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08 善意ではなく、悪意を持って



「そういえば、どうして今日はいつもの庭ではなくこの書斎だったのですか」


 ドロリア先生は、地図をしまいながら首をかしげる。そういえばメイドも庭の準備ができてるとか言ってたっけ。


「駄目だったかしら?」

「いえ、学びに場所は関係ありませんから!けれどお嬢様とはいつもあの庭の温室でしかお会いしたことがなかったのでこちらの屋敷に案内された時は少しだけ驚きました。もしかして解雇を宣言されるのではとお会いするまで内心怯えていたぐらいです」

「そんなことしたりしないわ。人をクビにできるような権限が私にあるわけないでしょう?」

「お嬢様にはありますよ。なにせあのパパラチア家唯一のご令嬢なのですから」

「そういえばそうだったわね」


 まぁそれなりどころかこの国で四人だけの領主である公爵の娘なんて確かに権力振るい放題かもしれないけれど、残念ながら父が私の言葉を聞く日なんてあるはずない。

(それにしても温室、ねぇ……)

 まだ屋敷の中しか探検していなかったけれど、確かに母だという人の肖像画の背後の景色には薔薇が咲き誇っていたし、庭の窓から確かに光るガラスの建物が見えてはいた。きっとがあれが温室なのだろう。


 ライア・パパラチアは、その場所が好きだったのだろうか。


「初めてお会いした時もお嬢様はこのお屋敷の庭でただ空を眺めていらっしゃいましたね」

「そうだったかしら?」

「えぇ。なんて色のない瞳をするのだと胸を締め付けられた記憶があります。ですからお嬢様が自主的に自分のために学ぼうとしてくださることが本当に嬉しいんです」

「……目的は褒められるようなものではないですけどね」

「そうですか?自分が自分らしく生きる為に知識を使うことは素晴らしいことだと思いますよ、私は」


 この先生と話しているとなんだか毒気が抜かれる。盲目になって誰彼構わず救おうとしているのだとしたら偽善者と同じくらいタチが悪いが、一線を超えて踏み込んで来ようとはしないから会話がしやすい。引かれた境界線の向こうでじっと座り込んで持久戦で相手がこっちに来るのを飢えても待つ忠犬みたい。

 こちらを尊重しつつも、自分の意見は絶対に曲げない一番面倒で、けれど好感のもてるタイプ。


「けど、よろしかったのですか?」


 なにがです、そう問えばドロリア先生はくすりと目を細めてまるで小さな道端の野花を愛でるかのような優しさを声に乗せた。


「あの少年がまた来ていらっしゃいましたよ」

「少年……?」

「いつもお嬢様に会いにきていたあの少年ですよ」


 残念ながら私はそのいつもを知らないの。

 この先生、よくよく思うけど私の嘘をさらりと流す部分があって深く話を聞いていない。記憶がないって言ったの、やっぱり信じてないのね。いや、覚えてないだけ?別にいいけど。


「あまりにもいじらしいものだから私も彼の顔を覚えてしまいました」

「そんなによく来ているの」

「ええ。それはもうほぼ毎日のように。てっきりお嬢様もあの少年の事が気になってあの場所を動かないのだとばかり。いつも話しかけはしないのにその背を視線が追っていましたよね」

「……興味ないわ」


 というか完全に毎日家に来るってストーカーじゃない。ストーカーは変にアクションを起こすと認知してもらえたとさらに悪化するのよ。こういうのは無視するのが一番……ってこれストーカー心理じゃなくてめんどくさいファン心理だった。今のは嘘じゃなくて単純な勘違い。


 どちらにしても反応を返してあげるほど私も暇じゃない。知らなければいけないことは山ほどある。別に元の世界に帰らなきゃいけない願いも理由もないけれどこの世界で生き抜くには私はあまりに無知すぎる。

 力をつけなければいけない。目下知識の充実が最重要課題である。

 他のことにかまけてる時間なんてない。見ず知らずの相手に理由もなく微笑むほど私は善人でも天使でもない。







……はずなのだけれど。




「何をしてるの」


 ドロリア先生が次回までにカリキュラムを立てて私の知りたいこと効率的に教えられる資料を用意しておくということで、次の日程を決めてその日は解散となった。本当なら今すぐに学びたかったのだけれどところがどっこい大きな大きな問題が発生、なんと文字が読めなかったのだ。流石に先生もそんな幼児向けの本は用意していなかったのだから仕方がない。

 とりあえず馬車に乗る先生を見送った後、また散策を続けるかと庭に通じる中庭に出たところで何やら声が聞こえて来た。

 もちろん無視する気満々だったのだけれど、あまりの声の大きさのせいで言い争いの内容が全部届いてしまったのだ。


 別に助けたいわけじゃない。本当にただの気まぐれ。それ以上の理由なんてなかった。


 ただ善人を気取った人が死ぬほど嫌いなだけ。



「こんな昼間に人の家の庭先で何を声を荒げているのかしら」


「ら、ライアお嬢様……!?」

「あら、その格好……お父様の護衛の方かしら。なんだ、あまりにも品位のかける声が聞こえていたからてっきり浮浪者でも迷い込んだのかと思って怖くなって見にきたの。よかったわ、ならず者じゃなくて。初めてお会いする方かしら?見覚えがないのだけれど」


 中庭に降り立った私に、鎧を纏った大柄な男はその手に持った荷物を慌てて放り投げてその場に片膝をついた。芝生の上を転がった肉袋はゴロゴロと二回転してとまった。

 げほげほと咳き込む姿に騎士は声もかけずただこちらに忠誠を示し続ける。


「初めまして。ライア・パパラチアです。いつもお屋敷を守ってくれてありがとうございます」


 態とらしくワンピースの裾を持ってお辞儀を一つ。


「いえ、これが仕事ですから!俺は、いえ、私の名前は……!」

「あぁ、いいわ。別に名乗らなくて。私は馬鹿だから人の名前を覚えられないの。聞いても時間の無駄だわ」


 あたふたと同様のまま大声で名乗りを上げようとする男の言葉の先を潰す。

 にこり。天使の容姿で微笑めば騎士は愛想笑いを返す。なんて不恰好で、いやらしさの滲む笑みなのかしら。逆にすごいわ。絵に描いたような下町の呑んだくれた騎士のよう。


「それで、さっきから何を騒いでいるのかしら」


 何も知りませんとこてんと首を傾げれば騎士はまるで敵将の首でも取ったかのようにその戦果を自慢し始める。


「こ、この子供が勝手にこの家に入り込んでいたので追い出そうとしておりました!」

「まぁ、そうだったんですね」


 掌を合わせて唇にあてる。


「なるほど。そんな小さな子供を追い出すのに何発を殴って蹴って暴言を浴びせなきゃ家の警備という任せられた任務を遂行できないほど貴方は力のない騎士なのね。お父様に言わなくちゃ、もっと仕事のできる方にしてくださいって」

「あ、いえ、そんなことは……!」

「違うの?そうすると貴方は仕事中に子供に必要のない暴力を振っていたということになるけれど、それはそれで騎士という立場の人間としてどうなのかしら。私が絵本で読んだ騎士は誠実さと秩序と正義を重んじていたけれど、実際の騎士は子供に手をあげることが仕事なのだとは初めて知ったわ。私って本当に馬鹿ね、知識が足りなくてごめんなさい。たった今覚えたわ」


 私は笑ったのに、男は笑わなくなった。


 男の顔から血の気が失せた。真っ青になった顔色を心配する言葉を口にすれば体格に似合わない引きつった声が上がる。私を馬鹿にしていた目つきの奥に確かな恐怖が色づくのをただ見つめた。


 嘘つきの頭のおかしいお姫様なんて都合よく出世のために使ってやろうって思った?


 先ほどまでの罵声、全部聞こえてたわ。

 生きる価値がないだとかゴミ屑だと、か本当に自分の立場を棚に上げた貴方の立派な大人としての説教の数々。

 感銘を打たれた子供として教本のように先ほどまでの男の言葉を繰り返してみせれば男はまるで鯉のようなはくはくと口を開けては閉じた。

 さっきみたいな大声で言ってくれなければ聞こえないわ、そうお願いしたのに男は何の音も紡ぐことはなくただその場で生まれての子鹿のように震えただけだった。


 でも知っている。この男は自分の行動を悔いているわけではないことを。その証拠に未だ咳き込む子供の方に一度たりとも視線を向けない。


「あぁ、やっぱり人の名前を聞かないのは失礼よね。先程はお断りしたけれどやっぱり名前を教えてくださるかしら?今なら貴方の名前を覚えられそうなの」

「し、失礼します!」


 男は名乗りも上げず、走り去っていった。


 私に貴方をやめさせる権利なんてあるわけないことぐらいこの家にいたらわかりそうなものだけれど、大人は立場というものにひどく弱い。本質というものを見抜く目は成長とともに衰えてくる。相手側も立場を持つからだ。守るものができると人は臆病になる。それが人生を支えるものであればあるほど、彼らはそれにしがみつく。

 私を馬鹿にして見下しているくせに、思い出したかのように権力に怯える。もしかしたら、そんな僅かな可能性に呑み込まれ一人で自滅する相手ほど騙しやすいものはない。

 別に他人から何を言われようが傷ついて枕を濡らすような繊細な心なんてはなから持ち合わせてはいない。だからこんな男どうだって良かったのだけれど、まぁスッキリしたからよしとしよう。


 完全に姿の見えなくなった騎士にため息をついて、くるりと半回転し歩き出す。そしていまだ地に付す肉の塊の前にしゃがみ込んだ。



「それで貴方は何しにここにいるのかしら」


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