二話
「うーむ……スゲィミーとやらの群生地には心当たりもあるがなぁ……。
しかし、そのデールという少年の言いなりに実を収穫し戻ったところで、もはやお主の破滅は免れぬのではないか?」
「えっ!?」
「古来よりの禁域を犯し、あまつさえ明確な証拠すら携えては、ろくに弁護も立つまい。
そのような背信者を輩出したとあっては、お主の守ろうとした家の者たちもまた、後ろ指をさされる暗き身の上となるであろうよ」
「そんなっ……じゃ、じゃあ、僕はいったい、どうすれば……っ」
予想外に見慣れた人間用としか思えぬ作りの家具や小物に囲まれた小屋の中で、やたらと細工のこまかい木彫りの椅子に座らされ、更には沈静効果のある薬草茶や甘い果実を振舞われて、机を挟んだ向かい側の席から穏やかに語りかけられているうちに、すっかりと絆されてしまった様子の少年フラワンサック。
リザードマンが聞き上手であるのか、彼がチョロすぎるのか、すでに家族構成から学院での立場はもちろん、果ては神の教えに国の成り立ちまで、語れるところを語り尽くしたといった風情である。
落ちこぼれと他称される少年は、たった今ぶつけられたばかりの遠慮のない魔物の見解により、ようやくになって己の立場の危うさを理解したところだった。
「さて、このまま逃げ帰ったところで、妹御に禍が向かうことは避けられぬであろうしな」
「だったら、僕、やっぱりスゲィミーを採って……」
「止めておけ。成せば国家そのものが敵と化す。
其は数多ある選択肢の中で最も愚かな行為と心得よ」
「っうぅ、だっ、でも、ユーノがぁ」
はばからず滂沱の涙を流すフラワンサックを、変わらぬ無表情の中にどこか困惑したような雰囲気を醸し出しながら見つめるリザードマン。
「……では、このまま私と共に住まうか?」
「へぇぃっ?」
魔物からの思いも寄らぬ提案に、少年は顔中を各種水分で濡らした状態のまま、視線を正面に向けた。
「お主は次男であるし、仮に死を謀ったところで一族が家督に難儀することもあるまい。
……無論、悲しむ者はいようがな」
リザードマンは淡々と話しながら席を立ち、傍の棚から一枚の布を取り出す。
かと思えば、そのままフラワンサックの元へと歩み寄って、おもむろに彼の顔を拭きだした。
「んぶっ、な、なんで……そんな……」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくる悪しき者の行為を当たり前のように受け入れつつ、少年は震える声で疑問を返す。
「お主の認識に相違なく、真に優秀な妹御であるのならば、足手まといとなりうる落ちこぼれの兄などおらぬ方が、デール何某を退けやすいのではないかと思ったまでよ」
触れる手つきは優しいが、魔物の裂けた口から放たれる言葉はもはや鋭利な刃物と等しかった。
当然ながら、それはフラワンサックの弱き心を容易に抉り傷付けていく。
「っあ……あ、ああぁ、ぼ、僕……は……」
現実を突きつけられて、今更ながら気付いた残酷な事実に愕然とする少年。
大切な家族の弱味となる、枷となってしまうだけの己の身が情けなく、悔しく、そして、哀しかった。
そもそも産まれたことから間違いであったのかと、フラワンサックはその生の意味すら見失いかけ、苦しみに喘いだ。
長兄のサイアルにしても、両親にしても、何事も卒なくこなすだけの器量がある。
現ドターマー家において、不出来とされる存在は彼だけなのだ。
隔てなく愛情を持って育てられたとはいえ、その事実はフラワンサックを打ちのめした。
項垂れる少年の姿を金の瞳に捉えつつ、リザードマンは汚れた布を床に放ってから、空いた両手で彼の柔らかな頬を包み込む。
「ただし、だ。
行方知れずとなった兄を求めて、ユーノ殿が彼の少年の舌先三寸に嵌り堕ちぬとも言えぬ」
「えっ?」
「ゆえに、脱却せよ。
妹御が入学に到る一年弱の間に、落ちこぼれなどと蔑まれる卑小の身から」
「ええっ?」
「強者へと成ったその肉体で、悠々と学院に戻ってやれ。
そして、悪を退けろ」
「ええええっ!?」
「お主が自らの殻を破ると心に決めたのならば、私も……この碧き鱗の民、ヴ・ロロッコ・ブル・トカグドラグ・ミクス・ク・インダーワの力を貸すに吝かではない」
「ぼ、僕が……」
唖然と固まるフラワンサックへ、ヴ・ロロッコは深く頷いて続けた。
「そうだ。
武のみが力とは言わぬが、権威や金、話術に知恵など、他の有効策をお主に与えることは私には出来ん。
それでも構わぬと、そう思わば我が手を取るがいい」
魔物の真剣な眼差しに、戸惑いのまま黙り込む少年。
両者はしばらく見つめ合っていたが、やがて、大きく唾を飲み込み喉を鳴らしたフラワンサックが、独り言のような声色でリザードマンに問いを投げかけた。
「なんで、会ったばかりの僕なんかに、そんなに……」
「ふぅむ……?」
すると、ヴ・ロロッコは彼の頬から手を引いて腕を組み、自問するように唸りだす。
瞼を閉じて、軽く首を傾げながら数秒。
ゆっくりと再び少年へ視線を戻して、リザードマンは言った。
「おそらくだが」
「あ、はい」
「未だ熟さぬ幼子に対する、なんだ、母性本能というものが働いているのやもしれぬ」
「…………………………えっ」
「もしくは、そろそろ独りに飽いた頃合いであったか」
「あ、あの」
「どうした」
悪しき者の発言を聞き留めて、彼は忙しなげに視線をさ迷わせつつ、抱いた疑問を口にする。
「母性?」
「あぁ」
「女性?」
「あぁ。見れば分かるだろう?」
「えっ」
「なんだ」
「ダメじゃないですか!」
「何がだ」
突如、椅子から立ち上がり拳を握って叫び出すフラワンサック。
意図の理解できないヴ・ロロッコが、きょとんと瞼を瞬かせ彼を見つめた。
「だっ、じょっ、女性が、ぼっ、一緒に住むとか、そんなっ、ぼく、僕は男ですよ!?」
「ふん?」
瞬間、彼女は動きを止めて、頭上に分かりやすくクエスチョンマークを浮かべる。
明らかに言葉の意味を察せていないらしいヴ・ロロッコへ、少年は顔を真っ赤にして、悲鳴のような声を響かせた。
「だからっ、僕だって、あと数ヶ月で十五で、けけっ、結婚、できる年齢になるんですっ!
立派な体格のアナタには子供に見えているのかもしれないけどっ、それでも、未婚の男女が一緒に暮らすだなんて、そんな、アナタだって女性としての名誉とか、そういう、とにかく、だ、ダメでしょうっ!」
「なんと……十四か、お主。
鱗持たぬ者というのは、随分と成長が遅いのだな」
「はい?」
「我ら鱗の民は産まれ出でてよりのち、約三年で成年とみなされる」
「へっ」
「私も成鱗して久しいが、それでも、つい先日ようやく十五を数えるようになった頃合いでな」
「ぅああーーーーーッほとんど同い年じゃないかーーーーーーーッ!!」
衝撃のすぎる宣言に、フラワンサックは頭を抱えて勢いよく床を転がりまわった。
「お、おい。落ち着け。
我々はそもそもの種が……生態が異なるのだぞ?
何をそのように取り乱す必要がある」
ヴ・ロロッコが問いただせば、少年は地面にうつ伏せた状態で動きを止めて、ブツブツと小さな呟きを漏らし出す。
「だ、だ、だって、種族が違ったって、ほとんど同じ年月を生きてて、こんな、こんな……」
この反応には、さしものリザードマンも呆れの色を隠せない。
彼女は、あるかないかの肩を竦めて、口腔から僅かに空気を吐き出した。
「分からぬヤツだ。私は大人として十二年の時を生きておるが、お主は未だ子の立場であろう。
なればこそ、積み上がる経験内容に明確な差があって然るべきではないか。
それを殊更並べ立てて比べる方が間違っておるのよ」
「そ、そう、なのかな……」
「あぁ、そうだとも」
優しく言い聞かせながら、ヴ・ロロッコは自らの尾をフラワンサックの腰辺りへ巻き付け、ゆっくりとその貧弱な身体を持ち上げる。
「さぁ、納得したのなら結論を出せ。
我が手を取るのか否か、今ここで選ぶがいい」
「……うぅ」
頭痛を堪えるかのような面持ちで呻く少年。
実際はそこから更にひと悶着がありつつも、結末、彼は悪しき魔物の甘言に乗ることとし、つつがなく碧き鱗の民との同棲修行生活を開始する運びとなったのであった。
「そもそも女性がそんなっ、は、裸でいるものじゃ、せめて何か、ふく、服をですねっ」
「なぜわざわざ動きを阻害する布など纏わねばならぬ。
自前の鱗で事足りるだろう」
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大滝を正面に、水中へ半身を沈め、直前に拾った木の枝を手に持ち、瞼を閉じるヴ・ロロッコ。
フラワンサックは、そんな彼女を、川縁から緊張の面持ちで見守っている。
「フラワンサック」
「はい!」
静かに、しかし、滝音に負けることなく、リザードマンのはっきりと力強い声が響く。
「聞け、フラワンサック。
天を感じよ、大地に溶けよ、この世とは即ち己自身であると知れ。
全ては明鏡止水の先に在る。到り得た世界と一体となるのだ。
さすれば、そう、私のような者とて、この程度の芸当が可能となる」
少年が気付いた時には、すでに彼女の腕は空に向かって真っ直ぐに伸ばされていた。
次の瞬間、信じられぬ光景が彼の眼前に広がる。
なんと、大滝が音も立てずに、下方から左右に別たれていくではないか。
「………………は?」
やがて、完全に水の流れが二股に分かれきったところで、滝はようやく自らの在るべき姿を思い出したかのように、元の形を取り戻していった。
呆ける少年の元へ、ヴ・ロロッコが川の流れを横切りながら向かっていく。
「要領は理解したか?
肉体が持つ力のみを頼るのではない、それではすぐに限界は知れてしまう。
空を舞う鳥が風を読むように、この世界が在るために循環し続ける無限にも等しい力の動きを捉え、それを利用するのだ」
「いや、無理」
「フラワンサック?」
「ムリムリムリムリムリムリムリムリ」
顔面を超高速で左右に振るフラワンサック。
ごく一般的な人間の感覚として、彼の反応は何ら間違ってはいない。
ここは地球と同じく、魔法もなければ超能力も特殊なスキル制度もない、要は、彼らを人以上の何かに至らしめる可能性など存在しないはずの世界なのだ。
いかにも魔力が関係していそうな魔物という呼称も、単に宗教的な意味合いによるものであり、イノレイ国から一歩出れば、彼らは亜人であり怪物であり獣の一種であった。
もちろん、人間と比較した場合に、リザードマン一族は非常に高い身体能力を有しているのだが、それでも常識の範囲を超えるような、循環する世界の力を行使するような真似など出来るものではない。
つまり、彼女が実演してみせたことは、この世に生きる何者であっても不可能であるはずの事象だったのだ。
「何も、ここまでやれとは誰も言っておらぬであろう。
期限も短い。私が鍛えてやれるのは、精々この山の主と対峙して逃げおおせる程度の至極最低限のものよ」
川から上がり、フラワンサックの隣に並び立ったヴ・ロロッコが、呆れたようなため息交じりの声で言った。
だが、例えそのような話を聞かされたところで、巨狼に遭遇した記憶の新しい彼が早々安心できるわけもない。
仮にあの獣が山の主だったとして、本気で襲ってこられた際に逃げ切れる自信など、少年には微塵たりともありはしないのだから。
「あ、の、ちなみに、山の主、とは……?」
「あー……我々の住む小屋があるだろう」
「はい」
「アレを上に三つ積んだ程度の背丈の大熊だ」
「…………それは、後ろ足で立ち上がった状態ですか?」
「いや、四足の状態だな」
「なるほど」
「うむ」
「死にますね」
「うむ?」
「知っていますか、ヴ・ロロッコさん。
我々人間は、あの小屋たった一つ分の大きさの熊が相手でも簡単に死ぬ生き物なのです」
そう告げたフラワンサックの目はすでに死んでいた。
もちろん、少年がどう説明したところで、その後、彼女との修行が取り止めになったという事実はない。
彼はこれから先、幾度となく生死の境をさ迷いながら、着実に人ならざる力を身に着けていくこととなるのである。
「か、神よ……っ。
これは、禁域を犯した僕へ、貴方が与えたもうた罰なのでしょうか……神よ……うぅ」
とんだ冤罪であった。