第2話 手塩にかけてみせましょう
屋敷のメイン階段に着くと、階下に使用人が集まっていた。玄関の豪奢な扉が軋轢音を立てて開かれ、屋敷の主人が帰宅する。
使用人達の中心で紺色の外套を纏い、銀髪と紫色の瞳を湛える男は、ヴェティ・エリューズ。ピフラの父親であり、エリューズ公爵家の当主だ。ゲーム内で語られることはなかったが、実はピフラを溺愛してやまない親バカである。
それはもう、ピフラが望む物は権力と財力を駆使し、何だって手に入れてしまうほどで。『目に入れても痛くない』と言う言葉があるが、公爵に限っては痛くない所か快感を得ると噂されている。
すると、親バカ公爵がピフラを見つけ声高に言った。
「おお、ピフラ! こっちにおいで!」
「お父さま……」
ピフラは呼吸を整えながら階段を降りてゆく。
一歩、二歩....…そしてエントランスを踏み締めた時、あるものを目にして心臓が跳ねた。
──公爵の背後に少年がいる。
公爵は愛娘を前に破顔一笑した。そして、背後の少年をピフラの正面に押し出し咳払いする。
なんて美しい少年だろう、ピフラが彼に持つ印象はそれに尽きた。
身長は彼女よりやや高く、髪は光を飲み込む漆黒だ。顔は可愛らしくも端正で中性的な面立ちをしている。枝垂れ柳のような前髪の隙間から、希少な赤い瞳でピフラを熟視している。
「ピフラ、14歳の誕生日おめでとう。お前にプレゼントを持ってきたんだ」
「まあっ、嬉しいですわ。それであの、プレゼントはどちらに……?」
「ははっ! 驚くぞー。ほらお前、2歳の時に弟妹をおねだりしていただろう?」
「にっ……2歳……?」
(憶えてませんけど!? お父様ったら2歳の時のお願いを今さら叶えようだなんて、どれだけ親バカなの!?)
「というわけで隣国から1番綺麗な者を連れてきたよ。名はガルム、お前の1個下だ。あいにく義理の弟だが……許してくれ」
「──っ!」
ピフラは息を飲んだ。
この少年こそが、ガルム・エリューズ。『ラブハ』におけるヤンデレ魔法士であり、ピフラを殺す義弟である。
(この子がわたしを殺すのね……!?)
ピフラは肝を潰した。全身に緊張が走り、微笑みを作る表情筋が顫動する。
ここまで見事にゲーム通りの展開だ。義姉の誕生日プレゼントとして、ガルムが連れて来られるシーンである。
しかも、ピフラにとってはただの義弟ではない。いずれ凶暴なヤンデレと化して殺しにくる、いわば時限爆弾付きの義弟だ。
(このままゲーム通りにいったら、わたしはガルムに殺される。どうにか、どうにか生き残る方法は──そうだ!!)
ピフラはひらめいた。自分を殺すのはあくまでヒロインに出会った後の「ヤンデレ状態」のガルムである。
人がヤンデレ化する最大の原因は、恋愛前にどれだけ心を病んでいたかだ。
ガルムの場合はピフラによって長年虐げられ、心を病んでいたはず。いわば、ヤンデレの下地が十分仕込まれていたのだ。
そして後にヒロインに恋をするわけだが、病んでいる状態でする恋愛は、往々にしてろくでもねえ。
相手の言動の受け取り方を間違えて状況が拗れ、思い通りにいかず死にたくなる。時と場合によっては相手に死んでほしくなったりもする。
健全な心の持ち主は「そんな物騒な!」と思うだろうが割とベーシックな病み思考だ。おそらく、ガルムもこのプロセスでヤンデレ化してしまったと推察される。
それならば、ガルムが心を病まず健全に育てばどうだろう。ヒロインと出会っても拗れず、ヤンデレ化しないのではなかろうか。
だとすれば、やるべき事は1つだけ。
──ガルムがヒロインに出会うまで心を病ませないよう、手塩にかけて育てる!
ピフラは覚悟を決め顔を上げる。すると、公爵は顎でガルムに合図した。ガルムはぎこちない動作で胸に手を当て、ピフラに礼をする。
「..........誠心誠意お仕えします」
ガルムはぶっきらぼうに言うと、目礼がてらピフラから視線を逸らす。眉間に難しそうに皺を寄せ、言ったそばから誠意もへったくれもない挨拶だ。
礼儀を重んじる軍人の公爵は、不快感を露わにガルムを睨め付けた。
背筋が凍る。「まあまあお父さま!」と公爵に駆け寄り、ピフラは渾身の笑顔でフォローを入れた。
確かにガルムの態度は褻められたものではない。しかし、そもそも公爵が人をプレゼント扱いする方が悪い。
そうしてピフラは翻りガルムに正対して、安堵の溜め息をもらした。
(よかった。顔を顰めてはいるけど嫌ではなさそう?)
誕生日の主役と、そのプレゼント。摩詞不思議な関係性から始める姉弟関係が、これからどう転ぶかはピフラ次第。手塩具合いで変わるはず。
ピフラは、骨ばったガルムの手を取った。
「まずはお茶でもしましょうか」
優しい微笑みがガルムの赤い瞳に映る。
結ばれる互いの手が、仄かに温んだ瞬間だった。