06 ここはロザリアット
「我がロゼリアット帝国は大きく四つに分かれています。正確には五つ、なのですが」
図書館と呼べるほどの蔵書を抱えた部屋のテーブルに見たこともない地形の絵図が広がる。
(社会科で覚えた世界地図はなに一つあてにならないのね)
見覚えのない地形。
日本なんて小さな島国の跡形もない。どこまでも広がる広大な陸地と海はまるでゲームのマップのように現実味のないものだった。
「この地は中央の王家の住む都市を含める形で東西南北の四つに分かれています」
「ピザのようなわけ方をしてるのね。こんなにまっすぐ線を引いて分けるなんて」
「王都であるキルリヒア、この中心ですね。その領地すらも四つに分けているのです。実際国の全ては王のものですが、王は直轄の領地の所有はありません。そのためこの国は正確にはこの首都を含め五つですが、土地のみで分けた場合には四つと数えられます」
なるほど。この国で王とは謂わば教皇のようなものなのだろう。象徴として王冠を頂き、座する人柱。全ては王のものであり、王は人である。聖域はその周りに捏造される。
なんて綺麗で耳障りの良い、都合のいい言葉。
一番力があるなんて嘘っぱちだ。軍隊がいようが武力があろうが王は玉座に縛り付けられた供物だ。ただ国のために生きる部品の一つ。
王が自分自身のために生きれば悪政だと淘汰される。金銀財宝と権力に溺れ、この世の春を謳歌した代償に首を落とされた彼らは一体なんの罪があったのだろうか。神輿の上に乗せられて神に祈り続けた聖職者だって結局は神々の威光を濫用した。
人は愚かだ。
力があれば溺れるし権力があれば驕る。それが人間だ。
なのに国民たちは王にだけそれを許さない。貴族の生まれを羨みながら王にだけは牙をむく。いつだって王政を打ち砕くのは被害者面をした無責任な国民たちだ。
「王に仕える四大貴族、そのそれぞれが彼の地を納めています。王は全ての頂点であり、この国の所有者でありますが実質土地を収め統治しているのは王の懐刀とも呼べる彼らです。今から1000年前の最悪を齎す災いを遠ざけ平和をもたらした王を守護した四人の血縁者が今もその立場を受け継いでいます。お嬢様のお父様も、その一人です」
「災い?」
「寝物語としても広く知られています」
この国では誰もが知っています。そう前置きしてドロリア先生は優しく子守唄のように物語を紡ぎ始めた。
「あるところにとても大きくて海に囲まれた一つの国がありました。その国の王は鏡の中の化け物に呑まれ、悪い王と成り果ててしまいました。人に手を挙げ、妃も信じず、国民を悪の手先だと次々牢獄に閉じ込めてしまいました。誰もが涙を流しましたが、王を止められる人はおりませんでした。
そんな中、王の兄の息子はたった一人で立ち上がりました。剣を持って声をあげ、ニ本の足で立ち上がる。
そんな王の元に集うは四人の仲間。一人は剣を持ち、一人は杖を持ち、一人は知識を持ち、一人は祈りを持ち。一人の少年の矛となり彼らは力を振るいました。ついに少年の剣は化け物とかした王の心臓を射抜き、化け物は王とともに滅びました。
『誰もが幸せになれる国が欲しい』
少年は自身の願いを叶えるために王座に腰掛けました。そんな王を支えるために彼らは力を振るうことにしました。そうして王と四大貴族が生まれたのです。彼らはいつだって私たちの生活を守ってくれるのです」
おしまい、とピリオドの打たれた童話に私は瞬きを多くするしかなかった。
「まるで夢のようなおとぎ話ね」
本当に、夢のように都合のいい側面しか見ていない物語だこと。
確かに子供に言い聞かせるにはもってこいだ。勝者がいつだって歴史を歪めることを小さい頃から学べるいい教材だ。小さい頃から物事の本質を見極める目が養えること間違いなしだ。
「ではその物語の血族が今尚国を治めている、と」
「はい。その血は絶えず現代に受け継がれています。勿論その役割とともに。北のスタイライト、西のタンザニル、南のクロンゼリアーーーそして東のパパラチア。王とこの四つの均衡がこの国を支えているといっても過言ではありません」」
「……祝福と言うより、まるで呪いね」
王を支える方角ごとに区別された貴族のトップ。侯爵と呼ばれるピラミッドの鋒で血族を守り、地位にしがみつき、保たれた裕福な暮らし。
世襲制の守護者としての役割。その最たるものは王を守ることではない。王を殺さないことだ。でなければ自分たちの恵まれた今も壊れてしまうから。
「ねぇ先生。一つ尋ねてもいいかしら」
「なんなりと」
「私に兄妹はいるかしら。相手が正妃かどうかは問わないわ。勿論血の濃さも」
地図を睨みつけながらの問いかけに、ドロリア先生は少しだけ言葉を選ぼうとしてやめた。
「いらっしゃいません」
「本当に?」
「はい。妃、今は亡き奥方様はお嬢様を産んですぐお亡くなりになりました。それ以降お父上に浮いた噂はなく、血縁者を名乗るものが現れたこともありません」
まぁ、愛してなれけばこんな棺桶みたいに時の止まった停滞した牢獄が生まれるはずもないか。
この家から伝わるのは確かな執着、そして愚かしいほどの愛。止まった時間の中で、誰もライア・パパラチアの成長には目を向けない。愛することは素晴らしい。こんなに歪んでも愛の名の下ならどんな行いも許される。
一人の少女をその言葉の重圧の下敷きにしたとしても、だ。
「では、父が養子を取った場合はどうなるのか。結論だけ教えてちょうだい」
「お嬢様の立場が害されることはありません。その場合にも領地の長になることは不可能です。この国は何よりその血の正当性を重要視します。それにパパラチア家には血縁者が一人しかいないことはすでに国全体の周知のことです」
「では私はその四大貴族にして東の領地を収めるパパラチア家の唯一の後継者。いずれ私が父の後を継ぎ王の守護の座につく……それであっているかしら」
「はい、その通りです」
私はそこでようやくドロリア先生の目を見つめ返した。先生のブラウンの瞳に映るドレスを纏った天使の笑みのなんと無邪気なことか。
あぁ、本当にこの身は美しい。まるで無垢の清らかさの服を着たような人離れした美しさはそれでも確かに人の身に宿った。
「なるほど。私はただの胎盤なのね」