奴隷の遺体
改めて街並みを見てみるが、朝日がもたらす色の明度が、明らかに日本とは違った。極め付けは立ち並ぶ家と同じか、それ以上に伸びている巨大なバナナっぽい木だ。芭蕉の木とか言ったか、正確にはあれも木じゃ無くて草だとか言う話を聞いたことがある。そして言うまでも無く、そんな草が育つ所と言えば亜熱帯地方だろう。この日差しの強さと言い、空の青さ、景色の明度と言い、なんだか昔旅行で言った沖縄を思い出す。心なしか街並みもなんくるないさーな雰囲気がある。ちなみに、沖縄の人はなんくるないさーなんて言葉は使わないらしい。
(これでさっきの騒動がなけりゃ最高なんだけどな)
そんな事を考えながら、早足で目的地へ向かうおっさんの後をついて行く。はっきり言って嫌な予感しかしなかった。
川辺に着くと、大勢の人間が取り巻いてる場所があった。殆どは野次馬のようである。
「ほら、どいたどいた!見せもんじゃないよ!」
おっさんはそう叫びながら、その野次馬を掻き分けて行く。自分もその後を潜り抜ける。
そうしてようやく、野次馬達が円になって取り巻いていた場所に到着した。その瞬間、むせ返るような臭いが充満している事に気づく。一つはアレの臭い。言うなれば栗の花の臭いだ。青臭いだけではない。そこに男の汗臭い体臭も混ざっている。二つ目は血の匂い、生理臭もした。また、一人暮らしの女が部屋で篭らせるような、酸っぱい臭いも感じた。
そして肝心の現場だが、最初見た時はそれが何であるのかすら瞬時に理解できなかった。女が着ていた濃いピンク色の布が下に敷かれ、その上に肉の塊が無惨に置かれている。すぐにそれが女の遺体である、と分からなかったのは、首が無く、四肢もあったり無かったり、そして指も無くなっていたからだろう。
日本でこういうスプラッターを載せる有名なグロサイトがあって、遺体はそこで何度か見た事があった。別に興味があった訳じゃないが、たまにそれを見るのがネットサーフィンの一部になっていた。その中でも相当グロい部類に入るものがそこにはあった。間違いなく『閲覧注意』に分類されるだろう。
自分は慣れているせいか、あまり抵抗はなかった。ただ、ネットでみる写真と、本当に見るのではリアル感が半端無い。このむせ返るような臭いだってそうだ。腐臭がまだしない事だけがありがたかった。それに野次馬らしき男達も、またかと言いながらも興味津々で見てきているから忙しない。日本ならばまず映像にならないリアルがそこにはあった。
「4人目か、もう決まりだな」
誰かがそんな事を言った。
そして次の瞬間はさすがにギョッとした。
上半身裸の男が、女の首の髪を持って現れたからだ。
「女の首だ、川に捨てられてあった」
青白いその首は無言で目を閉じていた。
男はそれを女の遺体の前に投げた。
首が無造作に転がって止まった。
「あいかわず、目星は無しかい」
「見張りはこれ以上増やせないからな、仕方ないさ」
野次馬の騒音が飛び交うので、会話はやや大声で話していた。
「女は奴隷か?」
「だろうよ、脱走したところを狙われて襲われたんだろうな」
「...馬鹿な女だ」
吐き捨てるよう誰かが言ったが、その語尾は弱々しかった。
とりあえず野次馬がうるさいので、さっさと遺体を片付ける事になった。女の遺体は無数の切り傷に男の体液が混ざり、さらに無数の蠅がたかっていた。聞けば今年にはいって4回目、被害者は大体女だと言う。
「単独犯じゃねぇな。奴隷になる事を耐えかねて脱走を図る人間は少なくない」
「そう言った脱走ルートってのはある程度限定されている、やった連中はそこで待ち構えていたんだろうよ」
なるほど、女は複数の男によって輪姦され、そして殺された。四肢や指が千切れてないのは、狼や猪に食い荒らされたんだろう、との事だった。だが...
「首はいつも切られていたんですか?」
おっさんに聞いてみる。
「いんや、今回が初めてだ」
「大した意味なんかねぇさ、今回も同じやつがやったに違いない。だが何回もこんな事してバツが悪く感じたんだろう」
「それで首を切って川に捨てた」
つまり犯人は、今回は別の奴がやったのだ。と言う小細工をしたと言う事か。何にしても反省と言う言葉すら頭には無いらしい。
「じゃあ、適当に埋めるから手伝え」
そう言うとおっさんはスコップを渡してきた。
「えっ?もう埋めちゃうんですか?」
「今埋めないでいつ埋めるんだ?こんなもん放っておいても腐るだけだろ」
そりゃまぁそうだけども。と、納得しかけたがどうなんだろう?奴隷だから身元は居ないのだろうけど、墓ぐらいは建てないものだろうか?
それに、犯人の手がかりなんかもまだ掴めてない気がする。日本なら警察の仕事になるが、ここではやっぱり兵士がって事になるし、実際自分はこうして穴を掘っている。
自分は少し躊躇いがちに聞いてみた。
「あのー犯人は捕まらないんですか?」
その問いにおっさんは無言で首を振った。
「無理だろうな、さっき言ってただろう、見張りは増やせねぇって」
見張り、つまり現行犯ならば取り押さえることもできるが、事後になったらそれ以上何かする事もないと言う事だった。
「俺たちに出来るのは、こう言う事が起きるから脱走なんて考えるなって奴隷達に通達するだけだ」
「ま、それでも逃げる奴は逃げる。そしてまた今回みたいな犠牲者が増える、俺たちはそれを速やかに片付ける。それだけだ」
その時はまだこの世界の事を何も知らないからそんなもんなのか、としか思わなかった。分かっているのは「治安はすこぶる悪い」と言う事だけだ。
それから女の遺体は速やかに埋葬された。誰が呼んだか、僧侶がお教をあげていた。ドラクエの女僧侶じゃなく、ガンジーのような坊さんだ。
それも終わると、ようやく自分たちの持ち場へと戻った。持ち場には交代がもう来ていて、これから巡回に回るとの事だった。
「災難だったな」
おっさんに声をかけてきた。交代の人だ。
「ああ、全くだ」
「女で夜中に一人で脱走、考えりゃすぐにでも分かりそうなもんだがな」
「まぁそう言うな、来世こそは...だ」
そう言うとおっさんは、誰にでも無く頭を下げた。話しかけた男のそれに続く。自分も見よう見まねで頭を下げる。黙祷のようなものだろうか。
「じゃあ、俺たちは帰るから後は頼んだ」
「ああ、奥さんによろしくな」
「おう!」
これでおっさんと自分は、ようやく仕事から解放されたのだ。
「あ、そういや記憶戻ったか?」
「いえ...」
多分戻りません。
「じゃあ自分の家も忘れちまってるだろう。こっちだ」
おっさんは自分を家に案内してくれた。ぶっきらぼうだけど根は良い人なのが分かる。
帰り道は静かでのんびりしていた。あんな事さえ無ければすっかり観光気分でいられたのだが…。まぁ、市街地に行けばまた違った発見があるに違いない。なにせ初の異世界なのだ。
「あ!」
おっさんが急に叫んだ。
「記憶...」
おっさんが独り言のように呟いた。
安心ください、ありませんから。
「記憶がなくなったことは周りには黙っとけ。幸い、人付き合いは殆ど無かったからな。問題はないだろう」
確かにそれで良いならその方が良いかもしれない。と、言う事は自分はおっさん以外とロクな付き合いがなかったと言うことか。友人も、恋人も...まぁ恋人なんて日本で死ぬ最後までいなかったしな。逆にいたら怖い。
「あと非番の日だけど、何処に行くにしても鎧と兜、あと帯刀はしておけ!あと、人気のない場所にも近づくな」
はいはい、あんなもん見せられてそんな場所に近付こうなんて思いませんよ。
「うーん、あとそうだな...メシに困ったらうちに来い!嫁には言っておくって、俺の家も忘れたか」
おっさんは小さく舌打ちする。
なんか色々とすみません。
「まぁ、とにかくだ。今後困ったことがあったら俺に聞け!それと大丈夫だと思うが、一度病院に行って来い!」
「えっ?でもさっき記憶がなくなったのは周りに黙っとけって...」
「あーその先生は大丈夫だ。まぁ会えば分かるよ」
その後、家につくまでおっさんの言った言葉を頭で繰り返す。まだその病院とか、おっさんの家もまだ知らないのだけど、まぁなんとかなるだろ。
そして、石造りで出来た質素な家の前でおっさんは止まった。他に家も似たり寄ったりだ。
「着いたぞ、ここがお前の家だ」
「ありがとうございました」
「うんむ、今日も仕事だからしっかり寝ておけ!」
それでおっさんとも別れた。日本で死んですぐ異世界で仕事か。なかなかハードだわ。
頑丈な扉を開けると、そこはワンルームの小さい部屋になっていた。換気はあまり良くなく、少しカビ臭い。食べ物と思しきものは無く、仮眠室寝た時と同じようなベッドが隅に置かれている。服は乱雑に置かれていて、臭いを嗅ぐとやや汗臭い、そして自分の体臭の臭いが残っていた。何度か着て本格的に臭ってきたら洗うつもりだったのだろう。
風呂は勿論無い。その代わりに大きなゴミ箱サイズの樽に水が入っている。その横には小さい桶が置いてある。その水を使って体を洗っていたようだ。覗いてみて思わずうっ!っと顔を顰めた。そこには赤い糸クズのようなものがウニョウニョと浮いていたからだ。間違い、こいつはボウフラちゃんだ。だが水そのものから異臭はあまりしないし、それに量があるから入れ替えも大変である。自分は仕方なくボウフラちゃんをできる限り除去し、上部の方だけを掬うように水を桶に入れた。そして近くにあった手拭いを水に濡らし、それを絞ってとりあえず顔を拭いた。
「ふーっ!生き返るぜー」
どうして顔を拭くだけでこうもさっぱりするんだろう。他の部位を洗ってもこんな気持ちにはならないのに。それから自分は鎧や服を脱ぎ、手拭いで体を拭いた。桶に自分の垢が浮いている。それを窓から植物にかけるように捨て、そのままベッドで仰向けになった。光は窓から差し込む日差しだけだ。石造りのこの部屋は埃っぽく、そしてカビ臭い。でも、体はこれが自分の家である事を覚えているようで、不快感は全くなかった。
そして仰向けになりながら、ゆっくりと自分に起こった事を整理してみる。意識が戻った時のおっさんの顔、窓で見た自分の顔、月明かりに照らされる城壁、う◯この臭い、巡回、朝、そしてあの事件が起きる。後に仕事を終え、そして今、こうしてベッドの上で寝ている。
「リアルすぎん?」
それが最初に出た感想だった。この異世界は新鮮で、異国で、そして妙にリアルなのだ。
現実なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、自分がイメージする異世界とはあまりにもかけ離れている。転生したらスライムになっていたが、すぐに竜と仲良くなったり、脳内にこれまた都合よくチート能力を提供してくれるチュートリアルな声なんてものは無く、ジャージのままトラックに跳ねられたと勘違いしてショック死した後、パンツはいてない駄目神と一緒に奇想天外な冒険が始まる気配もない。ましてやアンデッドになって自分が遊んでいたゲームの世界で人類を蹂躙したりなど...
そこまで考えて自分は起き上がった。
そうか、ここに無いもの...それはチートだ!
まだほんの少ししか経って無いが、なんと無くそれは確定事項のようにも思えた。何故なら前にいたはずであろうもう一人の「自分」の感覚は微かに残っているからだ。その感覚が自分に訴える。そんな摩訶不思議アドベンチャーは無いと。
じゃあ、自分はどうしてここに来たんだろう?
意味は?目的は?
しばらく考えて急にアホらしくなった。
日本にいた時と同じだからである。人が存在する事に意味も理由もない。母の中に親父の種の最後の生き残りが必死になって卵に入り、母の中から出てきたのが自分である。それ以上も以下にない。
「...生きろって事なのかな?」
少なくとも死ぬ直前になって自分は後悔した。
それで神様が願いを叶えてくれた。
だが、目が覚めたらそこは異世界だった。
そこまで考えて思わず吹いてしまった。
「なんだ、チートじゃん」
劇的な力を手にれた訳でも無いし、スマートフォンで女の子に囲まれることも無いが、これもある種のささやかなチートだと、その時は思ったのだ。だって、ねぇ?普通は死んだら終わりだしね。
そう考えると、ちょっと気が楽になった。何より文明が後退した事で、あの日本では絶対にできない事もできる気がする。そう思うと心の中のワクワクが高ぶっていくのが分かった。
色々知り、色々見て、そして楽しもう。
そこまで考えて急に眠気と腹が減る。
勝ったのは眠気の方だった。




