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銀と黒の章1

 俺が、俺が気付いてあげられてたらッ。

 打ち付ける、何度も何度も壁に頭を打ち付ける。出血しようが構わず、激しく叩きつける。

 「あぁぁぁあ――!」

 慟哭は鳴り止まぬ。

 なくしたものは帰らない――。


***


 白く曇った空、季節外れの雪が降る――。


 世間は春色に染まろうとしていた。気候は暖かくなり、花々が咲き始め、人で言えば別れを経て出会いが始まり、新たなる生活に取り組む者は気持ち軽やかに隣を過ぎ去る。

 人々の出発を祝うように桜並木が美しい桜色を咲かせる。花見の時期はとっくに来ている……筈だが。

 確か雪の果ては訪れたんじゃなかったか? 例年通りなら今頃桜の花びらが降雪の代わりに人を喜ばせている。だが今本当に雪が降っているのだから異常と言えよう。

 雪はまだ冬を終わらせたくないのだ。

 春にまで及ぶ雪、それは美しい。

 遅すぎる雪は春先の路上を白く染める、桜に雪が降りかかりしんとしていて幻想的だ。

 定期刊行物は紙面に謳う、今週は雪月花を欲張りに集めた期間だと。浮かれていやがる。季節外れの積雪というタイトルの横には冬と春の境界線が交わった事をつらつらと書き記してあった。それは朝読んだ。

 視界を上げる。俺は下校途中。

 一見雪月花という言葉が目の前に体現されているようで美しいが、俺には互いが互いを引き立てているようで、その実桜は雪に潰されているだけに見える、散った花びらも白と泥に汚れている。

 誰も水に浮かぶ花びらを可哀想とは思わない。咲き誇り、散る瞬間が美しいだけ。冷たさに沈む姿さえ風流だと賞賛される。

 何が言いたいかと言うと、美しきものの末路を誰も知らないという事。咲き誇り乱れる瞬間が、我らにとって一番美なのだ。

 ところで今は夕方だから月は見えていないわけだけど、雪月花なのかな。



 俺、桐生宮卦(きりゅうみやけ)は病院を退院して実家に戻った。

 右目はなくなり、学校も変わり、生活環境も季節のように変化していった。

 ――数ヶ月前、桐生夕灯(きりゅうゆうひ)紋代蝶架(あやしろちょうか)と出会った。秋。

 痛みと恐怖と、その代わりに得られたものは友情、(のようなもの)

 冒険物語のように困難を乗り越えれば強くなるなんてお決まりはない。困難に屈服するか、失ったものだけが顕著になる。

 夕灯と蝶架という仲間を得られた自分はマシな方だっただろう。

 思い出とともに指先に刺激。

 剥がれた爪や傷付いた指や足は治療の末生活に支障がない程回復している。潰された右目は戻ってこないけど、俺から片目を奪った背広の男を憎むかと言われても俺は憎まない。あの人も仕事だった、残酷な検査官という職を残酷に演じ続けた。

 憎むべきは桐生の闇を生み出した古き時代の祖先達、そして桐生に闇を背負わせ構築した世界。そうだろう?

 俺は退院以来暗殺、殺しの仕事は一切やっていない、夕灯の計らいで少しの間身を休める期間を貰った、この期間が終わればまた闇の世界に戻るのだ。

 ――空はくすんでいた。

 その灰色が、ひどく綺麗だった――。


「宮卦クン」

 ザクザクと雪を踏みしめる音と、それに混じり背後から名前が呼ばれる。

 実はだな、桜と雪の話をしていた辺りから何度も何度も呼びかけられている。無視を続けているから、いつまでも後ろから声が着いてくるわけだ。

 振り向いてあげなよって思うだろ? だが振り向いたら絡まれて面倒くさい事になる、どこぞのふさふさのお陰で教訓している。

 だからずっと無視して帰路を急いでいるのだが、声の主は距離を詰めて来ているようで、名前を呼ぶ声もデカくなっていた。

 こいつも無視すると逆効果を与えるタイプかな……。

 自分でふさふさと同種と決めつけたくせに抜けていた。

 こういう奴には大人の心を持って早めに折れた方がいい。無視しても怒ってもこっちが疲れるだけなんだ。

 二人分の長い足跡をようやく止める。

 振り返る。ピンク色の髪が目に飛び込んだ。帽子を被り、俺と同じ制服を着た少年、赤いフレームの眼鏡に、頬を緩ませ笑顔を覗かせている。

「やっと見てくれたね。早速だけど宮卦クンち行ってもいいワン?」

「は?」

 なんだこいつ……、いきなりワンって、気持ち悪いな。

 見ず知らずの少年に馴れ馴れしく犬ごっこをされる謂われはない。友達でも知り合いでもない、名前も知らない同校の生徒ってだけだ、それが家に上がりたいって言うのも可笑しいし、もちろんワンって言うのも可笑しい。

 イヌ語を喋るこの少年は一体何なんだ。意味がわからない。

「あからさまな嫌な顔」

 俺の顔を正面から見つめる少年は俺の反応を予め予想していたようにくすくすと笑った、続いて聞いてもいないのに説明を始める。

「語尾ににゃんってのはよくあるでしょ? だからワンにしてみました」

 …………やっぱ無視しよ。俺は何も見なかった。

「ごめんごめん!」

 Uターンする俺の肩を掴み急いで引き止める少年。

「はじめまして。リンネちゃんです、よろしくね」

 少年のピンクの髪の毛が春のように流れ、柔らかい表情は人好きのする笑みを浮かべる。リンネちゃんとやらは自己紹介した。

 こいつ、ほっぺに指先を当ててやがる。俺はぶりっこは好かないからな、冷ややかな視線を送ってやった。

 ……反応がない、あんまり堪えないらしい。

「学校始まったばかりだからまっさらでしょ? 真っ先におれの名前と顔覚えてね」

 見ろこの満開の桜色の笑顔、実に胡散臭い。

 似たものを持つふさふさは無邪気な笑顔という感じだが、こいつのは気が付かなければ人懐っこい笑みだが、底まで見通す眼識があれば作ったようないやらしい笑みだとすぐ解る。

 リンネちゃんとか言うけど体は男。男の制服を着ているし、ふざけているとしか言いようがない。

 まずだ、華族である桐生に対して馴れ馴れしくし過ぎだ。普通はもっと恭しい態度を取る。更に、桐生と知っていて桐生の家に上がりたいと言うのも怖いもの知らずを通り越して異常という名の馬鹿。桐生の家に上がった自慢をしたいが為に消されるなんて哀れな奴だ。まだ消されてないけど。

 優しい俺は面倒くさいという名の優しさでリンネちゃんとやらを守ってやる事にする。

「うち来ても楽しい事はないし、多分入れてもらえないから」

「なんで? 華族だからです?」

「うん」

「華族は友達を家に上げるのも駄目なの?」

「うん」

「てか、ワシら友達だったのかのう、初めて知ったわい」

「いきなりじじい言葉になるなっての」

「七変化だよ、次はババアね」

「どうせじじいと対して変わんないんでしょ」

「いいや、細やかな違いがあるのじゃよ。……今のがババアね」

 んな事どうでもいい。

 あぁ、早く離れてくれないかな、そろそろ桐生の敷地に入る……。

「宮卦クンはさ、クルマで送迎とかしないの?」

「しない。それこそ注目の的になるのヤダから」

「クルマ、乗ってみたいです」

「金がありゃ乗れるよ」

「むっ、一般男性が10年働き続けて、しかもその金を全て注ぎ込んでようやく買えるようなクルマを『金がありゃ乗れるよ』って無関心に言える宮卦クンが憎い!」

 リンネちゃんとやらは頬を膨らます。そして、一瞬にして俺の視界から消えた。

 ――は?! どこへ……

 暗殺者桐生の技を極めても一瞬で体積を消す事など不可能。人体を完全に空間から消すなんて、こいつ常人じゃない!?

 しまった、刺客かッ。

 応戦する。恐らく超高速かつ超脚力のジャンプで上に飛んだのだろう。視線を上げる、なにもない。下げる、まさかの足元にピンク色。

 はいはい、……凍った路面に滑って転倒しただけか。俺も馬鹿だな……。

 道に接触した尻部分から雪が染み込み嫌な顔をするリンネちゃんとやら。俺は呆れながらリンネちゃんとやらに手を伸ばす、リンネちゃんとやらはその手を有難そうに握る。

 ッ――!?

 リンネが力を込めた瞬間俺は反射的に手を引っ込めた。

「はひ?」

 いきなり拒絶されたリンネは不思議そうに首を傾げる。

 ごめん……、震えた指先を背後に隠す、リンネが凝視する俺の体の裏で手が動かなくなる。ここに触られるとあの日の痛みが蘇る……。恐怖と絶望と、息苦しさ。何もされていないのに甘皮に針を刺されたような痛み。やがて指先に熱が集まり鈍痛が起こる。

 俺は生涯友達とも恋人とも手を繋げずトラウマに苦しまなければならないだろう。

 指の震えは諦めと共に薄れていった。

 悪かったと、リンネちゃんとやらに謝っておいた。

「おれと触れ合って響き合っちゃった? おれってば光の戦士の資格を持っていたんだ」

「違うっての」

 リンネちゃんとやらは腰を上げて尻のシミを気にしながら甚だしい勘違いを口にしていた。

 フォローしてくれてんだろうな。

 気遣いが出来るリンネちゃんに好感度ゲージがあるなら1ハートくらいは獲得したよ。


「おれ、心が荒んでるんだよね、何か落ち着ける事知らない?」

 この一言から会話が始まった。

「どこが荒んでるの?」

 あんな、桜色の柔らかい笑顔が出来る癖に心に荒野があるわけか。

「まともな人間に更生したいんです、悪癖を治したい、だから知らない?」

 咄嗟に浮かぶものは二、三個だ。安直な結びつきで申し訳ないが、俺は意見を述べた。

「茶道とか、なら」

「そっか桐生は茶道や華道の家元か」

「俺はよく知らないけど、静かに茶を点ててたら心も落ち着くんでない?」

「紹介して宮卦クン! どこかいい教室はない? おれでも習えるよね? 歳とか関係ない? あ、お金は……」

 質問が多すぎだよ。でもそれは誰でも気になる事で俺は回答を持ち合わせている。

「俺の母親が通ってる茶道教室なら近くにある。いい先生……だから安心だし、歳は関係ないよ、学生でもいい、但し周りは年輩の人が多い。月謝はそれなりといえばそうだし、払える額といえばそう、着物とかは揃えなくて大丈夫だけど、他に色々と金がかかる事があるな。継続できるやる気と金銭についてちゃんと親と相談すれば――」

 って、折角説明してやってるのにリンネは遠くの空を見ていた。

「お前成績いい?」

「え? おれ頭はすっごくいいから、学年トップとかだから」

「ほんとかよ、どうしたらワンなんて言う奴が学年トップになれるんだ」

「この眼鏡が証ですよ! 眼鏡は秀才の証じゃないですか」

「その為の眼鏡なの?」

「てか脈絡ないけど茶道と成績に何か関係があるの、もしかして頭良くないと習えないとか? やっぱり桐生は凄いな」

「違う、馬鹿面してたから頭の方は働くのかと思って」

「宮卦クン、辛辣」

 リンネのジト目は無視して、茶道の話に戻ろう。

 結局、リンネに母と同じ茶道教室を紹介しておいたが、通うかどうかは直ぐには判断しかねるらしい。金の問題が、あいつにはあるようだ。

 じっくり考えてみると言ったリンネは桐生の敷地に入る直前で踵を返して去っていった。

 あいつ、家は真逆だったんだな。わざわざ俺について正反対の土地までやってきて。

 やっぱり、胡散臭い。家に上がるなら今がチャンスだったのに、最初から桐生になんて興味なかったんだろう。

 リンネはもういない、なのにリンネの居た場所を確認する。

 殺しに来るなら、殺し返すだけなんだよ。

 リンネちゃん――。


***


 桐生一族の中で、主に東の桐生と呼ばれているのが俺の一家。桐生宗家に対し東側に門を構えているからそう呼ばたのが始まり。

 東の桐生は宗家に次いで位が高く、西の桐生と双璧を成し宗家を補佐する。

 つまり、裏の仕事にも積極的に関与する。

 俺の家は上の下といった感じで、あんまり、偉くない、……そう思いたい。

 父親が生きていた頃は発言力もあったし、宗家に贔屓された事実もあったが、父親が死んでからは女当主という母親を軽んじる傾向が出始め、権威は衰えた。今では母は桐生の華、美人なだけの飾り物になってしまった。

 飾り物を欲しがる男は多い、母は様々な男から求婚されている。烏羽色のゆったりとした黒髪、長い睫毛に隠れる伏し目がちな瞳、黒の着物を纏う奥ゆかしい佇まいは桐生の好む女性美を体現したように美しかった。

 若くして夫を失った未亡人、というのも男の扇情を掻き立てているのかもしれない。

 母を欲しがる奴は嫌いだ、地位を、力を、美しさを、愛を纏めて手に入れる好機とばかりに集ってくる。

 母の気持ちも考えられない、驕傲な奴等なんて消えてしまえばいい。好きな女の連れ子も愛せないようなのが、「愛してる」を口にするなんて恥と知れ。

 ガラガラ――、引き戸を開ける。くそ広い我が家を正面から帰らず部屋に近い裏口から靴を脱いで上がる。

 部屋に向かう途中閉じた襖の先で声がした。母の声、誰かと話している。相手は男の声だ、男と言うだけで襖を睨みつける、危険だ、俺がちゃんと見てないと。

 部屋に行き急いで鞄を置いて襖の――客室に戻る、中は見えないから外に立って聞き耳をたてる。

 ……聞いたことある。この声は

「宮卦くん」

 え!?

 びくっとなる。

 何で俺の姿が見えているわけ?

 暗殺術を極めた諜報員が音を立てずに潜伏しているのを、更に研ぎ澄ました耳で感知してきたってのか……。

 相手も桐生だ、当たり前に技を破ってくる。

「宮卦くん」

 呼ばれている、わかってる。

「帰ってきてるんでしょ、おいで?」

 温和な男性が優しく俺を誘き出す。

「お菓子あるよ〜」

 いかん……、弱点をついてきた。

「和菓子と洋菓子のご馳走だよ〜……。……孤光さん、宮卦くん来ないので頂きます」

 サーッ! 襖が開き俺降臨。

「つーかまえた」

 掴んでもいないのに、目の前の男は微笑んでいた。



 桐生寿(きりゅうことほ)桐生孤光(きりゅうここう)。男性と母親は机を挟んで対面していた。

 桐生孤光は俺の母親だしさっき説明したから省いて、桐生寿、彼は俺より少し年上のお兄さん。西の桐生で西の天才と呼ばれている、若くして実力を発揮した天才。もちろん裏の話だよ。だって彼は茶道をさせると茶で人を卒倒させるし、華道をさせると見た者を叫ばせる奇怪作を作り出すんだからな。

 週刊誌にも取り上げられていたぞ、桐生の若き奇才現る! と。揶揄で。

 その奇才の容姿は桐生らしく黒髪、少し長い後ろ髪を三つ編みにしている、前から見れば短髪に見える。温和で平和ボケた造りの顔には緑の瞳、黒目が一般的な桐生の中で緑はまさに奇才の色を放っていた。

 寿さんから視線を外す。

 机の上には老舗店の絶品和菓子、もう一つ、今若者に流行りのとろけるスイーツ。

 襖から現れたヒーロー俺は早速座布団を引き出し菓子にありつく。

「宮卦くんは相変わらずお菓子好きだねぇ」

「ひさしさんも餌付けした原因の一員ですよ」

「ヒサシじゃなくてコトホだよ」

「ひさし」

「……改めないわけだね」

 寿と書いてひさし、常識だぜ。

 寿さんは俺と同じく菓子を封切る。

「おいしい。孤光さんも如何ですか?」

「ではわたくしも。みやくんあーん」

「しないよ!」

 まったく母上様は俺大好きで俺馬鹿で呆れるくらい恥ずかしい。俺の食べかけの菓子を口に入れろと近寄ってくる。

 貴女に求婚している男が見たらびっくりするだろう。大和撫子の貴女が俺にベタ惚れで甘々なママに変貌する姿は。

 まぁ、母がこうなのは俺に対してだけだから、物静かで憂いた瞳の儚い女性、というイメージは間違いではない。俺が居なければか弱く尽くすだけの美人なのだから。

「宮卦くんらぶらぶだね」

「俺は迷惑です」

「怒らない辺りお母さん好きの珍しい子だよ。普通嫌がってババア呼ばわりして怒鳴るものだからね」

 ちっ、そうしておけば母の猛襲は防げたと言うわけか。

 寿さんは母子を眺めて顔を弛緩させる。

「宗家の方では、どう?」

 寿さんは自然な流れで会話を始める。

「今は何もないっす」

「そうか、でも凄いじゃないか、宗家の子に引き抜いて貰えるなんて。もう直ぐ宗家の跡継ぎ発表だろう? そしたらきっと忙しくなるよ」

 跡継ぎにこき使われる未来ねぇ……。

 俺は宗家の跡継ぎである黒髪に毒舌の子供の事を頭に浮かべていた。

 子供の名前は桐生夕灯、そう、桐生直系血族で、現当主、桐生夜半(きりゅうよわ)の嫡子。

 夕灯は桐生宗家の時期当主だったんだ。

 初めてその事実を聞かされたのは退院する直前。「私の下で働きませんか?」と行き場を無くした俺達に選択を与えてくれたのと同じくして知った。点検を台無しにした俺達でも宗家の嫡子の部下となれば安々と罰を与えられなくなる。自らの名を武器にする夕灯に俺も蝶架も二つ返事をした。

「桐生ユウヒちゃん、か」

 寿さんが家督を継ぐ者の名を口にする。俺は聞く。

「なんで宗家は子供の発表を今行うんだ」

「それは狙われない為だよ、有名になるとそれだけ危険に晒される。子供が生まれた事すら言わないのは、恨まれる宿命にある桐生は常に刺客に追われているから、小さなうちは護るのも一苦労ってね。大きくなれば自分で考え、いざとなれば自分で身を守れる。人脈も固まってきてるだろうし、凶手も手を出しにくくなる」

 なんか、可哀想な運命だよな。

「悪行に手を出していなければ、子供も普通に誕生を喜ばれただろうに、今の今まで世間から隠されてきて、俺達ですらその存在をようやく知って」

 夕灯が生まれている事も知らなかった、誰も、俺や蝶架も。この世に存在すらしていない、認識されていないというのはどういう気持ちなんだろう。初めて会った時も宗家にこんな子居たっけ? と不思議に思った。

 存在を隠されているというのは、もしかして親に愛されてもいないんだろうか。夕灯という次期当主の部下に選ばれた誇りより、夕灯を不憫に思う方が強い。

 あの子は何も言わない。父や周りを言い包め俺と蝶架を側近にする意見を押し通したのは、初めて出来た友達を優遇する我が儘ではなく、俺達を安全に庇護する最善の策だった。

 あの子はこの世に存在しないまま、俺達を気遣う。あの子だけが、不幸な気がした。

 そうだ、跡継ぎ発表したら忙しくなるから、その前に何処かに連れ出してあげよう。

 甘味の食べ歩きとかどうだろう、いろんなところでいろんなスイーツ食べて……って、これじゃ俺がウキウキしてるだけか。


「じゃあみやくん、行ってきます」

 寿さんも帰り、母さんも茶道教室に出掛ける。

「遅くなるなよ」

「みやくんが待ってるから直ぐに帰ります」

 手を振る。結い上げた髪を確認して着物姿の母は歩いていく。俺は部屋に帰る、夕灯に手紙を書こう。

 蝶架にも出してやるかな、多分いかねーって言い張りつつ着いてくるんだろうな。

 ああー会いたい。

 二人共、予定のない日があればいいんだけどな――。


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