08、人を馬鹿にするのも
――お姉ちゃん、
――ねえねえお姉ちゃん!
そう言われて、私は、はっと目を覚ます。
頬に当たる風が柔らかいし、とても日差しが気持ちいい。
ここは一体、どこなのだろう。
凄く懐かしい気もするし、さっきから私を呼んでいるこの――。
「お姉ちゃんってば!」
「ん――って、きゃ」
飛びついて来たその誰かに、押し倒される。
私の腕の中では、小さな女の子が、くすくすと笑っていた。
「あなたは――誰?」
「誰って。何言ってるの、お姉ちゃん?」
お姉ちゃん、それが私。
ということは、この子は私の――。
「貴方は私の、妹?」
「うん、そうだよ。おねえちゃん?」
そう言って、私の腕の中の何かが。
私の胴に、ガブリとかぶり付いた。
「――ッ!?」
私は、はっと目を覚ます。
不味い。今、一瞬だけ意識を失っていた。
空を飛びながら、あの子を探しながら、眠ってしまっていた。
あれから長い事探し続けたけれど、妹は一向に見つかる気配はない。
それに、もし上手く見つけることが出来たとして――どうする?
我を忘れてしまっているあの子を、私は打ち倒す事が出来る?
問題は、それだけじゃない。
もし仮に、何とか上手く事が運んだとして。
あの子の無力化に成功したとしよう。
でも、その後はどうする?
正直、全くわからない。
でも、分からなくて、もやらなければならない。
あの人に、あんな事まで言っておいて、今更無理では済まされない。
……正直、あんな別れ方すべきじゃなかったとは思う。
いや、それは違うか。
きっとあの人は、あれくらい言わないと着いてきてしまう。
適当な別れ方であれば、すぐにでも私を追ってきただろう。
それは凄く嬉しいけど、困る。
あの人は、この件とは完全に無関係なのだ。
こんな私用に突き合わせる訳には、絶対にいかない。
ましてや、それで命を落としでもすれば、私は――。
そう、結局、自分の為なのだ。
あの人が傷つくのを見て、私が傷つきたくないから、あの人を傷つけた。
私はいつもそう。いつもいつも自分勝手な事ばかり。
そんな事だから。
そんな事だから私は――。
「……止めよう」
悲しくなるだけだ。
どれだけ後悔したって、過去は戻らない。
どれだけ悔やんだって、発言は消えない。
「――かはっ」
咳き込んだら、血が出た。
でもこの程度、なんともない。
あの子や、あの人が感じている痛みに比べれば。
そんな事を思って、ふと上を見上げたのは。
結果的には、正解だったのだろうか。
『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
「――なッ!?」
失念していた。
相手にも翼があるというのに。
どうして私は、わざわざこんなに潜みやすそうな雲の近くを通った?
「ッ――!!」
翼を左右逆にはためかせ、回避行動を取ろうとして。
ビキリ、と右の翼が嫌な音を立てた。
「――痛っ!!」
そのスキを、あの子が見逃してくれる訳もなく。
ビチッと、左の翼を、食い破られた。
「くっ……ああああああああ!?」
折れた右翼と、喰われた左翼。
当然、飛び続けられる訳もなく。
私は、墜ちた。
どこで、私は間違えたのだろう。
一体何を、間違えたのだろう。
お父様が魔女に言い寄られた時?
妹を逃がすと決めた時?
あの洞窟に封印された時?
それとも――。
はあと、私はため息を吐く。
違うよ、そういう事じゃない。
そんな風だから。
そんな風だから、私は。
ふと、私は人間の姿に戻っている事に気がついた。
弱ると、こうなるのだろうか。
新しい発見だ。もう、どうでも良い事だけど。
そして、私は上空の可愛い妹を見上げる。
とても可愛そうで、苦しそうな、私の妹。
本当に、ごめんね。助けることが出来なくて。
涙が一滴零れた。
くすりと、笑いそうになる。
涙なんて、あの洞窟で泣いて泣いて、泣きじゃくった時に。
もう枯れ切ってしまったと思っていたのに、なんて。
そして。
「もう少し、優しくしておくべきだった……かな」
いつもそうだ。
私は自分の感情をそのまま伝えることが出来なくて。
私は自分の気持ちを素直に伝えることが出来なくて。
いつもいつも、あの人を傷つけていた。
そんなだから。
そんな事だから、私は。
そんな風だから、私は、いつまで経っても。
「……幸せに、なれないんだ」
涙が溢れて、止まらなかった。
別に、あの時の事を後悔してはいないけど。
今更、あの時の決断が間違っていたなんて言うつもりは無いけれど。
だけど、考えてしまう。
「…………」
もし、あの人と別の世界に行けたなら。
「…………かった」
もし、あの人ともっともっと沢山の時を過ごせたら。
もし、あの人ともっともっと沢山の世界を見ていけたら。
「……私も……かった」
あの人は今頃元の世界に帰っている頃だろうか。
もう、再び妹さんと出会えて、笑顔を浮かべているのだろうか。
私のことなんて忘れて、幸せな日常を取り戻して居るのだろうか。
そう思うと、涙が止まらなくて止まらなくて。
それが良いのだと、それで良いのだと分かっていても。
自分勝手な私は。
「……私も、あの人と」
今更。
本当に今更過ぎると思うけど。
「私も、あの人の世界に行きたかった!!」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
不味い。あれから準備にかなり手間取ってしまった。
アレイスターに必要なものを借りて、アレイスターに召喚獣を召喚してもらって。
全く。アイツには、本当に世話になりっぱなしだ。
「頼む、もう少し急いでくれないか?」
「きゅるーい……」
「なあ、この通りだ。疾風の申し子ダッシャートさん!!」
「きゅるるるっ!!」
アレイスターに教わった通りにおだててやると、面白いくらいに速度が上がる。
どうやら召喚獣には単純な奴が多いらしい。
「きゅい……?」
「思ってない思ってない!! 単純とかこれっぽっちも思ってない!!」
初めてダッシャートと心が通じ合った瞬間だった。
「……にしても、まだ影も見当たらないか」
そんな事を思いながら、僕は手に持つ水晶をちらりと見る。
これは、アレイスターが貸してくれた、通信装置のようなものらしい。
彼女はどうやら事を見越して、去っていくドラゴンに追跡用の召喚獣を付けたらしいのだ。
まあ、簡単に言えば発信機のようなもので、特定できるのはドラゴンの居る方向のみ。
それ以上の事は、皆目見当も付かない現状だった。
「本当に出来すぎた9歳児だ。……頼りになるよ全く」
「きゅきゅい!」
どうやらご主人が褒められても嬉しいらしい。
見上げた従僕精神だ。
と、そんな、時だった。
手に持つ水晶が指す針の方向が、くるりと半回転した。
「な――って、上か!!」
その判断は、正解だった。
真上の遥か上空から、ボロボロの少女が。
落ちてきた。
「止まれ!! 止まってくれダッシャート!!」
「きゅきゅい!!」
何故か加速するダッシャート。
「声色で『よし』か『待て』かを判断するか犬かお前!! ――くそっ!!」
そんな事を言いながら、覚悟を決めて飛び降りる。
アクション映画さながらに、ゴロゴロと転がって、転がって。
止まって、飛び起き上を見る。
「ドラゴン!!」
もう既に、その位置は真上とは言い難い所まで来てしまっていた。
「くそっ、間に――合え!!」
あの高さから地面に叩きつけられたとして、助かるのか。
人間の姿である彼女が、あの速度の落下に耐えられるのか。
そんなの、聞くまでもないくらいの高さで、速度だった。
――でも、大丈夫だ。
今の僕なら、助けられ得る。
「……それだけの力が、ある!!」
そして、無我夢中で思い切り走り出す。
ドラゴンの落下地点を、リーチ内に収めるために。
「くそ!! こんな事ならトランポリンとか収納しとくんだった!!」
でも、ドラゴンとの距離、落下地点との距離は既に直線で50メートル位。
これなら、十分に届く。
と、そんな時に。
頭の奥に閉まっていた、ある不安が呼び起こされる。
――貴方は来ないで下さい。
――邪魔です、負担です、足手まといです。
――貴方と行かなくたって、別に構わない。
これらが、本当の本当の、本心だったら。
もし助ける事が出来たとしても、また突き放されたら。
そもそも、ドラゴンが助けられることを望んでいなかったら――?
そんな事を思いかけて。
少しだけ躊躇し掛けて。
「……私も……きたかった」
その声を聞いて。
決意が、固まった。
「私もあの人と」
迷いなんて、完全に綺麗さっぱり吹き飛んだ。
「私も、あの人の世界に行きたかった!!」
「行ける!! だから生きろ!! ドラゴン!!」
叫んで、右手を、そして左手を、――両手を前に伸ばす。
ドラゴンとの距離は40メートル、十分だ。
そしてその辺りの空間を、全て丸ごと――。
「喰らい尽くす!!」
ぐん、と身体が重くなる錯覚を感じて。
僕は目の前の空間ごと、ドラゴンを収納した。
『ああ、それは多分、微妙にスキルを消したからじゃな』
『スキルを微妙に?』
『うぬ。こんな奇跡みたいなことは滅多に起こらんじゃろうが、主のスキルの、射程距離という名のリミッター部分が、大きく削除されたのじゃろうな』
『射程距離の削除って……アリなのかそれ』
『だから奇跡じゃ。無論、範囲が無限になった訳ではないじゃろうがな』
「……それでも、やっぱ十分奇跡だよ。アレイスター」
そう呟いて。
そして、腕の中に、ドラゴンを出す。
それは、もうボロボロにボロボロを重ねたくらい、ボロボロで。
痛々しくて、酷く痛々しげで、見てられなくて。
思わずギュッと、その小さな体を抱きしめた。
「……貴方はっ。どうして!?」
「えーっと。……邪魔です。負担です。無意味です。足手まといです」
「――そ、それは」
「全く。傷ついたよ本当に。一字一句漏らさず覚えるくらい、傷ついた」
と言うか、もう泣いた。
「でも、僕はお前に、暴言やら毒舌を散々浴びせ掛けられ続けてたんだぜ?」
もう驚きすぎて何も言えないドラゴンに。
満身創痍で何も言い返すことの出来ないドラゴンに。
「だから、これだけは言わせてくれ」
僕はありったけの愛情を込めて。
超の付くほどの笑顔で、言った。
「あの程度で帰ってやるほど僕は甘くない!!
人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!! ドラゴン!!」
「――ッッ!?」
確かにあの時は傷ついた。
絶対立ち直れないと思うくらい、傷ついた。
何もかもをかなぐり捨て帰ろうとも本気で思った……けど。
あれもこれも、全部僕が馬鹿だった!
あれくらいの事を、気にした僕が馬鹿だった!!
あの程度の嘘を、見破れない僕が本当に馬鹿だった!!!
「だから、見てろよ。僕はお前を助けてみせる」
「……で、でも」
「でもじゃない!!」
そう言って、ゆっくりと、ドラゴンを地面に降ろして立ち上がって。
精一杯、ありったけの格好を付けて。
「僕は、お前の妹を救って――お前を救う!!」
この時、ドラゴンが僕に向けた表情は。
それはそれは綺麗な、泣き顔で。
僕は、この光景を、一生忘れることは無いんだろう。