131.出発前日(2)
レトムさんのところへ行った後はカルーのところへ行く。店の中に入ると今日はお客さんがいなかった。気兼ねなく奥へと進むとカウンターにカルーがいる。
「あら、リルいらっしゃい」
「こんにちは。明日コーバス行きの馬車に乗るので、挨拶にきました」
「そっか、とうとう明日になっちゃったのね」
早速本題を伝えるとカルーは寂しそうな顔をしてつぶやいた。楽しくおしゃべりをするのも今日で終わりだ、そう思うと寂しい気持ちが溢れてくる。でも、今だけはその気持ちを抑え込んで楽しくおしゃべりをした。
カルーに話すのは集落のことやクエストのことが多い。普段聞かない話にカルーは楽しそうに話を聞いてくれた。もちろん、カルーの話も聞く。カルーの話は商売のこととか、店主のこと、時々遊びにいく孤児院のことが多い。
今日も話題に尽きなくてお客さんが来ない間はおしゃべりして楽しい時間を共有する。でも、それももう終わりに近づいて来ていた。
「カルー、そろそろ行きますね」
「分かったわ、ちょっと待ってて」
そういったカルーはカウンターの下にしゃがみこんでごそごそと何かを取り出している。しばらく待っているとカルーが立ち上がって、何かを差し出してきた。
「はい、これあげるわ」
「これは、ハンカチですか」
「そう、ここに刺繍がしてあるのよ」
「カルーって刺繍ができたんですね、すごいです」
「まぁ、素人の腕だけどなんとか頑張ってみたわ」
ハンカチを受け取り広げてみると、端に花柄の刺繍が施されていた。よく見ると、その端にはメッセージが縫い付けられている。
「リルならできる、頑張れ」
「ちょっとでも落ち込むことがあったらこれを見て頑張ってもらえたらいいなーって思ったのよ」
「カルー……ありがとうございます! 大切にしますね」
プレゼントだ嬉しい! ギュッとハンカチを握ると笑顔でお礼をいう。カルーはちょっと照れ臭そうにしていた。
「そうして貰えると作ったかいがあるわ。コーバスに行っても頑張りなさいよ、でも無理はしないでね」
「はい!」
「もし、ホルトに戻ってくることがあったら絶対に顔を出しなさいよ」
「もちろん、その時は絶対に来ますね」
本当にカルーにはいつも助けられてばかりいたな。困った時は助けてくれたり、率先して先に動いてくれたりした。コーバスに行ったらこんなにいい人と仕事ができればいいけど、難しそうだ。
「じゃあ、カルー……行ってきますね」
「いってらっしゃい。気をつけて行くんだよ」
「はい、今までありがとう!」
「ふふ、こちらこそありがとう」
重たい足を動かして一歩ずつカウンターから離れていく。出入口のところで一旦止まって後ろを振り向くと、カウンターに座っているカルーと目が合う。そこで手を振ってみると、カルーも同じく手を振り返してくれる。
扉を開け、私はお店を出た。寂しくて店の中に戻りたくなるけど、我慢して扉の取手から手を離す。ありがとう、カルー。
◇
その後、また冒険者ギルドに戻った私は図書室のおじいさんにお別れの言葉を言い、それから待合席で座ってロイさんが来るのを待った。外はもう夕暮れになっていて、冒険に出ていればそろそろロイさんが現れる時間だ。
ホールが冒険者でごった返している中、私は出入口を見つめてロイさんの姿を探す。しばらく見ていると、ロイさんが冒険者ギルドの中に入って来た。すぐに立ち上がってロイさんに駆け寄った。
「ロイさん、お久しぶりです」
「おぉ、リルじゃないか。今日はどうしたんだ?」
「明日、コーバス行きの馬車に乗るのでお別れを言いに来ました」
「そうか、わざわざありがとう。受付はまだ混んでいるし、先に待合席で話してもいいか?」
「はい」
一瞬寂しそうに目を細めたロイさん、いう通りに待合席に戻って会話をする。
「馬車で行くって言ってたけど、準備とかもう終わったのか?」
「はい、準備万端です。食料と寝具があれば馬車の旅ができるそうです」
「もっと色々いるんじゃないかって思ってたけど、案外身軽でいけるもんだな」
「マジックバッグがあるから身軽でいけるのはいいですね。食事が昼食しかでないから、朝と夜の分が必要なら自分で用意しないといけないんですよ」
「食事の問題もあるのか。馬車の旅も楽じゃないな」
馬車の旅で必要なことを話すとロイさんはそんな感想を言った。必要なものはあるけど、それさえ用意できれば馬車の旅も簡単にいける。問題は馬車の中での過ごし方なんだけど、景色を楽しむくらいしか時間を潰せない。
「馬車っていうからにはずっと座っているんだろ? 結構大変そうだな」
「そうなんですよね、ずっと座っているのが大変だと思います。以前の馬車の旅は外を出歩けましたから良かったですけど、今回はどうなるか分かりません」
「自分の足で歩いて他の町に行くのも難しいしな。その辺りは我慢しないといけないな」
一人で他の町に行くよりは大勢で町に行ったほうが安全だろう。しかも、その馬車には護衛もついているから危険度はグッと下がる。お金はかかっちゃうけど、馬車にしといて良かった。
「新しい町に行くんだから色々と気をつけていけよ。大きな町だから色んな人がいるわけだし、変な連中もいるかもしれない」
「そこが不安ですよね。知っている人もいないから全部自分の力でやっていかないといけないですし、困ったことがあっても気軽に助けを求められませんしね」
「リルはまだ子供にしか見られないから心配だな。いいか、無暗やたらに誰かに優しくなんてするなよ。警戒心を持って接するんだぞ」
「気を付けますね」
「本当に大丈夫か? なんだか心配だな」
すごく心配してくれて嬉しい。警戒心を持ってか、それくらい注意しないといけない場所だったら大変そうだ。
「まぁ、リルのことだからしっかりしているとは思うんだけどな。そろそろ、俺は行くよ」
「はい、ロイさん元気で」
「おう。その内、俺もコーバスに行くかもしれないから、その時はよろしくな」
「その時を待ってますね」
席を立ったロイさんは爽やかな笑顔を浮かべて手を振って数が減った列へと並んだ。私も手を振ってロイさんと別れ、冒険者ギルドの出入口へと向かう。さっぱりとした別れ方で私の足取りは軽かった。まるでコーバスに行くのが楽しみになってきたみたいだ。
◇
町で夕食をとって集落へと戻ってきた。集落へ辿り着くころには日が落ちた頃で辺りは薄暗くなっていた。それでもまだ人は起きているのかあちらこちらから話し声が聞こえてくる。
その中を歩いて進み、自分の家まで辿り着いた。強い風が吹けば壊れてしまいそうな掘っ立て小屋、その中に入ると自分の着替えが干してあり、地面むき出しの床が見える。隣の部屋を見てみるとベッド替わりの枯草の上にシーツを敷いただけの場所とゴザがあった。
これが自分の家、明日になればお別れになる家だ。前世を思い出した時からこんな家に住むなんて嫌だと思っていたが、いざ別れるとなると寂しいものがある。住めば都、とは言わないけれどそれなりに愛着を持ってしまった。
辛い思い出もあったけど、もう過去のものになる。これから前を向いて歩いていくから、辛い思い出はここに置いていこう。新しい自分になってこの家を出て行くんだ。
新しい日々の始まりに楽しみな気持ちと少しだけの寂しさを感じずにはいられなかった。