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第五話 湖が見える家

 オーエンの葬儀がひっそりと執り行われた。葬儀に訪れたのは僕を含めて数名だけで、多くの貴族からは豪華で美しい花が届けられたのみだ。テンバートン公爵と公爵夫人の姿はすぐに消え、オーエンの弟が喪主としての役割をこなしていた。


 コンスタットの事故が、オーエンの不幸な死に繋がった。どちらの公爵家でも弟たちが後継者として届けが出されている。

 貴族の会合で改めて挨拶をしたが、どちらもよそよそしい。数年後、三公爵として並び立つまでには親しくなっておくべきだろう。


 本音を言えば、僕はコンスタットとオーエンの不幸に安堵している。これで彼女が狙われることはなくなったし、もう悪い遊びに誘われることもない。しばらくすれば、僕の悪事も忘れ去られるのではないかという期待すら持っている。


 彼女が湖の家に避難する理由は消えた。すぐに戻ってくるようにと言いたいが、僕も湖の家に訪れたいと思っているから、僕が迎えに行けばいいと思いついた。


 彼女からは手紙が届いていて、湖の景色が美しいこと、食べ物が美味しいこと、そして最後には必ず僕の体の心配をしてくれている。湖の家に訪れるように直接要求してこないのは、僕が今、重要な仕事を任されていると知っているからだ。

 それでも文面からは、来て欲しいという思いが溢れているように感じる。僕も会いたい。


 僕は朝も夜も仕事に没頭して予定よりも早く片付けた。王族に功績が認められ、特例で貴族の会合での発言権を与えられた。公爵の息子ではなく、僕自身が初めて公式に認められたことが誇らしい。きっと彼女も喜んでくれるだろう。


 ■


 彼女が湖の家に移ってから、二十日が過ぎていた。

 馬車を走らせ、湖の家へと向かう。途中で道が極端に狭くなり、徒歩か馬でなければ家へとたどり着けないことを知らされた。

「よろしければ、馬をお貸ししましょう」

 道が狭くなる手前に建っている小さな小屋から出てきた中年の男が、親切にも僕に馬を貸してくれた。馬車の御者に近くの村で待機するように告げて、僕は馬に乗った。


「感謝します。馬は明日返します」

「いやいや。いいですよ。いつでも構いません。ここまで返すのが難しいようでしたら、馬を放して頂ければ、ここへ戻ってくるように躾けております」

 親切な男は笑う。どこかで会ったような気がするが、一般国民に知り合いはいない。


 男と別れ、馬を歩かせながら考えると貴族の会合で見る顔によく似ている気がした。けれども、あちこちが破れ修繕した跡が目立つみすぼらしい服装は貴族の筈がない。

 馬が慣れてきたので僕は一本道を走らせる。もうすぐ彼女に会える。僕の頭の中はそのことでいっぱいになって、疑問はすっかり吹き飛んだ。


 湖のほとりに立つ家は、想像以上に小さな家だった。小屋と言ってもいいかもしれない。薄茶色のレンガの壁と赤い屋根は、子供の頃に読んだ絵本に出て来そうな雰囲気だ。


 小さな木の扉から彼女が大きな籠を持って出てきた。素朴な青い服に白いエプロン。金色の髪は青いリボンで一つに結ばれている。その姿の可愛さに僕の鼓動が跳ね上がった。

「フローラ!」

 呼びかけると、彼女が驚いた顔を見せた。馬から降り、背負っていた荷物を降ろして彼女に駆け寄る。

「ただいま!」

 抱えた籠を片手で取り上げて、片手で彼女を抱きしめる。「お帰りなさい」と耳元で囁かれて、僕は嬉しくなった。彼女がいる場所が僕の帰る場所だ。


「何をしているんだ?」

「あの……洗濯をしていました」

 取り上げた籠には白い布が入っている。これから洗濯物を干すというので、僕はそのまま庭へと籠を運ぶ。庭には様々な花が咲いていて、王城の庭園では見たことがない素朴な花ばかり。


「この棒に干すのか?」

 庭の日当たりの良い場所に木の柱が二本立っており、高い位置に棒が地面に水平に掛けられている。冷たい井戸の水で手を洗い、僕は初めてシーツを干した。彼女と一緒に布の端と端を引っ張り、シワを伸ばす。布を叩いて、さらに伸ばす。


 心地良い日差しに柔らかな風が吹き、シーツやタオルがはためく光景は、達成感と満足感を僕に与えてくれる。

「ありがとうございます」

 初めて見る彼女の明るい笑顔に、僕は言葉を奪われた。屋敷や王都では、見たこともない笑顔だ。言葉が出てこない僕は、笑いながら彼女を抱きしめる。


「……お疲れではありませんか?」

「君の顔をみたら、疲れなんて吹き飛ぶよ」

 笑いながら玄関へ向かう途中、彼女が馬のことを指摘した。僕は馬から降りて繋ぐことを忘れていた。乗った馬を繋ぐことすらも、いつも人任せだったと気が付く。

 慌てて周囲を探してはみても、馬の姿は消えていた。おそらくあの小屋へと戻ってしまったのだろう。


「困ったな。帰りが大変だ」

「すぐに帰らなくてもいいでしょう?」

 彼女の言葉に笑ってしまう。やはり彼女は、僕がここに来て欲しいと思っていたようだ。

「そうだな。しばらく滞在しよう」

 僕は彼女と短い休暇を楽しむことに決めた。


 小さな家の中は、彼女の手で快適に整えられていた。素朴なテーブルにはテーブルクロスが掛けられ、椅子にはクッションが置かれている。開いた窓からは心地良い風が通り、カーテンを揺らしている。これまで過ごして来た、豪華な部屋よりも心地良い。 


 彼女と椅子に座って、揃いのカップで茶を飲む。

 離れていた二十日間に起こった出来事を冗談を交えて話せば、彼女は笑いながら聞いてくれる。憂いに満ちた曖昧な笑顔は消え、声を上げて笑う姿は可愛らしい。オーエンの死については話すことは出来なかった。


「楽しそうだね。ここの暮らしは、それ程に楽しい物なのか?」

「ええ。楽しいわ」

 彼女の笑顔は増々深まる。


「今まで、自分の思い通りにできることなんて、何もなかったのですもの。自分の思い通りになるって、とても楽しいことだわ」

 彼女の言葉で、僕は監視を付けていたことを反省した。館に帰ったら、行動の監視を止めるように指示しよう。彼女の思い通りに好きなことができる環境を整えれば、館でもこの笑顔を見ることができるだろう。


 彼女と共に乾いたシーツを取り込んで、一緒に畳む。彼女の動きは軽やかで、二人でシーツの端と端を合わせて折っていく。手がぶつかると、何故か僕も彼女も顔が赤くなる。

 これまで、手が触れる以上のことをしてきたのに、偶然触れた手が恥ずかしくて、心が震える。


 シーツとタオルを取り込んで、家の二階へと上がる。一つしかないベッドは館にあるものより小さいけれど、二人で抱き合えば眠れるだろう。

 戸棚の中には、綺麗に畳まれたシーツやタオルがきっちりと並んでいる。いつも使用人から手渡されるだけなので、収納されている光景を見たことがない。僕は珍しさに、手近な引き出しを開けた。


「アーネスト! ダメ!」

 顔を真っ赤にした彼女が、引き出しを閉めた。一瞬見えた引き出しの中身は、折り畳まれた白い布だった。何か恥ずかしい物なのだろうか。

「え? 服じゃないのか?」

 彼女の顔はさらに赤くなる。

「……下着です」

 羞恥からか、目に涙を溜めて顔を真っ赤にする彼女を見て、僕も恥ずかしくなった。顔が熱い。どもりながら謝罪する。


 夕食は彼女の手作りだった。流石に料理は手を出せないので、邪魔にならないように見守るだけだ。鍋や籠に入った野菜を移動させる程度しか手伝えない。


「ごめんなさい。今日、いらっしゃると思わなかったから……明日、食材が届くの」

 彼女はそう言って恥じ入るが、僕には珍しい料理ばかりがテーブルに並んでいる。野菜がたっぷり入ったスープ、焼いたソーセージ、チーズを乗せて焼いたパン。どれも美味しいと感じる。

「美味しいよ。ほら」

 僕は香ばしく焼かれたパンをちぎって吹き冷まし、彼女の口元に運ぶ。

「え、あ。……はい」

 顔を赤くしてパンを食べる彼女が可愛くて仕方ない。彼女も僕の口元に運ぶ。互いに食べさせ合う食事は楽しい。


 食事を終えて食器を洗い、二人だけで茶を飲む。館では常に使用人がいたから、二人だけで過ごすのは寝室の中だけだった。館に戻ったら、夕食後の茶の時間は二人だけにしようと思う。

 深夜まで話が弾み、僕たちは小さなベッドで抱き合って眠りについた。


 翌朝、食材が届けられた。配達人は馬を貸してくれた男だ。

「おはよう!」

「おはようございます」

 男と彼女が親し気に挨拶を交わして、僕は少し不快になった。男に見せつけるように、彼女の肩を抱く。


「いやー、お熱いですね。そうそう、手紙が届いていますよ」

 男のからかいの言葉で彼女は顔を赤くするが、僕の嫉妬は的外れだったようで、男は一切動じない。男が馬から降ろした籠には、新鮮な牛乳や卵にパン。野菜にソーセージ、チーズにぶどう。季節外れのイチゴが入っている。


「この季節にイチゴ?」

「ええ。南の方で温室栽培しています」

 男はどこか平坦な笑顔で答える。男の顔が気になると考えていると、馬を借りた男だと思い出した。

「昨日、貸りた馬を逃がしてしまった。代金を支払いたい」

「戻ってきていますから、大丈夫ですよ。馬が必要になったら、仰って下さい。いつでもお貸ししますよ。それじゃあ、また!」

 男は彼女に微笑んで手紙を渡し、馬に乗って去っていった。


「……随分親しいんだな」

「あの方にとっては、単なるお仕事ですよ。病気の奥様がいらっしゃるそうです。本当はずっと看病していたいと仰っていました」

「それは…………疑ってすまない」

 もしも彼女が病気になったら、僕も一日中そばにいたいと思うだろう。他者に任せられない仕事があると、僕は王族からの依頼を受けたことで先日知った。あの男にも、事情があると思うと憐れみが浮かんで消えた。


 家の中に食材を運ぶと、彼女はすぐに片付け始めた。届いた手紙はテーブルに置かれたままで、封を切ろうともしないのが気になる。

「その手紙は誰からだい?」

「今、手が離せないので、開けて読んでくださる?」

「ああ。わかった」

 彼女に届いた手紙は聞いたこともない店からの化粧品の宣伝だった。化粧品の効能が詳細に書かれているが、金貨一枚と銀貨一枚という金額が高いのか安いのか、女性の化粧品のことが全くわからない僕は首を傾げるだけだ。


「素敵な手紙ね!」

 僕が手紙を読み終わると、彼女は興奮気味に笑った。

「この化粧品は、そんなに良い物なのか?」

「ええ。良いというより、面白いというべきかしら」

 彼女のことがすべて知りたくても、流石に化粧品の効能までは理解できなくてもいいかもしれない。僕は手紙を畳んで彼女に手渡した。

 

 昼になり、彼女が厨房の戸棚に置かれていた紙包みから干し肉を取り出して酒に漬けはじめた。

「それは?」

「干し肉をお酒で生肉のように戻すの。これで煮込み料理(シチュー)を作ろうと思って」

 大きな鍋を使い、一日煮込む料理だと彼女は微笑む。彼女が作る料理はどれも美味い。次はどんな料理になるのかと楽しみだ。


 僕たちは一日中一緒に過ごした。彼女に教わりながら初めての洗濯をし、初めて窓を拭く。何もかもが新鮮で、僕が失敗すると笑う彼女がたまらなく可愛い。

 自分の世話を自分で行うことの大変さに驚くも、公爵家では体験したことのないことばかりで充実感がある。


 その夜、彼女は少しずつ、自分のことを話し始めた。幼い頃に母が死に、父から見向きもされなくなったこと、しばらくして継母と連れ子の小さな妹が来て、家で使用人と一緒に働かされるようになったこと。家事ができるのは、ずっと働いてきたからだと告白した。


 僕はその話を聞いて衝撃を受けた。だから彼女は園遊会や夜会に出ることがなかったのかと哀れに思った。僕は彼女をそっと抱きしめる。

「もう、悲しまなくていい。僕が家族になって、君を幸せにするよ」

 彼女は身体を大きく震わせた。目には零れ落ちそうな涙が溜まっている。彼女は口元を震わせるだけで、何も言葉を発しない。僕は零れ落ちそうな涙を唇で吸い取った。 


 翌朝、彼女は煮込み料理に取り掛かった。流石に料理は手伝えないから、僕は見守るだけ。何故か肉を入れることをためらっているように見えた。

「入れないのかい?」

「……入れるわ」

 赤い肉の表面が焼かれると、厨房には美味そうな匂いが充満する。

「何の肉なんだ?」

「……辺境の牛の肉よ」

 鍋に肉を入れた彼女は、明るい笑顔で答えた。


 肉が煮えるのを待ちながら、ずっと彼女と将来の話をしていた。僕が子供はたくさん欲しいというと彼女が笑顔で頷く。今の館より大きな家を買って、広い庭で大きな犬を飼う。

 彼女と一緒にいると、そんな夢がすぐに叶う気がする。


 夕食に煮込み料理が出された。パンですくって口に入れた肉が、ほろりと解ける。これまでに食べたどんな肉よりも美味いとしか言いようがなくて驚く。牛の肉といえば、固くて薬草臭い印象しかなかったのに、彼女の手で料理されただけで、味も匂いも違っていて、とにかく美味い。

「君は?」

 彼女の器には、肉が入っていなかった。

「今日は肉を食べたい日じゃないの。女にはそんな日があるものよ。全部食べても構わないわ。また作るから」

 だから肉を入れることをためらっていたのかと納得した。僕の為に肉料理を作ってくれた彼女の笑顔に安心して、僕は鍋一杯の煮込み料理を食べきった。


「フローラ。君がこんなに笑う女性だったと、知らなかった。君の笑顔は素敵だ」

 僕だけの可憐な花は、本当に素晴らしい輝きを放っている。僕は彼女をほめたたえ続けた。酒で滑らかになった舌は止まることなく言葉を紡ぐ。

 彼女は恥じるように目を伏せて、僕のカップに酒を注いでくれる。


 腹がいっぱいになったからか、急激に眠くなった僕は、彼女に手伝ってもらいながらシャワーを浴びて、ベッドに転がり込んだ。

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