銀と黒の章3
今日は晴れていた。
春のぽかぽかした日差しが雪解けを手伝って、路上から白は消え水気だけが残った。端の方には草に絡みついた雪が未だ姿を残しているが、やがては溶けて季節感を取り戻すだろう。
さて。俺は白のフリフリした傘を持ち上げ眺めてみた。
昨日女が落としていった、こんなフリフリしたの差すくらいだからおしとやかで清楚なお嬢様を思い浮かべたいが、あの女はコケた姿を晒した途端顔を真っ赤にして走っていった。ドジでおっちょこちょいな女はその時傘を忘れてしまったんだ。
俺も悪いとは思ってるんだよ、見たくて見たわけじゃないが、俺の目が女の羞恥を引き起こしたのだから。
女は傘を置き忘れた事を覚えているだろうか、昨日の翌日の俺、つまり今の俺は再びあの公園へ向かっていた。
公園に着くとしばらく女の転んだベンチに腰を下ろしていた。昨日もあれから少しの間女が戻ってくるのを待ったが傘は持ち主に見捨てられてしまった。こうして一日時間が開けば、女も冷静になってお前を迎えに来てくれるかもな。
俺はフリフリ傘ちゃんと会話しながら来るかもわからない女を待った。
結果として、女は来た。
「これ、昨日忘れたから」
「あぁ、ありがと」
傘と同じようなフリフリの白い服、ほのかに桜色に染まった白い髪は頭の左右高くで結われていた。目には眼帯、俺と同じ医療用の白いやつだ、丁度俺と逆さの目を覆っている。見えている方の瞳は金色、その金色が俺の体の下に落ちる。
俺は停止していた自分に気が付き女に傘を渡した。女は傘を受け取ると礼だけして直ぐに立ち去ろうとした。
「なあ、」
だが俺は引き止める。
「昼飯なんか食べてかない?」
いや、ナンパじゃないからね、蝶架と一緒にしないでね。こういう時は流れ的に食事に誘うものだ。きっとそうだ。
「奢ってくれるならいいけど」
女は傘を受け取りながらすんなりと誘いに乗ってくれた。女の提示した条件も軽いものだ、女性を食事に誘うのに食事代くらい持ってやるのに何の問題もない。俺もこの子もまだ子供、子供同士で食べるもんなんてたかが知れている。金額に恐れる必要もない。
「じゃあ行こう、何が食べたい?」
「お菓子」
「お菓子?」
「お菓子買ってよ、それを何処かで食べよう」
「なんか違う気もするけどそれでいい気もする」
不思議な女だな。世間一般の女子の思考とはかけ離れている気がする。そして俺も、お菓子を買ってやって二人で食べるとか、それでいいのか?
「お菓子好きなの?」
「ああ、お菓子しか入らない」
「ふーん、俺もお菓子好き。ほれ、毎日持ち歩いてる」
俺はいつものピンクのカーディガンのポケットから包みに入った飴やらクッキーやらを次々と女の手に盛ってやる。ほいほいお菓子が溢れてくる魔法のポケットから女は大好きなお菓子を受け止める、早速どれを食らおうか品定めしている。
そして。出ました、舌なめずり!
「これでいいじゃないか昼飯は、食べようよ」
女は嬉しそうな顔をして両手いっぱいの菓子類を持っていく。あ、俺のお菓子ちゃん達がさらわれました。
女は昨日自分が転んだベンチに腰掛ける。羞恥はもう忘れたんでしょうか。
包みを破る音が同時に二つ響く。俺は丸くて薄いビスケットの二枚入り、女はバタークッキーアニマル絵柄付きだ。そのアニマルクッキーは母様が買ってきたやつだな、味はいいがアニマルがダメなやつだ、俺はこんな可愛いのは食わないぞ。
だから女が食べてくれてよかった。
して、いつまでも女と呼称するのは第三者にすぎる気がする。よって名前を聞いてみよう。
「名前、なんて言うの?」
「四童子祈」
「四童子、か。華矜院じゃなくて?」
「華矜院とは別物だよ、例え外見が似ていたって華矜院を名乗れないならそれは別物」
「わかったごめん」
ついつい謝ってしまった。祈の周りの空気が必要的に俺をそうさせたからだ。
「俺は桐生宮卦」
「桐生の奴、ね」
そこで祈は含みのある間を作る。華族を名乗れない者が華族を前にして何か思うところがあるのかもしれない。
「宮卦でいいよ」
だから桐生を切り離す。そうすれば俺はただの子供だ。
「宮卦ね、僕も祈でいいよ」
祈は俺に呼び捨てを許す、そして名前から興味を逸し菓子を口の中で味わった。
菓子を食べ終わると祈の方から散歩に誘って来た。菓子だけ食べ散らかしてさよなら、ってのは流石に薄情だというのだろう。
俺も女の子の隣を歩くのに嫌な気分になる筈もなく、二つ返事で祈に答えた。
この公園は街の中にあるにも関わらず広い面積を誇り、晴れていれば屋台やイベントが、小さいながらに動物園的なスペースと、遊具に巨大な滑り台まであり、大人から子供まで楽しめる憩いの場だ。
俺達が菓子を食べていたのは入り口の近くの休憩所、これから祈と歩くのは更に奥になる、動物園やイベントステージのある辺りだ。
白い髪、フリルのあしらわれた洋服、地味な自然の中で輝く天使のような祈の容姿は人目を引く。桐生である俺が隣に居るというのに祈はそれより視線を受けるんだ。園内の家族連れが動物より祈を見てくる、年老いた夫婦は祈りを捧げるように遠くから頭を下げる。祈は知らんふりをして日傘の中。その日傘に、俺と祈の距離が遮られる。
華矜院……ともなれば桐生より高嶺の花だからな、祈は華矜院ではないと言ったが、白い髪に金色の瞳は華矜院にしか生まれない、事情があるんだろう、二人の時間を壊したくないから日常会話で場を繋ごう。
「祈はどこに住んでるの?」
「家」
「ああ、えっと。じゃあ好きな動物はなに? 園内に居るかな」
「いない」
「えーと、じゃあ」
頼むから合わせろよ祈さん。
お喋りな夕灯やツンデレを演じる蝶架のが扱いやすい。冷淡で淡々と返してくる祈みたいなのは付き合い辛い。一人芝居みたいで虚しいしでどうしよっか。
結果、男としてダメダメだけど無言。冊内を歩き回る動物の鳴き声だけが二人の道を騒がしくした。
イベントステージは閑散としていた。雪解けが過ぎても寒さの残る公園、濡れた地面に曇り空ときたらイベントやっても人が集まらないわな。……と思ったら、誰か居た。
「ねぇねぇ、占っていきませんか?」
三角屋根のテントみたいな仮設の建物から占い師が飛び出てきた。
俺や祈より小さな背、全身を夜空と星雲の描かれたローブが覆い、フードが顔や髪を隠している。
ちっちゃな女の子、いや男の子? 歳は12〜15くらい。占い師のごっこ遊びをしているような気がするが、専用の占い屋を持っているくらいだから割りと本物っぽい。
俺の目が動く。
――しかし残念だが、甘いな。
見逃す事はない、桐生の目や耳を舐めてはいけない。暗殺や殺しに特化した一族は闇と共に生きている、日常にあっても技術的なものは自然体に見つけられる。
『占い屋ゼロ』と書かれた紫の建物の裏。俺は占い師との会話の途中に幾度か確認する。
背は俺達より高い、コートかジャケットの端、タバコの匂いと、革靴の音。集中する、占い師の言葉が遠景になっていく、耳をそばだてる。殺意が蔓延し、ジャケットから何かを取り出している。俺を殺す為に取り出されたそれは拳銃、闇のような穴を俺の脳天に合わせる……
来る――
――って、ここまでにするか。
んーとな、あれは小さな占い師の保護者かなんかだ。
我儘娘が無理言ってやりたいように振る舞うのを影から見守っている感じ、殺意ではなく怠惰が、その人物全体を苦労人に仕立て上げていた。タバコの数が苦労に比例しているよ。
「私の占いは当たるのぢゃよ?」
実際には占い屋の裏なのだが、占い屋を気にしていると思った小さな占い師は客になるとみなし手を伸ばしてくる。若干口調が変わった気がするがなりきりモードに入ったのかな? 考える俺の腕を小さな占い師はひっぱっていく。
「いやいや、俺はやらないから」
指先にだけは触られないよう上手く捻って回避。小さな占い師は客になってくれないという反応に即時対応、様々な手札で食いかかってくる。
「恋人との未来も占えるぞ?」
「この子は恋人じゃないから」
よくあるシチュエーションと違い祈に赤くなる等という反応はなし。俺だけが否定。
「金運も運気も教えてやるぞ? ラッキーアイテムとか」
「どうしても俺を占いたいの?」
「はい、貴方からはいい匂いがするのぢゃ」
「そかな?」
カーディガンの袖を鼻に当てる、何も臭わない。
小さな占い師はフードから覗く口元だけを笑わせる。
「お兄さん――私の好きな味がするから」
占い師は言った。背中が震える。小さな占い師の顔が、悪鬼の形相に象られているように見えた。
後ずさる、何故そうするか解らない、ただ足が下がるのだ。
「私は好きぢゃよ? 貴方のような味が」
わからない、目の前の占い師。その口元が、言葉が、心臓を掴んでくる、嫌な予感がする、気配が、変だ。関わってはいけない、どこまでも見透かし、何もかも晒されてしまうような不吉さ。
気持ち悪い、胃の中がぐるぐる回る。
揺れる視界の端から白い袖が伸びてくる、俺のカーディガンを摘む。
「菓子の匂いならするからね、いい匂いってのなら僕にもわかるよ」
祈が俺の呪縛を解き放った。
祈……。
「はい、いい匂いなのです、お菓子は美味しいのです」
俺は動けないまま。目の前にいる占い師は甘い臭いに鼻をひくひくさせる。……ただの、子供だ。
緊迫していた体の動きが自然と戻ってくる、息を吸い込み、足が水気のある砂利を鳴らし始める。
「君もほしいのか?」
「貰ってあげるから占わせてくれる?」
「いや、それは君が得するだけじゃないか」
俺はやはり占わない意思を表示する。信じちゃいないものを押し付けられても行動の遠隔操作になるだけだ。
どうしても俺が客にならないと確信すると、小さな占い師は強引に腕にまとわりついてきた。こらっ、止めろって。
「ひゃっ!?」
可愛らしい声が漏れる。いやいやいや、俺は何もしてません! 祈がやらしいものを見る目で俺を刺してくるが、俺はこの子の腕を引き剥がしただけだから!
「ごめん……」
それでも謝らされてしまう、せめて触ってからにしてほしいよ。
「手首は触っちゃダメですよー」
手首か、それなら引き剥がした時に握ったな、ごめんな。小さな占い師は手首を隠して恥ずかしそうに後ずさる。手首に恥部でもあるのかね。
「お兄さん、そんなに占いしたくないなら一つだけよいかの?」
小さな占い師は手首を下ろして言う。俺は答える。
「ああ、タダで聞くだけなら」
「4321」
それだけ告げるとホントに黙ってしまった。
余計な助言がないだけにかなり気になる結果だ、気になって気になって気にならない、その数字の意味が、未来の見えない俺には現時点では"不明"でしかないからだ。
約束通り口を縫い付けたように喋らなくなった占い師がなんだか可哀想になってきた。可哀想だから仕方なく話を繋ぐ為に頭を回転させる、結論、名前を聞いてあげる。
「君の名前教えてよ」
「私は占星術師ルイぢゃ」
はは、大層な名前だ。
「俺はミヤケ、こっちがイノリ、よろしくね」
「よろしくじゃ、私はここで占いをしている事がある、また来るとよい」
意外にも占い師の方から別れの流れを作り出してきた。助言が済んで満足したんだろうか。
俺達は手を振る、占いに用はなくなり去る。
「あっ、ラッキーアイテムは温泉ですよー」
急いで付け足した為占い師のキャラクターが外れている、俺は分かったと手を上げた。小さな占い師はずっと、俺達を見送っていた。
俺と祈はイベントステージから一周、園内を散策し終え最初の休憩所に戻った。
「じゃあな」
俺は祈に別れを告げる。少しだけど祈と喋れてよかった、これが日常だと、普通の日々だと思い残す事が出来た。
世界軸が違えば、その世界の俺はこうして普通の生活をしていたのかもしれない。祈を引き止めて、また一緒に行こうと、連絡先を交換する。そんな選択も、ありだったのかもしれない。
俺は桐生の一族、もう二度と祈と合う事もない、夕灯が宗家の嫡子と発表され、俺が麾下に付いたとしたら、そこからは古くからの呪縛に従い闇を歩くだけ。
死ぬまで、死ぬまで、死ぬまで
「また逢えるよ」
俺は驚く。祈が二度目の偶然を口にしていた、それは魔力を持つように俺に響き、ありもしない未来を想像させた。
糸が絡まっていく、望んではいけない夢の先。
「ああ、じゃあ、またね」
「また」
何も知らずに祈は去る。俺は胸が苦しい。
祈にルイ、偶然は縁を運ぶ、この偶然の縁がまた結ばれるといいなどと、俺に思う資格はない。
***
僕は宮卦と別れて家路につく。傘を畳み傘立てに入れる、靴を脱ぐ、祭華を探す。
萵苣と擦れ違う、何も言わない。用がなければ萵苣にとって人は背景、背景は流れていくだけ。
「祭華」
見つけた、何をしていたかは解らないけれどこちらを振り返る金髪。
僕は単刀直入に言う、日常が破滅へ向かって行くとしても、僕は――
「桐生に会ったんだけど、決めて。この紐をあんたは結ぶか、解くか」
僕の計らいに祭華は無表情から口角を釣り上げる。
強引に物語を進めていく意思に、きっとあんたはこう言うだろう。
「結べ、たとえ喉に絡まっていたとしても」
祭華は笑った。