ラグナと戦場とモブ
島から脱出する、それは良い。可能かどうかは別として、それが生き残る為の方法には違いないのだから。真綿で首を絞められているこのままでは、いずれ限界がくる。
しかし、だ。先ず、問題点を説明しよう。
一つ、根本的にどうやって島から出るのか?
それにはまず航海に耐えうる頑丈な船がいる。では、その頑丈な船をどうやって調達、或いは建造するのか。
外部からの調達は前提からして不可能。そして建造しようにも大した面積のない孤島では材料が圧倒的に不足しているし、何よりそういった方面にノウハウのある人間が居ない。
当然ながらこの島に居る人間は、どういうわけか発生した災害に何故か生き延びた寄せ集めだ。しかも災害当時の混乱で、ある程度の秩序たった防衛と生活ができる様になるまでにも結構な数の犠牲者が出ている。
こんな劣悪の環境下で、そんな都合の良い人材が存在する訳がなかったのだ。
まあある意味、もっと都合の良い存在である錬金術師が数名居るのだが。逆に錬金術師が生き延びていなければ、現在の島の人間の半分以上が消えていただろう。そしてその残りの人々の明日の命も定かではなかっただろう。
問題点の二つ目は、消えない率直な脅威の存在。
女子供でも知識があればある程度扱える銃火器の存在と、それをそこらの端材から錬成できる錬金術師の尽力。そして率直な生命の脅威に対してとりあえずでも団結した人々と、少数の特記戦力。
それらにより、かろうじてながら安定して降りかかる脅威を排除できてはいるが、どういうわけか脅威は後から後から、いくら払ってもやって来る。
これは大陸の知識を持つ人々からすれば考え難い事だ。魔物はまともとは言い難い生物と云えど、生物ではあるのだ。
だから減りはするしそれに対するある程度の学習だってある筈が、だのに十年単位で同じ場所を返り討ちにされながら襲撃し続けるという。
どう考えても異常である。しかしその原因が解らず、解決の糸口も掴めずにいるのが現状だ。
そして更なる問題は、それらの問題点をクリアしたとしても、素通りできるとは思えない詳細不明の巨大海生物の領域をどうするかである。
はっきり言って大陸の専門家を集めた上でコストと時間を度外視して出来うる限り頑丈な船を造ったとしても、まずどうにもならないだろう。
この世界にあらざる知識を持つユーリの知る物語の、某怪獣やら某巨人やらとタイマンできるんじゃないかというサイズの化け物がうようよいるのだ。縄張りを刺激して敵視された時点でもうアウトだ。
そしてこの島は、その規格外生物の海域に包囲されている。
「……うわあ」
時は移ろい夕方。所も変わり、集落のやや外れにあるラグナとユーリの住居である。
さして広くないリビングは家具らしい家具も無く、夕陽の茜が隙間から零れていた。
木製の四角いテーブルを挟み、相対するエリスとユーリ。
詰みではなかろうかという島の状況を一通り聞き終え、エリスは頭を抱えてうめいた。
無理もないな。初めて聞いた時は似たような仕草を、というかそれより酷い狼狽えを自分は見せたような。とユーリは思い返そうとしてやめた。
そして達観と諦めと、それ以外の何かを秘めた瞳を瞬き、嘆息を一つ。
「酷い状況でしょ? とりあえずうちらが即死するような材料は幸運にも避けられてるけど、何かしらイレギュラーでも起こると……ねえ?」
「くっそ、あの馬鹿、重要なことの説明くらいしろよ、なんだよこの魔窟。ちくしょー、なんかちくしょー」
「ああ、やっぱり説明とかしてなかったんだ。そりゃ好き好んでこんな島には来ないよね」
一呼吸の間を挟み、エリスの面が上がる。虚を突かれた青目と、感情の見えない眼差しとが交錯した。
「これだけ聞いて、君は君が居た所に帰りたくないのかな、エリス」
面は微笑みながら、眼だけは異様な無機質さでエリスを――外界からのイレギュラーを観察している。
対するエリスの目が警戒する猫のように細められ、空気が緊迫したそれに変わった。
「うちの馬鹿兄貴は本当実に馬鹿でね。説明下手が大丈夫とだけ伝えられても、内実が全くわからない」
「……回りくどい。もう少しはっきり言いたい事が言えないのか?」
「では、リクエストに応えまして――お前は、一体どうやって、この島に来た」
最早建前は不要とばかりに、ユーリの表情と眼光の色が重なる。それは誤魔化しは許さないと雄弁に語る色。
その内容は、今までの話と絶望的な問題の前提を覆し兼ねない問いかけだった。
エリスはこの島の人間では無い。それはエリス自身とついでにラグナが口にした事。
それを裏付ける事実として、ユーリ自身が彼女とはつい先日が初対面だ。この全住民が全住民と知り合いな狭く特殊な島社会で、ほぼ同年代が十代半ばになって初顔合わせ。それはあり得ない事なのだ。
故にユーリは確信している。彼女とついでに馬鹿兄貴が言っていた事は事実なのだ、と。
外界と途絶されたこの島で、それは異常な事実だった。
だからこそ、例え本人がはぐらかして、言い難そうにしていた事でも。何としてでも聞き出さなければならない。
何故、どうして、よりもどうやってか。来訪したその手段を。異常を通したその謎を。例え望みが薄かろうとも。
「…………」
「…………」
息苦しい沈黙が続く。
険しい顔を続けるユーリの、小心な胃が軋んだ。
そしてエリスはふうと短く嘆息をこぼし。
「……まあ、そんな状況じゃあそれも仕方ない、か」
テーブルに頬杖をつき、表情から感情という色彩を欠かせた。元より目を惹くような美少女にそれをやられ、魅力よりも迫力を感じさせられたユーリは、小さく唾を呑んだ。
「私がこの島に来たのは、まあ半分事故みたいなもんよ」
「……事故。ラグナも似たようなニュアンスの言葉を混ぜていたな、そういや」
「そ。だから、私も何がどうなってここに来たのか解ってないし、帰り方もわからない…………帰ろうとも思わないけど」
「……と、言うと」
「残念ながら、あんたの希望には添えないわね。手段が無いんだから」
「……そう、か」
ユーリとしては、半ば予測していた返答だった。
あのラグナが如何に馬鹿と云えど、エリスを連れて来た張本人が、目的に利用できそうな要素をそのまま捨て置いておく訳が無い。むしろその点に関しては自身よりもラグナのが長けているかも知れない。天然でだが。とユーリは認識している。
だからこの詰問は徒労に近い形で終わるだろうと半ば予測していたし、実際そうなった。しかし落胆を隠せず、ユーリは声を落とした。
夜の帳が降りた午後。日中のエリスによる虐殺が起こった砂浜とは別の海岸付近で、けたたましい半魚の奇声と人間の怒声、鉛玉が弾ける火薬の音と肉が肉塊に変えられる音が混じりあい響いていく。
夜間だからと、半魚人の進撃が止まる訳ではない。そしてそれを許す人類もこの場にはいない。
故に、何の法則性も無く襲撃を繰り返す魔物と、それに対応する人類は、本日三度目になる戦場を作り出していた。
「――――ききかカカカカカカっ!!」
理性の欠片も見えない甲高い奇声があがる。同胞の屍を踏み潰しながら迫る魚面は、ほんの僅かばかりの人面を感じさせるが、唾液まみれの牙を剥き出し粘つい殺意にまみれた狂相、人間めいた四肢のパーツが青黒い魚鱗も相まってよりおぞましくさせている。
「っく」
「うらぁあっ!」
それを夜目ながら間近で見てしまい反射的に及び腰になる人員と、白刃を抜いて跳びかかる人影。
迫る魚人に対応したのは、島の自警団制式の緑色の制服と、耳までカバーする重厚な帽子をかぶったラグナだった。
防弾と防刃に富むそれらは、厚手ではあるが衣類であるが故の軽量さを持ちながら、半魚の武器である爪牙や、たまに持ち出されるぼろい槍や剣に対し高い防護性能をも合わせ持つ。
味方の誤射や流れ弾にも直撃以外はある程度問題ないという、島に数人しかいない錬金術師が、前線で戦う自警団の為に支給された逸品である。
その逸品を返り血で汚したラグナは、初撃で顔面を半ば潰されながらもまだ奇声をあげて前進を止めない魚人を返す刀、更に踏み込み硬い鱗ごと胴を両断した。
ぐけぇあ、と。その踏み込み振り抜いた先で、片腕がズタズタにされた新手が、錆びた槍を突き出してくる。
あ、やべ。とラグナは反応が間に合わずせめて耐性のある制服で受けようと足掻く。試みは半ば成功し、力と勢いだけはある刺突を肩で受け、僅かに逸らした。
「ふっ」
鈍い衝撃と地味な鈍痛。しかしそれにこたえること無く短い息を吐き、返礼とばかりに突きだされた槍を切り上げ弾くと、上げた剣を降り下ろしその魚人の頭蓋をカチ割る。
青緑が飛散し、脳髄が――あるべき場所から、蒼白い触手が伸びた。
それは脳を貪り、成り代わって寄生する、おぞましい生態の魔物。半端な脅威である半魚人の脅威を一段階以上あげる要因である。
「ーっ! タコだ! 誰か撃て!」
その全容を目視するより早く表情を硬くしたラグナが、己に伸ばされた触手を払い切り飛ばしながら叫ぶ。内容は短いが、それはこの化け物達の対処に手慣れた一団にとっては珍しくもないものだった。
打ち鳴らされた鐘のように了解の返事が返り、ラグナがバックステップを踏んだのと同時に、吸盤と鋭い針が見え隠れする触手を伸ばした軟体物と、まだ原型を残していた魚人の顔面が粉々に破壊されていく。
それは濃い紫の血を撒き散らし、やがて寄生していた魚人の亡骸から脱出しきる事も出来ず地に伏し、痙攣して動かなくなる。
だめ押しでその顔面と寄生蛸を分厚い鉄板とエッジの鋭いブーツで踏みつけ、潰す。ぴぎゃーという笛の音色めいた断末魔が、漸くその耳に届いた。
「鈍ってないみたいだな」
「当然だ!」
援護射撃を加えた知人の声を背に、粘ついた血を振り払った長剣を構えたラグナが再度突撃した。
程なくして、流れ作業めいた防衛戦は終息する。
負傷者も特に無く、悪臭漂う肉塊だけを生産し、少なくも多くもない弾薬を消耗した。自警団的には日常茶飯事といっていい、実に安定した戦果だ。
後はその肉塊を片付け、撤収して装備の点検などを済ませるだけだ。ラグナなどは諸事情から録な火器を持たせてもらってないから点検などは大幅に省かれ、その分大量の肉塊を運ぶはめになるが。
「よう大将、お疲れさん」
「ん、アンリか。別に疲れてはないが、まあお疲れさまだ」
馬が運ぶような荷台に、肉塊を満載させたエグいブツを一人引っ張り運搬するラグナ。
運搬する人員は彼だけではなく列をなして廃棄する場に向かっているが、一人で運搬しているのは彼だけだった。
それはイジメとかそういうのでなく、単純に身体的な信用の差と、ついでに鍛練にもなるだろうというラグナの意思でもある。
それに声をかけて来たのは、アンリという小男だ。女めいた名前だが、ユーリというややこしい存在と違い、列記とした男だ。
「今回は随分長いこと姿くらましてたけど、具合はどうだい?」
「んー、やり飽きた作業にうんざりしているところだな。ああ、俺としては久しぶりだが、本当飽き飽きだ」
微妙に倦怠と嫌悪やらが入り交じった、この男にしては珍しい表情をしていた。
それは心底から言葉の通りなのだろう。溜め息なんかもこぼしていた。
アンリは少し意外そうな顔をし、取り繕うように人懐こい笑みを見せる。
「はは、大将も飽きる事はあるか」
「詰まらん事は飽きるさ。お前だってそうだろ?」
「ごもっともだ。そういや、ユーリちゃんには会った?」
「会ったぞ」
「言葉にゃ出してなかったけど、随分と心配してたみたいだから。ちったあ気にしてやんなよ」
「ふむ……肝に銘じる」
素直なんだが……まあ銘じるだけでその時になればどうなるか。
自分より後に産まれ、赤子から見てきたこの男の身勝手な生態をある程度理解しているアンリは、処置なしと首を振った。
「それとさ」
その動作で辺りを探り、忍ぶようにラグナに囁く。内密な話をしたいように。それはアンリなりの配慮だったが、配慮された当人は不思議そうに目をやるだけ。
「何か金髪の女の子を連れ込んだらしいけど、どうなってんの?」
島外の人間の存在。それは、この閉鎖された孤島における、如何様にも転ぶだろう可能性。
アンリが問う内心は、それを知れば、島の住民全てが抱くだろう。この場にはいないユーリが、エリスに発したのと同じ類いの疑問。
故に声を潜めるアンリの目には信じがたいが、しかしもしかしたらという希望が見え隠れしていた。
しかし馬鹿は、それに事も無げに答える。
「ああ、何か危うかったから拾ってきたんだが」
「いやおま、外界の犬猫じゃねえんだから」
犬猫とか、この島で見たことないけどな。あ、狼は似たようなもんかな、とアンリ少し思考を反らす。
飼い慣らされた魔物の狼は、この島では警報といざという時の戦力として重宝されている。が、人懐こくは無いので余り交流は無い。
「仕方無かろう。親も居場所も一緒くたに目の前で消えて、潰れかけたんだ。誰かが見ていてやるべきなのだ」
「は? ………え、いや、どういう意味だ?」
「参考にはならんということだ」
それは奇しくも、というより題材がかぶっているのだから必然か。ユーリがエリスにした問答に似たやり取りであった。
問題の突破口に成り得るか否か。答えは否である。
それは口裏合わせをした訳でなく、変わらない事実だからだ。
「だがお前、人を拾ってきたって、どっからよ。今まではそんなん無かったのに」
「毎度のように方法がわからんし、二度とはいけんよ」
しかしエリスが口にはしなかった事を、ラグナは語る。それは各々の目線による差異だ。
エリスは己に訪れた異常に神経質に。ラグナは、己に訪れる異常を淡々と当たり前のように。それは性質と経験の差でもある。
それはどちらが異常なのか。
「そしてこれは、村長にはもう話した事だ」
「うげ、そこで村長を出すかよ。あんまり納得できてねぇんだけど」
「聞かれたら名前を出しなさいと言われたからな。俺としても二度手間はごめんだ」
何せ面倒だからな、とラグナの素っ気ない態度に、そっかー、とアンリは生返事を返した。
それにはやはり、期待半分を否定された負の成分が僅かばかり含まれていた。それはユーリほどあからさまではないにせよ、この島の住民が大なり小なり抱える不安と焦りが見てとれる。
「しかしやっぱり、どうにもならんか」
「なるさ。俺は冒険したいんだから」
「大将のは希望ばっかで具体性がないでしょうが」
「それでもなるさ。俺はそう信じているし、なるようにする」
相変わらず、安定して理屈の通じない馬鹿だ。この島の住民が囚われている閉塞感を感じさせない、囚われない馬鹿。
アンリは呆れと安堵の入り交じった溜め息を吐いた。
ラグナには具体性も理屈も無い。しかし何か、得体の知れないこの島で、誰にもない得体の知れない異変を起こし続ける発信源である。
そしてそれを恐れる事無く立ち向かい続ける特異な精神、異様なまでの前向きさを合わせもつ。
それに島の住民の表向きの反応は、大抵真っ二つだ。得体が知れないと恐れ遠ざけるか、ある種の可能性だと期待し近寄るか。
アンリは基本的に後者であり、島の住民で最も力ある村長等はその最先鋭だ。特に村長はほぼ後ろ楯じみた立ち位置を公言しており、その影響とラグナ当人の気質もあり、ありがちな特異への迫害などは発生していない。
どちらかが欠けていたらその限りではないだろうけど、とアンリは睨んでいる。
閉鎖的な環境と詰みの入って硬直した状況。バランス管理を誤れば、いや誤らずとも。そろそろ人間同士で『そう』なっても不思議は無い。
故に、そのエリスなる少女の存在がどう作用するか。
その構図は、そのまま閉鎖環境に投じられた異物。それによって、良くも悪くも色々と動くだろう。アンリはそう予見していた。