7:クソ食らった俺が、強制便所飯の女の子の家に行ってもいいですか?
「ちょっと、早いって……あと、手痛い……」
「黙ってついてきて!」
大分お冠のご様子の水洗慈さんは、力いっぱい俺の手を握ってそのままずんずんと進んでいく。
これがデートで遊園地とかだったら、何て幸せな妄想をしてしまったりするのは、俺が健全な男子高校生であるが故の仕方ない事と言えよう。
だが現実には夜の住宅街。
一本向こうの路地には、俺たちがいつも通る通学路でもある土手へ繋がっている。
一度だけ、俺は水洗慈さんの家の前と思われる場所を通ったことがある。
少々古めの、赴きある日本家屋という感じの大きなお屋敷。
きちんとした門があって、さすがに通りかかっただけでチャイムを押してみようなんて勇気は出ず、当然のごとく素通りするに留まったわけだが……俺たちが今向かっているのはまさにその方向。
まさかとは思うが……。
「ねぇ、水洗慈さん……何処へ向かってるのかなぁ……」
「よりくん、お茶飲みたくない? 喉、乾いたよね?」
「は?」
「お茶、ご馳走するから」
「…………」
強制イベント発生、と。
当然のごとく拒否権などない。
と、言うことはだ。
俺はこれから水洗慈さんの家に連れ込まれる?
いや、俺だってついさっき水洗慈さんを家に連れ込んだわけだから、お相子という話でもあるのだが、何しろ時間が時間だ。
そして明日だって平日だから学校もある。
「なぁ、ま、またの機会にしない? さすがにこんな時間に家にって、迷惑になるんじゃ……」
「じゃあ、ご飯食べさせて。私、お腹すいたから」
「はぁ!? さっきあんだけ食ってたのに!?」
「…………」
青い顔をしながらも水洗慈さんが、我が家でもりもりと飯を食っていたところを、俺は見ている。
あれだけ食ったらさすがの水洗慈さんと言えど、ふぅ……腹がパンパンだぜ、ってなことになってもおかしくないと思うのは俺だけなのか?
「よりくんは、嫌だよね……こんなの」
「えっと、嫌っていうか……話が見えない。色々いきなりすぎて、整理がついてないというか」
あと数十メートルで水洗慈さんの家、というところで突如立ち止まり、水洗慈さんはまたも俯く。
情緒不安定なのかな、この子。
「でも、少しずつでいいから、わかってほしい……かな」
「あの……俺の勘違いじゃなかったら、多分そういうことなんだろうと思うんだけど……何で?」
「…………」
そう尋ねた俺に、またも少し恨めしそうな目を向け水洗慈さんは再び歩き出す。
手を放してくれる気はないらしく、やれやれ仕方ないお姫様だ、とか心の中で呟いて仕方なしについていくわけだが……どう考えても俺、非常識な時間にクラスメートの女の子の家に押しかけるとんでも野郎だ。
「ここ……なんだけど……お母さん……」
「小用子。随分遅かったのね。心配したわ」
和服姿の綺麗な人。
今お母さんって呼ばれてたけど、お母さん?
どう見てもお姉ちゃんにしか見えないんだけど。
「そちらが、えっと……お友達の?」
「うん……遅くなってごめんなさい。送ってくれたの。立ち話も悪いから、お茶だけでもって思って」
「そう……そうね。お友達さん、良かったら上がって行ってくださいな」
あくまで社交辞令。
そういう考え方も良くない気がしたが、いえ、この辺で俺はお暇させてもらいます、なんてとてもじゃないが言える雰囲気じゃない。
水洗慈さんが握った手はそのままだし、その手を見たお母さんなる人物は口の端に笑みを浮かべているが、その笑みが何となく不穏なものに感じられたからだ。
良かったら、なんて言ったが良くなくても上がって行けよ、という意志が透けて見えている。
ああ、この二人間違いなく親子だわ、と嫌でも思い知った。
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「どうぞ、粗茶ですが」
「あ、ええ……お構いなく」
和風の家屋と言う外見に違わぬ、純和風の居間。
座布団を一枚用意され、俺はそこに座らされる。
「今日は主人がおりませんが、私が代わりましてごあいさつを。小用子の母、清美と申します。いつも娘がお世話になっております。先ほども夕餉をご馳走になったとか……何とお礼を申し上げたら良いか」
「え……いえ、こちらこそ水洗慈さん……娘さんにはお世話になっていますので……」
物凄く丁寧に挨拶をされ、俺は思わず恐縮してしまう。
隙のない所作、上品な佇まい。
そのどれもが俺の様な未熟なクソガキが相対するには十年早いんじゃないか、なんて思わされる。
「それで、小用子。こんな時間にクラスメートの方を連れてきたのだから、何かきちんとした用事がある、という事なのよね?」
過程はどうあれ、こんな時間に押しかけているのは結果として俺だし、責められるべきは俺なのに、何で彼女が責められなければならないのか。
そう思いせめて一言でも返さねばと思ったところで、俺は水洗慈さんに止められる。
「大丈夫、私から話があるから連れてきたの。非常識だっていうのも、承知で」
「そう……なら言ってみなさい。今日はもう、仕事もありませんからゆっくり聞けますよ」
親子の間で散る火花が見える気がする。
女同士のバトルはマジで怖い。
うちの姉と母がたまにやらかしてくれるけど、それを見てるだけでも割とドキハラモードだからな……。
「お母さんがどう思うかは知らないけど、私……こちらの雲黒斎くんと、お付き合いすることにしたから」
「え?」
「……え?」
「だから私、もう寂しくないから。好きなだけお仕事もしてもらって……」
「え、ちょ、ちょっと待って」
話が呑み込めず、ついつい話を切ってしまったのは俺だ。
ぶっちゃけたことを言えば、この子いきなり何を言ってるの、というところだ。
だって、別に明確な好意を告げられたわけではなく、それとなく匂わせはしたけどそれだけだ。
そこからいきなり交際に発展する意味が分からない。
ここで俺が同調などしようものなら、俺はすぐさま死地へと送り込まれるのではないか、と思う。
何故ならすぐそこで母親さんが、俺のことを今すぐにでも殺してしまいたい、と言わんばかりの顔で見ているからだ。
いや、誤解のない様に言っておくと顔はニコニコしてる。
顔は、だけどな。
目が一向に笑みを湛えている様に見えないというところに、狂気すら感じる。
「あの、俺……いつから水洗慈さんと付き合うことになったの?」
「は?」
「いや、だって……どっちからもそういうアプローチ、なかったし」
は? って言った時の水洗慈さんの顔。
紛れもなくこの二人が親子であることを表す、恐ろしい目をしていた。
「だったら……だったら! 私がちゃんとアプローチするから……」
「は? ダメに決まってんだろ……」
俺がやれやれと言った顔で水洗慈さんを止めると、水洗慈さんの目がもう、瞳孔開いて若干怖い感じになってる。
俺、ここでどう答えるのが正解だったんだろう。
「何で? 私じゃダメ? そんなに魅力ない!?」
「バカか! んなわけねぇだろ!!」
俺がいきなり叫んだものだから、お母さんも一緒になって水洗慈さんはびくっとなっている。
俺にとってはこの上なく可愛い生き物、そしてあのヤンデレ臭いところさえなければ文句なし。
性格だって最高にいいと思う。
だから俺は自らを否定する様なことを口にする水洗慈さんに腹を立てた。
「じゃ、じゃあ何で……」
「いいか、よく聞けよ。男女交際、大いに結構だ」
「…………」
「だがな、女からの告白とか、俺の中ではあり得ない。だから、この件は保留! 俺が水洗慈さんを口説くから、お預け! 最高にグッとくるセリフを考えてくるから、覚悟しててくれ!」
「あの……」
「あー、言うな言うな。わかってる。さっき俺が言ったことはちゃんと有効だから。いつ何時でも呼び出してくれて構わない。さっき言った様に、俺はいつでも駆けつけてやる!」
とまぁこんな感じに大見得を切って見せると、親子そろってぽかんとした顔で俺を見つめている。
しかし何だろう、お母さんの顔がやや呆れて見えるのは。
「あの……一ついいかしら」
「な、何でしょう」
「何でそこまで娘のことを考えているのに、付き合わないんですか?」
「え、だって……こういうのって」
やっぱり雰囲気が大事。
そんな風に考える俺は古い人間なのかもしれない。
しかし、こういう時だからこそ、少しくらいカッコつけたいのが男の子。
そう、俺は思春期真っ只中なんだ。
しかしそう言いきった俺に対する親子の反応は、実に冷ややかなものだった。