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第二話 大塚静香

 翌日。いつものように駅に向かうと目立つ眼帯を付けた顔があった。天海勇人だ。隣には彼女だろうか? 隣のクラスの女子――確か、三浦凛だ――が並んでおり、退屈そうな勇人と、楽しそうに彼に話しかける凛の姿が何とも対照的だ。もう、この歳で駄目な男に引っかかっているのか、三浦さん。等と失礼な事も考える。

 普段であれば会釈程度はするだろうが、昨日の件もある。逡巡した後、私は二人の傍へと駆け寄って「おはよう」と声をかけた。

「え? あ、おはよう。勇人の友達?」

 先に反応したのは三浦さんの方で、物珍しそうな眼で私を見た。彼氏に付く悪い虫を警戒しているのではなく、単純に天海君に話しかける人間に驚いているのだろう。普段の態度や、特徴ある眼帯から、天海君はクラス内でも随分と浮いているのだ。ただの挨拶でもしてくれる人間がいることに、感動しているとすら表現できるかもしれない。

「勇人に話しかけてくれる女子がいたんだね」

 まるで息子の成長を喜ぶ母だと、心中で苦笑する。鬱陶しそうに無視する天海君の表情も相まって、朝から面白い物を見ることができた。それが伝わったのか、彼は重々しい溜め息を吐く。

「何か用か?」

「同じ文化祭実行委員なんだから、親交を深めようと思って」

「親交? 溝じゃあないのか? 深めるべきは」

 随分と機嫌の良い返事だが、無視したり背中を見せたりしない所から見るに、心の底から嫌がっているわけではないだろう。とは、三浦さんの弁だが、今一信じきれない。

「文化祭実行委員かぁ。ちゃんと勇人は仕事してる?」

「うん。しおりの表紙書いてくれるみたい」

 私の台詞に、三浦さんはぐるんと首を動かして隣に立つ天海君を“信じられない”という目で見た。

「凄いじゃん! えへへ。でも、何の絵を描くの?」

「そうだ。えーっと、お前、誰だったけ?」

 自分の事の様に喜ぶ三浦さんを無視して、天海君は私に興味なさそうに言った。一年生の春ならともかく、今は二年生の二学期の始めだ。クラスメイトから名前を憶えられていないなんて、有り得るのだろうか。と言うか、ついさっき三浦さん名乗ったばかりなのだが。

「大塚未来だよ…………」

「ごめんね、勇人君が」

 女子二人の落胆をまるで無視して、天海君は「ふーん」と興味なさそうに相槌を打つ。コミュニケーション能力を駅のコインロッカーに入れて登校しているのだろうか? 申し訳なさそうに顔を俯ける三浦さんの表情が、彼の日常の全てを物語っているようだ。

「じゃあ、大塚。今日の放課後は暇か? 絵のモデルを頼みたい」

 絵のモデル? この私が? まさかのお誘いである。絵を描いて欲しいとお願いした手前、非情に断り辛い所もあるが、絶対に嫌だ。モデルだなんて。

 なんとか誤魔化せないかと考えて、直ぐに用事があった事を思い出した。

「今日は、無理かな。お墓参りがあるから」

 中途半端に断ると、『俺のモデルよりも重要な件があるのか?』なんて言われそうな気がしたので正直に予定を応えておく。勇人のリアクションは、「そうか。じゃあ写真でいい」と言うそっけない物。

 ただし行動は早く、言うや否や、勇人は手にしていたスマートフォンで私を激写。それなりに混雑している駅の構内でその高度は明らかに迷惑行為に思えたが、何かのスイッチが入った美術部部長は他者の迷惑など歯牙にもかけず撮影を続行する。

 不躾な視線を浴び恥ずかしさに赤面するのがわかる、なんとかその常識のない行動を止めようとする三浦さんの声を無視して、天海君の奇行は三十秒近く続いた。

 登校するだけで随分と付かれてしまったが、朝のHRでも一仕事があった。昨日の文化祭実行委員集会での伝達事項を伝えなくてはならなかったのだ。まあ、別にこれは大した出来事ではないが、それでも文化祭は学校の一大行事であってそれなりに騒ぎ立つ。水曜日の七限目に第一回目の学級会を行うことにし、取り敢えずは役割を果たしたと言って良いだろう。

 因みに天海君は隣に立っているだけだった。朝のアレ以降、話しかけて来る素振りすらない。『もう用はない』とまで言われたので、当然と言えば当然なのだろうが。何枚の写真を撮ったかはわからないけど、あの程度の写真があれば頭の中で完全に立体モデルを作れるらしい。隻眼と言うと空間処理能力にどうしても劣ると言うイメージがあるのだけど、彼はその例外らしい。

 そんな事を考えながらも、呪文にしか聞こえない数学の授業を受け、水曜日に予定した学級会の司会進行に対する不安を思う。他にはホームセンターのペットコーナーに居座る、あの間抜けな顔をしたナマズが売れてしまっていないか心配になったり、今日の学食のメニューがカレーじゃあなければ良いな、とも思っていたりした。雑多な考え事は尽きない。

 中でも一際に存在感を放つ考え事は、四条洋介先輩に対して感じたあの奇妙な感覚。

 アレは一体、何だったのだろうか? 懐かしいような、恐ろしいような、そして切ないあの気持ち。他の誰を見ても、あんな感情を抱くことは今までなかったのに、どうしてあの先輩なのだろうか? 答えは出ず、その度に思考は違うことに興味を示し、一通り回ったら再び既視感へと戻って来てしまう。

 あまりにもハッキリとせず、答えも出なかったので昼休みに学食で京風うどんを啜りながら友人に訊ねて見ると「それは恋だね」などと言われたが、それも違う気がする。恋や憧れなんてまともにしたことはないが、この背筋から這いよって耳元で囁くような不安を人々が恋と呼ぶとは到底想像できない。

 しかし案外、恋とはそう言う物なのかもしれない。この落ち着かない感情に対する答えが、愛情なのだろうか?

 母親の墓参りをする間も、思考は同じ所を行ったり来たりだ。墓石を拭く手に手抜きはないが、どうしても作業が遅れがちになっている。挙句の果てに、この気持ちの正体が恋だとすれば、世間のお嬢さん方は母親からその感情を習っているんじゃあないかという、下らない思い付きまで浮かんでくる始末だ。

『私が愛を知らないのは、母から教わっていないから』

 馬鹿馬鹿しい考えと、笑うだろうか? しかしそうじゃあないとしたら、世の人間はどうして、愛と言う物を知っているのか?

 この世の夫婦が全て愛によって結ばれたとは思わないが、それでも半数が番った理由は愛だと言っても過言ではないだろう。きっと、両親もそうだったに違いない。

 とすると、世の中には莫大の数の人間が愛を知っていると言うことになる。

これが奇跡じゃあないとしたら、一体誰に教えて貰ったと言うのだろうか? 大半の人々が愛を知っているなんて、親から子にと伝えていると考えるのが一番自然な気がする。

 勿論、そんなわけはないのだろう。新しく活けた花の位置を微調整して、自分の愚かな考えに一笑する。そんな簡単に愛とやらが教えられと言うのなら、世の中は愛の飽和状態で息もできない。隣人を愛する人間ですら、世の中には稀だと言うのに。

「ま、愛なき時代に産まれたわけでもないんだけどね」

 冷たい母の頭を撫でて、自然と私は微笑んでいた。

「私の話し、聴いてくれてありがとう」

 仕上げに墓石を乾拭きすると、スカートのポケットからスマートフォンを取り出して、綺麗になった母と自分をレンズに納める。記念日に親子の写真を撮る。何ら不自然ではない、極々当たり前の日常の風景。他の人に言うと変な顔をされるけど。

 幼稚園児の時に亡くなった母のことを、実は良く覚えていない。年齢を考えれば、少し位は記憶に残っていても良い気がするのだが、人の記憶の曖昧さなんてそんなものだろう。だから、私に取って母とはこの無機質な意思の姿がデフォルトであり、墓石と言う形に特別に感傷的な感情は存在しない。

「少し、すっきりした。また来月来るね」

 客観的に考えて歪だと言う自覚はあるが、それがどうしただろうか? 母の存在は、これが普通で自然なのだから、仕方がない。やや傾いて来た夕日へ向かって歩み出し、一人帰路に着いた。

 掃除に借りた道具を返却し、バス停まで十分かけて歩く。そこで五分間だけバスを待って、二十分程揺られて帰る。毎月命日の日なると、変わらずにそう過ごしていた。

 その理由は仕事が忙しい父の言伝を守っているというのが一番大きいが、単純に私自身がそうしたいと言うのもあった。墓場の雰囲気とでも表現するのだろうか? あの場に一人でいると言う感覚が妙に落ち着くのだ。夜の一種の静謐としたあの空気も堪らなくて良い。

 勿論、人混みが嫌いと言うわけでもない。電車は乗れるし、友達とカラオケに行って馬鹿みたいにはしゃぐのも好きだ。ただ、心を落ち着かせると言う一点に限って言えば、墓場程に落ち着く場所はない。次点で、ペットショップだろうか? 特に魚類が良い。水族館じゃあ駄目だ。自分一人でただ魚を眺めていると、不思議と心に平穏が訪れる。

 今日も夕飯の買い物ついでに、あの間抜けな面をしたナマズを眺めに行こう。イヤフォンから流れる何を言っているかわからない英語の歌詞に耳を傾けながらそう決めた。あの金色に輝く魚類が、この感情の正体を教えてくれる――わけもないが、癒しにはなるだろう。

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