骨を折る
宝くじ一等、七億。別に私に当たってもいいじゃない。当たっても何も悪くないよね――などと常々言っている。
かつて、そんな私に息子が言った。
「ねえ、知ってる? 宝くじの一等に当たる確率より、宝くじを買いに行く途中で交通事故に遭う確率の方が高いんだよ」
お前は『●しば』かっ!
それは、お盆休みのことだった。
帰省していた子供たちが午後から帰る予定だったので、バタバタと家事を片付けていた。昼飯も作らないといけないし、天気がいいから洗濯物も干したい。
特に変わったことはしていない。
和室の大窓からサンダルばきでベランダに出た。そこからもう一段下に降りると庭の物干しだ。洗濯物を広げて干し、洗濯バサミを取りに戻り、もう一度地面に片足を下ろした時、それは起きた。
左足を地面に着けた。
足首をカクンと捻り、バランスを崩した。体勢を立て直そうとしても脚に力が入らない。私は派手に倒れこんだ。
『いったな』
真っ先に思ったことは、それ。
痛ぇ、いままで経験したことがないくらい痛ぇ。
「お母さーん、大丈夫?」
和室の窓から娘が言った。この娘、帰省すると私の近くにいることが多い。
「大丈夫じゃない。やったかも」
「足が、あり得ない角度に曲がってる」
うわぁ、マジか。
「二階行って、お父さん呼んできて」
「分かった!」
ああ、脚が痛ぇ。そして地面が熱い。日射しが焼けつく。
痛みをこらえながらフウッと思ったのが、青池保子の『アルカサル―王城―』で、ディエゴ・デ・パデリアが死んだシーンだよ。空がきれいだ。
まもなく出て来た夫は『どうした?!』と言った。
見ての通り、転んだんだよ。
「やった気がする」
「捻挫じゃないのか?」
「うーん……たぶん折った」
骨折した経験はないが、私の本能がそうだと告げている。それより、この灼熱地獄から助けてくれ。
脇を抱えられ、痛くない方の脚で体を支え、なんとか和室の中に入った。灼熱地獄からの生還だ。
左足は動かない。痛みを逃したくて、無意識に呼吸はラマーズ法。怪我の痛みにも効きますか? いや無理というものでしょう。
「病院に行くか?」
夫が言う。
そうだね。それしかないと思うよ。救急呼ぶまででもないしね。ああ、でも痛ぇ。
『車出してくる!』と外に行った夫を見送りながら、いつも冷静な息子がひと言。
「父さん、右と左で別のサンダル履いてったぞ」
痛ぇ。痛いが笑った。慌てたんだな。
そして、痛いが幸せだと思った。
ねえ、知ってる? 宝くじを買いに行く途中で交通事故に遭う確率より、洗濯物を干しに行って骨折する確率の方が高いらしいよ。