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姉さんには悪いことしたなって

 だだっ広い野原の中にポツンと佇む村。

 決して大きな村ではないその村の入り口。

 多くの人が集まり、全ての人が地面に伏し頭を垂れていた。

 そしてその頭の先には、エルフさんがいた。

「我が名はユグドラシル。今回は我が弟子の要請により、狂化個体の魔物を討伐しに来た」

 シーンと声が響く。

 初めて聞くエルフさんの名前。

 その名前には我が耳を疑うような気分だった。

 ユグドラシル様は、生きる伝説とまで言われる人。

 エルフ族の中でも直系の王族で、エルフ族がドラゴネートへ進出してきた時からバインドエンドの最前線を駆ける人物。

 父や母から聞いた話でも、会ったことはない噂だけの、まさに天上人と言われる人物。

 我ながら凄い人に目をつけられたものだと、考え込んでしまう程だ。

「この中にバンク・フィールドの父親はいるか。その者は面を上げよ」

 地面に額をつける人たちの中から、父一人のみが顔を上げる。

 だが、さすがの父もユグドラシル様の名前には僕と同様に驚いているようだった。

 いつも凛としている父も、緊張しているようで表情が硬い。

「この度は我々の要望を受けてくださりありがとうございますユグドラシル様」

「よい。私自身気になることがあった。それに弟子の村一つ救う程度、造作もない」

「バンクを弟子にされたのですか!」

 さらに驚いた父が関係のないことを口走る。しかしユグドラシル様はそれを咎めることはせず、首肯のみで答える。

 「ありがとうございます!」と言う、父の声を無視しつつも、ユグドラシル様は話を軌道に戻す。

「それで、此度の案件。狂化個体と言う話だが、相違ないか?」

「は、はい」

「場所はどこだ」

「私たちの村の近くにある。森の洞窟の中です」

「洞窟の中か……珍しくはないな」

「はい。その洞窟の中も狂化個体が好む、魔力のたまり場のようなところでして」

 父がユグドラシル様の問いに答える。

 そしてユグドラシル様が「成程」とつぶやく。

 何に納得したのかは分からないが、ユグドラシル様は踵を返すと、また自分を抱っこする。

「行くぞ。弟子よ」

「えっ、案内は頼まないんですか」

 見知らぬ土地、見知らぬ森を歩くのだ。

 この村に来ることを提案した身として尋ねる。

「今のを聞ければ十分だ。後は森に聞く」

 返ってきたのは至極エルフらしい言葉だった。

 確かに、昔から森はエルフの領域と相場が決まっている。森と会話するなんてありきたりすぎる設定だ。

 となれば、自分もそれ以上は何も言うことはない。後は、エルフさんに運んでもらうだけ。

 ただ思考がそれを意識すると、抑えかかっていた手がまた震え始める。

 なんでだろう? と不思議に思っていると

「待って」

 背後から姉の声が響いた。

 父と母は咄嗟にそんな姉の体を抑え込む。

 まさに不敬と言うやつだ。

 いくら、反対意見を出したディグニに対し、諭すような言葉で制した心の広さを持っているとはいえ、人に対しても同じとは限らない。

 ユグドラシル様の腕から見える、姉のその姿には自分もはらはらとしてしまう。

「よい。そのもの面を上げよ」

 父と母は恐る恐る、姉を抑え込む手を退ける。そして何かを姉へと伝えている。

「私はバンクの姉のナツルです」

 立ち上がった姉は、武器を片手にそう言った。

 ユグドラシル様はそれに「ほう?」と一言。

 姉は一体何を言おうとしているのか、まるで予想がつかない。

 視線を今すぐにでもそらしたい気分だったが、胸を張る姉の姿に目を逸らす気はさらさら起きなかった。

「バンクを返してください!」

 思わず前言撤回して、自分の目を覆ってしまった。

 本当に姉は何を言っているのだろう。

(それって不敬じゃない!? 大丈夫!? 村滅ぼされても文句言えないよ!?)

 声を大にして姉に言いたかった。

 ユグドラシル様は振り向き、姉の姿を視界に入れる。

「あれはお前の姉か」

「はい」

「あの者もお前と同様、見た目と魔力の年が違うように見えるが、お前がやったことか」

「はい」

 自分はユグドラシル様の言われたことに答える。

 その表情に怒りはなく、ただ淡々としている。

 長年生きたが故の余裕だろうか。

 いきなり打ち首にしてしまいそうな感じはなく、少しばかり安堵する。

「ナツル・フィールド。弟子を返して欲しいとのことだったな」

「はい」

「それは無理だ。弟子は私の物だ。貴様に返す予定は二十年はない」

 しかし安堵する余裕は無さそうだった。

「なら今すぐに――」

「あっ、あの! いいですか!」

 頭に血が上り、今にでも襲い掛かってきそうな言葉を遮って、腕の中から手を上げる。

 サーッと風が吹き、野草がそよぐ。

 一瞬の間。

 片目で姉の姿を見る。

 剣を構え、圧倒的な差を教えられているのにも関わらず、挑まんとする姿。

 冒険者を目指し、自身と同じく最強にならんとする身近な人物。

 恩あれば、恨みを買うようなことをした。それに家族だ。

 助けるのは当然だし、夢に向かって歩くとき、背中を蹴っ飛ばすことも必要なことだ。

「何だ」

 ユグドラシル様が急かすように聞いてくる。

 心を決め、ユグドラシル様の目を見て言う。

「ナツル・フィールドを弟子にしてくれませんか?」

「バンク何言ってるの!」

「姉さんは黙ってて」

 反対するだろうと思っていた姉へ、強く言い聞かせる。

 そして変わらぬ表情で、ユグドラシル様は聞いてくる。

「理由を申してみろ」

「現状僕と姉で打ち合いをしたとき、僕は百パーセント負けます」

「それはお前が奴に力を貸しているからだろう」

「はい。ですがそれは、ポテンシャルは姉の方が上だということです。経験値を一人に絞るというのなら姉の方がいいと思います」

「ならば、バインドエンドの者で十分だろう。わざわざお前の姉を弟子にする必要はない」

「姉には特殊なスキルがあるんです」

「ほう?」

「剣の秀才プラスジーニアスです」

「…………」

 剣の秀才プラスジーニアスの単語を聞くと、珍しくユグドラシル様は目を見開いたように驚く。

 何かしら思い当たる節があるのだろう。

 追撃するのには丁度いい。

「そのスキルは、剣を持った時にステータス値を上昇させるスキルで、僕のスキルが無くても個人でバインドエンドの上層部に挑める力を持っていると思います」

「……そうか。ならばナツル・フィールドよ。お前が弟子になることを私は受け入れよう。お前はどうする」

 姉を弟子にすることに否定的だったユグドラシル様は一転。すんなりと受け入れる。

 やはり剣の秀才プラスジーニアスを知っているのだろう。

「えっ、私はただバンクを返して欲しいだけで」

「先も言ったが、弟子は二十年は返すことは出来ぬ。これは譲れぬ」

 きっと思いもよらなかった展開に戸惑った姉は口を挟む。が返された言葉に詰まる。

 姉は悩む。

 そんな時、姉のすぐ横にいた父が何かを喋っている。

 こちらまでは遠くて聞こえない。

 数秒の間を置いて、姉は口を開く。

「分かりました。癪ですけどあなたの弟子になります」

「では今より、狂化個体の魔物を討伐する。ナツルよこちらへ来い」

「はい」

 頭を下げる人たちを割いて、姉はこちらへと。

 お姫様抱っこされていた僕は小脇に抱えられ、姉も反対側に抱えられる。

 凄い態勢だな。と思いながら、狂化個体の魔物が住む森を目指して野原を駆けていく。


 そして暗闇の森の中の洞窟の前へとあっという間に到着した僕たち。

 相も変わらず暗い世界。

 しかし、異変が一つ。

 洞窟の中から見える魔力が、辺りの魔力と比べて色が暗いことだ。

 洞窟固有の魔力の色と言われてしまえば、それまでだが少し気になるところではあった。

 そう考えながら、先を行くユグドラシル様の後を追い洞窟の中へと入っていく。

 洞窟の中は異様だった。。

 ごつごつの岩肌で歩きづらい上、ひんやりとした風が体をなでる。

 一際きついのが強烈な腐敗臭。鼻を抑えていても貫通するほどの匂い。

 嗅いだことはなかったが、それが死臭だということは何となくではあったが想像がついた。

 顔をしかめながら、すこし窮屈さを感じる洞窟の奥へと入っていく。

「狂化個体は我々にとって天敵とも言える存在だ」

 ユグドラシル様が先導しながら、語り始める。

「あいつらは、本来の生態から大きく外れ魔力を侵食するものへと変遷する。そしてその際に強大な力を手に入れる」

「それってどれぐらい強くなるんですか?」

「個体に差はあるが、三百レベルの者と匹敵するものもいる」

「それってヤバくないですか」

「別にそれはそこまで問題ではない。問題なのは、魔力を侵食する力だ」

「魔力を侵食されたらどうなるんですか?」

「何を条件としているのかは分からないが、基本的には二つだ。完全に侵食されそのまま死ぬか、意識を失い、狂化個体になるかのどちらかだ」

 狭かった洞窟の通路がいきなり大きく開ける。

 球状のように開けたその空間は通路から下がり、そして酷く淀んでいた。

 来るでの通路は薄暗い程度だった魔力が、今はどす黒く塗りつぶされている。

 その影響か、大気中の魔力もおおよそ正常とは程遠い状態になっている。

 何故そんな状態になっているのか、空間の端にいる魔物を見ればその答えも自ずと分かった。

 静まった空間に響く、バリボリ――岩を砕く音。

 そしてあの時の熊を連想させる四足歩行。そして巨大な体躯は、禍々しい気を放っていた。

 一見にしてそれが、通常の魔物ではないことがはっきり分かった。

「あれが狂化個体……」

「なにあの魔力……」

「あれが狂化個体が持つ、侵食する力だ」

 ユグドラシル様は腰から剣を引き抜く。

 その剣からは、その場を支配する魔力とは違い、真っ白な太陽のような輝きを放つ。

 眩き輝きは黒く淀んだ世界を照らす。

 白い岩に覆われた魔物の赤い瞳が不気味に光る。

 口に含んだ黒く染まった岩をこぼし、魔物は叫ぶ。

「黙れ雑魚が」

 誰も動けぬ中の斬撃。

 一瞬にしてばらけた巨体な体躯の魔物の部位がべちゃり、と壁や地面にぶつかる。

 動く気配は当然、微塵もない。

 そして淀んでいた魔力もいつの間にか暗さを失い、既に霧散していた。

「あれがユグドラシル様の力……」

「……別に大したことないし」

 その剣撃を見るのは二度目ながら、感嘆の吐息を漏らしてしまう。

 しかし姉は張り合うように言い捨てる。

 その姿は何だか強がっているようだ。

 それぐらいの気概の方が、この先良いだろう。

 そう思いつつ、通路から下がった広場へと降りる。

 そして何かを見ている、ユグドラシル様の元へ。

「ユグドラシル様、どうかされましたか?」

「……まだいるな」

 ユグドラシル様の視線のその先を追うと、そこには抉り取られたかのような通路があった。

 そこからは、ユグドラシル様が放つ輝きに対抗するかのように、淀んだ気配が溜まっていた。

「今度は私がやる!」

 姉が突如としてそう言い放ったかと思えば、ユグドラシル様に服を掴まれていた。

 服の首元を掴まれ、軽々と持ち上げられている。

 姉はユグドラシル様の手の中で暴れているが、びくともしていない。

「馬鹿者が。今の貴様の実力で敵う訳が無かろう。それに次は私も少し本気を出さなければならぬようだ」

 そう言ってユグドラシル様は、僕に姉を押し付けて奥へと。

 暗に面倒を見て置け、と言われているような気がしたので、睨む姉の手を握る。

「姉さん行こ?」

「うん……」

 渋々と受け答えをする姉の手を引っ張り、僕たちはユグドラシル様の後を追う。

 一層と濃くなったように感じる魔力の中を歩き、また開けた場所に出る。

 しかし、先ほどとは明らかに違う。

 今度は段差程度の深さではなく、今度は魔力の暗さも相まってか底が見えない程だった。

 ユグドラシル様の力をもってしても、その黒い魔力を完全に照らしきれていないということだ。

「多いな……まずは数を減らすか」

 そう言うと、剣の柄がさらに眩く光る。

 同時に光が目の前に現れる。瞬く間に光は細長い槍状になる。

 まるでイカ釣り漁船のライトの様な目が痛くなる光の山。

「ホーリーランス」

 光の槍はその一言で、暗闇の底へと突き刺さる。

 ドドドドと地震にも似た衝撃が起きる。

 地震に慣れている自分でも、足を取られ動けなくなるほどの衝撃。姉も慣れない衝撃に対し、何とかバランスを保っているが、いつ倒れてもおかしくなかった。

 少しすると光の槍は無くなり、その衝撃も落ち着く。

「やはり。まだ生き残っているな」

 ホッとする僕たちとは違い、ユグドラシル様は底を見ながらに言う。

 底は先ほどの光の槍による衝撃によって、土ぼこりが舞い上がっていた。先ほどよりもさらに視界が悪い状態。

「いくぞ」

 姉ともども抱え込まれ、僕たちは底へと落ちる。

 すぐに煙に包まれ、数秒。

 ガックンと衝撃が襲い、底へと到着したことに気付く。

 上からも見えていた通り、底は煙が立ちこもっていた。

「あれが狂化個体の本体だ」

 煙の中から突如として現れる魔物。

 しかし寸でのところで、ユグドラシル様の剣がそれを阻む。

 ぶつかった衝撃で、周りの煙が追いやられ、その魔物の姿が露わになる。

 やせ細った体に黒曜石のような岩を纏っている。

 目には生気を感じず、まるで骸の様だ。

「あれって生きてるんですか?」

「意識を持ち生きることを生と言うのなら、あいつは死者だろうな」

 交わる爪と剣。

 ユグドラシル様がやや優勢に、魔物の体に傷をつける。

 だが魔物の体はそのたびに瞬時に回復し、交じり合う。

 初めて見る上位者同士の戦い。

 それに自分は目を奪われる。

「ッ! 逃げろッ!」

 ユグドラシル様の口から突如として放たれた切羽詰まった言葉。

 訳の分からぬ言葉に姉も僕もたじろぐ。

 魔物がこちらへと襲い掛かってきているわけではない。

 周りにも、生きている魔物は存在しない。あるのは先ほど死んだであろう魔物。そして長らく放置され、ほぼ骨ばかりの腐った死体のみ。

 何から逃げろと言っているのか分からなかった。

「何からですか!」

「間に合え!」

 尋ねるも、ユグドラシル様は受け答えをするよりも魔物を大きく弾き飛ばす。

 そして剣を地面へと突き刺した。

 眩い閃光によって照らされる。

 空気や壁、地面は一気に浄化され、魔力の影響か明々と光る。

 しかし、自分の地面にはその影響が薄く、淀んだ魔力があるように思えた。

 何故? と思っていると、淀んだ魔力は徐々にその色を濃くする。

 咄嗟にこれはやばいと思った。

「バンクッ!?」

 ずっと手を握っていた姉を突き飛ばす。

 次の瞬間、意識が弾け飛ぶような強烈な破壊衝動が脳内を埋め尽くす。

 視界が暗くなる、自信が何処にいたのかさえ分からなくなる。

 瞬間。

 アニメやゲームによる経験則が脳内によぎる。

 これは暴走する前兆だと。

「『ギンコウ』『契約』二十分、オール」

 体から経験値が抜け出る感覚と共に意識は途切れた。

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