04 家庭教師
「ライアお嬢様」
可愛らしい、小さなノックが二つ。
「どうぞ」
メイドに連れられてやってきたのはまだ年若い一人の青年。青年は開口一番に笑顔を見せた。
「お客様をお連れいたしました」
「そう……いい匂いね」
「本日の紅茶は領地で取れたハーブティーとマドレーヌをご用意いたしました」
「ありがとう、貴方はもう下がっていいわ。こちらの方と二人きりにしてもらえる?」
「かしこまりました。御用があればこちらのベルを鳴らしてお呼びください」
お茶の準備を終えたメイドには退出をお願いすれば、なんの文句も言わずに一つの金色のベルを置いて名も知らぬ女性は去っていった。
本の独特の紙の香りに包まれた部屋の中に二人だけ取り残される。
「どうぞ、こちらにお座りになって」
「ありがとうございます」
案内されてきた青年は舞台役者のように態とらしく、胸元に当てて頭を下げた。
細いフレームの眼鏡をかけた、如何にもな好青年だ。少し悪戯好きそうな笑みも夏の訪れのような爽やかな容姿のせいで気にならない。高い位置で一つに括られた、流れるような美しい初霜の如き無垢な白の髪はどこか儚い印象を与えるのに、その笑みの力強さが弱いイメージを打ち消しその美しさを劔に変える。これまた絵に描いたような美青年だ。
「お久しぶりです、ライアお嬢様」
「挨拶が違うわ先生。私たちは初めましてよ」
にこりと笑いながら私にしては珍しく真実を口にすれば、
「そうでしたか。……では自己紹介からやり直しましょう!」
私が掌で示した対極の椅子に着席したにも関わらず、青年は私の言葉に軽く腰を上げた。こつり、厚いブーツの重みを吸収しきれなかったカーペットが小さく呻いた。
青年は、椅子に座ったままの私の横に立つと、片膝をつきわざわざ子供と視線を合わせた上で手を心臓に重ね敬意を惜しむことはなかった。
「私はキドアニア学院を卒業後、現在はハロルド大学院で幸生科に在籍し幸生学を専攻しております。こちらの公爵に縁あって雇われお嬢様の家庭教師を任ぜられました、ドロリア・エンバートと申します。歳は22歳。好きな女性のタイプはボンキュッボンのグラマラスな魅力溢れる肉体を持った女性です。以後お見知り置きください」
「初めまして。昨日までの記憶を全部なくしたライア・パパラチアです。歳はお父様曰く12歳。好きな男性のタイプはユーモアに溢れた大人の人。貴方は合格よドロリア・エンバート学士。親しみを込めて先生とお呼びしてもいいかしら?」
「勿論ですお嬢様。気に入っていただけたなら何よりです」
差し出された手のひらに、躊躇いなく己の手をのせる。
悪戯に成功した子供のようにその美貌を生かしたウインクのなんと眩しいことか。
現代ならばその容姿だけで食べていけたであろうほどの美青年は容姿端麗なだけではなく頭も良いらしい。それに加えユーモアもあるなんて神様は案外露骨に人を差別するらしい。
不平等も不公平も、私たち人間を形作った神様が率先して行なっている場合、一体誰に苦情を言うべきなのだろうか。神様をつくった人?けれど結局それだと人間に戻ってきてしまう。だってそもそも人間が認識し奉らなければ神様はその名を得ることもなかったのだから。んーこれはまさにメビウスの輪。って、そんなに大それたものではないか。
「えぇ、とてもとても気に入ったわ。今すぐ家を捨てて駆け落ちしましょうと懇願するほどに」
「お嬢様はとてもお美しいのですが私の好みには些かどころか大いに発達が足りていないので別の男を今度紹介するので逃げるならそちらとお願いします。給料のいい奉公先を失うつもりはないですから」
「あら。どちらにせよ私がいなくなれば先生は仕事を無くすのだから同じじゃない?」
「それもそうですね!では残念ながらお嬢様に全てをかけて尽くすには色気が足りない、という事実を正直に告げるしかなさそうです」
すみません、なんて思ってもいない軽い謝罪に悪意は感じられない。馴れ馴れしい態度ではあるもののそれがこの青年の素なのだろう。やはり顔か。顔のせいなのか。この人が言ってもぜんぜん嫌味っぽくならない。容姿ってやっぱり大事ね。
打てば響くような会話は心地よく、ライア・パパラチアになって私はようやく心から笑った。
「本当に可笑しな先生ね」
滲む涙を人差し指で拭えば、ドロリア先生は気分を害した様子もなく同じように笑みを返してくれた。
「相変わらず嘘を愛していますね、お嬢様は」
「最後の言葉は本心よ?」
「それも嘘だと疑ってしまうのは私の頭が硬いからでしょうか」
「いいえ?先生が学習能力を備えた人間だからよ。まぁ犬や猫も繰り返せば芸事を覚えるのだから人間だけの特権とも言えないけれど」
「私は犬猫と同じなのですか?」
「失礼しました。犬猫だけじゃなく牛や豚、狐もたぶん同じぐらい賢いわ。勿論私の大好きな雀もね」
和かに微笑めば、先生は腹を抱えて笑った。
馬鹿にして、と怒るのではなくおちょくられてると理解しながらも会話を続けられるのだから、この人は理性的で賢い人だ。それと多分、相当いい性格をしてる。勿論褒め言葉ではない意味合いで。
こう言う会話に憤慨しない人は、大抵の場合自分も人を怒らせることが多い人か若しくは本当に救いようのない頭のネジの飛んだ善人か、どちらかだ。
「それで先生は何をしにここにいらっしゃったのかしら」
「勿論、お嬢様に世界の広さを教えるために、ですよ!」
齢二十歳を過ぎた家庭教師、躊躇いをどこかに捨ててきたらしく、子供のように無邪気に笑った。