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07 少女の役割



「たった一人の跡継ぎが虚言癖のあるイかれた娘なんて、それはお父様も私のことを隠したくてたまらないでしょうね」

「ーーーっ」


 どうして、といいかけたドロリア先生の言葉を人差し指を口元に当てることで封じる。


 わからないはずがない。そこまで馬鹿な子供であったつもりもない。

 こんな隠すつもりもない真実ぐらい、この家に住む誰もが知っている。私を内心見下すメイドも、視線を合わせない騎士たちも、娘を愛さない父親もーーーそしてライア・パパラチア本人も。

 大人はいつだって矛盾してる。勉強しろと言いながら余計な知識をつけることを面倒だと思っている。賢い子供が欲しいんじゃない。誰もが自分に都合のいい子供が欲しいのだ。

 それは世界でも、日本でも、知らない異世界のこの国だって変わらない。


「簡単な話よ。父は私に何も望まなかった。ただなにもするなと仰った。私自身に価値はない。あるのは付属品ではなく中身だけ。こうして先生を用意するのも私の知識を深めるためではなく外に出して恥ずかしくない娘でなくてはならないから。既に嘘つきの精神疾患患者扱いされているんですもの、頭ぐらいはよくないと困るのでしょう」


 男も女も腐るほどいる世界でそれでも私たちは相手を選ぶ。たった一人と嘘をついて、いくらでも変わりのきく都合いい相手を選択する。

 そうしなければ人が地球の主人でいられなくなってしまうものね。


「でなくては嫁入りーーーいえ、優秀な跡継ぎが望めないから」

「……お父上様は、お嬢様の幸福を望んでおられます」


 学生にとってのガラスの靴たるローファーではない、履きなれない高いヒールが足音を彩る。

 足のつかない椅子から立ち上がり、背骨を伸ばした私は躊躇うことなく閉じられていた部屋の窓を開けた。

 青空の美しさに目を細め、ふっと息を吐いて先生に向き直る。風がふわりと髪を弄んだ。


「そうね、中世の貴族のようなこの停滞した世界での女性としての自由も尊厳もない籠の中の鳥と同じ、飢えず喰われず空も飛べない将来を与えようとしてくれているのでしょうね。私を心の底から愛してくださっているから」


 愛なんて、一番利己的な嘘だわ。


「籠の鳥は幸せね。自由に空舞う羽を声も届かず折られ空を見上げるだけで生きていける。なんて幸福なのかしら。雨に打たれず、日差しに負けず、雪を背負わず、雷に怯えず、仲間もいない場所でぬくぬくと生きていけるのですもの。きっと鳥達も泣いて感謝しているわね」


 ありがとうございます、ありがとうございます。

 その首を垂れて鳴いているわ。


 幸福をうたう私に、先生の顔がくしゃりと歪んだ。この人、こんなに情緒豊か大丈夫なのかしら。


「ねぇ先生?」

「はい、なんでしょうか」

「私の将来を占ってくださる?」

「残念ながら占術の才能には恵まれませんでした」


 占術。胡散臭いことこの上ないがこの世界にはそういった技術もあるのか。


 占いなんて迷信で都合よく未来を可能性なんて言葉で捻じ曲げる。だから私は占いが好き。本物も中にはいるのかもしれないが、私あったことがないからわからない。だからこそ思う。あんなに嘘をついて怒られない職業もないな、と。

 統計学、なんて都合のいい言葉で誤魔化して未来を決めつける。誰を統計したの?その人の死ぬまでを四六時中追いかけて調査して決めたの?なぜ手の皺で未来を決めつけるの?確率を運という言葉で誤魔化しただけでどうして簡単に信じるの?

 もちろんそれを生業とする彼らには彼らの主張があるのはわかっている。膨大なデータとサンプルの結果から導き出した答えだ。彼らはそう主張するだろう。それはいい。主張は誰にでも認められるものだ。けれどそのサンプルの正確性も理論も占われる方は知らない。一部の本物と大多数の偽物でこの世界はいつだって回ってる。それを知ってるくせに、人は愚かしいほどにその言葉を根拠もなく信じるのだ。そんなの盲目に行われる政治と同じぐらい怖いわ。

 未来の可能性も今のあなたも血液型占いも星座占いも心理テストも私に言わせればぜんぶ嘘。未来も現実も人生も、全部嘘からできている。


「では私の質問に答えてくださる?」


 先生が頷くよりも早く、問いかける。


「この国に学校はありますか」

「はい。学び舎は少なくないですが、一番大きく有名なのは王都にある全寮制のものです」

「そこに貴族、そして女性も入学可能ですか」

「主に学校に通うのは貴族及び一部の優秀な一般市民です。学費を払える、もしくは免除されるものは限られますので。名のある貴族たちはほとんどそこを出ています。女性ももちろん入学可能です。白付けとしてこれ以上の場所はありませんから」

「この国の女性の適齢結婚年数は」

「16歳です」

「私に婚約者はいるのかしら」

「以前はおられましたが、現在はいらっしゃいません」

「決まりね」


「私はその箱庭を卒業し、父の決めたその学園の誰かの子を産む」


 女の権力がこの世界でどこまでのものなのか。まだ知らないが私に望まれているのはただ一つ。良き娘であることでも良き人であることでも良き母になることでもない。

 ただ次代に紡ぐこと。


 出産は命がけだ。医術の発展が進んでも子を産むことのリスクはゼロにはならない。文字通り命をかけて子供を産む。

 きっと皆拍手喝采で新たな命を喜び尊ぶだろう。私の屍の横で年代物のワインを開けるかもしれない。日本のクリスマスのようにただ騒ぐ場を求めて神にも祈らず彼らはきっとターキーを食べる。


「愛のない結婚をして、愛のない結晶の子を生み、屋敷という箱庭を棺桶にする。そうしてただ檻の中で死んでいく。飢えず、寒暖に晒されず、温室の花ように育てられ出荷され枯れるのを待つ。なんて苦しみのない舗装された素晴らしい人生なのかしら!」


 先生もそう思うでしょう?

 ーーーだって、幸福が約束されているのだから!


 私の問いかけに先生は口を噤んだ。まるで針千本飲まされたように苦渋に歪む顔は、それでも美しいドラマの俳優のようでやっぱり美形は得なのだと改めて実感する。


 この人は、理想に生きるくせに人に夢を見過ぎている。人を切り捨てて心すら捨てて利用しつくし自分の望むものを掴めばいいのに、ドロリア先生はそれができない。

 誰かのために学びを深めようとする彼は、見も知らない誰かのためにすら心を痛めるのだろう。それこそ嘘つきだと後ろ指を指されるライア・パパラチアという恵まれながらも選択肢を奪われた一人の少女の為にも。


「先生、私には夢なんてないわ」

「……はい、存じております」

「それでもね自分らしく生きることを曲げるつもりだけはないの。私は自分が好きよ。この世で一番私を愛してる。嘘つきな自分を、私らしく生きる私が何より大好きなの」


 ライア・パパラチアがどうから知らないけれど、私は誰かのために自分を押し殺すなんて死んでもごめん。


「だから私に力を頂戴?」


「嘘をつくために、全てを欺くために必要な全てを私に教えて。知識も経済も計算もそれこそ魔法だってありとあらゆるものを使って私は戦うわ」


 そのために必要なものは泥水を啜っても手に入れる。血が滲むほどペンを持ち、溺れそうなほど数字を刻もう。知らない言葉を吐き続け、それでも最後は笑って見せよう。嘘つきである為の対価ならばいくら払ったって構わない。


「その為に私は先生を利用したい」


 差し出した手に、返されたのは瞬き一つ。

 またドロリア先生の眉が八の字に下がったけれど、そのにやつく口元のせいでイケメンが台無しだった。ふにゃりと整った顔のパーツが緩む。この顔をさせたのは私かもしれないけれど、これは完全に先生がおかしい。

 この人、絶対悪女に騙されて大金を騙し取られるタイプだ。12歳の少女にすらこんな顔をしてしまうのだもの。これがもしボンキュッボンのドロリア先生の好みの女性だったら下手したら家督すら投げ捨てるかもしれないぐらいにはこの人は馬鹿だ。本当に、馬鹿みたいに人のことを思ってしまう人だ。


「……少しだけ、驚きました」

「驚く?」

「お嬢様が外の世界に自主的に目を向けることなんてありませんでしたから」

「そうだったかしら」

「えぇ。いつも傷ついた目で耳を塞いでいらっしゃったからこそ、私はお嬢様にこの世界は素晴らしいって思って欲しかったんですから。他人を幸福に導いてこその、幸生学です。お嬢様にこの世界の素晴らしさを伝えることが私の今一番したいことです!」

「ではよろしくお願いしますね、先生。できればこのことは父にはご内密に。勿論家の者たちも含めて私たち二人だけの秘密ですよ」


 わかりました、先生は締まりのない顔で頷いた。


「ですが一体どんな心境の変化です?」

「最初に言ったでしょ?記憶をどこかに落としてきたのよ。多分今頃朝食に私が残したパセリと一緒にゴミ箱に捨てられてるわ。探してきたら見つかるかもしれないわよ」


 先生は腹を抱えて笑った。


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