最終話・手をとって、歩いていこう(前編)
一月も半ばになると、夕暮れだって結構遅くなる。
といっても十二月に比べれば、の話なのだけれどね。
寄り道したい、って言ってた割には秋埜は、特にどこかの店に寄るのでもなく、暖を求めて図書館などに入るでもなく、ただぶらぶらと、それも寒いだけにしか思えない川沿いを先に立って歩いてるのだった。
「さーむーいー、っす」
…そういえば、秋埜って結構な寒がりだよなあ。
何かと寒い寒いって言ってる気がするし、けどその度にわたしが構うものだから、余計に寒がるようにも思える。
そういうところ、すっごくかわいいと思える。
わたしなんかよりもよっぽど、かわいいって思える。
「秋埜?寒いならあっためてあげよっか?」
「センパイ…望むところっす!」
「ん。じゃあ、はい」
わたしは、秋埜のダッフルコートのポケットに手をつっこみ、その中にある秋埜の手を握る。
並んで歩いているのだから、片側だけで。
「センパイは、ほんとーにうちのツボを知り尽くしてますねえ…」
「何それ」
感じ入ったように話す秋埜。わたしはしたいようにしてるだけなんだけどな。
…市内の中心を流れる川は、そんなに広くもないけれど、ゆっくり歩くにはちょうどいい感じの土手があって散歩するには向いている。
でもこんな寒くて夕暮れも近いとなると、他に人がいるわけでもなく。
わたしは念のため、周囲を見渡してみたけど、やっぱり誰もいない。
…よし。
わたしは立ち止まり、ポケットの中の手を出して秋埜から一歩離れる。
「センパイ?どーしました」
「うん。秋埜、キスして?」
「うちからですか?いいですよ」
体の後ろで手を組んで、目を瞑って待つ。
秋埜はわたしより背が高い。見上げて唇をつきだす恰好になる。
秋埜のにおいが近付く。風が冷たくてあんまりつよくはないけれど、キスするような距離にいたんじゃあ、どうしたって満たされるよね。
「…ん、」
軽く、唇が触れるだけのキス。
乾いた肌が、ちょっと引っかかったみたいに思える。リップ塗っておけばよかったかな。
…でも、いいか。充分だよね。
わたしは目を開いて、秋埜の顔を見た。
ほんのちょっぴり恥じらい、けど、名残惜しそうにしてる。
「秋埜。別れよう?」
きっと、唐突に思えただろう。
あるいはわたしが何を言ったのか、分からないのかもしれない。
それでも、呆然としているだろう秋埜を、わたしは宥めなくちゃ、って思って。
秋埜の顔をしっかり見たんだ。
「…そろそろそーゆーこと、言い出すんじゃないかって思ってました」
…のだけれど、そこにあったのは、ただただ呆れた様子の秋埜だった。
………え?
~~~~~
まったく。
このセンパイは、こういうところが分かりやすいというか、依怙地というか。
うちとこーゆー仲になってること、考えて考えていっしょうけんめい考えて。
自分が引いて、一緒に歩いてた人を先に行かせれば、どちらも傷つくことないんだろうって。
そういう風に考えるひとなんだよなあ。
でも、センパイ。
今回に限っては。
…うちも巻き添えにしてしまってるんすよ。
それ、やっちゃうと、うちもセンパイと一緒に歩けなくなっちゃう。
そこんとこ、分かっているのかなあ。
「………え?」
分かってないんだろーなあ。この顔は。
…センパイは、前に言った。
女の子同士が付き合うのは変だって、そう言って、うちを先に送り出そうとしていた。
でも、うちの『好き』はもうそんなところをとっくに通り過ぎてるって知ったから、自分の『好き』が追いついていないって、もしかしたら、怖くなったのかもしれない。
センパイは、いつも誰かを見送っている。
けれど、それがセンパイを独りにしてしまう。
子供の頃、うちをそうやって送ってくれたセンパイ。
自分ひとりで抱えて、チー坊と緒妻センパイをずっと見送ってたセンパイ。
チー坊のために作った自分に惹かれてしまったみんなを、自分はそういうものじゃないって突き放してたセンパイ。
ひとりで残されるのが怖いって知ってしまって、うちと恋人同士になって、そしてうちをひとりで送ってしまったら、きっとセンパイはもうずっと、ひとりになってしまう。
だからきっと、今、立ち止まってしまったんだと思う。
まだ自分の後ろにあるものから迷って、見失わないように。
…しょーがないひとだなー。実は結構、ヘタレでもあるもんなー。
「…秋埜、怒らないの?」
怒るもんですかっての。
うちを怒らせるんなら、うちよりしょーもないひとを好きにでもなってください。
出来ないでしょ?それくらいの自信、うちにはありますもん。
「麟子センパイ、なんでうちが怒るって思ったんですか?」
「だって…前は、わたしなんかと一緒にいない方がいい、って言ったら、あんなに…」
センパイは、俯いてそんなことを言い、一歩後ずさった。そしたら、センパイの体はうちの手からは届かない場所にいった。
「…あのときは、センパイ。うちの『好き』とセンパイの『好き』がどれだけ近いか分かんなかったんです。今は、ですね」
そう言って、センパイに二歩、踏み込む。手が届くどころじゃなくて、センパイのいいにおいだってかげる距離だ。
「…センパイが、どんだけうちのこと好きか、知ってます。だから、それくらいのことで怒ったりしません」
「そうじゃない、秋埜。わたしは…迷っちゃったんだよ。秋埜とのこと、自分だけじゃなくって確かなものが欲しくて、迷ってしまったんだよ?だから、秋埜のこと好きでいちゃいけないんだよ!わたしにそんな資格、無いんだよ?!秋埜の『好き』とわたしの『好き』は一緒にいたらいけないんだ!!」
…うちと、うちの父さんのこと見て、そんな風に思っちゃうんだなー、このひとは。
けど、けっこう嬉しい。うちと父さんのこと、羨ましいって思ってくれてるんだ。
もう、センパイが何言ったって、うちはセンパイが好きになる。
その一言々々で、愛しさが増してくって分かる。
うちを、そーいう風にしてくれたのは、麟子センパイなんですよ?
キライになったりするわけないじゃないですか。
「センパイ」
うちが踏み込んでも、センパイは下がったりしてなかった。
だから、うちはセンパイをぎゅうっと抱きしめる。麟子センパイのにおいだー…。
「はなして」
「やです」
…センパイ、泣き顔見られたくないでしょ?
「えっとですね、聞いて下さい。返事はしなくていーです。うちが勝手にしゃべりますから。イヤんなったら、うちを振り解いて帰っちゃってもいいです。それで、一人で泣いてください」
こくん。
肩のところに顔をうずめたままのセンパイが頷く。
うちは思う。
小学校の頃、いじめっ子をこらーって叱りながら、何もかもに怯えてたうちを助けにきてくれたセンパイのことを。
そんなことが何度かあってから、センパイが助けにきてくれることが本当に、楽しみになってきてた自分のことを。
父さんが壊れそうになって、転校しないといけなくなり、センパイとお別れするのがイヤでイヤで泣いていたことを。
…そのうちを、どっか寂しそうな顔で、でも最後は笑顔で送り出してくれたセンパイを。
センパイが進学したっていう高校を教えてもらって、そこを目指して一生懸命に勉強していた時間を。
あの人がすぐ近くにいるってだけで、満足していたことを。
けど、聞こえてくる噂に、わけがわからなくなっていた時のことを。
そして、どうしても会いたくなって、それでも自分からは何も出来なかったうちに、会いに来てくれた日のことを。
うちを、もっちーも一緒に守ってくれたセンパイの姿を。
センパイの心と体に、もう我慢が出来なくなってせがんだうちに、きっと堪らなくなってしまってキスしてくれたセンパイを。
うちのワガママだったけど、センパイがチー坊への想いを自分で断ち切った日に流してた涙のことを。
うちを、二度目に送りだそうとして、悔やんでいただろうあの日のけんかのことを。
…それから。
うちを迎えに来てくれて、センパイがうちのことを、好きだって言ってくれた、ことを。
センパイ。
うちは、麟子センパイのことが、好きです。
「…緒妻センパイが言ってたって。麟子センパイは、誰かの成長を喜んで、それを笑って見送れるって。それが麟子センパイの優しい、かわいさだって」
「………そんないいもんじゃないよ」
「…そーですね。うちも、それがいいなんて思ってません」
「………うん」
麟子センパイは、うちの腕に締め付けられるままにじっとしてる。
うちの言葉、センパイに届くよね?
そう願いながら、言葉を継ぐ。
「…だってそれじゃ、センパイが見送ってばかりじゃ、センパイの側には誰も残らないじゃないですか」
「………」
微かな身動ぎ。
きっと通じている、って。
「センパイは見送ってばかりで、誰もセンパイと一緒に歩いていってはくれないじゃ、ないですか。それで、一人残っちゃったセンパイは、誰と歩けばいいんですか」
「……一人で、いいよ。わたしは」
「よくないです。うちは、センパイが好きなんです。好きなひとが、一人でみんなの背中を見送ってるだけだなんて、そんなこと誰が許したってうちは許せません。何よりも、センパイを一人にしてしまってる自分を、許せません」
「…あきの」
ようやく。
センパイが、うちの背中に腕を回してくれた。
「誰かを見送っていたセンパイは、きっとうちのことを覚えてないって思っていました。
でも、うちの背中を押してくれたセンパイが、ずっと一人でいるって知ったら、このひとのそばにいなきゃいけない、って思いました。このひとのそばに居たい、って思いました。
そしてまた、うちを守ってくれて、センパイを好きになりました。もう離れたくないって、思いました」
それが、うちの『好き』です。
センパイを一人にしたくないうちが、好きでいるのが、うちの『好き』です。
麟子センパイ。
だから、センパイがうちを好きでいてくれることは、うちの『好き』にとっては最高にしあわせなことなんです。
だって、ひとりにしておきたくないひとが、うちと一緒にいてくれるんですから。
~~~~~
…どうしよう。
秋埜にかお、見られたくない。
こんな熱烈な告白されて、顔が赤くならないワケがない。
ううん、それどころじゃない。
今秋埜の顔見たら体も心も融けちゃう。そんな確信がある。
そして、それ以上に。
どれくらい自分が勝手な思い込みで秋埜に心配かけてたか。
…あああああ、むしろ顔が赤いのはそっちの方が原因な気がする……。
とりあえず、これをどうにか誤魔化さねば。
秋埜に顔を見られない方法。いや、よしんば見られたとしてもなんとか他の理由つけられる方法。
って、一つしかないじゃない。
よしやろういまやろうすぐやろう。
…何よりも、わたしがいちばんしたがってる。
「秋埜」
わたしは、ようやく涙声の収まった声で、秋埜の肩に-ちょっと横に顔をずらして、秋埜の胸を自分の顔で感じつつ-体を預けたままで呼ぶ。
「はい、センパイ。どしました?」
「目、つむってて」
「いいですよ」
秋埜、素直。というか、むしろ待ち構えてるように見える。
わたしは、秋埜の背中に回した腕を解くと、そのまま秋埜のくびに回して、跳ねるように唇を重ねた…。
ガツッ!
…つもりだった。
「っ?!……ふぇ、ふぇんふぁい…はらあふぁっふぁ…」
「う、うん…ほへん、ひからふぁへんまふぃはふぇた…」
…キスって、勢い良すぎると前歯どーしがガッツンコしちゃうものなんだね…ひとつ勉強になった…。
口を両手で押さえながら涙目になってる秋埜には悪いことをしたと思うけど、わたしは「こんな締まらないのもたまにはいいかな」って思っていた。
…今までの十数分間が人生にこれ以上ないってくらいクライマックスだったんだから、最後くらい力抜かないと長続きしないんじゃないのかな、って。
……まあ、負け惜しみなんだけどね。
「…それで、センパイ。お返事いただけますか?」
ちょーどいい照れ隠しも終えたので、わたしもすっかり機嫌を直し…いや、自分で自分の機嫌が直ったとかどーなのよ、って思わないでもないけど、きっとどこかに疳の虫が居たんだと思う…。
とにかく、まだ照れくささのどこか残った沈黙と一緒に、家路をたどっていた時に、秋埜が妙なことを聞いてきたのだ。
「返事?」
「はい。返事、です」
「なんの?」
思わず立ち止まって、秋埜の顔をまじまじと見上げる…見上げるくらいに距離が近いのであって、わたしの背がそこまで低いという話じゃあないのだ。
「決まってます。うちの、プロポーズの返事です」
「プッ………なに?」
「プ・ロ・ポーズ、です。センパイ、結婚しましょ?」
「なっ…」
な…なにを言ってるのこの子……。
「えー?だって前はセンパイの方から言ってくれたじゃないですかー。『秋埜、結婚しよ?』って」
「ええっ?!いつそんなことわたしが………………」
あ、そーいえば言ってたわ。今村さんと三人でお昼ご飯してたとき。
…って。
「そっ、そんなのその場の冗談じゃないの!」
「センパイ。自分の言ったことには責任持ちましょーよ。さあ、うちと結婚するですー」
「待って待って待って!わたしたち二人とも高校生だよ?こーこーせー!結婚なんか出来ません!」
そういうことじゃない気もするが、とにかくまだ出来ないものは出来ない。
「…センパイ知ってます?女子は十六から結婚出来るんですよ?」
「あー、うん。知ってる。でもわたしたちどっちも女子だから…あ、出来るのか」
「ほら。さしあたって結納は来週あたりでいーですかね?」
「うん…あ、いや違う何言ってん………ん?」
わたしは両手を開いて抱きついてくる秋埜を必死に押し止めながら、ふと思う。結納。結納、ねー…。
「センパイ?何か悪巧みでも思いつきました?」
「…うーん、秋埜。日曜日空いてる?」
「はい?まあ空いてると言えば空いてますけど。どっか遊びに行きます?それとも期末に向けてテスト勉強でもします?」
「…期末の話は止しとこ。ね?」
汚名返上に命かけないといけないし。
「そーじゃなくって、結納しよ?」
「はい?」
自分から言い出したくせに、秋埜の反応は今ひとつだった。




