6:クソ食らった俺でも、泣いてる女の子を慰めるくらいはしてもいいよね?
「ご馳走様でした。いきなり押しかけて、申し訳ありませんでした」
「こんな家で良かったら、またいつでもおいで。そういう関係になったら、泊まりでもいいからね」
「お、おい勝手なこと言うなよ!」
食後、少しして水洗慈さんは姉と母に、今日起こったことを語った。
俺の事情を知らなかったらきっと、この子は何を言っているのか、ってなってたと思うが幸いにも彼女の話はある程度信じてもらえた様だった。
それというのも、俺の事例ももちろんだが、姉なんかはそういう不思議な話が大好きで原因の究明や推理と言った感じで寧ろもっと聞かせろと言って、母に頭をはたかれていたくらいだ。
「まぁ、あんた次第だと思うけどね、便。ひとまずあんまり遅くなっても悪いから、あんたちゃんと家まで送っておいで」
「言われるまでもねぇよ。んじゃ、行ってくる」
「お邪魔しました、また是非寄らせていただきます」
礼儀正しくお辞儀をして、水洗慈さんは先に出る。
俺も靴を履いて水洗慈さんを追う。
母も姉も上機嫌で水洗慈さんに手を振っているのが見えた。
「よりくんの家、温かいね」
「はぁ? いや、普通の何処にでもある家だよ。大体何処ん家もあんなもんじゃねぇの?」
「……そう、かなぁ……。私の家がどんなかって、話したことあったっけ」
少し歩いたところで、水洗慈さんは足を止める。
その様子はまるで、今夜は帰りたくない、と言わんばかりで俺もバカだから勘違いしてしまいそうになる。
「いや、多分ないかな……両親は健在なんだっけ?」
「うん……ちゃんと生きてる。だけど、私はこの歳になるまで一般的な家庭の味って、ほとんど知らなかったの」
「え?」
そう言った水洗慈さんの顔は、先ほどお菓子の包みがおトイレになった、と言った時よりも更に暗い。
俺からしてみたら、どっちが水洗慈さんにとってキツイものなのか、測りかねる。
ただ一般家庭の味を知らないというのがどういうことか、何となくの想像がついた気がした。
「水洗慈さんの家って、もしかして金持ちなの?」
「んー……そうなのかな。お金に困る様なことは多分ないんだろうね。私、良く食べるでしょ? それでもちゃんと毎日十分すぎるくらいのお小遣いもらってるから」
「……なるほど、確かに」
弁当が一個当たり四百円として、それを週五で毎日四個ずつ。
とてもじゃないが高校生の小遣いじゃ……いや、社会人でもちょっと厳しいんじゃないかっていうほどの出費だと思う。
それを小遣いでまかなえている、ということはだ。
彼女の家が高所得者の家でなければおかしい話になってくるだろう。
もちろん弁当を手作り、という方法もないではないかもしれないが、彼女の胃を満たすほどの量作り、学校まで持ってくるとなるとかなりの重労働になる。
彼女の細腕でそんなこと出来るとは到底思えなかった。
「お母さんも、お父さんも忙しい人でね。料理は大体専属の料理人が作ってくれてるの。たまに料理人が休みの時は、自分でお弁当とか買いに行くこともあるけど」
「…………」
金持ちで、広い家に住んでいる。
それでも家族で食卓を囲む、ということはほとんどなくどんなに豪華で美味しいものだったとしても、食べる時は大体一人。
夫婦が揃って食べることがあっても、会話らしい会話はほとんどない。
想像してみると、水洗慈さんがとてつもなく可哀想な子に思えてきた。
「私、罰が当たったのかな。贅沢言ってるんじゃない、って。世の中にはもっと不幸な人だっているんだぞって」
「え?」
「よりくんが苦しんでる中、私はパンを粗末にしたことに怒って、よりくんがどうしてああなったのか、なんて考えもしてなかった。だからきっと、私も……」
「おい、待てって。そんなわけねぇだろ! ……少し落ち着こうぜ。俺が何ともなかったら、気持ちがわかるなんて軽々しく言えないけど、幸か不幸か今の俺には、水洗慈さんの気持ちがわかる。というか、俺なんかまだいい方だって思えるくらいだ。見なけりゃ普通に食えるし……だけど、器とか包装が全部洋式便器に見えるって、しかもその中身は普通の食べ物なんだろ? 強制便所飯とかどんだけひどい罰ゲームだっつのな! 大体何も悪いことしてないはずの水洗慈さんが、こんな罰受けなきゃいけない理由なんかねぇよ!」
「よりくん……」
しかもその便所飯は、ただただ便所で飯を食うのではなく、便器に触れたものを食べなきゃいけないという、これまた見た目だけの話の様ではあるが、それでも精神衛生上よろしくない罰ゲームだ。
更に言えば食べることが大好きで、食べ物を誰よりも大事にする水洗慈さんにとっては、この上なく堪えるだろうことが容易に想像できる。
「たまにね、和式にも見えるの」
「どっちでもいいよ、そんなもん……どっちに見えたってそこまで大した違いねぇだろ」
「そうだけど……ねぇ、私、どうしたらいいの? 食べるのやめた方がいい?」
「バカ言ってんなよ……今日医者も言ってたけど、食わずに生きてくなんて絶対無理だ。いいか、俺はさっきしてもらったことを、忘れてねぇぞ」
「え?」
ぽかんとした表情で、水洗慈さんが真っすぐに俺を見つめる。
こんなにも食べるの大好きな子が、悲痛な面もちで食べるのをやめようか、なんて考えなければならないほどの事態。
そして俺が少しでも救われた気がした、水洗慈さんの行動。
「こ、今度は俺が、水洗慈さんに飯食わせてやるよ! 必要ならあーんだってしてやる!」
「え、そ、それって……」
「任せとけ! 必要ならいつでも呼んでくれていいから! だ、だから連絡先の交換とか……」
どさくさに紛れて何を言ってるのか、と自分でも思う。
彼女の困っているところに付け込んで、割と最低なことをしている。
否!!
結果が全て……そう! 結果さえ出せばいいのだ。
つまり、連絡先の交換をしてよかった、と彼女に思ってもらえればいい。
大体、こんだけよく話すのに何で今更連絡先の交換なんだよ、ってくらいに俺たちは順番を間違えている。
「あ、そ、そうだね。その、朝早くから呼んだりなんて非常識なことはさすがにしないけど……」
「いいや、別に夜中だろうが何だろうが、呼んでくれて構わないから! 水洗慈さんがどうしても一人で食べられない、って言うなら俺はいつでもどんな状態でも駆けつける!」
言ってしまって、どんな状態でも、なんて言ったことをちょっとだけ後悔する。
例えば入浴中とかトイレとか。
はたまたガス抜きしてる時とか……。
そんな時に呼ばれたらさすがにたまらない。
「あはは、変なの……よりくんは、私が嘘ついてるかも、とか思わないの?」
「思うかよ。俺自身が似た様な状態の真っ只中だってのに、それをバカにしないで聞いてくれて、少しでも立ち直るきっかけくれたんだから」
そう力強く言って、水洗慈さんを見ると、俯いてプルプルしている。
笑いを堪えている、というのではない様だが……小動物みたいな彼女の事だ、もしかしたら超音波とか出してコウモリでも呼ぶのかもしれない。
「嬉しい……こんなこと、お母さんたちに言えないもん」
「おいおい、泣くなよ……俺が泣かしたみたいじゃん」
「よりくんが泣かしたんだよ。よりくんの言葉がとても嬉しくて、私は感動してるんだもん」
恥ずかしくなって目を逸らした隙に、水洗慈さんは俺の胸元に飛び込んできて顔を埋める。
心臓が跳ねて、耳の奥でうるさい程の鼓動を刻んでいる。
そしてふわりと、いい香りがした。
「ごめんね、ちょっとだけこうさせて……」
「あ、謝らなくてもいいって。い、いつでも何だ……ウェルカムだぜ」
抱き返すほどの根性が俺ごときにあるわけはなく、しかし何もアクションを返さないというのも男としてどうなのか、と考えて俺は肩をそっと両手で掴む。
細くて小さなその肩は小刻みに震えていて、俺の胸の辺りが呼吸と恐らくは彼女の涙で湿って温かい。
「ドキドキ、してるね……」
「そ、そりゃな……こんなの初めてだから」
誠にこっぱずかしいことに、俺のドキドキは彼女に筒抜けということを彼女の口から告げられるという罰ゲーム。
そう、所謂羞恥プレイなわけだ。
「あと……こないだ、話の途中でよりくん倒れちゃったから……今度私にご飯を、奢らせて……ほしいんだけど」
「あ、あー……そんな話、あったな。けど俺、そこまで食べないし水洗慈さんからしたら、大して面白くないかもしれないよ?」
「それって暗に、私が大食いだからついていけない、って言ってる?」
「い、言ってません」
背中に回された水洗慈さんの手が、俺の背肉をぎゅっと掴み、背中に鋭い痛みが走る。
どうせ爪痕とか付けられるんだったら、もっとロマンチックなシチュエーションがいいんだけど、なんて拷問されても言えないよね。
「そ、それよりそろそろ離れない? あんまり遅くなってもだし……」
「やだ、もうちょっと」
「いや、ほら俺バカだからさ、女に免疫あるつもりだったけどあれを女としてカウントしていいのかって話だし、勘違いしちゃうから」
この会話が姉と母に聞かれてたら俺、多分ぶっ殺されるな。
「何、勘違いって」
「お、俺に惚れると火傷するぜ……みたいな」
「…………」
やってしまった。
盛大に、やらかした。
何を自惚れてんだ、この北京原人が。
つり合いってものをもっと、考えるべきだろ。
見ろよ、彼女のドン引きしてる様子……無反応。
清々しいほどの、超がつくほどの、無反応。
「……手遅れだもん」
「は?」
などとウダウダ絶望に暮れていたところで、彼女からの反応が返ってくる。
そしてその内容……俺の聞き違いでなければ、何て言った?
手遅れ?
ははっ、まさか。
きっと俺、今日のことで疲れてて幻聴が……。
「て、お、く、れ!! 手遅れって!! 言ったの!!」
「……え、いや、えええええええ!?」
「何で!? 何そのリアクション!! ダメなの!?」
「いや、待って。待ってくれ。いきなりのこと過ぎて頭が追い付かない。どうだろう、ここは一旦解散してだな……」
「ふざけないで!!」
突然顔を上げ、耳をつんざく様な声で水洗慈さんが叫ぶ。
目には再び涙を浮かべ……って俺、今日この子を何回泣かせてるんだろう。
そしてその目は、とてつもない恨めしさを秘めたもので直視するのがやや辛い。
「よりくん……」
「は、はい」
「どうしても私の言うことが信じられないなら、信じられる様にしてあげる」
そう言って水洗慈さんは、涙を拭って俺の手を掴むと、ずんずんと歩き出す。
訳もわからず、俺はもう割と遅い時間なのにその後ろを追っかけることしかできなかった。