産まれてから六年が経ちました
新しい世界はとても面妖だった。
新しい世界は魔力に満ちていた。
人体に、生物に、物に、さらには現象にいたるあらゆる全てが、良くも悪くも、魔力によって構成されていた。
それによって、前の世界では見られないような現象が起きたりすることがあった。
その最たる例が、何よりも人間だった。
具体的には魔力の多い人間の成長速度が速かったり、本来は遺伝的要因が大きい髪の色や質が魔力の色によって左右されていたり。
昔の世界を知っている身としては、疑問を呈さざるを得ない部分があった。
だがそれに輪を掛けておかしなものがあった。
それは、人間の欠損した部位が生えてくることだ。
もしも、腕が切り落ちたとしよう。
するとドラゴンなボールの緑色の生物のごとく、腕が生えてくるのだ。
放っておけば自然と生えるし、その部位に魔力を集中すれば自力で生やせる。
あの光景を初めて見たときは――
「うぅ――き、気持ち悪い――」
「バンク、バンク、起きなさい」
意識の遠くに聞き馴染のある母の声がした。
その柔らかくもはきはきとした声を聞くと、意識が夢の中から自然と浮上する。
目がぱちりと開く。そして見慣れた木の天井が見える。
先ほどの父の体から、人の腕が何十本と生えながら父が快活に笑っていたのは夢だったようだ。
そう認識して、ホッとしてベッドの上から起き上がる。
「やっと起きた」
そう言うのはやはり母だった。
エプロン姿の母の手には、自分の布団が。
いつの間にか身ぐるみを剥されていたようだ。
だから悪夢を見たのでは? と邪推するが、起きれない自分が悪いので文句は言えない。
「おはよう。母さん」
大きな欠伸をしながら言うと、母は困ったように笑う。
「おはよう、バンク」
母は布団をベッドに戻し
「ご飯できてるからね」
部屋から出ていく。
ベッドから降り、目覚めたての体を軽くほぐす。
転生してから早六年近く。
バンクという名を母と父から貰い、すくすくと育って今では身長は約百五十センチ。
生まれは残念ながらドラゴネートやバインドエンドからは離れた場所らしく、比較的安全な町に生まれた。
そのため、モンスターと戦うなんてことは今のところなく、毎日弓と魔法の練習。そして自分の姉であるナツルと木の剣でチャンバラ。
老人の言っていた通り、それでも経験値が入り、ステータスに変化が――
「遅いよバンク! 早くご飯を食べて私と勝負しよ!」
「ちょっと待ってよ姉さん。今起きたところなんだから」
まだ母が出て行ってから一分も経たずに姉のナツルが飛んできた。
姉は自分より二つ年上の少女。自分の青髪とは真逆の綺麗な赤い髪を持ち、年相応の活発さを持っている。
魔力のステータスの伸びが低いため、自分より身長は若干低めだが、スタイルが良く綺麗な顔立ちの為、将来はきっと美人さんだ。
「早くしてよ。ウォーミングアップは終わってるよ」
「分かったから、急かさないで~」
「それじゃひとっ走り行ってくるから、それまでにご飯とウォーミングアップは終わらせてね!」
そう言って姉は、自分の返事を待たずに部屋から飛んで行き、ドタドタと階段を下りる音が聞こえてくる。
相変わらず元気のあり余った姉だなと、若干の大人心で見送り、自分も部屋を出る。
自分の部屋は二階の一室。廊下を歩き、階段を下りれば、そこはリビング。
煮立ったスープの匂いが、起きたばかりの空腹を刺激し、お腹からグーと音が漏れ出す。
席に着き空腹を満たさんと、用意された食事をかきこむ。
そして急いでかきこみ終わったと同時に家の扉がバンッと開かれる。
「バンク! やるよ!」
ごっくんとかきこんだご飯を飲み込み、椅子から飛び降りて扉を開けた姉と共に外へと繰り出す。
「行ってきます!」
「お昼には帰ってくるのよ!」
「分かってる!」
今日は快晴。
農村のこの町は、朝から皆忙しそうにしている。
そして姉と自分の二人はそんな大人を横目に、いつもの場所まで競争。
町行く人から「おはよう」と声を掛けられたら二人で返し、農村の端へと急ぐ。
そして
「うへー」
「これは今日も私の勝ちだね」
木の柵で覆われたこの町の端、木の柵の元まで辿り着いたものの、いつものごとく自分は姉との競争に負けた。
息を切らして、膝に手をつく自分と、まだまだ余裕そうにしてふふんと胸を張る姉。
一回り小さな姉に負けるのは悔しいが、純粋なステータスの差の前にはそれも仕方ないと言い聞かせる。
だが、体力で負けていても姉との勝負は終わらない。
これでやり返してやると、木の柵に立てかけられたアーチェリーのような、半月の弓を二つ手に取り、片方を姉に投げる。
「次はこれ」
「えぇ、魔弓~」
不服そうにしているが、姉は自分の投げた弓をキャッチする。
魔弓とは、弓から矢を廃し、魔法により構築した矢を装填して放つもの。
弓の練習ができ、魔法の精度も上がる二度おいしい武器なのだ。
「お姉ちゃんには器用さが無いんだから丁度いいでしょ」
「うぅ、バンクが得意な奴やりたいだけじゃん!」
「違うよ。姉さんに苦手なことなくして欲しいだけ。だから頑張ろ?」
「やるけど~」
そう言いながら不服そうな姉の手を引っ張りながら、木の柵から離れる。
距離にして家一戸分の横幅とちょっと。
狙いは木の柵につけられた縦横、直径十センチ程度の円。
「それじゃ、僕からやるね」
「いいよ」
弓を立て、右手を弦に触れさせ、魔力を込め矢を創造する。
弦にフィットする矢筈から始まり、矢を安定させる為の肝である羽根。
そうして弓を引き始める。
自分の腕に合ったサイズの矢の本体であるシャフト。そして最後に貫通力の一番の要因となる矢尻。
青色の形なき矢は、弓に収まり、弦に押し出されるのを今か今かと待ち受ける。
狙いの木の柵に括りつけられた円を狙い、弦を離すと弧を描く間もなく、矢は目的の円に突き刺さった。
「ふふん。真ん中」
今度は自分から勝ち誇った顔を見せると、姉はつまらなさそうにむくれていた。
「むー、技量だけはいっちょ前なんだから」
「体力だって、姉さんと同じ年齢だったら負けないし」
「何だと―」
そう言って姉は襲い掛かってきて、持ち前の体力と筋力で羽交い絞めにしてきては互いにじゃれあう。
この後、姉が魔弓を放ったが、弓の扱いも矢も上手くできず柵を超えて飛んで行ってしまった。
それを自分が大きく笑い、姉が次の勝負を仕掛けてくる。
勝負を繰り返して昼休憩という名の、お昼ご飯を食し、また勝負をして、陽が落ちる前に帰るというのが、姉と自分の日課だ。
ただ今日は少しばかり違った。
お昼ご飯を食べ終えて、また姉と二人柵の元へ帰ってきたとき、姉が眼をきらめかせてこう、言いだした。
「ねぇバンク、ちょっと柵超えて森のほうまで行ってみない?」
これに対して自分は悩む。
行きたい気持ちはあれど、自分にとって柵の向こう側は未知の世界。
何の情報もないうえに、モンスターがどれだけ強いのかも分からない。比較対象を父と母とするなら勝てるわけもない。
今までモンスターが村を襲ったことはないが、この柵を見れば絶対に無いとは言い切れない。
色々と危険を考え、今は行くべきではないと自分の中で結論付ける。
「やめたほうがいいんじゃない? 僕たち村の外のこと知らないし危ないよ」
「そんなこと言ってたら冒険者になれないよ!」
既に行く気満々で木の剣を持っている姉に、痛いところを突かれ、うねり声をあげる自分。
「大丈夫。何かあったらお姉ちゃんが守ってあげる」
姉の説得が続き、自分の心も揺らいでいく。
姉の言う通り冒険者は、未知の世界に飛び込み戦う。いつも情報があって万全の状態で挑めるわけではない。
それに、自分と姉は村の中では強い部類に入る。若干ではあるが何とかなりそうな気もする。
武器が無いのが不安ではあるが、放っておけば一人でも言ってしまいそうな姉の為、そして冒険者の第一歩と考え腹をくくる決意をする。
「分かった。僕も行く」
自分がそう言うと、姉は満面の笑みを浮かべ、自分を抱っこして、ぴょんと木の柵を超える。
「それじゃ、また競争ね」
「えっ、ちょっと待ってよ。姉さん!」
姉は人の気など一ミリも気にすることなく、無邪気な少女の興味本位をそのまま衝動へと変え突っ走て行く。
自分は一瞬、すぐに姉を追いかけるか、迷う。
なにせ今の自分は武器を何も持っていない。自分が得意な弓も今は柵の向こう。
だが姉の走る姿に、弓を取りに戻っていると見失う、そう思い不安に駆られながらも手ぶらのまま追いかける。
いつもとは違うでこぼことした野原。
雑草が生え駆ける草の匂い、踏み固められていないが故の柔らかな土。
いつもとは違う新鮮な感覚に自然と自分の心も湧き上がるようで少しばかりワクワクした。
「これが冒険」
そう思うと、不安に思っていたことも吹き飛ぶようだった。
きっとそれは姉も同じなのだろう。いつもよりも走るペースが速くみるみると離されていく。
そして森の入り口にたどり着き、忘れそうになっていた不安が再度湧いて出てくる。
森の中は村の中から見ていた以上に暗かった。
そこはまさに暗黒。
一寸先も見えぬ闇の中だった。




