01、存在価値が危うい
僕は現在、空を飛んでいる。
バッサバッサと、翼が空気を叩く心地よい音に耳を傾けながら。
女の子の上で、女の子にしがみ付くようにして、女の子にギュッと――
……すいません。
確信犯です。わざと誤解を招くような表現をしました。
「なあ、ドラゴンさあ」
そう、ドラゴン。
僕が乗っているこの生き物、そしてさっき僕が女の子と言った彼女は。
紛れもなく、ドラゴンだった。
「はい、何ですか?」
淡い藍色の身体に、二枚の美しい翼。
そして、このクセになりそうな可愛らしい声と――、
「お弁当さん」
「お弁当さんっ!?」
この天然どボケした発言達が、彼女の最大の持ち味だ。
「お弁当さん、お弁当さん」
「………」
話せば長くなるから端的に説明するが、彼女は、長い間封印されていた。
しかも、聞くに彼女は魔女とか言う良く分からない悪い人にドラゴンにされてしまっただけの、ただの不幸な人間らしいのだ。
それも、元々は王族の長女、つまり彼女はお姫様だったらしい。
「どうして貴方はお弁当なのですか?」
「それは僕が聞きたいっ!!」
うう、こんな暴言吐き放題のお姫様が許されるのか? 許されて良いのか?
というかこれを、現実世界でお姫様を夢見る少女たちに聞かせてみたらどうなる。
泣くだろう。確実に泣くだろう
それから、僕は今、異世界と言ったけど、コレはそのままの意味で取ってほしい。
僕は、彼女が封印されている時に、現実世界から召喚されたのだ。
……お弁当として。
「なあドラゴン。僕って一体何なんだろ」
「愚問ですねー」
「ですよねえ」
がっくりと肩を落とす僕。
彼女の封印を解くのに、僕もまあ一役買ったと言えなくもないのだから、もう少し待遇を改善してくれてもいいと思うのだけど。
「あの、これから私達……一匹と一箱はこれからどこへ向かうのでしょうか」
「一箱!? まさかそれは僕か!? 僕なのか!?」
待遇改善など、可能性どころか見込めるスキすら無いようだった。
「でもまあ、とりあえず人のいる場所に行ってみようと思う」
「人……ですか。確かに、ここには人っ子一人見当たりませんものね」
「真上に居るぞ、真上に」
はあ、とため息を吐いてから僕は話を進める。
この程度は日常茶飯事だ、気にするような僕ではない。
「でも、どうして人を探すのです?」
「何でって、さっき二人で話しただろ? 僕が帰るためだって」
「はあ、土にですか?」
「元の世界だ馬鹿野郎っ!!」
はあ、とため息を吐いてから、更に僕は話を進める。
この程度は…日常……茶飯………ぐすん。
「ああ。そう言えばそうでしたね。貴方は妹さんの所に帰らなければ」
「……うん、まあ。何と言うか、ありがとな」
何と、驚くべきことに、この提案は彼女の方からだった。
貴方が元居た世界に帰る方法を探しましょう、とか言って、僕らは街に行くことになったのだ。
何だかんだ言っても、ドラゴンには、そういう所がある。
「いえいえ。無機物が人を悲しませるなど、あってはならないので」
「無機物!? ホントそういう所あるよなお前!!」
「有難う御座います。でもこうやって闇雲に飛び回った所で、街など見つかるのですか?」
「……まあ、確かに難しいだろうな」
因みに、褒めてない。
「だからこういう時は、まず川を探すんだ。水有る所に人が有りと言って――」
「あ、あれ街じゃないですか?」
「何たる豪運だ!!」
とは言え、運がいいのは良いことだ。お手製の名言が溶け去ってしまったけれど。
それじゃあ先ずは、その辺の森にでもこっそり降り立つとして――
「降下します、捕まって下さい」
「は!? 馬鹿野郎もう街の真上――ってうわあああああああああああ!?」
それは、降下というより、落下だった。
それは、制空飛行というより、急転直下だった。
それは、着地というより、激突だった。
「ふう、我ながら見事」
「……ど、こ、が、だ」
先程の、無茶苦茶な落下のせいで、僕は張る声も張れない。
と言うか、あれだけの衝撃で、このドラゴンは良く、ケロッとしていられるよな。
はからずもドラゴン、されどドラゴン、と言った感じだろうか。
「――ひっ」
と言うか。
ここに来て、僕はようやく、周りのこの状況が理解できた。
突然、賑やかだった街の広場に、唐突にドラゴンが降ってきたというこの状況を。
「キャアアアアアアアアアア!?」
当然、一瞬にして、この広場は阿鼻叫喚とした。
「やばい!! 逃げるぞドラゴン!! ここで顔覚えられると後々聴き込めなくなる!!」
「ええー。お腹減って、力が出なくて、ちょっと」
「お前はアンパンの精霊か!! 死人とかが出る前に早く――」
とか思ってたら、ドラゴンに踏み潰されたと思われる男性を一名ほど見つけた。
「お前何て事をおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
僕は叫びながら、ドラゴンの背中から飛び降りる。
可哀想なその人は、哀れにも白目をむき出しながら、泡を吹いて、眠っていた。
それはもう、安らかに。
「あー、その殿方なら大丈夫ですよ。恐怖で失神しているだけで、私は傷一つ付けていません」
「その正確性が有るならこんな場所に着地するな! でも、良かった。本当に!!」
更に言うなら、心の底から。
「はあ。でも確かにコレでは食事の一つもできませんし。出ますか」
「その食事は意味深だけれど、確かにそうしよう。鎧着た人とか集まってきたし」
そう言って、よじ登ろうとしたその場所に。
有るべきものが有るはずの、その場所に。
何故かドラゴンは、居なかった。
ただ聞こえてくるのは、バッサバッサと言う羽音。
それが意味するのは――、
「行きますよー。きちんと捕まって下さい」
「行かないでえええええええええええええええええええ!!」
無残にも、悲壮にも、悲惨にも。
ドラゴンは、僕を忘れていったようだ。
その後、僕は走った。
何度も転んで、何度も捕まりかけて、それでも、走った。
走って走って、ドラゴンが飛んでいった方向に向かって、走り続けた。
本当に、幾度となく、もう駄目だと諦めかけた。
流石に、全身フルプレートのおじさん十数人とのスプリントは、正直死をも予見した。
でも、僕は走った。走り続けた。
全身フルプレートが裏目に出たおじさんたちを振り切り。
畑に身を隠し、泥棒と間違われ、それでもまだ走って。
街を抜け、草むらに出て、野犬たちに襲われて。
そして、
「あはは。つかまっちゃったよ」
「あははじゃねえぞ糞ガキ。テメエ誰の敷地の銅像ぶっ壊したと思ってやがる」
牢屋の中で薄笑いを浮かべる僕を、容赦なく降り掛かってくる暴言。
でもどうしてだろう。あまり心に響いてこないんだよなあ。
流石にこの男の人も、僕を食ったりはしないだろうし。
「それにてめえ。エルド男爵にあんな事しておいて、タダで済むと思うなよ」
エルド男爵。
それは多分、あの時の可哀想な殿方のことだろう。
ていうか男爵とか、そんな偉い人をピンポイントで気絶させられるアイツの豪運、凄いな。
でも、ちょっと流石にこのままじゃ不味いかもしれない。
誤解を解くのは難しそうだし、と言うかそもそも誤解なのかも怪しいし。
……しょうが無い。
これは正直使いたくなかったけれど。
どうやら僕は、奥の手を切るしかなくなったようだ。
「呼び出し」
そう言いながら、右手でバツ印を切る。
「ああ? てめえさては馬鹿か。コールの呪文は半径10メートルに魔素を撒き散らすだけのモンだろ。せいぜい飲食店でオーダー受けてもらうぐらいしか使い道のない雑魚魔法を、どうして今使うんだよ」
「……懇切丁寧なご説明、ありがとう」
そう。確かにこれは、僕みたいなド素人でも使えるような雑魚魔法。
ドラゴンに、食べられたくなった時だけ使えと言われた、自殺魔法。
しかも、こちらは元々魔法なんて使ったことのないような、藤次郎。
本来、こんな呼び出しに応じてくれる者どころか、気付く者すら殆どいないだろう。
だが、今回においては、その限りではないのだ。
『なっ!? 誰だ貴様――って、ぎゃあああ!?』
「何だ!? なあおいどうしたお前ら!!」
例えば、向こうが信じられないくらいにハイスペックだとしたら。
「……さては、てめえの仲間だな」
「うーん。仲間、でいいのかな」
例えば、向こうが物凄くお腹を減らしているとしたら。
例えば、お腹がペッコペコの、人食いドラゴンだとしたら。
バタン!! と、激しくドアが開かれる。
「野郎!! 覚悟しやが――って、女だとぎゃふう!!」
簡単に気絶した男を跨ぎ、カツカツと、何かを探すように歩いてくる少女は。
淡い藍色の髪をきらびやかになびかせながら、すまして歩くあの少女は。
可愛らしい小さなその口を開き、聞き慣れたあの声で、こう言う。
「お弁当からの呼び出しを受信しました。私のお弁当はどこですか?」
「……ここだ、ここ。僕はここだよ、ドラゴン」
ドラゴンと呼ばれた、藍色の髪をもつ美少女は言った。
「先程のランチコールに、嘘偽りは無いのでしょうね?」
「…………」
なんと言うか、あれだった。
どのみち僕の命は、無いのかもしれない。