痛恨の失着
帝国宰相は、すぐにまた元のにこやかな表情に戻り、
「法は守られねばならぬ。法は、万民が平和に生活を営むことができるよう、万民を拘束するのじゃ。ところで、そなたはこれまで、いろいろと苦労を重ねてきたようじゃな」
「ええ、まあ、それなりに……」
内心、身構えながら答えると、帝国宰相はカッと目を見開き、雷鳴のような響きでもって、
「じゃが、窮したからといって、法を破ってよいというものではないぞ!」
そして、懐から引き裂かれた手紙を取り出し、わたしの目の前に示した。これはわたしが署名して皇帝と宰相宛に出した手紙だ。「わたしを今すぐ無条件でウェルシー伯に任じよ」という……
宰相は手紙を使うチャンスをずっと狙っていたのだろう。ウェルシーでの諸々の所業にかんがみれば、わたしに法や正義を語る資格はまったくない。うっかりとそんな話を持ち出したのが失着で、その隙を宰相は見逃さなかった。まさか今まで手紙を持っているとは思わなかったが(わたし自身は手紙を出したことすら忘れていた)、証拠を突きつけられた以上、言い逃れはできまい。
困った…… そして、しばらく沈黙の時間が流れた。
「わが娘よ……」
先に口を開いたのは帝国宰相だった。宰相は手紙を懐にしまいこみ、
「お互いに隠し事はなしじゃ。ざっくばらんな話をしようではないか。わしは、今回の一件を円満に収めたいと思っておるだけじゃ。裁判から手を引いてくれぬか」
帝国宰相はわたしの肩に手を置き、親が子を諭すように言った。ただ、口調は穏やかだが目は笑っていない。「あくまでも裁判で頑張るならば、ウェルシーでの一件を許さないぞ」ということだろう。
「手を引きましょう。でも、タダではダメ、代償を請求します。たとえドラゴニアより小さくてもね」
わたしとしても、このまま手ぶらで引き下がるわけにはいかない。宰相に譲歩する気があるかどうか知らないけど、ここは、一か八かの賭け。
「そうか、代償か…… ははははは! 健気な娘よ、気にいったぞ!!」
帝国宰相は、突然、豪快な笑い声を上げた。
「分かった。それではおまえをウェルシー伯に任じよう。であれば、異存はあるまいな」
ここは宰相の提案を受け入れる以外ないだろう。ドラゴニアが惜しいのはともかく、帝国宰相の思惑に乗っかるみたいで面白くないが、仕方がない。宰相は満面の笑みを浮かべているが、わたしにはそれが宰相の勝利宣言に見えて、なんともしゃくに障る。
そして、宰相は最後に一言、付け加えた。
「人の上に立つ者、約束は守らねばならぬ。特に、金銭に関することはな。あえて具体的に言おう、金銭の貸し借りに関しては、一点の曇りもあってはならぬのだよ」
これが「(ウェルシー伯として)マーチャント商会に対する借金を返済せよ」という意味であることは、明らかだった。




