辰馬、不思議な子供を拾う(中編)
床に死んだように横たわっているラン。
クロウズはズボンを履きつつ、ランを蹴飛ばした。
「よがり狂った余韻に浸ってないで、さっさと起きてやることやれ」
ランはふらふらと立ち上がってクロウズを睨みつけた。
「どうせ聞くことは同じでしょ?」
「おっと、その前に。自分の望みを叶える答えには、まだたどり着かないのか?」
「えぇ。残念ながらね。まだ足りないみたい。ま、あなたにとっては喜ばしいんでしょうけど」
「幾千の屍の先に道は示される。その道程で他者の望みを多く叶えよ。さればその答えは与えられよう⋯だったか」
「よく覚えてるわね」
「あのダークエルフは本物だった。すぐに死んじまったのが残念だ」
「あの人は、わたしを東から連れてきてくれた恩人。悪く言わないで」
ランはクロウズを睨みつける。
「楽園の東から地獄の西に連れてこられて、か」
冷笑混じりに答えるクロウズ。
「うるさい。わたしにとっては、東も地獄だった」
「そうかい。それじゃあ、訊くとしよう。次に掘るべき、鉱山の位置を」
「地図を」
サモンが奥から手招きをするので、いつの間にかテーブルに置かれていた菓子とジュースに夢中なユメを残し、タツマはサモンのいる部屋に行った。
「なんだ、よほどヤバいのか?」
「喉は声帯を切除した後に、結構丁寧に治療されてます。で、記憶の方は魔法で消去されてますね」
「それぞれ別口の可能性もあるし、生かしておかないといけないも理由あるってことか」
「それが善意か悪意かはわかりませんが」
「で、治せるのか?」
「声帯が完全にありませんから、元の世界にあったような電気式の人工喉頭が手っ取り早しですが、こちらの技術で再現は難しい。あとは手術で気管と食道を繋ぐとかもありますが、これも別の機械が必要ですね」
「つまり?」
わかりきった答えも口にさせないといけない。
「馬鹿げた金額の報酬をもらってもなお、成功するかは微妙。皆さんで手話を覚えたほうが早いし、金もかからない」
「手話ねぇ」
「記憶に関しては一種の呪いですから、自分は専門外です。解呪できる魔法使いを探してください。いるかどうか知らないですが」
「まぁいいや。そこまでわかれば十分だ」
「⋯もう少し怒るかと思いましたが」
サモンが訝しげにタツマを見ながら言った。
「拍子抜けしたか?怒るほど善人じゃないんだよ、俺は」
「どうだか⋯まぁ、文字でも教えるのが一番かもしれないですね。これから生きていくことを考える、なら」
「生きていく、ね。俺だって苦労してんのによ」
タツマはサモンに背を向け部屋を出た。
「ユメ、帰るぞ。そこのお菓子、持てるだけ持っていっていいからな。出してあるんだし」
ユメは嬉しそうに頷くと皿の上の菓子をガバっと掴んだ。
「サモン!袋くれ!」
「礼儀とか遠慮とか⋯そこの棚にある麻袋、まだ使ってないやつなんで、ご自由に」
「おぅ」
タツマはユメが掴んだ分と皿にあった菓子を袋に流し込むように入れると、店から出ていった。
「やれやれ、あなたが善人じゃなくて何なんですかね。⋯ロリタツマさん?」
ジュリはキヨラに暇なら稽古をつけてあげると言われ、地下の闘技場に来ていた。
獣人であり、尚且つバーサーカー状態にあるジュリだが、素手のキヨラに勝てたことがない。キヨラが武器を使ったら瞬殺されるだろう。
今日もコテンパンにされているのが現実だ。
「獣人であることが、なんら強さの証明にならない。もう、わかったわよね」
「そんなこと⋯わかってる」
「あなたの力の原動力は恨みだった。その恨みを晴らしてしまった今、あなたの善人っぷりが、その優しさが仇になってる。せめてタツマ程度に、善人だけど殺人者、になれるよう頑張りなさい」
「だから、あいつは嫌いよ」
「なれない自分になってるから?」
「そんなんじゃ、ない!」
ジュリはキヨラに掴みかかるが、キヨラは寸前でかわし続ける。
「標的があなたより弱いとは考えないでね。常に強者に相対する心構えで挑みなさい。生きる理由があるなら」
キヨラはジュリが伸ばしてきた手を手刀で打ち払う。
「くっそ!」
毒づくジュリにキヨラが邪悪に微笑みかけた。
「辞めたいならいつでも言って。殺してあげる。ついでに、あのユメも」
「ユメに手を出すなぁ!」
ジュリの姿がキヨラの視界から消えた。
と、その途端、キヨラは背中に強烈な衝撃を感じ、ふっ飛ばされた。
「かはっ⋯はぁ、はぁ、一瞬で、背後に回ってキック?やれば⋯出来るじゃない」
「ユメに、手ぇ、出すな」
「ここで追撃しないのが、あなたの限界よね。まぁ、いいわ。今の動き、普通に出来るようになりなさい。あ、ユメに手は出さないわよ。あなたが裏切らない限り」
そう言うと、ジュリを残し、キヨラは闘技場を出ていった。
ジュリは膝をついて天井を見上げた。
「お姉ちゃん、あたい、どうしたらいいのかな⋯」
ジュリの瞳から涙がこぼれ落ちる。しかし、狂化された金色の右目からは涙が流れることは無かった。
「咄嗟に衝撃を逃がしたつもりだったけど、肋骨2本、いかれたわね」
キヨラは顔をしかめながら階段を登り、自室へと戻った。
クロウズが小声で何かを唱えると、ランの全身が脱力した。
「ほら、洞窟へ戻るぞ」
「わかって⋯る⋯わ」
気怠そうに立ち上がるラン。
「歩ける程度には封印を緩くしてやってるんだ。ぐだぐだしないで、さっさと歩け」
「次は3日以内よ」
「ほぉ、随分と猶予がなくなってきたな。最初の頃は1ヶ月は平気だったのに」
「成就の時が近いのよ。あと、1⋯2回くらい。あなたも、もう十分でしょ?」
「そうだな⋯ミスリル、鉄、銅、そして金。困ることはないくらい、鉱山はあるな」
ふらふらと歩くランの背後で、クロウズは歯を剥き出して、不気味に微笑んだ。
「帰ったぜぇ⋯って、おーい!キヨラ!」
「うるさいわね。いるわよ」
キヨラは奥の自室から顔を出した。
「空いてる部屋、ユメに使わせるぞ」
「お好きに」
と、キヨラは顔を引っ込めてドアを閉めてしまった。
「お取り込み中?ま、いいか。ユメ、お前に部屋を一つくれるってよ。来な」
ユメは大きく頷くと、タツマの後に続いた。
「隣はジュリの部屋。そんで真向かいが俺の部屋だ。ほら、ユメの部屋に入ってみろ」
ユメは恐る恐るといった様子でドアを開け、中を覗き込んだ。
「そんな警戒しなくても⋯ま、仕方ないか」
キョロキョロと室内を見回すと、次はベッドに向かってダッシュしてうつ伏せに飛び乗った。
「そうだ。それがユメのベッドだ」
うつ伏せのまま、ぽんぽんと跳ねているユメは楽しそうだ。
「襲うんじゃないわよ」
「うぉ!ジュリ、気配消して突然現れるな」
「獣人の習性だもの。無理言わないで」
「ユメ、ちょっと寝ててもいいぞ。飯が出来たら起こすから」
ユメはうつ伏せのまま、タツマに手を振った。
「どこで、そんなものぐさな仕草覚えたんだよ」
タツマはユメの部屋のドアを閉めると、ジュリを礼拝堂の真ん中に行くよう指でさし示した。
「キヨラもちょっと出てこいよ。報告だ」
「はいはい」
と、今度は素直に出てくるキヨラ。
「最初に確認したい。キヨラの肋骨をへし折ったのはジュリか?」
「やっぱりごまかせないか」
キヨラが自嘲気味に笑う。
「折ったような感触はあったけど⋯」
「訓練中、だよな?」
「ええ、そうよ。あたしが防御をミスった。それだけ」
「ならいい」
「え?いいって、タツマ」
ジュリはタツマの反応に困惑した。
「反逆でもしようとして、元締めであるキヨラを襲ったなら、俺がお前を殺す」
驚愕の表情をして固まるジュリ。
キヨラはふっと息を吐いた。
「ジュリ。こういう世界。そういう稼業に身を置いたの、あなたはね。今のタツマの言い分は正しいわ。だから、タツマを責めたりしないこと」
「納得いかないけど、責めは⋯しない」
「さて、ユメの件だ。喉の傷はサモンでも治せない。記憶もだ。特に記憶に関しては呪いだそうだ。ま、傷に関しちゃ、ホントかどうかは微妙だがな」
「呪い⋯術者に解かせるか、特定の条件が必要なやつ、ね」
「おそらくな。サモンは専門外だと説明しやがらねえが」
「じゃあ、どうしてあげればいいの?」
「読み書き教えてやれよ、ジュリ」
「あたいが?」
「レベルが近い者同士、学びの進みも速いかもしれねえし」
「あ?」
ジュリはタツマを睨みつけるが、タツマはどこ吹く風だ。
「おいキヨラ」
「なに?」
「バードゥには解呪能力はないのか?ユメ、信者だろ?」
「呪いをかけたやつが、バードゥ教の信者、なら出来るかも」
「神様が違えば、無理、か」
「そういうこと」
タツマはそのまま黙って部屋へと戻っていった。
「ホント、優しいこと」
「タツマが?優しい?」
「ジュリはもう少し素直に彼を見てあげなさい。人を見る目がないと、この先、生きづらいわよ」
「⋯考えとく」
洞窟の牢の中、ランはクロウズが出て行ってから、しばらく身動きもしなかったが、やがて立ち上がり、頭をかきむしり叫ぶ。
「あの人が言っていた通りじゃない!なら、やるしかないじゃない!⋯でも、もう、いやなのよ!」
ランの身体が一瞬光る。ランは腕や足の動きに異常がないことを確かめると、牢の扉を蹴り破り、外へと歩み出た。
まだ昼であるが、タツマは馴染みの酒場にいた。ユメを連れて。
「おぅ、タツマ!身代金が入ったら、みんなに奢れよ」
「あの教会のシスターと、もう子供こさえたのか?羨ましいぜ。奢れよ!」
「そんな若いカミさんもらって、剛毅だな。奢れタツマ!」
と、同じく昼から入り浸っているダメな常連たちにからかわれている。
「自腹で飲みやがれ、クソヤロー!」
「うるせぇ!協会の小間使なら、少しは徳を積みやがれ!」
「てめえらに積んだって、酔っ払って、すぐに崩れちまうわ!」
「ちげぇねぇ!」
初めは雰囲気に怯えた様子だったユメだが、タツマが楽しそうにしていることを理解すると、落ち着いて眼の前に置かれたミルクとチーズをお腹に収め始めた。
「ユメ、お前って結構図太いよな」
というタツマの問いかけに、二ヘラと笑って返すユメ。
「「「おいおい、可愛いなぁ」」」
常連酔っぱらいたちが声を合わせて叫ぶ。
タツマは舌打ちをしつつ
「こいつの名前はユメ。理由あって教会で預かってる。ついでにユメは喋れねえ。優しくしてやれ、てめえら」
「そうか、ユメちゃんも大変なんだな。わかった。なんかあったら、この店に連れてこい。俺達で面倒見てやる!」
なんだか店主まで乗っかってきたのを、タツマはげんなりした感じで返した。
「あぁ、頼む」
なんだか店主がユメに、店に置いていないはずの焼き菓子を出してきた。
「ほんとにここは流刑地なのか?それにしてもユメの人誑しは一級だな」
とタツマがユメの頭を撫でるのを、ユメは嬉しそうにタツマに微笑んだ。
「今日は随分と通路が短かったけど、あたしに少しでも早く会いたかったのかしら?」
「ま、そんなときもあるでしょう。あの通路は気まぐれなんで」
キヨラはサモンの店に来ていた。
「昨日はタツマとユメが世話になったわね」
「菓子をたっぷり持ち帰られて、大赤字です」
サモンは大げさにため息を付いてみせる。
「多分、今後もたかられるわね」
「教会のツケにしておきますので」
「ケチくさいわね」
サモンは小さくため息を付いた。
「似た者同士なんですかね。で、本日のご用向きは、あの幼い漂流者についての確認、でよろしいですか?」
「ええ。バードゥ様は、なぜあの娘を選んだのか?何かわかった?」
「仕えているあなたがわからないことを、わたくしがわかるはずも」
「あの子の情報を読み取ったんでしょ?何の利にもならない存在を、この西に呼ぶはずがないわ」
「タツマさんが聞いたら、怒りそうな事を⋯」
「とっくに気づいてるかもしれないけど?」
「わざわざ怒らせないでいただけると、わたくしも助かります」
「いちばん怒らせるように仕向けるのは、あなたでしょ、サモン?」
「わたくしは同郷の人間との会話を楽しんでるだけなんですが」
「よく言うわ。で、話逸らさないで。ユメの件よ」
「魔法的にもスキル的にも特殊な技能は持っていない、ですよ」
「バルガンの教会で何を仕込まれた、か⋯そもそもの肉体や精神の素養は何だったのか」
「だから、喉を潰し、記憶を消した。わたくしのような存在を警戒して、ね」
「わざわざバードゥ様とは違う系統の力を使ってまで」
「でも、藪を突かなければ、蛇は出てこない、ですよ」
「見過ごせ、と?」
「現状、問題ないでしょう?タツマさんがメロメロになっているだけで」
「それが余計な弱点になるのよ」
「タツマさんにとっては強みかもしれませんよ?」
「あなた、タツマのこと、好きすぎない?」
「嫌う理由はありませんよ」
妖しげに微笑むサモンに、キヨラは疑念を抱いた。
「そっちの趣味⋯」
「違います」
食い気味に返された。
あれから何年経ったのか、ランは東ガンド大陸で漂流者として、バードゥ教の司祭に保護された時のことを思い出していた。
そして偶々出会ったグラスウォーカーと呼ばれるウサギタイプの獣人の少女、カーラ。その弟のアロン。その姉弟に誘われ、教会を抜け出して、気の向くままに行き先を決める旅芸人となった。
「ランって踊りが上手だよね。あたしもアロンも飛び跳ねるくらいしか出来ないから、いまいち実入りが悪かったんだ。お客も増えて、大助かりだよ」
「あはは、ストレートだよね、カーラは。うん、でも役に立てたなら嬉しい」
カーラとアロンが草木で作った楽器を演奏して、ランが踊る。ちょっと露出多めの衣装と扇情的なダンスで、男たちは小銭を投げてくれる。
カーラも頭の小さな耳をピョコピョコさせながら、可愛らしく、時に扇情的に、計算されたパフォーマンスで観客を魅了する。
そんな事をしていれば、当然、誘われることもある。危なそうな客はカーラとアロンが蹴散らし、安全そうで金払いが良さそうな客とは関係を持った。当然、カーラもアロンも金をもらって客の夜の相手をする。それが、当たり前の生き方なのだ。
元いた世界の倫理など関係ない。生きるための技術が必要なだけだった。
「わたし、なんでここに来ちゃったのかな。教会の司祭も流れ着いただけ、としか言わないし」
ある日の夜、ランは焚き火の前で、呟いた。
「漂流者の来る理屈は分からないけど、来る場所はいくつか決まってるから、そこに何代か前の皇帝がバードゥ教の教会を建てさせて、保護しやすいようにしたって聞いたよ」
カーラが答えてくれた。
「保護、ね。あのまま飼い殺しにされるかと思ったけど」
「だから、逃げ出したんだ?ランは何かしたいことあったの?」
「それは、こっちで?元の世界で?」
「どっちでもいいよ。したかったこと、したいこと、なんでも」
「⋯ダンス⋯今やってる踊りとは違う、もっと激しいやつ」
「見せて」
「今?」
「うん。ランの本当の、やりたい踊り」
「わかった」
ランは立ち上がり、大きく息を吸った。
「ワン・トゥー・スリー・フォー!」
ランは腕を大きく振り、足踏みを激しく、感情も露わに踊った。それは元の世界でクランプと呼ばれるストリートダンスだったが、もちろん、カーラやアロンにそんなことはわからない。
ただ、その激しく感情を揺さぶられるようなランの動きに魅入られていた。
そして獣人のプリミティブな部分に響いた。
いつの間にか、カーラもアロンも見様見真似で踊っていた。
そんな二人にランは一つ一つの動きを教えるように踊った。やがてランが力尽きたように倒れ込み、踊りの時間は終わった。
「すごいね、ラン。こんな動き、初めてやったけど、楽しい」
アロンは力尽きたのか、突っ伏したまま動こうとしない。
「わたしも、楽しいよ。まだ、踊れた」
「これから、この踊りで稼いでみない?」
「クランプで⋯稼ぐ?」
「誰も見たことのない踊りだよ!絶対ウケるって!ね、どんな曲を演奏したらいいかも教えて!アロンが頑張るから」
突っ伏したままのアロンの垂れ耳がヒクヒクと動いたが、それ以上の反応は出来ない状態のようだ。
それからしばらくは、ランたちは芸を売り、身体を売り、旅を続けた。
しかし、ある日、ランたちが踊っている前に大きなドラゴンに引かれた大きな馬車と数十名の騎士の一団が現れた。
何事かと固まるラン、カーラ、アロン。
3人の踊りを見物していた客は逃げていってしまった。
すると、白銀色に輝く鎧を身に着けた騎士が一人、3人の前に進み出てきた。
「皇国騎士団⋯なんで?」
そんなカーラのつぶやきに、ランが聞き返そうとしたとき、騎士が大きな声で話し始めた。
「踊り子のラン!貴様に皇帝陛下が大層な関心をお持ちだ。着いてこい!」
ランは突然の展開に戸惑いを隠せない。
「え?え?わたしが、なんで?」
「陛下は貴様を後宮に迎えても良いとおっしゃっている。こんな薄汚い獣人どもとの根無し草の生活とおさらば出来るんだ。何を迷う?」
カッとなって殴りかかろうとするアロンをカーラは押し留めた。
「そんな、わたしは⋯カーラとアロンと⋯」
逡巡するランにカーラは言った。
「行きな、ラン」
「カーラ?」
「きっと、今よりは幸福な、贅沢な生活を送れるよ。いろんな男の相手はしなくて済むだろうし」
「でも⋯」
「あたしたちのことは考えないで」
「カーラ」
「ねぇ、騎士様。ランを見初めたってことは、ランの踊りの評判、だよね?」
騎士はカーラに返答するのがとことん嫌そうに、吐き捨てるように言った。
「そうだ」
そんな騎士の反応は無視して、カーラはランに言った。
「踊りも続けられる。贅沢。安全。迷わないで、ラン」
しばし、ランとカーラは無言で見つめ合った。やがて、ランは頷いた。
「⋯わかった。わたし、行く」
すると他の騎士たちがランを取り囲み、そのまま促すように馬車へと乗せてしまった。
馬車の窓はカーテンで覆われ、中のランの様子は見えない。
そして、そのまま騎士たちは出発していった。
ぽつんと残されたカーラとアロン。
「姉ちゃん。良かったの?」
「今より良いものを手に入れるチャンスは、絶対に逃しちゃダメなの」
「でも、お別れとか何も」
「馬車に乗った時点で、ランは皇帝のものになったんだ。あたしらは、おいそれと口を利いちゃいけない」
「でも……」
アロンはその先の言葉を、姉の涙を見て止めた。
「ランは、毎晩泣いてたんだ。こっそりとね。あたしらじゃ、ランを救えない」
ドラゴンの牽く馬車は速い。あっという間にカーラとアロンの視界から消えた。
タツマがすっかり満腹になり眠ってしまったユメを背負って酒場から出ると、そこにジュリがいた。
「な、なんだよ」
「別に、昼間から子供を酒場に連れ込むような男に対して、不安を抱いただけ」
「そのお子様は、この通り、酒場中の野郎を誑かして、ご満悦でお休み中だ」
「あんた、ユメに何させたの!」
「喚くな、ユメが起きちまう。変なことさせてねえよ。お菓子食ってただけだ、こいつは」
「だけ?」
「だけ」
「ふぅ〜ん」
ジュリはユメとタツマを見比べながら
「そうだよね。可愛いもんね、ユメ。あたいと違って」
「お前だって、黙ってれば可愛い⋯あ、やべ」
「え?なに?あたい、可愛いの?」
「うるせえ、なんでもねえ」
そもそも態度や喋り方がアレなだけで、ジュリの容姿は整っている。オタクであったタツマにとって、獣人であろうが許容範囲である。
「ふぅん、そっかぁ。考えてみれば、あんた以外、女性ばかりだもんね。幸せよね」
タツマはこれ以上言い返しても泥沼になると察し、黙って早足で歩き始めた。
「照れるんだ。ふぅん⋯あ、走ったって、あたいのほうが速いから無駄だからね」
馬車の中、ランの眼の前に座った騎士は被っていた兜を脱いだ。
「え?」
ランが思わず驚きの反応を漏らしてしまったのは、その騎士が、浅黒い肌、尖った耳、そして美しい容姿を持つ、この世界では亜人に属されるダークエルフだったからだ。
「ん?あぁ、私がダークエルフだからか。皇帝陛下の御心は深く、そして広い。差別対象の亜人であっても、能力次第では取り立ててくださる」
「じゃ、じゃあ、なんで皇帝は、その差別も無くそうとしないの?」
「ふむ、口のきき方は、これからの改善要項だな。陛下への謁見の前に最低限の礼儀作法は叩き込むとしよう。私の名はグラフェン。で、質問の件だ。差別対象を持つことによる不満の発散が主な理由だ」
「あ、あなたはそれでいいの?同族が差別されて」
「だから私は能力を、実力を磨き、皇国騎士団に取り立てられた。努力一つせずに被差別対象に甘んじている連中がどう扱われようと知ったことではない」
「でも⋯」
「私が取り立てられたお陰で、私の一族も中央で暮らせるようになった。十分だろう。それに、貴様とて、その踊りの能力で取り立てられたのだぞ。ギルドにも登録せずに、無許可で旅芸人の真似事をし、身体を売っていた貴様が」
「それは、そうかも知れないけど⋯」
漂流者であるランでも、種族と一族の重さの違い、グラフェンの言うことは理解できるが納得はしづらかった。
ランを乗せた馬車は数日をかけて、ロイナンシュッテと呼ばれる大都市へと到着した。
「ここから転移門を使い中央諸島にある王城へと行く」
「転移⋯門?」
「あぁ、貴様は漂流者だと言っていたな。この東ガンド大陸と中央諸島の王城、そして西ガンド大陸へ行き来するための唯一の手段だ。それぞれの間を隔てる海を越える事は船では不可能、なんでな」
「王城と西の大陸?」
「西ガンド大陸は罪人の流刑地。進んで行きたいやつなど、誰ひとりおらん、生き地獄だ」
「地獄、なの?」
「あはははは。まぁ、転移門の守護任務の騎士団と、あとは罪人とその子孫しかいない場所、だ。行きたくはなかろう?」
「グラフェン⋯様は行かれたこと、あるの?」
「私か?騎士団は交代で任務につくから、幾度かは、な。なんだ?興味があるのか?」
「そうね。ここじゃない場所なら」
「現実逃避か厭世傾向なのか、困った女だな、貴様は」
そう言いのけるグラフェンに、ランは視線を合わそうとはしなかった。
酒場に連れて行って以来、ユメはタツマの後をついて回るようになった。
そんなユメだが、今は自室でお昼寝タイムだ。
礼拝堂にはタツマとジュリとキヨラが集まっていた。
「なんで、あんたが懐かれるのよ」
「お前の乱暴な遊びに付き合いきれなくなったんじゃねえか?」
「乱暴と何よ!」
「子供を屋根の上の高さまで放り投げる遊びは、普通嫌だろ」
「え?いや、なの?」
「獣人基準で人間を扱うな。下手すりゃ死ぬぞ。ユメは不思議と頑丈なだけで」
「死んじゃう⋯」
と、そのまま落ち込むジュリを放っておいて、
「キヨラ、ここ数日、ユメを連れ回したり遊んだりしたが⋯」
「父親業が忙しそうで何より」
「茶化すな。あいつ、体力は普通だが、身体能力はかなり高い」
昨日など、酒場の連中に優しくしてもらったお礼なのか、バク宙やら側転やら、ちょっとしたサーカスのように動いてみせた。おかげで更なる人気を得て、お菓子を大量に稼いでいた。
「で?」
「かなり仕込まれてるぞ。ありゃあ、人を惑わして隙をつく動きだ」
キヨラの目つきが鋭くなる。
「⋯それで、ここでも裏に関わらせたいの?」
「そもそも死体を見て怯えるでもなく、冷静に俺の助けを求めてきたんだ。もう、とっくに異常なんだよ、あいつは」
タツマが苦々しげに呟く。
「ちょっと、なに!ユメに人殺しの手伝いをさせようっての?」
ジュリは素早く立ち上がり、タツマの胸元を掴んだ。
「ホント、こういう時は有能な動きするよな、お前」
「茶化すな!」
ジュリが牙を向き、唸り声を上げ始める。
「静かにしろ。ユメが起きちまう」
ジュリは唸り声を上げるのを辞めたが、掴んだタツマの胸元からは手を離そうとしない。
「なあ。裏稼業の道を選んだやつに、人をまともにする能力があると思うのか?」
「あたいは!」
「だからうるさいっての」
睨み合うタツマとジュリ。
「あたしはタツマの子煩悩っぷりが心配よ」
「キヨラも茶化すなよ」
「あたしは真面目に心配してるんだけど。元締めとして」
「あたいはユメには幸せになってほしいだけ!」
「この世界での漂流者の幸せってなんだ?しかも流刑地の西大陸で。身内なんざいないんだぞ。生きてるだけで幸せじゃねえか。何をやって生きるかの違いだけだ」
「だからって裏の仕事の手伝いなんて」
「もう、あいつはそうやって生きるように仕込まれちまった。俺達に出会う前にな」
「でも、でも⋯」
「ジュリ。自分とユメを重ねるのは辞めなさい。あの娘は、あなたのやり直し存在じゃない」
ジュリは黙って俯くと、いきなりタツマを殴り飛ばし、自室へと逃げ込んだ。
「まったく、口で勝てないとすぐに暴力振るうのよね」
「⋯その対象が俺になるのが納得行かないんだが?」
「拳が当たる瞬間、首をひねって衝撃逃してたじゃない。あたしには獣人の攻撃スピードとパワーに、そんな芸当は出来ないもの」
「芸当⋯キヨラが衝撃を逃すことが出来ないのと、俺が無駄に殴られるのは関係ないよな?」
「⋯折れた肋骨が痛むから、少し横になってくるわ。夕飯作り、よろしくね、小間使いさん」
と言うなり、キヨラもさっさと自室へ引っ込んでしまった。
タツマは心の中で二人に毒づきながら、ユメの部屋の扉を黙って眺めた。
中央諸島の王城に来て半年。ランは皇帝に謁見し、後宮入りした。
しかし夜伽に呼ばれたのは1度だけ。側室となったは良いが、結局お呼びがかからなければ、ほぼやることはない。
後宮内の日常業務は専任の女官たちがいる。
「単なるコレクションボックスに入れられたおもちゃよね、わたし。もう飽きられて忘れられてるし」
「そんな愚痴を言うために私を呼び出すな」
皇帝以外の男性の後宮への出入りは禁じられている。後宮入口の門脇にある謁見所のみが、男性が入れるが、間仕切りのない、広い空間のあちこちに置かれたテーブルと椅子に向かい合って座り、話すことしか出来ない。
そこにグラフェンはランに呼び出され、訪れていた。この半年、かなり頻繁に。
「ここから出してほしいの」
「騎士に脱走を手伝え?お前は正気か?」
「ここでなにかやらかすから、西へ送って」
「⋯頭がオカシイな。医者を呼ぶか?」
ランは壮絶な笑みを浮かべ、グラフェンを見た。
「ちょうどいいじゃない。気が触れた側室が後宮内で刃傷沙汰を起こして、その場にいた騎士に取り押さえられて、西送り」
「お前⋯」
「送る権限はお持ちでしょ?グラフェン様?」
二人は小声で話しているが、周囲の誰が聞き耳を立てているかわからない。
「音声遮断の魔法をかけておくべきだった」
「わたしはここで事を起こす。もう止められない」
「この場で斬り殺してもいいのだぞ」
「それでもいい。ここから出れるなら」
グラフェンは己の油断を悔い、ランを睨みつけた。その内心にあるのは恐れと憐れみであった。
突然、ジュリが部屋から飛び出して、すぐさまユメの部屋へと飛び込んだ。
「ジュリ、なにや⋯」
タツマは久々に揺れを感じた。地震だ。
結構大きい。教会の建物がミシミシと軋む。
「震度⋯4くらいか」
と冷静なタツマに
「なにやってんの!外に出て!」
とキヨラが叫ぶ。
ジュリはユメを抱いて、速攻で外に飛び出していた。
タツマが押っ取り刀で外に出ると、周辺の建物の住民たちも皆外に出ていた。
揺れは収まったが、皆不安そうにしている。
「キヨラ、こっちじゃ地震は珍しいのか?」
「そうね、火山の近くでもない限り、まず無い、わね」
「タツマ!あんたはなんでそんなに落ち着いてんの!」
「うるさいジュリ。俺のいた国は地震大国と呼ばれるくらい地震が多くてな」
「やな国」
「いきなりディスるな!」
「でぃ・す?」
「ああ、もう、悪口言うなってんだよ」
ユメはジュリに抱かれたまま昼寝を継続していた。
「さすが、大物だな」
クロウズの屋敷も揺れはしたが、いくつかの家具が倒れたりした程度で、大きな被害はなかった。
「クロウズ様!」
「どうしたガゼム」
「先程の地震でいくつかの鉱山に崩落が!」
「なんだと!」
「どの鉱山だ?それとランの牢は?」
「ミスリル鉱山です。ランの方は確認中です。お待ちを」
「くそっ!最悪だ!」
最も高価な金属であるミスリル。それを失うことはクロウズにとっては大打撃である。それに代わる鉱山を見つける能力のあるランを失うこともまた、同様である。
「地震?」
ランが地震に遭遇したのは森の中であった。木々が大きく揺れ、葉が降ってくる。
「地震を懐かしく感じるなんて、ホント、嫌ね」
木々のざわめきの中、ランは歩みを進めた。
「なるほど。地震が珍しいってことは備えがないってことか」
教会周辺の建物がいくつか倒壊している。
「ほら、小間使い!壊れた建物から怪我人を助け出して!」
「教会みたいなことするんだな」
「教会よ!」
タツマは睨みつけるキヨラを無視して、倒壊した建物に近づく。
「中に誰かいるか!返事しろ!」
かすれた悲鳴のような声が瓦礫の中から聞こえてきた。
「くそっ!そこら辺のやつ!手伝え!」
幾人かで建物に近づいた瞬間、再び大地が揺れた。
「余震か、そんなもんもあったよな、畜生め」
その余震で建物は完全に潰れ、悲鳴のような声も聞こえなくなった。
「くそっ。まだ、揺れる可能性があるぞ!動けるやつはここから離れろ!キヨラ!避難先はあるのか!」
「みなさん!中央広場へ!」
キヨラの誘導に従って、住人たちが移動を始める。
「倒壊したのは⋯ボロ家だけだな。よし」
タツマは急ぎ教会の自室へと戻り、殺し装束を服の下に着た。
部屋から出ると、殺し装束姿のジュリが立っていた。
「考えることは同じみたい、ね」
「バカネコ、そのままの格好じゃ人前に出れねえだろ。なんか上に着て装束を隠せ」
「バカネ⋯そうね、わかった」
ジュリが自室に飛び込みバタバタし始めた。
「おい!ユメは!」
「キヨラに預けた!」
「なら大丈夫か⋯それはともかく、さっさと着ろ!」
「うるさい!この上に服を着るの大変なんだから!」
「普段から考えておけよ、そういうの」
タツマは自分がドア越しに痴話喧嘩をしているような感じがして、それ以上言うのを止めた。