第一話 信路
「続いて、部員による演武です。」
案内の声が道場全体に響き渡る。
道場の奥側から、部員の一人が入場してくる。威厳のある歩き方で一歩一歩進むたびに、緊張感が高まっていく。中央に座って一礼すると、先ほど説明があったシャイ、という場所まで進んだ。
座ったままの動きは素早く、無駄がない。準備が整ったのか、先輩は両手で弓矢を支え、静かに立ち上がる。先ほどまでの丁寧さとは、どこか違う。何か儀式を見ているような、そんな厳かささえ感じた。
弓を頭上にあげ、ゆっくりと引き始める。そして、いよいよ狙いを定めた。糸が張り詰められたような道場。何秒ほど経ったのだろうか。永遠にさえ感じる静寂を破ったのは、ギィンという弓独特の音だった。矢が飛び、パンッと乾いた音が鳴る。的中だ。
決めた。
俺はこの部活に入りたい。この先輩に教わりたい。絶対に。
第一話 信路
高校なんて、どこ行っても変わらない。そう言われてきたし、実際そう信じて育ってきた。父親には進学した先で何を学んで自分の人生に活かすか、それが大事だと言われてきたので、学力相応の学校に入って学べばいい、そう思っていた。
でも、今、この瞬間から俺は県立高校の御三家である県立富丸高校への進学を決意した。はっきり言って中の下である自分が狙うべきでない学校であることはわかる。しかし、努力せねばならぬ理由が生まれたのだ。
夏休みに入って10日目の運命の出会い。この感動を担任に伝えたい。気がついたら学校の正面玄関に立っていた。インターフォンを押し、自分の名を名乗り担任がいるかどうかを確認する。
インターフォンからどうぞ~と気の抜けた声が流れてきたので学校に入る。夏休み中の学校は部活動でもない限り生徒は来ない。ましてやこんな日が高く昇る13時頃に現れる生徒なぞ普通はいない。つまり、俺は普通ではない。
「急にどうしたのですか。びっくりしましたよ、藤川君。」
「お話したいことがあってきました。」
「廊下では暑いので教室にでも行きましょう。」
そう案内され、先生の後をついていく。教室は少しムワッとしていて息苦しいような感じだった。冷房のスイッチを入れ、適当な座席を向かい合わせにした先生が指をさしてきた。その指示に従い座る。
「では、話を聞かせてください。」
「俺、富丸高校に志望校変えたいです。」
「ほう、今日オープンハイスクールで行ってきた高校ですね。あれだけ学力がって渋っていた学校ではないですか。自分が富丸の制服で過ごしている姿を想像できたのですか?」
「正直、それは微妙です。ただ…」
今日見てきたありのままを伝えよう。この先生なら俺のようなバカであっても、正面から受け止めてくれる。
「俺、弓道部に入りたいんです。今日見てきて思いました。」
「確かに、弓道はカッコいいですよね。」
「カッコいい…というよりも、美しかったんです。弓を打つ姿、弓道場の静かさ、全てが芸術のように感じました。あれ、俺もやりたいんです。」
話し終えたところで、金丸先生が急に目を細めて俺のことを見てくる。ただ気まずい沈黙が十秒ほど流れた後にやっと先生が口を開いた。
「弓、打つではなく引くですよ、正しくは。」
「え?」
先生が何を言っているか理解できず、ポカンとしていると、
「弓を“打つ”のは、弓を作るときの言葉です。矢を放つ所作は、“引く”。」
「ありがとうございます。」
「藤川君。君はとても素直です。真っ直ぐです。努力家です。先生にはそう見えます。ただ、弓道は学校と違い、学んで終わりではありません。実際に弓を引くとき、引く人の人生が溢れてきます。」
先生の言葉が一つ一つ重く、息が詰まる。何を言っているかは理解できない。ただ、覚悟を決めろと言われていることだけは理解できた。
「はい。」
「富丸の受験は君にとって苦しい茨の道です。それでもなお、弓道の真理を追究する思いがあるのなら、私は全力で応援します。真理の追究より、簡単なことだと思いますよ、藤川君にとっては。」
首をかしげていると、“君には真理は、まだ難しいかもしれないね”と言い残して、退室を促された。
金丸は一人職員室に戻ってPC作業をやり始めた。
「まさか、弓道がトリガーになるとは思ってもいなかったなぁ…。」
「何か悩み事ですか?」
「井上先生。藤川君が県立富丸を志望するそうで。」
「いくら何でも無茶では?彼、富舟の商業科志望でしたよね。それが急に御三家なんて…。」
「言いたい気持ちもわかりますが、彼ならやり遂げられます。そこに心配はないのです。」
「心配しかないですけど、私。」
「ただ…。」
「ただ?」
「ふと昔の自分を見ている気分で心配なんです。」
「はぁ…まぁ入ってからのことは彼自身の問題ですし、そこまで考えこまなくてもいいのでは?」
「おっしゃる通りですね。さて、定時になりますし帰りましょうか。」
金丸も井上もPCをシャットダウンして帰り支度をそそくさと整える。
“正解のない世界ですからね、藤川君。”そんなことを思いながら金丸は職員室をあとにした。
「ただいまー」
「おかえり昭。今日はどうだった?」
「最高だった!凄かったんだ!体験授業と部活動体験に行ったんだけどさ…」
話したいことがありすぎる。口を閉じる気になれない。
「弓道部がかっこよくて、本当に。凄かった。シーンとした中でパンッてさ当てたんだぜ!俺弓道部に入りたい!」
「そうかい、やりたいことが見つかってよかったね。富舟に弓道部あるんだっけ?」
「その話なんだけどさ、俺、富丸に行きたい。」
「え…どこ目指すのもお母さんはいいと思うよ。でも、あなた学力大丈夫なの?」
「そんなもん何とかする。」
はぁ…というため息と諦めたような表情でこちらを母は見てきた。
「昭はやると決めたら諦めない子だもんね。わかった。お母さん、応援するよ。でもお父さんには相談しておきな。間違いなく力になってくれるはずだから。」
父の帰りは遅い。だとしたら自分がするべきことは何か。明白だ。勉強である。夏休みになってから一回も開けていないドリルをおもむろに取り出し、宿題の範囲をまずは進める。平方根…最初から挫けそうだ。
目を背けたくなる自身の学力と向き合うこと2時間。扉を開く音と共に低めのただいまという声が家に響く。父の帰宅だ。
「おかえり、父さん。」
「今片づけてくるから、リビングで話なら聞くぞ。」
「ありがとう。」
普段と違う行動をしたことで察してくれたらしい。否定されることはないと思う。だが、自分の想いを告白するのはとても勇気がいることなのだ。息が詰まってくる。
「遅くなった。どうした?」
「俺、県立富丸受けたい。」
単純に結論から伝えた。
「そうか。」
その一言を言って父は机の上に組んだ手をじっと見つめている。
「昭。」
「はい。」
「はっきり言って、難しい。」
「わかっている。」
「それが分かっているならやるべきことはわかるな。」
「勉強です。」
父が首を縦に振る。
「もし、自分だけで厳しいと思ったら父ちゃんを使ってもいい。希望するなら塾でもなんでも通え。全力でやれよ。」
応援してくれるとわかっていたはずなのに、目頭に熱がこもる。
「ありがとう、父ちゃん。俺、絶対富丸に行く。頑張る。」
そう言って、立とうとしたら、
「好きな子が富丸を受検でもするのか?」
そう言われたのでちょっと笑ってしまった。
「んなわけないじゃん。俺、富丸の弓道部入りたい。」
そう言って父の顔を見ると度肝を抜かれた顔をしていた。“弓道か…“と呟いた後目が合うとにこりと笑い、
「お前に似合ってるよ。頑張れ。」
俺はこの日から、地獄のような日々を過ごす決意をした。
自分の信じる路を目指して。
私の作品に時間を割いていただきありがとうございます。
初めての作品です。
違和感や改善点等がありましたら遠慮なく教えてください。
次作以降に反映させることができたらと思います。
月に2回ほど更新したいと思っております。
思い出した頃に覗いていただき、読んでもらえますと幸いです。




