変化の予兆
なんというか、説明が長くなってしまいました。
まだヒーローにはなりません
布団を勢いよく跳ね除け、体を起こす。
――やばい、遅刻したかも
人というのは不思議なもので、なんとなく起きた瞬間に時計を見ずともおおよその時間がわかる時がある。こと都合の悪いことに。
結果が分かっていても僅かな望みに賭けて時計を見る。
「だめか〜〜」
思わず右手を顔の上に乗せ天を仰ぎながらひとりごちた。
1時限目開始が8時30分――現在時刻は9時50分!! さらにここから学校まで走っても30分――
完全に詰んでいる。間に合わないな……10時20分開始の3時限目を目標にしよう。
なんとか実現可能であろうラインの目標をたて素早く制服に着替えようとする。
あれ? ないな? いつもはすぐに着替えられるようラックにかけてあったはず……そうか昨日疲れて着替えずに寝たのか。
ふと、視線を服に向ける。
「なんじゃあこりゃ〜!!」
咄嗟に叫ぶ。――血まみれの制服――膝から崩れ落ち、昨日のことを鮮明に思い出す。
「まだ死にたくないよ。 死にたくないよ」
後ずさりしながらベッドに仰向けで倒れこむ。昨日のことが本当だったという証拠を突きつけられ、ガツンと頭を殴られたような衝撃。
徐に血だらけの制服の右ポケットをまさぐる。昨日図書管理委員会の時に使用していたペンが入っていた。急いでいたからそのままポケットに入れたのだろう。微かに血がついている。
自分でもよくわからないが、力なくそのぺンを口にくわえてみる。
時間にすれば10秒も経っていないだろう。くわえていたペンがシーツに落ちるのと同時に大きく深呼吸し、よし! と気合いを入れる。とりあえず制服を脱ぎ、風呂場に向かいさっと汗を流す。冷たい水が体だけでなく頭も冷やしてくれる。今考えるべきは少しでも早く学校に向かうこと。ならば他の出来事はノイズであり今は無視すべき。そう決めつける。
冷やした体をタオルで拭き取り、早々と予備の制服に袖を通す。血のついた制服は時間がないのでベッドの下に投げ込む。
母さんはすでに仕事に出かけたようで家には人の気配がない。ドタドタと階段を駆け下り、その勢いのまま靴を履き外に出る。
靴の先にちょっとだけ赤いシミのようなものがあった気がするがノイズである。
外の空気が気持ちいい、いつもは歩いて登学する道を全力で走る。ペース配分を考えたほうがいいのかもしれないが、授業開始前に席に着くことに意味がある。季節は春の4月、自分のためにもだが何よりクラスの皆に悪い印象を与えたくない。遅刻は遅刻でも授業前と授業中に教室に入るのでは大分印象が違う。
――まあ今さら印象も何もないけど
全力で走っていたからかあっという間に『パイグローブ』から『セントブリッド』の境を超えていた。やっぱり目立つな。
『セントブリッド』はこの国の中心地であり、建物なんか見上げなければわからない程大きいものがごろごろしている。高さはそれほどでなくても、面積だけなら『中央クラウド学術高等学校』は比べ物にならない。このクラウド国の中でも一番の規模と充実した設備が揃っている高校でこの国を代表する施設の1つだろう、数人ではあるがわざわざ他国からも通う生徒がいるくらいなのだから、かなりの技術力を有している高校だ。
それにしてもいつもは時間に余裕を持って通学していたからわからなかったが意外と俺って体力あったんだな。全然疲れない、それどころか息切れすらしない。
――ってもう着いたじゃん。
クラウド高の正門前に並ぶ桃色の絨毯。春の匂いを知らせる桜の木が生徒を暖かく迎える。今は俺ひとりのために総出でお出迎えだ。遅刻しなければ滅多に味わえない優越感だろう。
閉ざされた正門前にまで来ると、ピッと音が鳴り静かに銀色の門が開く。何をしなくても生体認証で複数の生徒から先生まで関係者全てを正確に把握する技術を有しているのだから国の力のいれようが伺える。
全力で北棟の2階2C教室を目指す。2A……2B……ん?この雰囲気間違いない……授業中だ。間に合わなかった……か? ちらりと設置時計を見る。 10時5分!? 流石に早すぎる。家の時計が壊れていたか? まあどうにせよ目標を達成したのだからよしとしよう。
そのまま2C教室の扉を開ける。
一瞬教室の全員がこちらを向く
「播磨くん遅刻〜?連絡くれなきゃだめよ?」
教壇の前に立つ女性がにこやかに言う。
「はい、すみません」
生徒の視線は何事もなかったように再び前に向けられる。
2Cを受け持つ担任は 京ヶ島夢先生、この歴史の授業担当でもある。少しふわふわとした喋り方をしいてそそっかしい、肩にかかるくらいの茶色いボブカットで背丈も150cmくらいと小さく、幼く見える容姿なのに頑張って先生振るから男子人気は凄まじい。女子からもお友達感覚で話せるからと好かれている。要はいい先生である。
あっという間に2時限目が終わる。
「今日はここまでね。播磨くん、今回は出席にしてあげるけど次からは気をつけなさいね〜」
「はい」
やはりいい先生だ。無用心に教室に入ってしまいクラスの注目を浴びてしまうことになったが、先生が出席扱いにしてくれたことを思えばまあ結果オーライだろう。
休み時間に入り教室がざわつく、すると教室に変出者が乱入する。
「おい、いつまで待たせる」
教室のドアに立つは小さな姿に透き通る声、汚いジャージに白衣を纏い――顔には2つほど穴のあいた紙袋をかぶっている。
教室のざわつきがより一層騒がしいものとなる。
服装からして間違いない昨日のあいつだ。暫く忘れていられたのに……
急いで少女にかけよりドアを閉める。
俺が話すよりも先に彼女が口を開く。
「検査をするといったろう。はやくせんか」
その口調は不機嫌さを表している。
やっぱり現実か……面倒くさい口論をすれば不審者の知り合いとして俺の状況は悪くなるだろうし、下手を打てば退学にまで発展なんてこともありうる。
「……じゃあ、昼終わったら行くから。1時ちょっと過ぎた頃につくと思う」
少女は意外そうな顔をしている。
「ほう……昨日はただの阿呆かと思っていたが意外と賢いところもあるのだな。なかなか良い判断だぞ。できるだけ早く来いよ。まだ試作段階なんだ」
それだけ言うとさっと踵を返し早足で帰る。少し進んでから少女は「あっ」と小さくつぶやくのが少しだけ気になった。
本当に嵐のような一瞬の出来事だった。ドアを開け教室に戻る。他の生徒が興味ありげに俺を見ているが誰も声をかけてこない。この辺が自分の交流の無さを思い知り悲しくなる。普通ならば変出者に騒ぎが大きくなるのだが、高水準のセキュリティを有している学校だからその辺は感覚が少々麻痺している。
――ん? あいつこの学校の生徒なのか?
席につき次の授業の準備をしようとすると、ひとりの女の子が声をかけてくる。よかった。興味本位にしろ俺に声をかけてくれる人がいたんだ。そう心の中で歓喜と同時に、さっきの変質者をどう説明しようか悩みながら、その子を見上げる。
「ねえ、……播磨くん? 昨日『パイグローブ』にいなかった?」
若干曇ったような声をかけてくれたその子は、鼻とおでこに大きなガーゼがチャームポイントの――
「えーっと……」
「あたしは神流皐妃だよ。」
明るい声で自己紹介をしてくれた。
「よろしく神流さん、昨日というか家がそっちだから」
「へー通いなんだ。珍しいね。それでね昨日『パイグローブ』にある本屋さんに行ってきだんだけどね。帰り道に播磨くんを見たきがするの。覚えてない?」
ここまで聞けば、十中八九彼女が昨日助けた女の子なのだろうと察しがつく。さっきの変質者について触れられないのはありがたい。俺は助けた時の記憶が曖昧だったからわからなかったが、どうやら彼女は覚えていたらしい。顔のガーゼは最先端のファッションではなくあの研究者気取りの少女が気絶させた時のものか……
「いや、見てないと思う。ところでその顔のガーゼどうしたの?」
「これ?あはは、お恥ずかいいことに転んじゃったみたいなんだよねー。ついつい家に帰るまで待ちきれなくて買った本読んでたらド派手にやらかしてしまいました」
「わざわざあんな田舎の方に買いに行くなんて珍しい本なの?」
「うん、結構古い本だったから『セントブリッド』みたいなところだと処分しちゃってて、売れ残りが見つからなくてねー。ちょっと待っててー」
そう言うと彼女は席に戻りカバンを探り一冊の本を持って戻ってくる。
「じゃじゃーん」
楽しげにつきだした本のタイトルは「生物解体書―昆虫1―」
あまり女の子らしいとはいえないが、個人の趣味にケチをつける趣味もないし、なにより楽しそうにしている彼女の笑顔を絶やすわけにはいかない。
「面白そうだね」
無難であろう返事を口にする。
「うん! すごいのこれ! 図鑑なのに持ち運びできるし、いっぱい虫が載ってるんだよ〜」
きらきらした目で本をぎゅっと抱きしめる。
もう少し話しをしたかったが、休みの終わりを告げる無情の鐘が鳴り響く。
「今度貸したげるねー」
ウキウキした様子で彼女は自分の席へと戻る。
ふぅ、なんとか話をそらせた……せっかく話ができる機会だったのにこんなに気を使うとは……
いつもの調子で3限目が始まる。
それにしてもさっきの子は顔にガーゼをつけていたが、それでもわかる程顔の整った可愛らしい子だった。はきはきした喋り方に健康的な体つき……いや、べつにいやらしい見方はしていないつもりだったのだが……言い方を変えよう。運動してそう、陸上部っぽい。
首筋あたりから腰にかかるほどの髪が2束伸びている。ツインテールなのだろうが伸びた髪を結んだにしてはかなり細い、意図的にそういう髪型にしているのだろう。
彼女は覚えているようだったし、助けたことを言って仲良くなってバラ色の学園生活を送ったほうが良かったかな? いや、でも事故にあったことはなんて説明すれば……
ない頭を使って事故にあったことをごまかす方法を考えていると昼休みを知らせる鐘が鳴る。3時限目を通り越して4時限目も終わっていた。2時間も考えてろくな考えが思いつかなかった。
なんにせよ。あいつにもっと詳しく聞いてからか。自己完結し席を立ち職員室に向かう。
「あ、京ヶ島先生」
職員質に向かう途中の廊下で会えた。これは好都合だ。なんというか、先生が密集している職員室で話をするのは気が重かった、ましてやこれから早退したいなどと。
「どうしたの〜?」
「実は今朝から少し体調が良くなくて……」
「あら〜それで今日遅れちゃったのかしら? じゃあ保健室行ってみたら?」
ああ、そうか普通そうなるか。まいったな。どうやって家に帰る口実を作ろうか…
などと考えて少し黙っていると先生は思い出したように話し始める。
「そういえば〜今日は保険の先生おやすみだったわ〜困ったわね〜」
「そうですか……万が一に病気を移すと悪いので悪化しないうちに今日は帰ってもいいでしょうか?」
ここぞとばかりに目的を告げる。どうにか帰る許可をください先生!!
「う〜ん、まあしょうがないか〜明日は来れるようにしっかり休むのよ?」
あっさりと家に帰る許可をくれた。こういうのってどう考えても嘘だと思うのだが、生徒を信じているからこその答えなのだろう。こういうところが生徒に慕われる原因の1つなのかもしれない。
「はい、ご迷惑をおかけします」
先生というより自分に迷惑がかかるのだが、言っておく。
先生はというと、そのまま学食の方へ歩みをすすめる。
生徒を信じるとかよりも昼ごはん食べたかっただけなのかも……?
どの道帰宅許可がでたのだから良しとしよう。
正門を出て15本目に植えてある桜の木まで少し気だるそうな雰囲気で歩き、そこを過ぎたら全力で走る。あの忌々しい研究所に向かって……