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しらかば荘の住民たち

作者: inh

気付いたらフラれていた。

ダメな人ね、と相手のほうから突然打ち明けてきてどうしたらいいのか、なんてよりもはるかに、頭は真っ白だった。高校時代から数えて三年。春一番はあっさりと吹いて去った。そのあとちょっとふさぎ込んで、そうしてなんだか急に、身を固めたい気持ちになってきたものだから、まわりのもの全部捨てて新しい場所へ行こう。そう、思っていた。

再び気付いたらアパートメントの一室に越してきていた。

やさしい大家さんに心救われているものの、アルバイト三昧の風来坊となっていた俺は今や通っていた大学を休学している身だ。社会不適当な人間だと言われても否定しようがないだろう。しばらく両親や友人の顔を見てもいない。両親は疎遠な時期が長かったこともあって、手紙なんて来ないし、わざわざ顔を見に来ることもなかった(そもそもが引っ越し先を知らないからである)。友人からの連絡もなかったが、この電話に至っては大学に休学届けを提出した日、携帯端末をふたつに折り壊し川に投げ捨てたので音沙汰なくて当然である。じつは一度でいいから、端末をめちゃめちゃにしたかったので、それならせっかくだからとメモリも犠牲になってもらった。ひとこと付け加えておく。折るだけで手間がかかる上、疲れるので一時の感情でやらないことをすすめておこう。そんな物好きとは、気が合いそうだ。

さて、果たしてこんな状態でずっと生活するのだろうかといまさら怖くなってもいるのだが、とんと見当がつかない以上、ただ下手な人生に従って生きるほかないのだと俺は観念していた。

壁掛けの時計を見つめてもうすぐバイトの時間だと考えた。

バイトするか寝るか飯を食うかの一日スケジュールは、学生よりもほんの少ししか違いを感じておらず、むしろ大学へ行って講義を受ける時間が働く時間にシフトしただけで、講義よりも疲労が加算されていた。ぼんやりしていてもろくなことしか頭に浮かんでこないので、少し早いが出掛けようと紺色の上着を羽織り、冷たいドアノブを恐る恐るまわして玄関を出た。


§§


新しい住居は近所でも評判のところで、かといって特別人気があるでもない、普通に古いアパートなのだが、何が噂なのかというと、

「おうKさん、バイト終わりか」

「あ......大家さん、今晩は」

アパートの入り口に立って、威勢よく手を挙げている大家さんは、毛深過ぎる手にスーパーの袋を提げていた。質量のある袋の中には、明らかに魚のパックがごろごろと入っている。多分、全部鮭だろう。

「毎日たいした野郎だな、酒癖も悪くねえしよぉ」

偉い偉い、と空いているもう片方のこれまた毛深い手で、わしわし、と頭をなでてくる。その「なでる」というよりは、ぐしゃぐしゃと髪を引っかき回しているような、あるいは豪快に頭を押さえ付けているそれは、手中におさめた獲物をこれからどのように料理しようかもてあそばれているような心境になる。そう思って少しばかり冷や汗をかいてしまうが、そんな弱肉強食の世界とは裏腹に大家さんは、頭から手を離しスーパーの袋の中に突っ込むと、おもむろに値引きの赤いシールが貼られた魚のパックを差し出して「褒美だ」と言って渡してくれた。焦りを隠しつつ、礼を言うと嬉しそうにひどく低い声で唸り、ニカッと立派な歯を立てて笑い、先にアパートの中へずしずし帰っていった。その時小さくて茶色い尻尾がちょこちょことかわいく揺れている背中をみた。ヒグマ育ちの大家さんは、まるでヒトのようであった。大家さんの背中を見送り、視界を上げるとアパートの壁にかかれた「しらかば荘」という文字が静かに夜空とならんでいて、期待と心細さとが一緒になって胸を打ち、白い息が吐き出され消えていった。不器用でも、ダメ人間 でも、これからどんな人生を送るのだろう。不思議と緩む口をおさえようと視線を下ろせば、活きのありそうな鮭がパックの中で自分を見つめていた。

2013年に書いたものです。

Kの名前が伏せてあるのは、某有名作品に憧れたからと、名前が特別重要ではなかったからという理由です。

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