プロローグ
大体十話程で終わる短編小説です。
自分は日本で死んだ。その事だけはよく覚えている。仕事から帰って風呂に入り、半額で買った惣菜を頬張り、それをチューハイで流し込みながら、ネットサーフィンをし、最後にアダルトサイトを少し見てそのまま寝た。
酔いも入ってすぐに意識は無くなったが、夜中に脳内でジュワッとした感覚を覚えて目が覚めた。いや、正確には意識はあるのに目を開けれなかった。だからその時、自分は妙にリアルな夢を見てるな、とすら思った。同じような事はたまにあったが、しばらくすると落ち着き、不安ながらも気にしないでいた。だが今度のやつはいつまで経っても治らず、ジュワジュワと脳内で熱い何かが広がる感じが長く続いていた。流石に怖くなって何とか目を開けようとしたのだが、無駄だった。
ああ、これは一体なんだ?
脳卒中?くも膜下出血?
最近、ずっと惣菜ばかりだったからなぁ...。
死ぬのかな?
そこで激しく後悔した事だけは覚えていた。
そして自分はおそらく死んだのだろう。
何故なら次に目覚めた所は、全く予期せぬ世界だったからである。
ーーーーーーー
意識はあり、記憶も鮮明だ。つまり、死ぬ前に培った最低限の知識はある。窓に映った自分は日本にいた時と同じ顔だった。ただ、ここにいた事の記憶は無い。見たところそこは稚拙ななろう作家が適当に小説で書いたような世界、すなわち異世界と思われるような世界だった。そこで自分はとある町の駐在兵になっていたのである。だが先ほど言ったように、自分の記憶はあの日本にいた記憶のみだ。高時給に騙され、足がもげる程歩く重労働を強いらされた後、寮に帰って寝るだけの日々が続いたクソな記憶しか無い。
だから最初は正直に言った。
ここは何処で自分は誰だと。
同僚っぽい大柄のおっさんは何故か大笑いした。
笑いながらおっさんは「今のは面白かった」と自分の肩を強く叩いた。どうやら冗談だと思ったらしい。それでもう一度、いや、本当に記憶(ここに居た)が無いんだけど、と言うと今度はちゃんと心配してくれた。何処か頭でも打っちまったんじゃねぇか?と。次におっさんが顔は大丈夫そうだなとベタベタ顔を触ってきた。ちょっとウザい。
言葉が通じるのは良かった。
何となくだが、ここには都合の良い神様など存在しないように思えたからだ。さらに言うなら魔法も存在しない様な気もする。とりあえずおっさんは自分を宿舎まで連れて行き、そこで改めて話を聞くことになった。
「ほっんとに記憶がないんか?」
自分が何度か首を縦に振る。
「俺のことも忘れたんか?」
うん、というか知らんのだけど。
「自分の事もか?」
まぁ、そうなるわな。
「こいつはたまんげったぁ!記憶喪失って言うんだっけか?本当にそんな事もあるんだなぁ」
おっさんは顎に手を当て、感心したように自分を改めて見つめた。
「すみません、そういう訳なんで色々と教えて貰えますかね?」
自分は申し訳なさそうに頭を下げた。
「うーん、そうは言っても何から話せばいいのか...名前も覚えて、ないんだったな」
「はぁ」
そう言うとおっさんは自分の名前を教えてくれた。勿論、そんな名前に見覚えはない。しかし、そう言うのならそれが自分の名前なんだろう。名前続きでおっさんも名を名乗った。自分の名前もそうだが、おっさんの名前も何処かで聞いたことある様な名前だった。
「じゃあ仕事も全部忘れちまったんか!?」
「はぁ、覚えてないですねぇ」
「馬鹿野郎!」
大声で怒鳴られた割に、振り下ろされた拳骨は優しく、痛みはなかった。普段からこうなのだろうか?
「まぁいいさ、仕事っても見回りが殆どだ。歩いてりゃすぐにでも覚えるさ」
そこで初めて自分の仕事が町の駐在兵。国から派遣された兵だと言う事を知った。なんでも良いけどまた歩く仕事なのか、と思うとうんざりしたのを覚えている。
それから30分ぐらいおっさんは色々と話してくれた。勤務中のはずだが、どうせ暇だから大丈夫らしい。
自分の生い立ちについてだが、身内はいないと言う。戦争で皆亡くなり、戦災孤児として育った後に徴兵されたそうで、なかなかハードな人生を歩んでいた。おっさんの方は言うまでもなく自分の上司に当たる上官だった。おっさんはずっと軍人の家系らしく、おっさんもお父さんもおじいちゃんも、そのひいおじいちゃんも...と言うか先祖代々駐在兵としてこの町を守ってきたと豪語していた。おそらく息子もおっさんの後を引き継ぐのだろう。
さて、いい加減仕事しねぇとな。と言うとおっさんは一緒に来い、と言って宿舎を出た。仕事内容は専ら月の明りぐらいしか見えない城壁を周回し、遠方を目視で確認、怪しい者や変な事が無さそうなら次の場所へと、2時間ほど巡回して休憩になった。とは言っても真夜中なので仮眠タイムらしい。本当ならば今日は自分が後休憩だったようだが、色々察してくれたのか先に寝てろ、と言われて休憩所に用意されたベッドで横になった。客観的に見てもおっさんは良い人なんだろうと分かる。ただ、いささか甘やしすぎとも思うが、それは下っ端が考えなくて良い事だ。靴を履いたまま、鎧は着けたまま。それでも自分はすぐ寝る事ができた。
まるで体がその習慣を覚えてるみたいだった。
そして、うっすらと周りが明るくなってきた時、おっさんが交代の合図を出してきた。ふぁ〜と大きな欠伸がでた。こんなにぐっすり寝れたのはいつぶりだろうか。
「おい、本当は記憶あるんじゃねぇのか?」
おっさんが疑うような目でこちらを見る。
おそらく記憶がない、と言う事以外で大きな変化がないからかもしれない。自分はこの世界でもおそらく「自分」だったのだろう。赤の他人に魂が乗り移ったとかそう言う感じじゃない。日本にいた自分と、この世界にいた自分の記憶だけが入れ替わった、そんな気がしたのだ。
(じゃあ此処にいた自分は何処へ行ったんだろう?)
当然、そう考えるよな。
日本に行ったとしたら、残念ながらもう生きてはいないだろう。自分が死んだ事は確実...いや、もしかすると助かったのかもしれない。ただそう思うのも、そうであったら良いなぁと言うふわふわした感想でしかない。それならば、もう一人の自分は、今頃病室で生きながらえているかもしれないのだ。罪悪感が少し和らぐと言うもんだろう。
「さっき見たいに適当に回ってくりゃ良いから!何かあったら起こしてくれ」
おっさんはそう言うと、次の瞬間には大きなイビキをかき始めていた。どんだけ?
仕方なく自分は言われたように、巡回を開始する。世が明けて改めて初めて見るこの世界と対面する訳だが...そこは何処か懐かしい感じがした。そして、紛れもなくそこは異世界だったのだ。
ーーーーーー
異世界と言っても、何故か白人の美男美女しかいない中世ヨーロッパ風のアレではない。どちらかと言うとこれはアジアだ。そう言えばおっさんも自分もこんがりと焼けた茶色の肌だった。そしてこの街並みの様子である。
「うーん、どっかで見たことあるような…」
どっかでとは勿論日本で、である。
だけどどこの国にも当てはまらない感もある。
強いて言うなら、インドとタイ辺りを混ぜ合わせた感じにも見えた。そして、独特の香しい香りがする。食慾をそそる方じゃなくて、下から出てくる方のアレだ。ただ、何処かで牛でも飼っているのかと思えば気にならない程度だ。
巡回を初めて2時間ほど過ぎた。辺りはすっかり朝になっている。だけどまだ人が出てくる気配は無い。鶏や猫をよく見かけた。
自分が5時間寝たから、おっさんもそれぐらいで起きてくるんだろうな、あと、この仕事いつ終わるんだろう、など考えているその時だった。
遠くから声が聞こえる。
おーいと言ってるようにも聞こえる。
それがだんだん近づいてくると、足音もはっきりしてきた。そして自分のいる城壁の真下まで来ると男は急いで梯子で駆け上がってきた。
「まただ!女がやられた!」
男は自分の名前を呼び、そう言った。
また?女?えっ?なんのこっちゃ??
「とにかく、ライカンさんを起こして現場に向かってくれ!!」
男はおっさんの名前を言うとまたすぐに下に降りて行く。えっ?あなたが先に戻ったら場所とか分からんのだけど。
「あのー場所は何処ですか?」
男は遠くへ戻ろうとしたので慌てて聞いた。
「川だよ川!とにかく早く来てくれ!」
男は興奮気味にそう答えると走っていった。
自分は仕方なく、おっさんを起こす事にした。
おっさんはまだ寝ていた。いびきが相変わらず豪快である。
「ライカンさん、起きてください。何かあった見たいです」
「ぐがーぐがーー」
おきねー!
「ライカンさん!ラーイカンさーん!!」
「なんだようるせぇな、起きてるよ」
嘘つけ!気持ちよくいびきかいてたくせに!
「さっき下から男の人が上がってきて、女がどうだの、場所を聞いたら川だとか...」
うん、自分でも何を言ってるのかよく分からん。
だが、おっさんはそれだけ聞いて飛び上がるように起き上がった。
「かぁああ!またか!これでもう今年に入って4回目だ!」
そう言いながらおっさんは慌てて準備し始める。
「あ、そういや記憶が無いんだっけか」
そうです。もし前の自分のままなら、自分もおっさんと同じように狼狽していたのだろうか。
「まぁ、問題ねぇだろう。どのみちもう荒らされているかもしれねぇ」
推理的な事を考えると川で女に何かがあった。
そして、これからその現場に向かう。
「ついて来い!」
おっさんは駆け足で持ち場から降りていった。