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アルセイン子爵(10)

 他領からの団体が一つ到着したのを皮切りに、続々と他の領地からの一行が町へやってきた。どの団体も、荷馬車に大量の物資を積み、先頭の役人らしき者が堂々と先導している。


 だが、その後ろを歩く移民たちの姿は、あまりにも対照的だった。


 皆、徒歩での入領だった。疲れた足取りで、口数少なく町に向かって進んでくる。荷物も自分たちで運んでおり、子どもを背負う母親や、杖をついている老人の姿もある。雨ざらしの旅装束のままで、靴底が剥がれている者もいた。


 まるで運ばれてきた物資のほうが大切だと言わんばかりの扱いに、胸の奥に鈍い怒りがこみ上げた。


 他領でどんな事情があったかは分からない。けれど、こうして新たな土地で生きようと覚悟を決めてやってきた人たちを、ただの負担として見ているのだとしたら――それは、間違っている。


 だから、私はその人たちを出来るだけ温かく迎え入れた。


 町の中心通りには、到着した移民たちが溢れかえっていた。今日一日で、二千人もの人々と、それに伴う物資が町へやってきたのだ。


 これだけ多くの人がいるというのに、通りのざわめきは不思議と静かだった。誰もが声を潜め、疲れきった表情を浮かべている。長距離の移動に体力も気力も奪われ、もう喋る元気すら残っていないのだろう。


 うつむいたまま、じっと座り込んでいる人々の姿は、どれも似通っていた。その光景を見ていて、ある共通点に気づく。


 皆、お腹を押さえている。


 耳を澄ませてみると、あちらこちらからかすかな腹の虫の音が聞こえてきた。まさか、何も食べていないの?


 慌てて地方官吏たちに声をかけ、各団体の移民たちの状況を確認してもらう。返ってきた報告は、耳を疑うようなものだった。


「移動中、ほとんど食事をしていなかったようです。二日に一度、小さなパンが一つ支給される程度だったと」

「こちらの団体も同様です。一日に一つ、ふかした芋が支給されていたそうです」

「うちも、まったく同じでした」


 愕然とする。移動の道中で、まともな食事さえ与えられていなかったなんて――。


 同じ元スラム、元難民として、彼らの苦しみが痛いほど伝わってくる。私が暮らしていた集落ですら、ここまでひどくはなかった。きっと、想像を絶するような環境で生きてきたのだ。そう思うと、胸が張り裂けそうになる。


「食事の準備はどうなっていますか?」


「はい。到着した物資を使って、すぐに調理を始めています」

「今日は二千人分なので、どうにか対応できますが……。これ以上人数が増えると、人手が足りていません」

「調理スタッフを増やしましょうか?」


 確かに人を増やせば、目の前の負担は軽くなる。でも、それでは根本的な問題は解決しない。


「いえ、人を増やすのではなく――予定通り、移民たちにも食事の準備を手伝ってもらいましょう。今日は疲れて無理でも、明日から実行するように」


 この町で暮らしていく以上、自分たちの食事は自分たちで作り、食べて、片づけるという生活を覚えてもらう必要がある。それができなければ、七千人にも及ぶ移民たち全員を、支え続けることなど不可能だ。


 もちろん、すぐにはうまくいかないだろう。これまで満足に料理をしたことがない人たちだっている。だからこそ、今ここで経験を積んでもらう。新しい生活を支える力を、一つずつ身につけていくために。


 今にして思えば、集落での生活は人が生きるために必要な最低限が詰まっていた。あの経験があるからこそ、自立への道が開かれて、人々は市民権を得て、町に住み始める。


 だから、私も同じようにみんなに自立の道を教えないといけない。私が教えられたように、この人たちも自分の力で生きていってほしい。


 ◇


「食事を配ります。順番に並んでください」


 配膳の準備が整い、通りに向かってそう声をかけると、静まり返っていた移民たちがゆっくりと顔を上げた。目を見開いたまま、しばらく動かずにこちらを見つめていた彼らの表情には、明らかな驚きが浮かんでいた。


 信じられない――そんな顔だった。


 本当に食事がもらえるのか、疑っているような、信じたいけれど怖くて動けないような、そんな表情。


「どうぞ、遠慮しなくていいですよ。まだたくさんありますから」


 そう声を重ねると、ようやく数人がそろりと立ち上がり、列の後ろについた。それにつられるようにして、他の者たちも少しずつ立ち上がり、静かに列が伸びていく。


 一人目の老女が差し出した手には、皺が深く刻まれ、指は痩せて骨ばっていた。スープの入った器をそっと手渡すと、彼女はしばらくそれを見つめたまま動かなかった。


「……これを、本当に、いただけるのですか?」


 震える声でそう言うのを聞いて、私は静かにうなずいた。


「ええ。あなたの分です。たくさん食べてください」


 その瞬間、老女の目に涙が滲んだ。だが、泣く暇も惜しいかのように、そっと一礼して、席へと戻っていく。


 子どもを抱いた母親が、手渡された芋を見て唇を震わせる。子どもに差し出そうとして、ふと自分のお腹をさすり、迷ったような目をする――けれど、次の瞬間には笑顔で芋を分けて、子どもにそっと口に運んだ。


 移民が並ぶ列は、やがて徐々に活気を帯び始めた。


 最初は無言だった人々も、少しずつ言葉を交わし始める。器を抱えてスープを飲みながら、「温かい……」とぽつりとこぼす声が、あちこちから聞こえてくる。


 笑顔とまではいかない。けれど、ようやく生きているという実感が、少しずつ戻ってきたように思えた。


 食事は命をつなぐもの。けれど、それ以上に、人の心を満たすものなのかもしれない。


 あの静まり返った通りが、今では湯気と安堵の息に満ちていた。その光景を見ているだけで、私の胸もじんわりと温かくなっていく。


 食べられる。それだけのことが、こんなにも嬉しい。


 それは、かつて私が集落で同じように感じたことだった。だからこそ、今日、彼らがそう感じてくれたことが、心から嬉しかった。


 配膳を終えたあとは、人々は固まって食事を始める。まだ戸惑いを隠せない者もいるけれど、少しずつ表情がやわらいでいく。湯気を立てるスープを抱えて、静かに頬を緩める。そんなささやかな変化が、あちこちで起こっていた。


 言葉はなくても、伝わってくるものがあった。


 ああ――この町に来てよかったと思ってもらえたのなら、ほんの少しでも未来に希望を抱けたのなら。


 そのために、私はこの町にいるんだと、改めて思った。


 寒さと飢えと不安の中、踏ん張ってここまで来てくれた人たち。過去にどんな境遇だったかは関係ない。ここから、また一歩ずつ生きていけばいい。


 今日の食事は、その最初の一歩。


 与えるだけではなく、共に手を動かし、支え合っていける関係を作る。そうして、彼らがこの町の一員として生きていけるようになるまで、私は導いていきたい。かつて、私もそうしてもらったように。

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― 新着の感想 ―
リルのこれからの指導力に目が離せない!!
移民を送り出す側からしたら、棄民ですし、食事出すだけマシなのでは?
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