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第三話 四条洋介 その⓶

 良く利用するスーパーマーケットの傍には、本屋、服屋、喫茶店、ホームセンター、ファミレス、コンビニ、カラオケと、一通りの店舗が揃っている。駅からも近く、市役所や病院と言った施設も近いので、このエリアを訪れる人間は老若男女非常に幅が広い。

 と言っても、日も暮れた平日のこの時間となると、ホームセンターの人数は少なくなる。スーパーの方は、総菜が安くなるタイミングを狙う人達でちょうど混み始めていたりする。そんな人も疎らな店舗内を真っ直ぐにペットコーナーに向かって進む。幸いにも人はいない。子猫も子犬も無視して、目指すはアクアリウムの一角。ちょうど目線の高さに、お気に入りのナマズはいる。

 手の平に乗る程度の小さなサイズ。分厚い唇に長くて白い髭。金色の身体には疎らに黒い斑点。そして愛嬌のある真丸な瞳。口をパクパクと動かすその姿はマイペースその物で、野性でこいつが生きていけるのか非常に心配になる。が、こいつは三十年以上を生きる長命種、頑丈で病気にも強いらしい。見かけによらないなぁ。

 いつもこのナマズを飼いたいと考えるのだが、最終的に一メーターを優に超えるサイズにまで成長する事と、目玉が飛び出すお値段を前に諦める事となる。専用の水槽もいるだろうし、大学生になれば、一人暮らしをしようと考えているので、その際の移動も大変だ。ペットを飼うと言うのは遊びではない。相応の覚悟が必要なのだ。

 だから眺めているだけで十分幸せだ。

 もしかしたら、叶わぬ夢を見ると言うのも、同じように幸せなことなのかもしれない。

「大塚、こいつが好きなのか?」

 ナマズのキュートな姿にそんなことを考えていたからか、話しかけられて初めて隣に学生服の男が立っていることに気が付いた。驚いて「ひゃ」と変な声が出る。

「おっと。悪いな。驚かしたか?」

 学生服の男――四条洋介先輩もまた、過剰なリアクションに驚いたように目を大きくした。

「いえ。ちょっと集中していたので」

 その大きく目を開いた表情の奥に、あの奇妙な感覚を見出しながら無難に答える。やはり、この感情は勘違いではなさそうだ。しかしその正体まではわからない。何とも歯痒い。

「このナマズにか? つーか高いな? 特上寿司何人分だよ? 美味いの?」

「さあ? でも、アフリカには目の前の池で魚が泳いでいるにも関わらず、餓死で全滅した村があるみたいですよ」

「つまり、それだけあっちの魚は不味いってことか?」

「それが違うんですよ」

 数年前に見たテレビの情報なので自信なさそうに答える。

「その村には、魚を食べる習慣がなかったんですって。だから、魚を取って食べるなんて、想像できないし、実行もできなかったみたいです」

「だったら、俺の疑問に全然関係ないじゃん」

「はい。無駄知識を自慢したかっただけです」

「なんだそりゃ。って言うか、魚が泳げるような場所があるのに、村人が餓死するような事があるのか? 水、飲めよ」

「確かに。じゃあ、私の記憶違いかもしれません」

 役に立たない記憶力に首を傾げ、互いに顔を見合わせると、示し合わせたように笑う。

 それでも不安が消えることはなかった。一体この奇妙な感覚の正体はなんなのだろうか? 疑問が頭の片隅で渦を巻く。なるべくそれを隠すようにして、下らないことを言ってみたが、効果は果たしてあったのか、洋介先輩の表情から窺がうことは難しかった。

「大塚ってさ、結構ここで魚見てたりする?」

「まあ、人並みに」

 半年間の平均をとれば、週一と言った所が世間の平均点とは思い難いが、気恥ずかしさから曖昧に答えた。

「病院帰りにここで猫缶を買う事があるんだけどさ」

「猫缶? あんなに可愛いのに、食べちゃうんですか?」

「鯖缶には鯖が入っているけど、猫缶は猫の餌が入っているんだ。で、その猫缶を買う時に、偶に大塚らしき人間を見た記憶があるんだよ。昨日、生徒会議室で話している時から、そうじゃないか? って思っていたんだが、やっぱりそうか」

 納得納得。と、洋介先輩は頷きながら金色のナマズを眺める。私はと言うと、その発言の衝撃に面喰い、物を言うことができなかった。

 昨日からの一日、悶々と悩んでいた答えは、そんな単純で明快な物だったのか? このホームセンターで度々、ニアミスをしていた? そんな馬鹿馬鹿しいオチが、この悶々とした気持ちの正体?

 ただ、それが本当に正解なのかがわからない。

「恥ずかしい所を見られていたみたいですね」

 そして大抵の問題がそうであるように、良く分からないままに時は進んで行く。

「ナマズを見つめるお前は、可愛かったぞ?」

 この先輩は、いつも下級生に平然とこんなことを言っているのだろうか? だとしたらどうだと言うこともないが、見た目から受けた爽やかな印象が少し崩れることになる。いやらしく聞こえない辺りは、彼の人格と言えるが。

 言われ慣れない言葉にやや頬を染めながら、返事に困った末に「ありがとうございます」と頭を下げる。女子力の低い現役女子高生だった。

「なんですか? 褒めても何も出ませんよ?」

「いや。俺が出したいくらいさ。どうだ? 晩飯。ファミレスで良かったら奢るぞ?」

「なんですか? 怪しいツボでも買わす気ですか? その手には引っかかりませんよ?」

「警戒心高いな。過去に何があったんだよ。病気を治す為に、母親が宗教に嵌ったとか?」

 冗談めかした洋介先輩の台詞に、「違いますけど」と曖昧に笑って答える。勿論、そんな過去は一切ないのだが、何故かその台詞に若い女の笑顔を思い出してしまう。

 真っ白な顔で弱々しく微笑む女は、沢山の管に繋がれていて、できの悪いマリオネットのように人間離れした雰囲気をしていた。科学的に供給されるエネルギーによって、何とか生命活動を維持している姿は、人形のように生命力を感じさせない。

 何故か、その笑みは目の前の四条洋介先輩のそれにとても似ている気がした。

 やはり、ただ単にこの店であったことだけが。違和感の正体ではないのだろう。先輩に感じる既視感はもっと昔に感じた物だ。

「簡単に言えば、昨日のお礼だよ。どうだ?」

「構わないですけど…………私フードファイター並に食べますよ?」

 だとすれば、この誘いは千載一遇だ。少々気恥ずかしいが、それはもう、今更だ。

この際、特技とも言える大食いも披露しておこう。回転寿司のレーンを止めたことがある女と呼んで欲しい。いや、やっぱり呼んでは欲しくない。私は自分の食費だけで一生に何円使うつもりなんだろうか? これがわからない。

「それこそ構わないさ。勇人に表紙を描いて貰えると思えば、安いもんさ」

「先輩って、どんだけ天海君の絵が好きなんですか? 噂には聴いた事ありますけど、そんなに凄い絵を描くんですか? 小学生が引きつけを起こして救急車来たって聞いて、ビビッて見に行ってないんですよね」

 昨日の放課後。説得する時も感じたが、洋介先輩の天海君に対する執着は少し異常に感じる。確かに上手いとは思うけど、高々高校生の絵一枚に、それもしおりの表紙と言う白黒の絵にお金を出す価値があるだろうか?

「一目見ればわかるさ」

 いや、そりゃあそうだろう。だけど、もう少し詳しく教えて欲しい。

「なんなら、それこそ飯でも食いながら教えてやろうか? ついでに、見せて貰うぜ? フードファイターの実力とやらを!」

 この後、洋介先輩はファミレスで『じゃあ、このページのステーキ全部。あ、サラダセットで』と言う台詞を始めて聴くことになる。

 もう二度と先輩が私に“奢る”とは言う事はなかった。




「アイツの絵は、アイツが描きたい絵は、奇妙な生き物さ。口では説明しにくいんだけど、本当に奇怪な姿をした化物で、軟体動物のように蠢くぶよぶよしたゼラチン質の身体に、南米に住む鳥類のようにドギツイ色をした小さな羽根を生やしていて、一も二もなく、気持ち悪いって感想が先立つ、本当にグロテスクな生き物なんだ。どうやったらあんな姿を思いつくのか、本当に首を傾げたくなるデザインで、アイツはその生理的な嫌悪を見事に描表している。俺はアレを見て、本当に救われた。何も怖くなくなったよ」

 スープバーを口にする洋介先輩は、やや熱の籠った口調でそう語る。私は早速やってきたステーキと名乗るには薄すぎる焼いた肉を一口分飲み込み相槌を打つ。

「いや。長々しい絵の説明と、先輩の抱いた感想が全然繋がりませんけど。あれ以上怖い物がないから、怖くないって言うのはわかりますけど、救われたってなんですか? 日常的に使う単語じゃあないですよね?」

 かちゃかちゃとステーキモドキを切り分ける私に、陽介先輩はわかってないなと、首を横に振る。

「いや。それが全てなんだよ。あの不気味さを恐ろしさを悍ましさを表現した、あの奇妙奇天烈摩訶不思議奇想天外四捨五入出前迅速落書無用な化物を見て、俺は心の底から感動したんだよ。アレを見た後なら、死んでも良いとすら思ったね」

「大袈裟過ぎて逆に伝わんないですよ。ドラえもんと一緒で、浮いちゃってます。もっと地に足着いた言葉で表現して下さい」

 パクパクと切り分けたステーキを口に運びながら、私は取り敢えず素直に思った事を口にする。天海君ではないけど“先輩”と言う言葉から、炭酸が抜けるように徐々に敬意が薄れて行っている。説明する気があるのこの人?

 いや、食べることに頭が使われているから、私の思考力が減っているのかも。

「こればっかしは、見ないとわからないよ。一目惚れに近いかも知れない」

「一目惚れ?」

 なんとも、浪漫溢れる表現だ。しかし今の説明を聴く限り、そんな物に恋をするなんて恋愛観はどうかしているとしか言いようがない。小学生がトラウマを覚える絵だよ?

 ま、恋愛なんてしたこともないし、愛がなにかもしらない私が一目惚れや恋愛観に物申すのもなんだかアレだけど。

「なんだ? 一目惚れも知らないのか?」

「うーん」

 右手に持ったフォークの一本一本にサラダのコーンを刺しながら、首を捻って考える。

 勿論、言葉としては知っているが、それが如何なる症状なのかを説明しろと言われると非常に難しい。

「例えば、初期症状としてはどんな感じでしたか?」

「まさかの、病気扱いかよ。まあ、いいさ。最初は、そうだな、違和感って言うのか? なんか『知ってるな』って思ったんだよ。『俺は、コレを知っている』って言う奇妙な確信が最初だった。その次に、『これは何処で見たんだ?』と、悩み始める。これの答えが出ない。毎日毎日、そればかりを考えていたにも関わらずだ」

 何処かで聴いた話に似ている。

 と言うか、昨日からの私だ。

 だから、少しばかり逡巡した後、ゆっくりと右手を顔の横まで上げて発言した。

「私も最近、それと同じ症状を経験しているんですけど、ちょっと聴いて貰えますか?」

 洋介先輩はその言葉に少しだけ驚いたように目を剥いた後、「飯奢ってもらって相談も乗って貰うって言うのは、虫が良過ぎないか?」とスープカップを一気に傾けて飲み干した。

 確かに、その通りだと自分の厚顔無恥さに俯く。

が、「冗談だよ。俺から誘ったんだし、良いよ。金も時間も、俺には在り過ぎて困るくらいだから」洋介先輩は直ぐに両手を広げておどけて見せる。

「どちらも、有り過ぎて困るなんてことがあるんですか?」

 自分の生涯食費の心配をする女子高生もいると言うのに、羨ましい話だ。

「あるよ。もてあましちゃうんだ」少しだけ悲しそうに洋介は言う。「でも、これもアイツの絵のお陰かな? もしあの絵を見ていなかったら、俺はきっと時間が足りなくて、焦って、道を踏み外していたと思う」

 意図的なのか、それとも天然なのか、重要な所だけをぼかした台詞を追求したい衝動に駆られるが、そんな真似はしなかった。焦点を外された答えが返って来る確信もあったし、話を逸らしたら二度と質問をする機会が失われるような気がした。

「最初に断っておくと、私のも恋愛相談じゃないですからね?」

 失われると言うか、この流れ逃したら『貴方に一目惚れしたかもしれません』なんて質問をする覚悟は二度と胸の中に訪れないだろう。

「そう言う場合は、『友達の話し』って言うのがセオリーじゃないの?」

「本当に、恋愛相談じゃないんです」

 強く断って、未来はステーキを食べる手を止めると、昨日から今日に至るまでのことを説明した。自分が何を感じ、何を考えたのかを。何度も何度も詰まりながら、説明が終わるには随分と時間が必要だった。

 その間、洋介先輩は辛抱強く、空になったスープカップを手の中で弄繰り回すこともなく、真剣な表情で耳を傾けてくれていた。時々、信じられないくらい瞳に力が入り、何か堪えきれない感情が溜め息として漏れることもあった。

「――と、言う話なんです」

 自信なさげに言葉を締めると、洋介先輩は首を横に振って立ち上がった。

「スープお代わりして来る。大塚も、ドリンクバー行って来いよ」

 すこしだけ言葉を震わせる挙動不審な洋介先輩の提案に首を傾げながらも、断る理由も特に思いつかず、言われた通りに席を立ち、二人は並んでドリンクバーへと向かう。会話はなく、周囲の喧騒だけが騒がしい。互いにゆっくりと補充を済ませると、同じように無言で席へと戻る。

 椅子に座ると、互いにそれが儀式であるかのように、それぞれコップに口を付けて一息を入れた。

「多分、大塚が俺に感じた既視感は母親に対する物と同一だと思うよ」

 そして間髪を入れずに、洋介先輩が断言する。まるで予め答えを知っていると言わんばかりの確信に満ちた一言に、反射的に「それは違うと思います」と返していた。

 私は一切母親のことを覚えていない。

 だから、母に似ていると思うわけがない。話の途中にそのことも話したはずだ。

「確信を持って言える。君が母親のことを覚えていないって言うなら、なおさらね」

 やはり、肝心な所を曖昧にして、洋介先輩は泣きそうな表情で首を横に振る。

 何故、そんな表情をするのだろうか?

 ただ、やっぱり私はそんな先輩の表情に見覚えがあって、思いだそうとすると胸が締め付けられるように苦しくなり、もっとこの人と話をしたいだとか、離れたくないだとか、そんな感情が胸の奥から産まれて来るのだ。

 泣きたくなる程に。

「俺達は、出会わない方がお互いに幸せだったかもな。本当に、ゴメン」

 洋介先輩の台詞は、まるで要領を得ない。でも、運命の様に深刻な重さだけは理解ができた。

「ゴメンって、何が? どういう意味で使ってるんですか?」

「多分、直ぐに気が付くよ。一度気付いてしまったら、もう目を離せない。だってそれは、本来誰でも持っている物だから。いや、持ってないのかな? 最低でも、半年もせずにわかるよ。俺が、君に教えることになる」

 なんとも勿体ぶって遠回りした台詞に、背に油を流されたよう感覚を覚える。拭っても拭っても取れる気配がなく、いつ着火するともわからない、嫌悪感と不安感が混じった感覚だ。

「教えてはくれないんですか? 答えを」

 嫌な予感だけが募る。縋るように訊ねるが、首は横に振られた。

「俺は、それを口にしたくないんだ」ゆっくりと現実を呑み込むように、『それ』を口にするのを拒み、代わりに左目から一筋だけ涙を流した。「本当にすまない」

 そして、洋介先輩はもう何も言わなくなった。静かに伝票を机の隅から取ると、そのままレジへと歩いて行ってしまう。

 残された私は、背中を見送ることしかできず、暫くの時間を置いた後、残ったステーキとサラダを片付けに入った。一体、何だったのだろうか? 

 味なんてわかるわけもない。

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