほんと? 私もすっごく楽しかった!」
「お前、かなりモテそうだな。デート慣れ――」
「初めてだよ! 男の人と手を繋ぐのも初めて」
「え? そりゃ悪いことしちゃったな……」
「別に悪くないし!」
「お前、勘違いしてるだろ」
「何を?」
「自分の心に訊くんだな」
俺には分かってる。彼女は彼女なりにお礼をしたいんだと。もし、万が一、億が一でも俺を好きだと言ってくれたとしても、それは異質の感情――俺自身ではなく、俺の力を好きになっているだけなんだと。
「よし! 早く帰らないと明日遅刻するぞ」
「帰りたくない――」
「は? 帰れ」
「……」
「送っていくから、帰ろう?」
「……また今度デートしてくれるなら」
「お互い、生きていればね」
ポロリと零れ落ちたのは生への不安か、執着か。
彼女は首を傾げながらも、白い歯を見せて可憐に微笑んだ。
「約束だよ?」
「分かっ――って、おい!」
歩道脇のコンクリートの上から俺に飛びついてきた彼女。何とか抱き留めることに成功したが、その隙をついて唇を奪われてしまった――俺の1stキスが……。
★☆★
翌日から、彼女は変わった。
毎朝、俺の家まで朝食を作りに来た。台所を勝手に使い、お揃いの弁当を作り始めた。会社と学校は一駅しか離れていないので、途中までは一緒に通うことが出来る。
彼女にとっては仕事の延長という軽い気持ちだったのかもしれないが、俺にとっては心身共に理性を試されるような苦難の日々だった。でも、渇ききった砂漠を潤す雨のように、俺の心を癒していく日々だった。
そんな生活が始まってから二か月と経たないうちに、転機が訪れた――。
「ねぇ、この依頼だけど……」
彼女が持ってきた紙を見る。
・16歳男性、〇△王国第二王子(スイス在住)
「海外? どうやって広まったんだろう」
「もう二十七人も蘇生したからね。どうする?」
「海外旅行か、一度くらいは行ってみたいな。でもさ、お前学校あるだろ。俺は英語も碌に話せないし、無理だな」
「一週間休みとってある」
「え?」
「学校も、両親にも許可貰ったもん」
「この依頼のために?」
「――うん」
「試験とか、大丈夫なの? 俺みたいに中退するなよ?」
「赤点も無いし、出席日数も大丈夫!」
「流石だな……じゃ、行くか」
「うんっ!!」
午前十時過ぎ、成田発の便に乗る。スイスまでの直行便でも、所要時間は十二時間を超える。
人生初の飛行機に、搭乗前から俺のテンションは上がりっぱなしで、結局、機内を何往復もしてしまった。
「外国人ばっかりじゃん!」
「ふふっ、興奮しすぎ」
「これが空を飛ぶってのがホント信じられないんだけど」
「確かに、ちょっと怖い気がするよね」
音楽と照明が消えると、機体は滑走路を急加速していく。俺は心地良いGを感じながらシートに身を任せる。
暫くして照明が点灯し、安定飛行に入ったことを知らせる放送が流れると、俺はやっと緊張から解放された。彼女の手を握りっぱなしだったことに気付き、焦って手を離す。クスクス笑う彼女の息が、火照った俺の頬を冷ます。
羞恥心から逃げようと、小さな窓から外を見やる。
「雲の海だ……」
「綺麗ね。下から見るのとは大違い」
「歩けないかな?」
「歩けたら魔法でしょ」
「そっちの方が良かったな」
「私はこっちがいい」
逃亡中の俺の手が彼女の両手に包まれる。
この左手が無ければ俺はどうなっていただろう。
生きる目的を失い、野垂れ死んだかもしれないし、逆に、生きる目的を見出だそうとして、のらりくらりと長生き出来たかもしれない。
でも、今感じているこの温かさを知ることは決してなかっただろう。寄り掛かられるこの重みを感じることは決してなかっただろう。
知らず知らずのうちに、俺たちはまどろみの中に溶け込んでいった。長く、幸せな夢を見ていた。
異変は突然起きた――。
内臓を抉られるような感覚で目覚めた後、鳴り続く爆音と鳴り止まぬ悲鳴が、俺の耳朶を叩く。点滅を続ける照明が、現実と非現実的との境界線を曖昧にする。
その不確かな、信じ難い現実の中にあって、手を伝わる彼女の温かさだけは確実に此処に在った。
「翼が燃えてる!」
「まさか、墜ちないよね!?」
「しっかり俺に掴まってろよ!」
蒼白な顔で涙する彼女を強く抱き締める。
右翼はもう駄目だ。恐らく機体は急降下している。
乗客の声は聞こえなくなっていた。祈りを捧げているのか、それとも、真の恐怖は人に沈黙を強いるのか。
しかし、墜落という悪夢へと誘うが如く、けたたましく鳴り響く警報音が、乗務員の指示を妨げる。
そんな中、辛うじて聞き取れた単語は『テロ』『マスク』『シートベルト』の三つ。俺は、天に吊されたマスクを彼女に装着し、シートベルト越しに彼女をぎゅっと抱き寄せる。
時間がスローモーションのように過ぎていく――。
機体が四十五度に傾ぐと、何かに衝突して大きく跳ねる。
上下に激しく揺れながら再び轟音を上げて衝突する。
ファーストクラスを乗せた先頭部が爆発炎上して吹き飛び、機内に雪崩が押し寄せてくる。
後方部分は何度もバウンドを繰り返しながら、何かぶつかって止まった――。
生きている――。
恐らく、俺の腕の中に居る彼女も――。
その時、激しい頭痛と嘔吐感の中で、天に昇って逝く数多の魂が見えた。
そして――覚悟する。
薄れる意識の片隅に、また例のメッセージが刻まれているのに気が付いた。
『汝の全ての命を以って、全ての魂を蘇らす』
エピローグ
スイスのとある教会で鐘が鳴り響く。
今日は貸し切りで新郎不在の結婚式が執り行われている。
新婦が赤く染まった手紙を大切そうに抱き、ゆっくりと読み上げる。
『俺はきっとそう長くは生きられないだろう。もし俺が居なくなった時、これを読んでほしい。嘘偽りのない、俺の気持ちを此処に捧げます――』
新婦は嗚咽を漏らし、膝を付く。
多くの励ましの声が、彼女に勇気を与える。
そして、再び新婦は手紙を抱き締め、朗読を続ける。
『デートの約束を果せなくてごめん。愛してるって言ってあげられなくてごめん。一緒に生きていけなくなって、本当にごめん――でも、今までありがとう、俺なんかの為に時間をくれて。心からありがとう、一緒に生きてくれて。幸せをくれて』
再び泣き崩れる彼女にそっと寄り添う母。
そして、新婦は澄みきった空を見上げ、精一杯の笑顔を作って叫ぶ。
あなたに出会えて良かった、と
★幾つかのネタバレ★
・京都JCデートを破綻させたのはヒロイン。
・最後、ヒロインは数回主人公に蘇生されている。
・そもそもスイスへは結婚式のつもりで行った(蘇生はついで)。
・会社経営側として主人公の情報は筒抜け。
・印鑑を押したのは婚姻届だった。
・テロリストも生き返ったけど、彼らの目的(皇太子の蘇生阻止)が成功したうえ、命まで救われたので更生したかもしれない。