神様、ちょっと遠すぎませんか?
あの一件から半年。
あれから父や村を守る見回りの役割の大人たちは、何かと森に潜ることが多くなった。
どうして潜りに行っているのかと問えば、父たちは何の心配もいらない。と、言うだけ。
森に何か異変があったのは明白だった。
それを好奇心旺盛な姉が気にならないわけがなく、また森へ行こうとしたのだが。
この姉にこの母あり、と言うのだろうか。姉が暴走するのを知っていたかのように、止められてしまった。
以降僕たちは、母と共に毎日門前で守衛をすることになった。
ただ、それだけは暇と言うことで、いつも通り木の剣で勝負しあったりというのは続けていた。
そしてもう一つ、あの時から大きく変わったことがあった。
姉のスキルが成長したことだ。
姉は元々、スキル『可能性のたまご』と言うものを持っていた。
それはスキル名を言っても、発動するようなものではなく、今まで何の意味があるのか分からなかったが、それがつい最近育ったのだ。
そのスキル名が『剣の秀才』。
効果自体は単純明快。剣において、力、技術力を上昇させる常時発動型スキルだった。
そのスキルが覚醒したことにより――
自分の手元にあった木の剣が、姉の木の剣によって叩かれ、落とされてしまう。
そのまま、流れるようにして木の剣は自分の首元、薄皮一枚のところで寸止めされる。
「また私の勝ち―」
「あぁー、無理ー!」
降参するように後ろへ倒れこみ。体を大の字にして草原に寝転ぶ。
手や腕は姉とのぶつかり合いによって、疲労が蓄積しもう木の剣をまともに持てる気配すらない。
足にはまだ余裕こそあるが、息はたえだえ。立ち上がる気力も、もうない。
「本当に無理! 勝てるわけないじゃん!」
「ふふん。お姉ちゃんは強いのだ」
吐き捨てるように言い放つと、姉は満足そうに笑う。
半年前までは姉が有力程度だったチャンバラが今では、レベル一とレベル二十でようやく対等。
今みたいにレベル一同士のチャンバラとなれば、ただただ蹂躙されるのみだった。
「もう無理。母さん、変わってー」
「お母さん、遊んでるわけじゃないんだけどー?」
と、母は言いつつも笑って、僕が落とした木の剣を拾い、軽く構える。
姉が斬りかかるが、母からすれば赤子同然。
軽くいなしては、反撃の軽い一撃を入れるの繰り返し。
それに姉は翻弄され、先ほどの僕のようになっている。
その間に僕は呼吸を整えるべく、吸って吐いてを繰り返す。
カンカンと子気味よい音が響く。
そうして風を感じ、耳を澄ましていると、遠くから声が聞こえたような気がした。
「――いー!」
それは徐々に近づいてきて、先ほどとは違い人の声が確かに聞こえた。
気になって、眼を開けて声のした方向を見ると、森の方向から見回りの人が走ってきていた。
「おーい! 大変だ! こっち来てくれ!」
「母さん!」
母は僕が呼びかけるよりも早く、こちらへと走ってきている人の元へと颯爽と駆けていた。
慌てて僕たちも母を追いかける。
そして呼びかけていた人の元へとたどり着く。
既に母はおらず先へ行ったことが伺えたが、状況を知るため、僕たちはその男の人、カインさんに話を聞いた。
「大丈夫ですか!?」
「ぜぇぜぇ、俺は、大丈夫、だ。それよりも、お前たちの、父親が、俺たちを庇って、大けがを」
息が絶え絶えの状態で、疲労をにじませたカインさんから放たれた言葉は衝撃的なものだった。
ドラゴネートから帰ってきた父と母のレベルは百を優に超える。そしてそれは同時に、父と母がこの村で一番のレベルの持ち主だということを意味している。
その父が庇ったとは言え、大怪我をした。ステータスの耐久が、魔物のパワーと同等か、それ以下だったということになる。
「母さんはそれを知ってるの!?」
「あぁ、話した」
「カインさんは村に戻ってて、僕たちは急ぐから!」
「分かった。気を付けるんだぞ」
「うん」
カインさんを置いて、僕たちは森の入口へと急いだ。
森の入り口には、すぐにたどり着いた。
ただそこには、ぐったりと真っ青な顔で地面に倒れている父の姿があった。
胸に深くえぐりこまれた五本の傷跡から、血が絶え間なく出て、父の体の下には血の海が出来ていた。
血の気が引く光景に、言葉を失う。
「バンク、ナツル! あなたたちも魔力を!」
頭が真っ白の状態だった僕たちは、一言も発せず、首を縦に振る余裕もなく、父のそばに駆け寄る。
そして母の言葉に従い、父へと魔力をあるだけ送り込む。
そして父の胸に深くえぐりこんだ五本の爪跡は、体内から肉が湧き上がるようにして塞がり、何とか血も止まった。
「よかった。これでもう大丈夫ね」
安堵する母。釣られて姉たちは安堵の声を上げる。
しかし僕は生来の性から気になって、試しに父の脈を測ってみる。
すると、まるで脈を感じない。つまりはまだ心臓は止まっている状態だということに気付く。
「まだ! スキル『ギンコウ』オールバック」
急いでレベル一の状態を一気にレベル二十六にし、そしてあるだけの力で思いっきり、父の胸を押す。
しかし父の体は鉄の様で、まるでびくともしない。
これでは、心臓に圧が掛からずなんの意味もない。
こんな時に、ステータスの差が影響するのに腹立たしく感じ、唇を強く噛む。
「どうしたの、バンク。お父さんはもう治ったよ?」
「治ってない! 母さん手伝って!」
母の手を強引に引っ張り、父の胸に置かせる。
「えっ、ど、どういうこと」
「いいから! 何度も押して!」
「う、うん」
訳も分からぬまま母は、父の胸を押してくれる。
だが知識が無いため、胸を押す力も弱ければ、不安そうに一度で止めてこちらを見てくる。
「浅い! それにもっと早く押して! これぐらいの速さで!」
吐き捨てるように、手拍子をすると、母は不安げにしながらも、胸を押してくれる。
「父さん聞こえる! 聞こえたら返事して!」
そして、自分は父へ大声で訪ねるが、父からの返事はない。
そこでようやく異変に気付いた、周りの人も父へ呼びかけ始める。
「うっ、っけほっけほ――」
すると直後、幸いにも父が息を吹き返した。
母が胸を押す手を止め、周りの人も息を呑むように、父が目を開けるのを待つ。
パチリと父が眩しそうに眼を開くと、ワッと勢いよく歓声が上がる。
母は喜びのあまり、父の顔を抱きしめてしまう。
その姿を見ながらも、自分は父の脈拍が安定し、顔に生気が宿ったことを確認し安堵する。
「あなた大丈夫?」
「あぁ、何とか」
父の返事はしっかりとしたもので、周りの大人たちに、心配の声をいくつもかけられる。
うちの父は村の人たちに愛されているなと思いながらも、それが収まるのを待つ。
「それよりどうしたの。あなたがこんなことになるなんて」
そんな中、母がその言葉を口にすると、周りの大人たちは一気に暗い顔をして沈黙する。
父も頭を抑えながら、苦虫を噛み潰したかのような顔をして話す。
「ロックベアだ」
ロックベア。恐らくは魔物の名前だ。
そして熊と岩と言われて、思いつくのは半年前倒したあの魔物。
あの話を聞いて森に潜ったのだからそこに何ら違和感はなかった。が母は違った。
「ロックベア? あなたの敵じゃないでしょ?」
まるで別の魔物が示唆するかのように話す。
が父は首を振ってそれを否定した。
「あぁ、俺もそうだと思った。だが違った。あいつは普通じゃない」
「どういうこと?」
「あれは狂化個体だ」
父の口から狂化個体の名称が出ると、母だけではなく、僕や姉も驚いた。
「どういうこと!? 狂化個体はバインドエンドにしか出ないはずじゃ」
狂化個体はその名の通り、生物として狂った個体を指す。そしてその個体の象徴ともいえるのが、同族殺し。
群れで行動する魔物が、一時を境にレベルに不相応な力を手に入れ、草食、肉食関係なく、突然食い殺し始める。
そして群れが無くなると、次は周りの生物を食い殺し始めるのだとか。
その圧倒的な力から、バインドエンドの中でも特に危険視される存在だと。
「だけど、あの魔力は間違いなく狂化個体だ。それもとびっきりに狂化された」
「あなたが言うのだから本当なんでしょうけど……」
これからどうなるのか、どうするべきなのか、そんな不安が母と父から漏れ出ているような気がした。
そしてそれは伝播し、大人たちが、村を捨てるしかないのか等と不安を口にし始める。
悪い雰囲気が蔓延しかけていると、父がぴしゃりと母に言う。
「ママ、急いでドラゴネートへ向かって、依頼を出してくれ」
「その間の村の警護は誰がするのよ!」
「俺がする」
「そんな状態で出来るわけないでしょ!」
「それしか方法はないだろ!」
言葉を荒げる父と母。
話は平行線。
周りの大人たちも、どちらを援護するか決めあぐねているように見える。
しかしそれもしょうがない話だ。
ドラゴネートからこの村まで来たことのある行商人の話では、旅の期間は約八十日。
村へ寄ったり、商売したりすることもあるため、もう少し短くは済むだろうが、片道でそれだけの時間がかかるのだ。
冗談にも思えるが、本当の話らしい。
それほどの距離となれば母でも、行って帰ってくるのに一週間はかかるだろう。
が、母の言う通り、その間に狂化個体が襲ってこないとは限らない。
倒せるかどうかは置いておいたとしても、父以外に目立った被害が無かった今回を見るに、被害自体を減らすことは出来る。
しかし、そうなると、助けがこないため、致命的になりえる。
「なら隣村に一時的に逃げるのは? 確かドラゴネート帰りの人がいるよね? その人と協力すれば勝てる可能性も出てくるんじゃない?」
そう提案してみるが、父の反応は良くない。
「村の人を連れていくとなると、一日は掛かる。その上、早期に解決しなければ、食糧問題も出てくるし、食料品を持ってとなると、プラス二日は掛かるだろう。それに勝てるかどうか……」
父にそう言われると、確かにと思ってしまう。
最悪隣村とのトラブルになりかねないというのは、村にとってもいい結末にはならない。
この話は進まなさそうだなと思っていると、母が何か納得したように首を縦に振る。
「バンク、ナツル、ドラゴネートまで行ってきてくれる?」
「えっ、僕たちで!?」
「えっ、私たちで!?」
突然の母の言葉に驚き、母へ聞き返すが、母は至って真面目な顔だ。
何よりもこんな時に冗談を言う母ではない。
「おい」
父が諫めるように言うが、母は父に見向きもせずに僕たち二人の肩に手を置く。
「ママとパパは村の人たちと隣村に避難して、ロックベアに備えるから、二人はドラゴネートに助けを求めに行ってくれる?」
「分かった! 私とバンクに任せてよ!」
その母の言葉に姉の様に即答できず、考えてしまう。
通常で八十日、色々差し引いたとして六十日から七十日。それを自分たち換算に入れた場合、十日から十五日は掛かる。
片道でそれではもちろん、間に合わない。
睡眠時間を可能な限り削って、七日弱。
ドラゴネートの冒険者が母の三倍以上と考えれば帰ってくるのに一日弱。
それなら魔物の行動範囲拡大が、隣村まで到達するのにも、ギリギリ間に合いそうな気がした。
だがそれは、同時に一人だからこそ行える、過酷な旅を意味していた。
「分かった。でも姉さんは連れてけない」
「なんで!?」
自分がそう正直に言うと、姉はすぐさまに食って掛かってくる。
「昼も夜も関係なく走るから。起き続けないといけない。そうするには十分な魔力量が必要。毎日ガス欠で寝る姉さんに出来るとは思えない」
眠らず走るためには、脳へ魔力を集中させる必要がある。
走り続ければ体にも疲労がたまるため、同時に体にも魔力を回す必要がある。
その上、魔力の総量と回復量は、魔力のステータスが低い姉と、僕では倍以上の差が出る。
力では負けているが、持久力なら姉以上に僕が適任なのだ。
「そんなことないもん……お姉ちゃんだってやろうと思えばそれぐらい……」
姉も思い当たる節があるのか、いつもの奔放さが鳴りを潜め、弱気になる。
申し訳ないと思いつつも、緊急事態の為言葉を訂正することはしない。
願わくば、次への成長に繋がってくれれば、と思い、自分の行動に間違いはなかったと無理矢理に納得する。
「バンク行ってきてくれる?」
「うん。出来るだけ早く帰ってくる」」
姉の体をさする母の言葉に自分は頷く。
そして一度村へ戻り、最低限の食事をポーチに放り込み、魔弓を背負い、ドラゴネートへ向け急いで村を出た。
参考
アメリカ横断




