07、『待っていて』では駄目だから
妹だと。
あの白い蛇は私の妹だと、ドラゴンは言った。
「それは……本当、なのか?」
「はい」
微塵のラグも無く即答された。
更に尋ねるまでもなく、ドラゴンは自分から理由を話す。
「あの、白いペンダント。あれは、私が妹の誕生日にあげたものです」
やはり――そうか。
妹だ、とドラゴンが言ってから、何となくそんな気はしていた。
いや。というよりそれ以外に思い当たる節がなかったという方が正しい。
「でも、だからって――」
「妹とは限らない、ですか?」
言わんとしていたことを先に言われ、口を閉じる。
否、閉じさせられる。
「妹ですよ。私には分かる、と言うかそれ以前に聞こえるんです。彼女に巻き付かれた時に聞こえたんです。苦しいよ、助けてよ……お姉ちゃん、って」
「…………」
「本当に分かるんです、私には。あれが父に魔獣へと変えられた妹だってこと。無理やりに呪いで心を支配されて苦しんでいる妹だってことが」
「……妹は、安全なはずじゃ無かったのか?」
妹か、否か。
その議論はもう巻き起こさない。
ドラゴンがそうだと言っているのだから、多分あの白い蛇は、本当に彼女の妹なのだ。
「多分、嗅ぎつけられたのでしょう。迂闊でした。妹も私に劣らずの魔素を持っていたので」
でも、今一番問題なのはそこじゃない。
こんなにボロボロの状態で、ドラゴンがあの蛇と相対したらどうなるかなんて。
そんな事。どんな馬鹿にだって、それこそ僕にだって簡単に予想がついた。
「……でも、別に今すぐじゃなくたって良いだろ。とりあえずその傷を――」
「今すぐじゃなくては駄目なんです。妹が何の為にこの場に現れたにせよ、長居してくれるとは限らない。それに今ならまだ大して遠くへは行っていないはずです」
「いや、だからって――」
「では仮に。あれが貴方の妹さんだったなら。貴方は放っておけるのですか?」
「――っ、それは……」
多分、無理だ。
「私はこれ以上妹に苦しんで欲しくない。一秒でも早くあの子をを救いたい」
だから、行きます、とドラゴンは言った。
その目に、迷いなんてものは一切見当たらなかった。
「……分かった、けど。だったら――」
諦めることも、先延ばしにすることも、しないのなら。
僕も連れて行けと、そう言おうとして。
「貴方は、来ないで下さい」
「……それは、どうして?」
「足手まといです」
冷たい目で、真っ直ぐに僕を見ながら。
ドラゴンは言った。
「いや、だけど」
「だけど何ですか。では逆に聞きますが貴方は何か出来るのですか?」
そう聞かれて、僕は黙るしか無かった。
だって、当たり前だ。何か言える訳がない。
本当に、何も出来ないのから。
「貴方は、もう元の世界に帰って下さい」
「――な、だってお前、」
僕が元居た世界に、一緒に帰るって、言ってくれたじゃないか。
なんて、言えなかった。
「私は、この世界で妹を元に戻す方法を探します。だから貴方は帰って下さい」
「でも、それくらい、僕も付き合って――」
「何度も言わせないで下さい」
ドラゴンは、一度目を閉じて。
そして何かを諦めたような顔で、言った。
「貴方は邪魔です。負担です。無意味です。足手まといです。
大きなお世話ですらない、もはや、タダの邪魔です。
十中八九、貴方が居ないほうがスムーズに事が進みます。
来ないで下さい。むしろ来ないでくれとお願いします。
それくらいに、と言うかもう、全て本当にその通りです」
呆気にとられる僕に。
ドラゴンは、どうしてかは分からないけれど。
笑顔を向けた。
「別に私は、貴方と他の世界になんて行か無くても良い」
ああそれと、と付け加えるように。
「私を待っていても無駄です、一生ここには来ません」
それだけ言って、ドラゴンは、去った。
「なっはっは!! 酷い言われようじゃったの。それにあの娘っ子、名前だけでなく本当にドラゴンだったとは」
その声は、あろうことか。
呆然と立ち尽くして、一歩も動けないでいた僕の後ろから聞こえた。
「おお、なんじゃその目は。ああ分かっておる分かっておる。さしずめあの娘っ子に追いつける召喚獣を貸せと言いたいのじゃろ? ふふん任せろなんたって私は優しいからな」
「準備をしてくれ」
「あん? 分かっておる分かっておるわ。主には疾風の申し子と呼ばれた――」
「元の世界に帰る準備をしてくれって言ってんだよ!!」
一瞬、アレイスターは口をつぐんだ。
でも、再びその口は開かれる。
「……主は、それで良いのか?」
「……良いよ。……良いんだよ。ドラゴンがそれで良いって言ってんだ」
「違う。主はそれで良いのかと聞いておるのだ」
そう尋ねられて、僕は、一瞬黙って。
「良いよ」
それは、本心だった。
この時、僕は本心からそう思った。
「あの娘っ子は、死ぬかも知れぬぞ?」
「……分かってる。だけど、僕が居たほうがその確率は上がるんだよ」
これまで、僕はなるべく彼女の負担になるまいと。
出来る限り負担を掛けまいと、してきたけれど。
その存在自体が邪魔なのだと、居るだけで迷惑なのだと、そう言われたのだ。
気付いていないわけじゃなかった。
気付いても気づかないふりをしていただけなんだ。
でも、それを僕は、あろうことかドラゴンに、教えられた。
「主のスキルなら助けられるかも知れぬぞ? 異世界者のスキルは例外なく最強じゃ」
「無理だよ。だって……お弁当だぞ?」
滑稽だった。至極滑稽な台詞だった。
可笑しすぎて、全然笑えないような。
「実際、刃が立たなかった。馬鹿すぎるよ、どうして敵うとか一瞬でも思ったのかね僕は」
そんな僕を見て。
アレイスターは言った。
「……主は」
本当に残念そうな。
そんな表情を浮かべながら。
「つまらぬ、男じゃの」
その見透かしたような態度に。
どうしてかはわからないけど。
大人気もなく、苛ついた。
「……んだよ」
別にその言葉がどうとか、そういうわけじゃない。
ただ、タイミングが悪かった。
ここまで積もり積もっていた物が、崩れた。
「……何なんだよ、お前は」
苛ついて、苛ついて。
何も出来ない自分自身に腹が立って。
わかったような口を聞く彼女に、どうしようもなく腹が立って。
「何なんだよ、お前は!!」
腹が立って腹が立って腹が立って。
「さっきから何だ? お前は何様だ!?」
もう、無理だった。
「……部外者が、他人が知ったような口聞いてんじゃねえよ!!」
もう、自分ではどうにも出来なくなって。
完全に部外者であるはずの、関係のない、罪もない人間に。
単に良い人であるだけのはずの少女に、僕は、当たった。
「ずっと僕らの事を盗み聞きしてたんだろ!? なら何を聞いてた!? 僕がつまらない男? 笑わせんな当たり前だろうがそんな事!! こちらと邪魔で負担で無意味で足手まといでしか無いようなつまんねえ人間なんだよ!! 皆が皆お前みたいに意味も無く馬鹿みたいに前向きに生きていける訳じゃねえんだよ!! その助けに行くのが当たり前、助けに行けるのが当たり前、助けられるのが当たり前なんて強すぎる考え方押し付けて来んじゃねえよ!!」
そんな風に喚いて、叫んで、怒鳴り散らして。
落ち着いて、みれば。
気付いてみれば。
目の前の少女を見てみれば。
しとしとと。
泣いていた。
アレイスターは、泣いていた。
「……そう、じゃな」
しゃくり上げるわけでもなく。
声を上げるでもなく。
ただ一筋、頬を濡らしながら。
何も悪くない少女は、誤った。
「主は私とは違う。……確かに、その通りじゃ」
言葉に詰まる僕に、その金髪少女は。
でもな、と前置いてから。
「失って初めて気づく事ほど、馬鹿馬鹿しい事は無いのじゃぞ」
アレイスターのその言葉は、とても思わせぶりで。
本当に、その年齢以上の何かを感じさせて。
この少女は一体、どんな事を経験したのだろうと考えさせられて。
ここまで打ちのめされていなかったら。
僕は、考えを変えていたのかも知れないとまで、思った。
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「その結晶石に触れれば、スキルは消去されて、主は帰れる」
僕とアレイスターは、あのピラミッドのような神殿の一番上に居た。
頼まれていた物を吐き出して、石は一つ足りなかったけど、何も言われず。
そして、元の世界に帰るために、この場所にやって来た。
「……分かった」
良いのか、とはもう尋ねて来ない。
だからという訳ではないが、僕は呟く。
「良かったんだよこれで。僕にとっても、ドラゴンにとっても」
聞き様によっては、自分自身に言い聞かせているとも言えるような言葉。
だけどその通り。これは自身を宥めるような、正当化するような。
そんな、弱くて臆病な言葉なのだ。
「……悪かったな、アレイスター。あれは完全に、八つ当たりだった」
そう言うと、アレイスターはゆっくりと首を振る。
まるで、そんな事気にしていないとでも、言うように。
本当に、良く出来た9歳児だった。
「僕はさ」
ここで、この事は言わないようにしようと思っていた。
言えば嘘っぽくなってしまうから、なんて。
でも、そんな事は無いんだって自分で気づいて。
「やっぱり、妹に会いたいんだよ」
「……そう、じゃな」
「だから、ドラゴンの気持ちも凄く分かる。分かるし、手伝いたい」
手伝いたい。それが僕の本心だ。
だけれど。
「アイツが、望んでいないんだ。望んでいないどころか、邪魔にしかならない」
「…………」
「それは、僕も望まない」
それに、待っていても彼女は帰ってこない。
一生会うことはないと、言っていた。
「だから有難うな、アレイスター。飯美味かった」
「……ああ」
そう言って、僕は、その結晶石に触れた。
途端に、流れ出る淡い光。
それに包まれながら、僕は考える。
もう一度くらい、ちゃんとドラゴンと喋りたかったとか。
もっと美味いものを、食べさせてやりたかったとか。
どうせなら僕が作ってやればよかったとか。
そんなどうでも良い事を考えていたら。
ドラゴンに、最後に言われたことを思い出した。
“別に私は、貴方と他の世界になんて行かなくても良い”
そんな事を言いながら、笑っていた。
どうしてかは分からないけれど、笑っていた。
あんな笑顔は、彼女に度々向けられたことがあるけど。
どこでだったけな、なんて。
そんなことを思って。
僅かな時間、考えて。
包み込む光が一層強くなって。
もう、スキルが消される、と。
感覚的に理解できて。
そして――、
右手で触れていた結晶石を、全力で地面に叩きつけた。
パラパラと、その破片が舞い散る中で。
「笑うんだ」
「――は?」
「アイツは。ドラゴンは、嘘を付く時に笑うんだ」
そうだ。
洞窟で僕に嘘がバレたあの時だって。
僕を口に含んだあの時だって。
ドラゴンは、笑っていた。
「……だったら。もし、あれが嘘ってことに、なるんだったら」
あれとは勿論、ドラゴンが言った、あの言葉。
僕が一番傷ついた、本当に心に刺さったあの言葉。
“別に、私は”
「それは、つまり」
“別に私は、貴方と別の世界になんて行かなくても良い”
「――本当は、一緒に別の世界に行ってみたいって事じゃ無いのか!?」
危険だから、着いてきてほしくなかった。
着いてきたら、守れる自信がなかった。
それは分かるし、多分、その通りだったのだろう。
だけど流石に、帰ってほしいとまでは思わないはずだ。
幾ら何でも、自分を待っていてくれる人間が居ないほうが良いとは思わないはずだ。
だから本当は、ドラゴンだって、僕に帰りを待っていて欲しかったはずだ。
でも、多分、言えなかったのだ。
『待ってて』では、駄目だから。
僕がきっと、駆けつけてしまうと信じたから。
『帰れ』と、言ったんだ。
そうだ。
今思えば流石にあの時のドラゴンの行動は変すぎる。
熱くなっていたとは言え、普段のドラゴンであればあんな状態でギーヴルを追おうとはしなかったはずだ。
でも、実際にドラゴンは瀕死の状態で去っていった。
それは、今でなければ、駄目だと思ったのだろう。
あの時は僕が、完全に自身を失っていた時だった。
ずっと守られていたと知って、精神的に追い詰められていた時だった。
そんな時だから。
逆に、そんな時じゃなければ僕を言いくるめられないと思ったから。
あんなボロボロの状態のまま、一息だって付かずに出ていったのでは無いだろうか。
これは単なる僕の想像だ。
もしかしたら勘違いなのかもしれない。
それどころか、全く見当違いで笑われてしまうのかもしれない。
でも、良い。
勘違いだったならそれで良い。
勘違いだったとしても、その勘違いのお陰で。
僕は、一歩を踏み出すことが出来るのだから。
「なあ、アレイスター」
「……何じゃ」
「異世界者のスキルは例外無く最強だって、言ってたよな」
そう前置いてから。
再び、アレイスターの方へと向き直る。
今度は、別れを告げるためなんかではなく。
「あれは、本当だろうな?」
「……私は、嘘は吐かぬ」
それを聞いて。
大きく、息を吸って。
「頼む、アレイスター・クローリー。僕に力を貸してくれ」
「ほう、それはまた、どうしてじゃ?」
そう尋ねられても。
もう僕は、迷わない。
「ドラゴンを、救うために」
その答えを受けて。
満足そうに、頷きながら、少女は言った。
「結晶石の弁償は、娘っ子を連れて帰ってきてからじゃな」