不幸な運命
「「キミはだれだ?」」
目の前の少女と同時に口にする。
見たところ10歳前後とも思えるその少女は、どこまでも透き通る、まるで高価な宝石のような薄い赤の瞳に。純白の肌。前髪は目に掛かる程の長さで綺麗に横に切り揃えられ、腰にかかるほど長い軽くウェーブのかかった金色の髪をしている。
その美しさに思わず息を呑みこ……もうと思ったのだが、その容姿とは裏腹な格好に別の意味で言葉を失う。
長年着込んだであろう貴重な小汚い黒色をベースに、元は白色だと思われる灰色の線を淵に這わせる、いかにも安そうな大人用ジャージを着こなしている。ご丁寧にジャージの四肢を体長に合わせて切り落としたオーダーメイド製である。その上に体から少しはみ出るくらいの白衣を纏い、かろうじて残念な子に留まることに成功している。足元はといえば、右足はひどく汚れていて詳しくはわからないがおそらく子供向けであろうイラストが描いてある靴のかかとを踏み、もう片方にいたっては穴のあいた靴下を数枚重ねて履いている。
「どうやらわしの美しさに見惚れてしまったようだね?」
自身の発言に何の迷いもないような口ぶりで少女は言う。
見惚れるというより哀れみの感情が強かったのだが、今はそんなことどうでもよかった。
「いや、そんなことよりきみ――」
「ところできみはだれかね?」
言葉を遮るように目の前の少女が話し出す。
見た目とは裏腹にやたら落ち着きのある話し方に気圧され、渋々と言葉を返す。
「えっと、播磨です。播磨鴻斗。17歳です、えっと、それで……」
見ず知らずの、それも自分よりも幼いであろう少女に自己紹介をするのに何を言っていいのかわからない。
「ふむ。おおよそ大丈夫そうだな」
大丈夫? どういうことだ?
「そういえば、質問に答えていなかったな。わしは…………ふむ、なんという名前にしたのだったか? 年は…………ふむ、いくつだったか? 趣味はこの惑星アストライブの観察それと研究とでも言っておこう」
確信した。この子は頭がよろしくないのだ。
趣味は惑星観察と研究――研究?そういえばこの部屋はやけに薬臭い。辺りを見渡すとたくさんのビーカーや顕微鏡、気色の悪い色をした薬品やら緑色の液体に漬かった動物が無造作に置かれている。いかにもな研究室だ。
ここでようやく自分が不気味な研究室の中央にある手術台の上に寝ていたことに気がついた。――血だらけの服装で――
「ぅ、うわぁぁああーーーー」
我ながら情けない声をあげ、そのまま手術代からころげ落ちた。
「おや?まだダメだったのか? 馴染んでなかったか」
なんだ?なんだ?なんで服に血が? 自分の血か?でも体に痛みはないし……あれ? 落ちたのに痛くない。そこで体の異常に気がついた。感覚が……ない!?
指も動くし、瞬きもできる、意思で体を動かすことはできるが、それを実行している感覚がないのだ。
「察するに、体を動かせるのに動かしている感覚が感じられず戸惑っているというところか?」
転げ落ちたままの姿勢で、暫く手を握ったり広げたり、顔を撫で回している奇怪な動きを繰り返していた俺を見下ろすように少女がつぶやいた。それを聞いて、口を開いたままこくこくと頷く。
「安心しろ、それは麻酔だ。ほかに異常はないか?」
手を差し伸べながら少女はそう続けた。
プチパニックを起こした俺は頭を上下に振りながら、差し伸べられた手をつかみ起き上がる。はたから見れば血染めの服を着た男が小刻みに頭を振りながら、可愛らしい年端のいかない女の子と握手をしているという何とも言えない光景である。
「まあ、暫くそこに座っていろ。ふーむ、頭の回転も少し悪いようだな。……そうだな、なんで感覚がないのだとか、ここはどこだとか、服の血はなんだとか、なんでそんなに可愛いのだとか質問はあるだろうが、まずはわしの質問に答えてくれ」
最後はツッコミをいれるべきか? と一瞬迷ったが、いち早く自分の置かれている状況を確認するため余計なことは言わず、そこと指示された手術台に腰をかけ、わかった。と返す。
「目が覚める前のことを思い出してくれ」
俺はこの状況を理解しているであろう、ただ一人の少女の問いに素直に従い、目を閉じてゆっくりと思い出す。
思い出せる記憶を片っ端から思い出す。
俺の住む街は、クラウド国の東に位置する地区『パイグローブ』クラウド国に属する地域の中では田舎と言われている。
そうだ、確か母さんの体調が悪くて自分で朝ごはんを作って登学したんだ。
クラウド国の心臓部と言ってもいい中央地区『セントブリッド』その少し東にある『中央クラウド学術高等学校』俺はそこの2学年。
いつもと同じように時間に余裕を持って教室の席に着いて、そしていつもと同じように授業が終わる。
放課後は……えーっと、そうだ。図書管理委員会の仕事があったけど母さんの体調が悪そうだからと、同級生のシャリアさんに事情を話して、少しだけ委員会の手伝いをして早めに帰ったんだ。
シャリアさんは俺のような人間属とは違い獣猛属という種族で、運動神経などは人間属よりはるかに高いだけで、外見は人間とほぼ同じなのだが耳や尻尾が生えている。
シャリアさんはというと、長い茶色と黒の混じったストレートヘアーに少し垂れめの耳が髪から見えている。赤い花飾りをつけている可愛らしい外見で、性格は人懐っこい性格――だと思う。実際彼女とはクラスは一緒だが委員会の時に挨拶をするくらいで浸しい間柄ではない。
――うん、だんだん思い出した。
その後、少し小走りで『セントブリッド』から『パイグローブ』に帰る途中――
えっと――なんだったか――この辺が曖昧だ。
「前方から本を読みながらキミに向って歩いてくる女の子がいた」
ぶつぶつと思い出した記憶を口にしていた俺に向かって少女が言う。
そうだ! 女の子がいた。忘れていた記憶のキーワードを彼女に言い当てられ、脳内に電流が走ったように思い出す。――それにしても何故この子がそれを?――
無駄な詮索をするよりも、まず記憶を思い出すことに集中する。
ここら辺の通りは人の通行が少ないから自然と気になって目で追っていたんだ。
本を読みながらこちらに向かってきたその子が、くるりと身を回し反対側の歩道に渡ろうとしていた時、ちょうど物資運搬用の大型自動車が走って――それで――
助けようと思って。声をかけるよりも先に気づいたらその子を突き飛ばしたんだ。
――そうか、俺は――
そこまで思い出すと……いや、そこまでしか思い出せなかったのだが、自分の現状が理解できた。この通学用の制服についた血は自分のものであることは間違いないだろう。全てを悟り、はっと少女を見る。
「きみが助けてくれたのか?」
「う〜む、まあそんなところか?」
疑問系で答える少女はさらに続ける。
「正確に言うとだな……キミは死んでわしが勝手に自分の都合で生き返らせた」
「ありが――ん? え? どういう?」
事故で怪我をしたが、たまたま通りかかったこの少女の親が命を救ってくれた。おおよそ、そんなところかと思っていたが想定していた回答と少し違う、いやだいぶ違った返答をされてまた頭が混乱する。
「言葉のままだが? わしの都合が気になるのか?」
彼女のあまりにも堂々と主張する姿に何故だか一気に冷静さを取り戻した。
「質問があります」
「なんだね? 少年」
「僕は死んだのでしょうか?」
「だからそう言っただろうが。詳細を語るなら、女を突き飛ばしてそのままキミは大型自動車に轢かれて死んだ。」
まあ、そうなるか……そうなるのか?
生きて、こうして会話している以上死んだという表現に疑問が残る。さらに俺は質問を続ける。
「女の子はどうなりましたか?」
「ん、わしが首筋を叩いて気絶させた。顔面から勢いよく突っ伏していたが、まあおそらく命に別状はないだろう」
顔に怪我がないといいけど……自分は死んでしまったと無慈悲な宣告されたことなど忘れ、少しだけ助けた女の子を心配する。
「あの…………ホントに俺って死んだんですか?」
自分が死んだという宣言をされてどうしても信じられない自分がいる。
「同じ質問を繰り返すとはよほどの能なしか? もう面倒くさいな。全て語ってやるから己が死んだことをよく理解しろ。質問は話が終わったあとに1つだけ聞いてやる。よいな?」
俺はこくりと一度だけ頷く。
「私はキミの助けた女が死にそうなので見張っていた。そしたらキミが現れ代わりにキミが死んだ。事故のことを隠蔽し、キミを回収、わしの研究所まで持ってきて改造した。そして今に至る。以上だ。質問を許可する」
どうだと言わんばかりの顔をして腕を組んでいるが、基本的にこの子は言葉が足りなさすぎて説明になっていない。何故死にそうなのがわかるのか、何故見張るのか、死体を回収する目的はなんなのか、運転手はどうなったのか、というか改造ってなんなんだよ……質問を1つだけというのは無理がある。しかし、ここまでの話が本当ならばこの子の機嫌を損ねるのはまずい。……気がする。
「家にどうやったら帰れますか?」
自分の中で出した最善の答えだった。もう死んでるとか生き返ったとかどうでもいいから家に帰ろう。
「もうしばらく観察したかったのだが、まあ良いか。この研究所を出たら右に曲がれ。2分も歩けばお前の死んだ道だ。あとはわかるだろう」
まさかのご近所さんだった。
「じゃあまた明日検査するから」
そういうやいなや、少女は俺の手を引っ張ってあっという間に玄関から外に放り投げる。痛みの感覚がないとはいえ、こんなにも適当に扱われると心は傷つく。
「じゃあなー」
ドアを閉められ、がちゃりと鍵を掛けられる。衝撃の告白からの冷遇に、もはや思考は追いつかず、考えることを放棄した。
「これは夢ということにしよう」
そう独り言をこぼして安らげる我が家へ歩き出す。
もう何も考えない、これは悪夢なのだ。通りでおかしいはずだ。そもそも汚い服装の少女が研究者というのは現実味がない、死んだ生き返ったというのはきっと潜在的な欲求、例えば今の自分に対する不満からくる社会的地位の確立願望を表しているのだ。きっとそうだ。第一に体の感覚がないことが何よりの夢である証拠。うん、うん。
さっきまでの出来事をなんとか無理矢理に、にわか知識の夢分析で潜在欲求に変換して何度も何度も夢だと言い聞かせる。
気がつくと家の前にまでいた。近所だから勝手に足がここまで連れてきたのだろう。
――いや、夢だからご都合主義で場面転換したのだ。うん、きっとそうだ。
玄関を開け、母親の様子を確認する。夢だと知っていても体調の悪いというところは忘れてはいけない。どうやら1階の寝室でもう寝ているようだった。
ふう、とため息をつき台所にある時計に目をやる。
「10時か……」
帰るときには気がつかなかったが外はすっかり黒く染まっている。
冷えてしまった作り置き料理を食べてみる……味がしない……温度もわからない……
体の感覚はまだないままだ。
すぐ2階にある自分の部屋へ向かう。父は物心つく前に亡くなり、今は母親と二人暮らし、あまり迷惑をかけるわけにはいかない。
勢いよくベッドの上に倒れこむ。――考えるのはやめよう――そうひたすら自分に言い聞かせながら――目を――――閉じる