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涙と新聞記者と分隊長

 エリスは深い自然と野生の中で、あまり人と関わる事なく母と暮らしていた少女だ。

 それは彼女を取り巻いていた環境の中でも彼女自身の異質さに由来しての事情があるのだが、まあそこは置いておく。

 まだうっすらと暗い早朝。エリスは森の中を散歩していた。最近の事情から近隣の住民の気配を避けてだが、馴染みのある緑の匂いと一人を満喫しようとしていたのだ。

 しかし当初の試みは早々に挫かれていた。気分転換にと開始した歩みに気楽さは無く、表情にも険がある。

 それは、深い自然に接していたエリスには一目瞭然に近いレベルで解る事。

 自然には無数の生命が付き物だ。虫や鳥、植生や野生動物や魔性に侵された魔物でさえ、自然とはセットで溢れんばかりにありふれて然るべきなのだ。それら含めて自然なのだ。

 だがしかし。


「……気持ち悪い」


 そこには虫の声が無く、鳥の囀ずりも無く、何故生えているのか解らない植生がまともな振りをして茂り、動物や魔物の気配さえ無い。

 形ばかりには森だが、エリスにはとてもそうは思えなかった。なまじ視界には馴染みに近いものが広がっているだけに、違和感とそれから生まれる嫌悪に苛まれて気分転換にもならなかった。

 逆に、気に入らない模造品めいたこの森を薙ぎ払おうかと乱暴な発想まで浮かんでしまう。

 眉間の皺と連動するように腕輪に燐光が生じ、それに気づいて消す。それを何度か繰返し、自制するのにも神経を使い、ますます気は荒れる。典型的な悪循環に陥っている。


「……母さん」


 意図せずに、母の名を呼ぶ。か細い声は模造品めいた森の静けさに溶けて無意味に消える。

 なにをよんでいるのか?

 応えるものは何処にもいないのにと無意識が苛み、目のはしに光るものが浮かんだ。














「どうもどうもー、毎度お馴染みの空花新聞、ソラン・フィフィアでーっす」


 日課のジョギングとか素振りとかを消化したラグナを出迎えたのは、ソランと名乗る男だった。

 その男は自警団の戦闘用の機能とは違う方向に整った、制服のような上下を着こなし、両手には使い古された手帳とペンが手慣れた様子で握られている。肩ほど伸びた黒髪を三つ編みにして、そこそこに整った容姿に張り付けたような、或いは胡散臭い笑顔を浮かべている。

 しかし、というか今更名乗られなくともこのソランをラグナは知っている。狭いこの島の集落で、曲がりなりにも幼なじみの一人なのだ。

 しかしそれでもほぼ毎度名乗ってくるこの男の習性はなんなんだろうとラグナは不思議に思いながら、歩みを止めずにソランを素通りして間近い自宅に向かう。


「ちょちょちょ、何で無視するんですかラグナさん!」


 しかしペンと手帳を片手に持ったソランは回り込み、慌てた風にそれを制止してきた。

 無視された立場からは当然かも知れないが、ラグナからしてもそんな対応をとる理由がある。


「いや、敬語と笑顔で近寄ってくるお前には対応するなとユーリに言われてるし」

「何故に?!」

「よくわからんが、なんかぶん殴りたくなる顔だからではないか?」

「ええっ、ちょ、その評価は初耳なのですが」


 勿論そんな理由ではないが当のユーリはこの場にいない。故にそれはラグナの感想でしかない。

 そしてそれを察したソランは糸のように細い目と唇の端を引きつらせ、まあ流石に殴られないよな多分と気を取り直し咳き込みを一つ。


「こほん。まあ面倒な前置きは貴方には不評でしょうからまあ省きまして、本日は貴方に色々とお伺いしたいことが」

「てい」


 話の途中で、ソランの顔面目掛け振り抜かれる拳。

 それは気楽な掛け声とは裏腹に、踏み込みや拳の握りやらからして微塵の手加減も感じられない剛の拳である。

 しかしぎゃーすと奇声をあげたソランに間一髪避けられる。無理な挙動で尻餅つきながらだが。


「いいいいきなり何をしますかこの脳ミソ筋肉っ!」

「素振り」

「いや避けなけりゃ直撃だったよ?! 完全に鼻の骨がイッてるコースだよ今の!」

「大丈夫だ。当たってない」


 記者としてのポリシーをかなぐり捨ててボコろうかこの野郎という感情が沸き上がったがそこは目の前のネタを優先し、理性で抑えながら立ち上がり、深呼吸をする。

 大丈夫大丈夫。記者は暴力なんかに屈しないのだ。


「えー本日はですね、貴方が連れ込んだという謎の女性について」

「エリスの事なら、俺の口からは何も言えんぞ」


 ほう、名はエリスというのか。内心のほくそ笑みを隠しながら、ラグナ曰くぶん殴りたい笑みを張り付けてソランはさらに探りを入れる。


「そのエリスさん。貴方が連れ込んだと聞きましたが、貴方から語れないというのはどういう事でしょう」

「お前の事を話したら、なんか絶対何も言うなと口止めされてな。何かしら言ってしまったら俺がぶっ飛ばされる」


 当人が口止めと、ぶっ飛ばされるとな。成る程成る程そういう感じの人か。

 しかし口止めされときながらこの体たらく。宣言通りにぶっ飛ばされるやもしれんねとソランは想定し、むしろネタが増えて好都合だと笑んだ。


「成る程。では私の事をそのエリスさんに話したのですよね?」

「ああ」

「であらば、エリスさんは会った事もない私を貴方の口からある程度知っていて、私はエリスさんを何も知らされない。これは些か、不平等なのでは?」

「……悪いのか?」

「ええ、大変よろしくないですとも。これは正されるべき案件です。具体的には貴方自身の手で」

「むむ」


 おやこれは、なんかこんな我ながらしょぼい感じの屁理屈だが、いけそうな手応え。と表面に胡散臭い笑顔を張り付けたまま内面で舌舐めずりをするソラン。

 しかし、背後からした扉を開ける音とばたばたとした足音から、屁理屈紛いの試みの順当な失敗と、また別の切り口が来た事を悟る。


「こら馬鹿! この馬鹿はもうほんと馬鹿あ!」

「む、ユーリ」

「おや、これはユーリさん」


 仄かに香る良い匂いと外されていないエプロンから何をしていたのか丸分かりなユーリが、乱入しながら鼻息荒く吠えた。

 馬鹿馬鹿連呼され、ラグナの意識もユーリに向く。ソランもにこやかに胡散臭げな笑みを寝巻きにエプロン姿のユーリに向けて、紳士のように会釈を一つ。


「どうもお早う御座います。毎度お馴染みの空花新聞、ソラン・フィフィアです」

「知ってるよ。てかおい馬鹿、お前ちょっとこっちこい!」


 ユーリは怒鳴りながらソランを無視してラグナを引き摺り、結構露骨にソランから距離をとる。

 それは聞かれたくない話をしますよという解りやすいポーズだ。が、ソランは敢えて見送った。

 それを確認すると、ぎりぎり見えるような位置でユーリは止まり、背を見せて小声で話し始める。


「おいこの馬鹿兄貴。特にソランには何も言うなとあれほど」

「? 俺はエリスの事は何も言ってないぞ。雑談くらいだ」

「ばあああっかっ、そんなもんこっちが言うつもりなくてもなんやかんや言葉巧みに情報抜かれるに決まってんだろ!」


 いやあそれはどうかね。と一切近寄らずに聴力の良さだけで盗み聞きしていたソランは疑問符を付ける。

 確かにある程度の表面的な情報は抜ける自信はあったが、肝心要のそれにまで到れるとまでは思えない。隙だらけ通り越してノーガードな男だが、なんやかんやで大事な所は外さない人間だし。

 寧ろ半端に賢いユーリのほうがその点やり易い。とソランは評価している。


「……しかしそうか。共通認識か」


 顎に手を当て口元を隠すようにし、ソランは誰にも聞き取れぬよう呟く。

 確信である。つまり、ユーリとラグナの共通認識。ソラン記者に発覚するとよろしくない、という。

 イコール、発覚、記事にされると不味いものがあるという事。それはそれは、大変に面白い。と隠した口元を邪悪に歪ませるソラン。

 そこで偶然か、それとも何かを感じたのか。ずっとそちらをうかがっていたソランと、未だ小声で怒鳴られているラグナの目が合った。







 ソラン・フィフィアはこの島で唯一の新聞記者である。

 切迫した状況と少ない住民の数から、そんな存在が在る事自体が意外やも知れないが、必要な情報の共有は生存率の向上には欠かせない要素でもある。

 無論、不必要な情報や害悪なデマの拡散に気を使う必要はあるが、そこらにさえ気を使えば住民達の数少ない情報源になり、また唯一と言って良い新鮮かつ身近な娯楽にもなり得るのだ。

 だからこそ有用とされ――そこらを上手い事広め――趣味と実益で活動しているソランは、この島では数少ない年頃の男でありながら、非戦闘員である事を許されている。

 より厳密に云うと、その立場を作り上げ自力で勝ち取った。つまりはそういう人物だ。



「まあともかく、あれだ。とっとと帰ってくれ」

「ユーリ。流石にいきなりそれは失礼だと思うぞ」


 相談を終えて肩を並べ再びソランの前まで来た兄妹は、いきなり意見を違えていた。

 なんじゃそりゃと内心で呆れるソランの眼前で、妹の踵が兄の足の指を勢い良く踏みつける。


「聞きたい事は大体わかってる。が、こっちとしても彼女の事情を把握しきれてないんだ」

「私としては、そのエリスさんに直接事情をうかがいたいのですが」


 とりあえず何とかソランを追い返したいユーリと、ネタが掴みたいソラン。

 うごおおおと転げのたうつラグナを二人揃って無視し、お互いに相反する意図を通すべく動いていた。


「直接……は、やめといた方がいい。彼女の事は気になるだろうけど、そういうのは毛嫌いしてるっぽいし。聞き出した要点は俺が纏めとくからさ。それでいいだろう?」


 ソランは顎に手を当て、数秒思考する。

 それは彼個人としては非常につまらない妥協案。

 連れ込んだ当人と妹。聞き出すにも赤の他人である自分より容易くスムーズに正確なものが入るだろう。そして、出す情報の取捨選択が好き放題にまとめる事ができる。

 流石にいい加減なものや、全体にとって不利益なものを出すような真似は性格的にも現実的にもしないだろうが……

 しかし、自分が関われない。精々が記事にする際の推考や編集からか。それはいただけない。広める広めないは二の次でも、生の情報は自分で確かめねば。


「ふ、む……貴女の信用性が薄い、とまでは言いません。が、前提としての根拠不十分であると判断されるに足りますね。ありがちなネタでなく、事が事ですし。せめて二つ以上の視点が望ましい」

「そしてその片方は自分でなければならない、ってか?」

「適任でしょう?」


 あくまでもにこやかなソランと、うんざりとした様子を隠さないユーリ。お互いその裏面そこそこに悟る両者がそこで黙して見合う。

 ただラグナのうめき声がおさまりつつある中、別の音が遠く響く。

 甲高く、鼓膜を揺する。小さな島全体に響き渡るような咆哮。

 それは遠吠え。間を置いて一定の間隔で鳴り響くそれは野性でなく、訓練された形跡が伺える。

 

「……おや、召集のようですね」


 間が悪いな、と内心で舌打ちながらソランは呟いた。

 それは魚人の上陸を匂いで察知した、荒地狼という魔物の合図。

 島の住民全てが慣れ親しみつつあるお馴染みのそれは、警戒を呼び掛けると同時に自警団員召集の警鐘代わりにもなっている。

 つまり。


「おい、ラグナ」

「むぅ。ああ、確かこの時間帯は俺もだな」


 一応ながらこの場で唯一自警団の一員であるラグナが、ユーリに言われて億劫そうに立ち上がる。それは別に妹だか弟だかからのダメージを引き摺っているからだはなく、単に面倒だからだ。






















 ――ラグナにはムラっ気がある。

 戦闘に関しての事だ。ラグナの実力はその日その時で大きく上下する。

 基礎的な事には変わり無い。瞬発力や腕力、意味不明な頑丈さや耐久力、ついでに百発一中の射撃の腕前と、精神力。

 しかしそれでも、それ以外の所でムラが出る。

 例えば、特に酷い時には件の半魚人とサシで戦い不覚をとる事があれば、その半魚人を三桁相手にして平気で皆殺しにする某幼なじみにサシで打ち勝った事もあった。

 素人でもしないような下手な踏み込みで自爆して死にかける事もあれば、達人めいた手捌きで流れ玉を受け流し敵に当てるなどという離れ業を同じ日にこなした事もある。

 狙って手を抜くでもなく、突然成長したわけでもなく、人が変わったように戦闘の手腕が変化する。

 まるで突然、素人に達人の技量に達したように。或いは超人がその超越を忘却したように。

 原因は今もわからないが、それは誰しもにあるコンディションによる誤差などというチャチな代物ではない。

 しかし、現実にラグナはそうなのだ。



 そしてその日、ラグナは不調だった。不調の前に絶がつく位に不調だった。

 不調なことは朝の鍛練で自覚していたが、その日は朝の問答があったからか、それとも素か。自己申告することも忘れ、同時に不運にも聞かれる事無く、何時ものように長剣片手に戦場に。

 結果として、馬鹿は三回ほど死にかけた。


「……なんで、いわなかったの?」

「はっはっは、忘れてたわ」


 頭血を流しながら朗らかに笑う馬鹿の横っ面に、幼なじみの一人でもある少女の右ストレートがやや下から捩じ込まれた。

 エグい音と、五回転半錐揉み。常人なら死ぬだろうがこいつなら死なないだろうという手心の加えられた一撃は、回転しながら頭から太い木に衝突し、盛大に枝葉を揺らす事で止まる。


「ほうこくのぎむをおこたった、ばつ、ですね……きいてますか?」

「おう、ひほえへふひほえへる」


 何やら口内に木片と血が入り交じったような返答に、少女はうんうんと威厳を持たせた気に頷いた。

 少女はラグナより年下で、自警団内でも分隊を任される実力者だが、偉ぶりたい年頃でもあるのだ。部下は割りとドン引きしてるが。


「わかってますか。あなたのしんこくのしっぱいでぶたいじんいんにえーと……そう、いろいろあぶないんだよ、らぐな」

「ぺっぺっ、あーおう。悪かったよ、わざとじゃないんだ、謝る。ごめんなさい」

「だれにあたまさげてますか。それはしげみです。わたしはそんなにちいさくないですよ」


 鼻と口と目とついでに耳と顔面から血を流しながら陽気に笑うラグナは、手を合わせて謝る。

 実際、自警団の普通の構成員はこの馬鹿程に意味不明に頑丈にできてないのだ。足手まといのせいで予期せぬ穴が空けば、何かの間違いが起こり得るのだ。

 そこを理解していたラグナは素直に反省していた。改善されるかは疑問だが、申し訳なくは思っていた。改善されるかは疑問だが。

 しかし頭を下げたそこは少女の言った通り、ラグナの腰程に伸びた、真新しい赤い液体が若干付着した茂みである。

 別にそれは嫌みとかでなく、普通に意識が朦朧としているのと、眼に血が入ったり出たりしてるので誤認しただけだ。


「まったくもって、らぐなはじつにらぐなですね。ちゃんとはんせいしなきゃだめですよ」

「わかっているとも。ところで、俺の帽子知らんか? 多分、さっきお前が岩投げた時に掠って引っ掛かってったと思うんだが」

「なら、いわにひっかかってるかな? でもどのいわです?」

「どのと。ふむ、そうだな……結構でかかったような」

「あれくらいですか?」


 回りの自警団員が聞かない振りをしながら撤収作業している最中、部隊長である少女がほっそりとした指を向ける。

 向けた先には、半魚人を三体程引き潰し、少女の胴体より遥かに太い幹をへし折って、地面にめり込んでいる大岩があった。


「……んー、ダメだな。頭血が酷くてちょっと見えん」

「もう、らぐなはしょうがないですね。ほら」

「おう、ありがとう」


 そうやって被害者は感謝を伝えて、加害者から花と蝶々の刺繍入りハンカチを受けとった。





 その日の朝、約一名の馬鹿以外は怪我もなく、珍しく百を越えた半魚人の大群は一匹残らず殲滅された。

 その半分以上は、大群の規模から派遣された分隊長の、単騎による戦果である。


 


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